これまでに5つの民俗文化を述べてみたが、もちろん、これはある程度仮説的なものであり、さらにまた、それらのみが我が国文化の基層を構成したものであるという意味でもない。
はじめに述べた①母系的・秘密結社的・芋栽培-狩猟民文化の我が国への伝来は縄文時代中期以後(後期)に置いたが、無論、それ以前にも何らかの民俗文化が列島に存在していたのであるが、それについては知識不足でもあることから、ここでは触れない。
ともあれ、この①母系的・秘密結社的・芋栽培-狩猟民文化は伝来以降、日本列島に広く拡散伝播し、また同時期の土器(縄文)においても、それぞれの地域的特徴が看取出来るものの、同時に繁縟的といった縄文土器一般における共通した意味合い、要素をも付与したとのではないかと考える。
そしてその後、縄文時代末期になると②母系的・陸稲栽培-狩猟民文化が伝来し、これが①を含む在来文化に加わり混淆し、そして日本列島西部を主として徐々に農耕文化的様相へと変貌していった。
さらにその後、弥生時代に入った紀元前4~5世紀頃になると、大陸での戦乱の影響により、中国南部の江南地方(呉・越)より④男性的・年齢階梯制的・水稲耕作-漁撈民文化そしてそれとほぼ時代を同じくして朝鮮半島を経て③父系的・「ハラ」氏族的-狩猟・飼畜民文化が列島に流入し、①と②を含む在来文化の混淆にて形成された、ある程度農耕への比重を持つ文化の上に③、④の文化が加わり、交流、混淆し、次の時代への胎動をもたらす弥生時代の社会が成立した。
とはいえ、もちろんここで述べた①~④それぞれ文化の交流、混淆の様相とは多種多様であり、また、それらの様相こそが我が国の多彩な背景を持つ地域民族文化の基層、マトリックスとなったと云える。
具体的には、縄文時代以来の狩猟採集と共に母系的畑作農耕を主たる基盤とする種族文化は主に内陸地域へ、新たに伝来した水稲耕作を主たる基盤とする種族文化は概して河川下流域、海岸付近へと居住するといった様相である。
そして、弥生時代も末期に近づいた頃に至ると水稲耕作を基盤とした酋長(首長)が治めるクニが各地に少なからず存在していた。
こうしたクニグニの成立の背後には共通して③、④の父系的農耕種族の文化要素が(ある程度)強く作用したのではないかと思われる。
また、この時代より言語的にはアルタイ語系の言語が徐々に浸透し、支配的言語となりつつあったのではないかと考える。
ともあれ、こうした様相、状況を示していた弥生時代末期~古墳時代初期の我が国に⑤の天孫族が朝鮮半島より渡来し、父権的・支配者文化、支配体制を持ち込むこととなる。
この天孫族は在来の諸種族、クニグニを征服し、大和にそれまでよりも巨大な国(大和王権)を建てた。この大和王権の政治支配は徐々に確立され、支配領域は拡大し、在来諸種族はその独立性、独自性を喪失し、漸次、この大和王権社会に組み込まれていくことになる。
それらは王権社会内部にて階層化し、農民、漁民、手工業者あるいは奴婢といった被支配層となり、またさらに支配種族自身も諸族としての独立性を喪失し、そして王朝制が確立するに至った。
以上の過程により大和王権内部社会の諸文化は、徐々に一様化、均質化の傾向を進み、かくして量的、質的にも一つの大きな文化共同体と称すべきものが形成され、またこれに伴い(より広域な)意識共同体も惹起され、ここに日本民族という新たな民族集団が発生するのである。
今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在まで日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された諸インフラの復旧・回復そして復興を祈念しています。
昨今新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。』
2017年10月31日火曜日
2017年10月30日月曜日
20171030 『父権的・「ウジ」氏族的・支配者文化』其の5
父権的・「ウジ」氏族的・支配者文化
『この文化は日本列島に支配者王侯文化と国家支配体制を日本列島に齎した所謂『天孫族』を中心とした文化である。
この文化における社会構造の特徴とは、大家族・『ウジ』族・種族(小→大)というように、縦の三段に構成される構造を持っていることである。
『ウジ』は父系的親族ないし氏族組織で、おそらく外婚的であったと考えられる。
また、このコトバは古くはudiと発音され、朝鮮語のul(族)、蒙古語のuru-q(父系親族・同族)、トルコ語のuru(親戚)、ツングース語のur(息子)という語に連なり、アルタイ語系諸族の『父系の親族集団』を意味するコトバであった。
こうしたこと、およびその他の当民俗文化に含まれるとされる習俗について考え合わせると、この文化の起源とは北方アジアの騎馬民族のそれと本質的に同一であるように思われる。
くわえて、この民俗文化の宗教観における特徴とは、其の3にて述べたものとほぼ同様であり、神は天上にあって、人間界へは山頂、樹頂に降下して出現するといった、いわば垂直的な世界観、表象であると云える。
また、神道における樹木、樹枝、柱の重要性あるいは依代といった観念とは、全てこの垂直的な世界観を持つ信仰形態において固有であり、起源であったものと考える。
あるいはこうした世界観とは、その神話における主神タカミムスビ(別名 高木神)の名称によっても理解されるのではないかとも思われる。
ともあれ、この主神とは天孫族の主神であって、彼らにとって大きな意味を持つ中津国平定神話とは、この神を命令を下す最高神として物語り、そして、この神の命令により天孫ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)が三種の神器を具して、配下の五伴緒(イツトモノオ)を随え、高千穂のクシフルの峰、あるいはソホリの峰に降臨したのであるが、これは古朝鮮の開国神話である檀君神話とまったく同系の神話である。
また、ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)より三代のちの子孫である神倭伊波礼毘古命(カン-ヤマト-イワレヒコ)すなわち初代天皇である神武天皇が九州を出立し、対在来勢力との大阪、浪速での上陸戦に苦戦した結果、紀伊半島を周り、新宮付近より上陸し、大和盆地を目指す道中、昏睡してしまい進軍できなかった際に八咫烏(ヤタガラス)が現れ、先導し、めでたく大和盆地に至るという物語(神武東征)があるが、こうした内容を含む我が国のそれと類似した建国神話が遠くハンガリーのマジャール族にも存在する。
もちろん、これら双方の神話を直接に結び付けることは論外であるが、中央アジアの蒙古族、トルコ族の間には、王朝と猛禽との密接な関係を物語る話が少なからず見受けられることから考えると、双方神話の起源、根源とは、やはり中央アジア遊牧民の神話、伝承にあるのではないかと考える。
古代のユーラシア大陸東端においては、北方の遊牧民と南方に住む漢民族との抗争が繰り返されていたが、その過程においてかなりの数の遊牧民は、中国東北部、朝鮮半島にも侵入し、その際に在来土着の半農半猟のツングース系種族を征服し、配下としてある種の階層化された社会を形成していたのではないかと考える。そして、それらが徐々に小国家として発達していったものと思われる。
そして、この『半農半猟のツングース系種族』が先日の『其の3』にて述べたものと同系の民俗文化であったのではないかと考える。
小国家から拡大していく際に、この組織は流動性を増し、さらに軍隊化し、中国東北部からさらに朝鮮半島を南下し、さらには幾度かの波となって日本列島にまで至ったのではないかと思われる。
また、こうした変化の経緯を大陸もしくは朝鮮半島にて経ていることから、この民俗文化とは純粋に遊牧民、騎馬民族オリジナルのままにて列島に渡ってきたとは考えられない。
あるいはそのことを異言すると、中国東北部の古代国家扶余や、その南方にある高句麗も、我が国の天孫族文化と類似したような種族構造、民俗文化を有していたであろうし、また古代朝鮮半島諸国家の支配層も天孫族と程度の差はいくらかあれども、概ね類似あるいは共通した性質を保持していたのではないかということである。
今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年より現在まで日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された諸インフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。
昨今、新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。』
『この文化は日本列島に支配者王侯文化と国家支配体制を日本列島に齎した所謂『天孫族』を中心とした文化である。
この文化における社会構造の特徴とは、大家族・『ウジ』族・種族(小→大)というように、縦の三段に構成される構造を持っていることである。
『ウジ』は父系的親族ないし氏族組織で、おそらく外婚的であったと考えられる。
また、このコトバは古くはudiと発音され、朝鮮語のul(族)、蒙古語のuru-q(父系親族・同族)、トルコ語のuru(親戚)、ツングース語のur(息子)という語に連なり、アルタイ語系諸族の『父系の親族集団』を意味するコトバであった。
こうしたこと、およびその他の当民俗文化に含まれるとされる習俗について考え合わせると、この文化の起源とは北方アジアの騎馬民族のそれと本質的に同一であるように思われる。
くわえて、この民俗文化の宗教観における特徴とは、其の3にて述べたものとほぼ同様であり、神は天上にあって、人間界へは山頂、樹頂に降下して出現するといった、いわば垂直的な世界観、表象であると云える。
また、神道における樹木、樹枝、柱の重要性あるいは依代といった観念とは、全てこの垂直的な世界観を持つ信仰形態において固有であり、起源であったものと考える。
あるいはこうした世界観とは、その神話における主神タカミムスビ(別名 高木神)の名称によっても理解されるのではないかとも思われる。
ともあれ、この主神とは天孫族の主神であって、彼らにとって大きな意味を持つ中津国平定神話とは、この神を命令を下す最高神として物語り、そして、この神の命令により天孫ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)が三種の神器を具して、配下の五伴緒(イツトモノオ)を随え、高千穂のクシフルの峰、あるいはソホリの峰に降臨したのであるが、これは古朝鮮の開国神話である檀君神話とまったく同系の神話である。
また、ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)より三代のちの子孫である神倭伊波礼毘古命(カン-ヤマト-イワレヒコ)すなわち初代天皇である神武天皇が九州を出立し、対在来勢力との大阪、浪速での上陸戦に苦戦した結果、紀伊半島を周り、新宮付近より上陸し、大和盆地を目指す道中、昏睡してしまい進軍できなかった際に八咫烏(ヤタガラス)が現れ、先導し、めでたく大和盆地に至るという物語(神武東征)があるが、こうした内容を含む我が国のそれと類似した建国神話が遠くハンガリーのマジャール族にも存在する。
もちろん、これら双方の神話を直接に結び付けることは論外であるが、中央アジアの蒙古族、トルコ族の間には、王朝と猛禽との密接な関係を物語る話が少なからず見受けられることから考えると、双方神話の起源、根源とは、やはり中央アジア遊牧民の神話、伝承にあるのではないかと考える。
古代のユーラシア大陸東端においては、北方の遊牧民と南方に住む漢民族との抗争が繰り返されていたが、その過程においてかなりの数の遊牧民は、中国東北部、朝鮮半島にも侵入し、その際に在来土着の半農半猟のツングース系種族を征服し、配下としてある種の階層化された社会を形成していたのではないかと考える。そして、それらが徐々に小国家として発達していったものと思われる。
そして、この『半農半猟のツングース系種族』が先日の『其の3』にて述べたものと同系の民俗文化であったのではないかと考える。
小国家から拡大していく際に、この組織は流動性を増し、さらに軍隊化し、中国東北部からさらに朝鮮半島を南下し、さらには幾度かの波となって日本列島にまで至ったのではないかと思われる。
また、こうした変化の経緯を大陸もしくは朝鮮半島にて経ていることから、この民俗文化とは純粋に遊牧民、騎馬民族オリジナルのままにて列島に渡ってきたとは考えられない。
あるいはそのことを異言すると、中国東北部の古代国家扶余や、その南方にある高句麗も、我が国の天孫族文化と類似したような種族構造、民俗文化を有していたであろうし、また古代朝鮮半島諸国家の支配層も天孫族と程度の差はいくらかあれども、概ね類似あるいは共通した性質を保持していたのではないかということである。
今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年より現在まで日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された諸インフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。
昨今、新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。』
2017年10月29日日曜日
20171029 『男性的・年齢階梯制的・水稲耕作-漁撈民文化』其の4
男性的・年齢階梯制的・水稲耕作-漁撈民文化
『この民族文化は、弥生時代の民俗文化を構成するもっとも重要なものであり、おそらく弥生時代における南方的といわれる文化要素を齎したものであると云える。
この民俗文化は、在来の我が国における農耕文化と比べ、技術集約的な水稲耕作を行うと同時に沿岸漁撈にも従事し、進んだ漁撈技術を持っていた。
また、この民俗文化が持つ社会組織として特筆すべきことは、主に関東~西南日本にわたる太平洋岸、瀬戸内海、そして新潟県から島根県にまで連なる日本海沿岸の漁村にて現在に至るまで多く見受けられる年齢階梯制は、この民俗文化に特有ということである。
また、この民俗文化は、これまに述べた列島に伝来、定着した民俗文化と比べ、すぐれて男性的なものであったと評し得る。
その一方において親族組織としては、父系的ではあるものの、母・妻方の姻戚の地位もまた高く、故に多少の双系的傾向をも示し、社会構造における構成原理あるいは上下の秩序原理として年齢、世代区分原理が支配的であった。
また、村内婚が一般的であり、村内における家格の上下意識はあまり強くない。
くわえて、この民俗文化における著しい特徴とは、分散的といってもよい傾向、習癖である。具体的には一軒の家敷地内に二世代の複数家屋を持つ、もしくは世代別居に関連する家慣習(若者宿、娘宿、寝宿、産屋、月経小屋、喪屋)を持つことであり、これらは当文化において独特の要素であり、そして、それに付随するともいえる成年式、成女式といった習俗もまた、この文化と深く結びついている。
こうした機能、世代に応じて独立の家屋、舎屋を建てる文化形態とは、本来アウストロアジア系ミクロネシア人の文化形態であり、また同時にそれは我が国のみならずポリネシア、メラネシア、ニューギニア、フィリピン、台湾そして中国南部にまで及んでいる。
我が国にこの民俗文化が伝来した時期とは、中国南部の江南地方より紀元前四、五世紀の頃であったものと考えられる。
その理由とは、揚子江(長江)の下流地域から南の沿岸地域一帯とは、三国志の呉・越の地であったが、それら両国(呉・越)の滅亡は紀元前五世紀頃から同四世紀後半であり、この時代は漢族の南方への進出に伴い、非漢族居住地域の動揺、混乱の激しかった時代であったことによるものと考えられる。
そして、この時期と軌を一にして西日本に本格的な弥生式社会が成立すると云える。
それ故、これらの現象の間には浅からぬ関連性があるものと考える。
さらに、この呉・越の文化とは、古来より南船北馬が中国文化の概括を示すコトバであるように、すぐれた船舶、漁撈文化を持っており、同時にそれは魏志倭人伝にて述べられている紀元二世紀代の倭国習俗とも類似、共通する点が多いことにも留意する必要がある。
とはいえ、我が国における弥生式の文化は、おそらく、いくつかの文化が流入したものであり、インドネシアの島々を北上してきた水稲耕作文化もあったかもしれない、あるいはベトナム北部のドンソン(東山)青銅器文化の流れも流入しているかもしれない。
そうして我が国に伝来した文化とは、これまでに述べた他の在来民俗文化とも、その発祥とされる地域的に遠くないことから、比較的受容、結合され易く、そして短期間のうちに列島内にて混淆し、新たな(列島独自の)民俗文化生成の母材(マトリックス)となったのではないかと考える。
もちろん、そうではあっても、伝来された文化も在来のそれも、列島内において順次一様であったはずはなく、その融和、混淆もまた、かなりの地域差、バラつきを持ち、またそれが現在の我々が列島内各地の文化において地域性を看取することが出来る、起源の主たる要因となっているとも考える。
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年より現在に至るまでに日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸インフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。
新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。』
『この民族文化は、弥生時代の民俗文化を構成するもっとも重要なものであり、おそらく弥生時代における南方的といわれる文化要素を齎したものであると云える。
この民俗文化は、在来の我が国における農耕文化と比べ、技術集約的な水稲耕作を行うと同時に沿岸漁撈にも従事し、進んだ漁撈技術を持っていた。
また、この民俗文化が持つ社会組織として特筆すべきことは、主に関東~西南日本にわたる太平洋岸、瀬戸内海、そして新潟県から島根県にまで連なる日本海沿岸の漁村にて現在に至るまで多く見受けられる年齢階梯制は、この民俗文化に特有ということである。
また、この民俗文化は、これまに述べた列島に伝来、定着した民俗文化と比べ、すぐれて男性的なものであったと評し得る。
その一方において親族組織としては、父系的ではあるものの、母・妻方の姻戚の地位もまた高く、故に多少の双系的傾向をも示し、社会構造における構成原理あるいは上下の秩序原理として年齢、世代区分原理が支配的であった。
また、村内婚が一般的であり、村内における家格の上下意識はあまり強くない。
くわえて、この民俗文化における著しい特徴とは、分散的といってもよい傾向、習癖である。具体的には一軒の家敷地内に二世代の複数家屋を持つ、もしくは世代別居に関連する家慣習(若者宿、娘宿、寝宿、産屋、月経小屋、喪屋)を持つことであり、これらは当文化において独特の要素であり、そして、それに付随するともいえる成年式、成女式といった習俗もまた、この文化と深く結びついている。
こうした機能、世代に応じて独立の家屋、舎屋を建てる文化形態とは、本来アウストロアジア系ミクロネシア人の文化形態であり、また同時にそれは我が国のみならずポリネシア、メラネシア、ニューギニア、フィリピン、台湾そして中国南部にまで及んでいる。
我が国にこの民俗文化が伝来した時期とは、中国南部の江南地方より紀元前四、五世紀の頃であったものと考えられる。
その理由とは、揚子江(長江)の下流地域から南の沿岸地域一帯とは、三国志の呉・越の地であったが、それら両国(呉・越)の滅亡は紀元前五世紀頃から同四世紀後半であり、この時代は漢族の南方への進出に伴い、非漢族居住地域の動揺、混乱の激しかった時代であったことによるものと考えられる。
そして、この時期と軌を一にして西日本に本格的な弥生式社会が成立すると云える。
それ故、これらの現象の間には浅からぬ関連性があるものと考える。
さらに、この呉・越の文化とは、古来より南船北馬が中国文化の概括を示すコトバであるように、すぐれた船舶、漁撈文化を持っており、同時にそれは魏志倭人伝にて述べられている紀元二世紀代の倭国習俗とも類似、共通する点が多いことにも留意する必要がある。
とはいえ、我が国における弥生式の文化は、おそらく、いくつかの文化が流入したものであり、インドネシアの島々を北上してきた水稲耕作文化もあったかもしれない、あるいはベトナム北部のドンソン(東山)青銅器文化の流れも流入しているかもしれない。
そうして我が国に伝来した文化とは、これまでに述べた他の在来民俗文化とも、その発祥とされる地域的に遠くないことから、比較的受容、結合され易く、そして短期間のうちに列島内にて混淆し、新たな(列島独自の)民俗文化生成の母材(マトリックス)となったのではないかと考える。
もちろん、そうではあっても、伝来された文化も在来のそれも、列島内において順次一様であったはずはなく、その融和、混淆もまた、かなりの地域差、バラつきを持ち、またそれが現在の我々が列島内各地の文化において地域性を看取することが出来る、起源の主たる要因となっているとも考える。
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年より現在に至るまでに日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸インフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。
新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。』
20171028 『父系的・「ハラ」氏族的ー狩猟・飼畜民文化』 其の3
父系的・「ハラ」氏族的ー狩猟・飼畜民文化
『この民俗文化を一つの複合として再構成することは現段階において難しい。
とはいえ、弥生時代初期に、東北中国、朝鮮半島よりツングース系の種族がその民俗文化を携えて列島に渡来してきたのではないかと考えられる。
いわゆる弥生式文化のなかの北方的要素である櫛目文土器、穀物の穂摘み用の半円形石器などは、この民俗文化に伴われ伝来したものと考えられる。
また粟、黍といった穀類の焼畑農耕と並行して狩猟、飼畜も行っていたものと考えられる。
こうした農業技術的な基盤を有していたことから、この種族は朝鮮半島南部や日本列島西部において水稲耕作を基軸とした社会文化を急速に受容していったものと思われる。
くわえて、北方アルタイ語系の言語を最初に日本列島に齎したのはこの種族であったものと考えられる。
具体例として古くから日本語に、人間集団を意味するウカラ、ヤカラ・ハラカラというコトバの語要素となっているカラ~ハラというコトバがあるが、このコトバの語源にあたるものが東北中国、北東アジアに広く分布するツングース諸族の外婚的父系同族集団を意味するハラ(Xala)というコトバではないかと考える。
また、南朝鮮古代の韓(カラ)というコトバは種族名を示すものではあるが、本来はさきのカラ~ハラと同意であったものと考える。
ともあれ、このツングース系種族のカラ~ハラ集団(外婚的父系同族集団)とは系譜的出自意識が強く、本家から枝分かれして分家を作り、また、それが定住農耕に携わると大家族的傾向を著しくする。
我が国におけるハラというコトバや、父系的系譜意識の強い本家・分家結合の強い同族、親族集団とは、類型的にさきのツングース諸族のハラと類似し、またおそらく、そこに起源があるのではないかと考える。
この文化の特徴とは
*父系系譜意識的な社会
*宗教的には神が天上より山頂、樹頂などに降臨するといった神出現の垂直的表象の傾向
*北アジア的シャーマニズム
などが挙げられる。
また、この民俗文化大系の中におそらく大陸にその起源を持つとされる我が国の弥生時代において用いられた青銅製祭器(銅鏡、銅鐸、銅剣、銅矛、銅戈など)が含まれるのではないかと考える。
そして、その青銅製祭器種類において列島西部内にて嗜好の地域差、地域性が看取される大きな要因とは、さきの記事に書いた地域における先行在来民俗文化と、この『「ハラ」氏族的ー狩猟・飼畜民文化』の結合の過程、仕方にあるのではないかと考える。
くわえて、この民俗文化のなかに狩猟にて得た動物ではない家畜、特に牛を犠牲獣として用いる祭祀が含まれていたのではないかと考える。
今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在に至るまで日本列島各地において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸インフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。
新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。』
『この民俗文化を一つの複合として再構成することは現段階において難しい。
とはいえ、弥生時代初期に、東北中国、朝鮮半島よりツングース系の種族がその民俗文化を携えて列島に渡来してきたのではないかと考えられる。
いわゆる弥生式文化のなかの北方的要素である櫛目文土器、穀物の穂摘み用の半円形石器などは、この民俗文化に伴われ伝来したものと考えられる。
また粟、黍といった穀類の焼畑農耕と並行して狩猟、飼畜も行っていたものと考えられる。
こうした農業技術的な基盤を有していたことから、この種族は朝鮮半島南部や日本列島西部において水稲耕作を基軸とした社会文化を急速に受容していったものと思われる。
くわえて、北方アルタイ語系の言語を最初に日本列島に齎したのはこの種族であったものと考えられる。
具体例として古くから日本語に、人間集団を意味するウカラ、ヤカラ・ハラカラというコトバの語要素となっているカラ~ハラというコトバがあるが、このコトバの語源にあたるものが東北中国、北東アジアに広く分布するツングース諸族の外婚的父系同族集団を意味するハラ(Xala)というコトバではないかと考える。
また、南朝鮮古代の韓(カラ)というコトバは種族名を示すものではあるが、本来はさきのカラ~ハラと同意であったものと考える。
ともあれ、このツングース系種族のカラ~ハラ集団(外婚的父系同族集団)とは系譜的出自意識が強く、本家から枝分かれして分家を作り、また、それが定住農耕に携わると大家族的傾向を著しくする。
我が国におけるハラというコトバや、父系的系譜意識の強い本家・分家結合の強い同族、親族集団とは、類型的にさきのツングース諸族のハラと類似し、またおそらく、そこに起源があるのではないかと考える。
この文化の特徴とは
*父系系譜意識的な社会
*宗教的には神が天上より山頂、樹頂などに降臨するといった神出現の垂直的表象の傾向
*北アジア的シャーマニズム
などが挙げられる。
また、この民俗文化大系の中におそらく大陸にその起源を持つとされる我が国の弥生時代において用いられた青銅製祭器(銅鏡、銅鐸、銅剣、銅矛、銅戈など)が含まれるのではないかと考える。
そして、その青銅製祭器種類において列島西部内にて嗜好の地域差、地域性が看取される大きな要因とは、さきの記事に書いた地域における先行在来民俗文化と、この『「ハラ」氏族的ー狩猟・飼畜民文化』の結合の過程、仕方にあるのではないかと考える。
くわえて、この民俗文化のなかに狩猟にて得た動物ではない家畜、特に牛を犠牲獣として用いる祭祀が含まれていたのではないかと考える。
今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在に至るまで日本列島各地において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸インフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。
新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。』
2017年10月28日土曜日
20171027 『母系的・陸稲栽培-狩猟文化』其の2
2:母系的・陸稲栽培-狩猟文化
この民俗文化複合はおそらく縄文時代末期に列島に伝来したものと思われる。
河川下流域沖積層地域を主要な耕作地とする水稲耕作文化の伝来に先行し、この民俗文化は列島に定着し、主に丘陵地斜面の焼畑にて陸稲栽培をしていたものと考える。
さきの記事にて述べた通り、我が国のおける本格的な農耕文化とは縄文時代晩期~弥生時代に盛行となった水稲耕作よりもかなり遡るものであると考える。
概括的な経過として、縄文時代後期における芋栽培、そして縄文時代末期における陸稲栽培といった段階を経て、はじめて水稲耕作文化の流入、定着が可能な状態が招来されたのではないかと考える。
また、そこから一般的な歴史発展の様式とされる農耕文化とは河川流域において発生、発展し得るという考えは訂正される必要があると思われる。
すなわち、大河川の氾濫を制御、管理する技術およびそれを為す組織の発達がなければ、河川流域の沖積地に定住し農耕に従事することは不可能であるからである。
それ故、列島を含む東アジア地域における農耕文化とは、南アジア地域の谷川、河川から遠くない丘陵地斜面での焼畑農業より発するものと考える。
我が国のおいても丘陵地およびその斜面に縄文時代の遺跡、居住址が多く看取されるが、特にその後~末期とされる遺跡、居住址を農耕以前の狩猟採集文化(のみ)と結び付けるのは疑問であり、むしろ狩猟採集と並行し焼畑農耕を営んでいた集団を想定するのが妥当であるものと考える。
また、この民俗文化もさきの『母系的・秘密結社的・芋栽培-狩猟民文化』と同様、母系的社会であったと思われ、その文化差異を判然と区別することは困難であると云える。
神の死骸より穀物が生じたとされる屍体化生神話とは、この『母系的・陸稲栽培-狩猟文化』によってもたらされた可能性があり、神の三貴子、その末弟(スサノオ)の暴行により生じる日食神話の神話複合とは、ビルマのパラウン族からクメール族にかけてアウストロアジア語系の諸族に見出され、三貴子の長子であるアマテラスの岩戸隠れの神話は、中国南部の苗族のアッサムのアウストロアジア系のカシ族、語族的にはチベット・ビルマ語群に属するナガ族、アボール族の神話からも看取される。
とはいえ、三貴子以前のイザナミ・イザナギ神話が、この『母系的・陸稲栽培-狩猟文化』に伴うものであるかどうかの明確な見解はない。
その一方で、中国南部、東南アジア諸族のあいだに分布する洪水神話とは、洪水のために人類が死滅し、生き残った兄妹が近親相姦の禁忌を呪術儀礼的に解消し、各々他人として子孫を生み、そして種族が繁栄するといったものであるのだが、これは中国南部の苗族において特に顕著であり、また地域的な分布においては台湾、フィリッピンさらにはインドにおいても看取される。
そして、さきのイザナミ・イザナギ神話とは、この洪水神話前段にある洪水の部分が欠落したものであることは疑い得ない。
また『母系的・陸稲栽培-狩猟文化』とは言語的には、おそらくアウストロアジア語系の言語を話していたものと考えられる。
日本語の語彙にはアウストロアジア語に起源を比定される語が少なからず存在すること、さきの神話がアウストロアジア語系の諸族に分布している事実を勘案すると、アウストロアジア語系の諸族の我が国への渡来とは十分に考えられる。
この文化の特徴とは
*母系的な社会
*太陽神アマテラスの崇拝
*家族的、村落共同体的なシャーマニズム
*司祭的な女酋の存在
*穀物の屍体化生神話
*焼畑による陸稲栽培
などが挙げられる。
そして、所謂『照葉樹林文化』とは、さきの『母系的・秘密結社的・芋栽培-狩猟民文化』および『母系的・陸稲栽培-狩猟文化』を包摂した民俗文化大系に対する異なる視点からの呼称であるとも云える。
今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年より現在までに日本列島各地にて生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った諸インフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。
先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」
この民俗文化複合はおそらく縄文時代末期に列島に伝来したものと思われる。
河川下流域沖積層地域を主要な耕作地とする水稲耕作文化の伝来に先行し、この民俗文化は列島に定着し、主に丘陵地斜面の焼畑にて陸稲栽培をしていたものと考える。
さきの記事にて述べた通り、我が国のおける本格的な農耕文化とは縄文時代晩期~弥生時代に盛行となった水稲耕作よりもかなり遡るものであると考える。
概括的な経過として、縄文時代後期における芋栽培、そして縄文時代末期における陸稲栽培といった段階を経て、はじめて水稲耕作文化の流入、定着が可能な状態が招来されたのではないかと考える。
また、そこから一般的な歴史発展の様式とされる農耕文化とは河川流域において発生、発展し得るという考えは訂正される必要があると思われる。
すなわち、大河川の氾濫を制御、管理する技術およびそれを為す組織の発達がなければ、河川流域の沖積地に定住し農耕に従事することは不可能であるからである。
それ故、列島を含む東アジア地域における農耕文化とは、南アジア地域の谷川、河川から遠くない丘陵地斜面での焼畑農業より発するものと考える。
我が国のおいても丘陵地およびその斜面に縄文時代の遺跡、居住址が多く看取されるが、特にその後~末期とされる遺跡、居住址を農耕以前の狩猟採集文化(のみ)と結び付けるのは疑問であり、むしろ狩猟採集と並行し焼畑農耕を営んでいた集団を想定するのが妥当であるものと考える。
また、この民俗文化もさきの『母系的・秘密結社的・芋栽培-狩猟民文化』と同様、母系的社会であったと思われ、その文化差異を判然と区別することは困難であると云える。
神の死骸より穀物が生じたとされる屍体化生神話とは、この『母系的・陸稲栽培-狩猟文化』によってもたらされた可能性があり、神の三貴子、その末弟(スサノオ)の暴行により生じる日食神話の神話複合とは、ビルマのパラウン族からクメール族にかけてアウストロアジア語系の諸族に見出され、三貴子の長子であるアマテラスの岩戸隠れの神話は、中国南部の苗族のアッサムのアウストロアジア系のカシ族、語族的にはチベット・ビルマ語群に属するナガ族、アボール族の神話からも看取される。
とはいえ、三貴子以前のイザナミ・イザナギ神話が、この『母系的・陸稲栽培-狩猟文化』に伴うものであるかどうかの明確な見解はない。
その一方で、中国南部、東南アジア諸族のあいだに分布する洪水神話とは、洪水のために人類が死滅し、生き残った兄妹が近親相姦の禁忌を呪術儀礼的に解消し、各々他人として子孫を生み、そして種族が繁栄するといったものであるのだが、これは中国南部の苗族において特に顕著であり、また地域的な分布においては台湾、フィリッピンさらにはインドにおいても看取される。
そして、さきのイザナミ・イザナギ神話とは、この洪水神話前段にある洪水の部分が欠落したものであることは疑い得ない。
また『母系的・陸稲栽培-狩猟文化』とは言語的には、おそらくアウストロアジア語系の言語を話していたものと考えられる。
日本語の語彙にはアウストロアジア語に起源を比定される語が少なからず存在すること、さきの神話がアウストロアジア語系の諸族に分布している事実を勘案すると、アウストロアジア語系の諸族の我が国への渡来とは十分に考えられる。
この文化の特徴とは
*母系的な社会
*太陽神アマテラスの崇拝
*家族的、村落共同体的なシャーマニズム
*司祭的な女酋の存在
*穀物の屍体化生神話
*焼畑による陸稲栽培
などが挙げられる。
そして、所謂『照葉樹林文化』とは、さきの『母系的・秘密結社的・芋栽培-狩猟民文化』および『母系的・陸稲栽培-狩猟文化』を包摂した民俗文化大系に対する異なる視点からの呼称であるとも云える。
今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年より現在までに日本列島各地にて生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被害を被った諸インフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。
先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」
2017年10月26日木曜日
20171026 『母系的・秘密結社的・芋栽培-狩猟民文化』昨日の続き 其の1
A「昨日分の投稿記事はどうしたわけか投稿翌日にしては、かなり多くの方々(60以上)に読んで頂けました。もちろん、本日投稿分の記事に関しては、昨日書いたとおりの題材にて書き進めようとは考えていますが、これには多少のプレッシャーを感じないこともありません・・(苦笑)。
さて、昨日分の投稿記事にて書きましたが、岡正雄によりますと、我が国の民俗文化とは本来多元的に構成されており、その構成要素とは概ね五つ程度存在するのではないかということでした。
本日はこの五つの要素について、先ずはじめの要素の概括を同著『異人その他』記述に基づき書き進めていきます。
1:母系的・秘密結社的・芋栽培-狩猟民文化
この民俗文化を持つ社会とは、灌漑等を用いた水稲耕作社会とは異なり、農業においてはあまり複雑高度な発展はせず、タロ・ヤムのような芋栽培(我が国では里芋)を行っていた。
我が国における本格的な農耕文化は、水稲耕作が西日本において一般的となった弥生時代(紀元前600~700年頃)からであると考えられているが、さきの芋栽培などを含む農耕文化は、縄文時代後期(紀元前2000年~3000年頃)に既に我が国に広く根付いていたものと考えられている。
芋栽培は東南アジアからオセアニアにかけて稲栽培に先行しており、その分布圏は東南アジアをはじめポリネシア、メラネシア、インドネシア、日本列島にまで及んでいる。
また我が国の古来からの農耕儀礼等祭祀においても供物に稲を用いずに里芋を用いる例が少なからず見受けられる。
また、ここでいう秘密結社とは、異様な格好をした仮面装者たちが祖先、祖霊として出現し、その来歴を語り、女性、子供を脅かし、食物を強請し、子供に対し秘儀的なイニシエーションを施す組織、結社といった意味合いである。
こうした仮面装者たちの振舞い等の文化とは、メラネシアにおけるそれと本質的な部分にて一致する。
この秘密結社文化の起源は未だ明瞭ではないが、同時に、この文化がさきの母系的、芋栽培文化に付随するものであることは間違いない。
くわえて、この文化における宗教観念の基層にあるものは、霊魂、祖霊、祖先崇拝であり、その祖霊が、彼方にある死者の国から訪れるという考えである。
そして、こうした民俗文化を持つ集団が時代を通じ波状的に我が国に渡来した。また、その中でも、どの地域において特に強く根付いていたかは未だ判然としない。しかしながら、これらの民俗文化がセットになった文化体系は。メラネシアを対象とした研究によって認められており、さらにこの民俗文化に含まれる要素として、以下のものが挙げられる。
*霊魂、祖先崇拝が顕著(祖先像、祖霊祠の存在)
*女酋の存在が多く見られる(母系社会)
*既婚男子による集会所(秘密結社の形成)
*頭蓋崇拝
*渦巻文様の盛行
*土偶、土面の存在
*仮面
*切妻家屋・・
といったところであるが、しかしながら、こうした民俗文化がメラネシアより直接我が国に齎されたとは考え難い。
おそらく、この民俗文化は中国南部沿岸の何処からか、一つの流れは南洋方面に、そして他方が日本列島へ流入したのではないかと考えられている。
ともあれ、今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在までに日本列島各地において発生した一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害により被害を被った諸インフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。
先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」
さて、昨日分の投稿記事にて書きましたが、岡正雄によりますと、我が国の民俗文化とは本来多元的に構成されており、その構成要素とは概ね五つ程度存在するのではないかということでした。
本日はこの五つの要素について、先ずはじめの要素の概括を同著『異人その他』記述に基づき書き進めていきます。
1:母系的・秘密結社的・芋栽培-狩猟民文化
この民俗文化を持つ社会とは、灌漑等を用いた水稲耕作社会とは異なり、農業においてはあまり複雑高度な発展はせず、タロ・ヤムのような芋栽培(我が国では里芋)を行っていた。
我が国における本格的な農耕文化は、水稲耕作が西日本において一般的となった弥生時代(紀元前600~700年頃)からであると考えられているが、さきの芋栽培などを含む農耕文化は、縄文時代後期(紀元前2000年~3000年頃)に既に我が国に広く根付いていたものと考えられている。
芋栽培は東南アジアからオセアニアにかけて稲栽培に先行しており、その分布圏は東南アジアをはじめポリネシア、メラネシア、インドネシア、日本列島にまで及んでいる。
また我が国の古来からの農耕儀礼等祭祀においても供物に稲を用いずに里芋を用いる例が少なからず見受けられる。
また、ここでいう秘密結社とは、異様な格好をした仮面装者たちが祖先、祖霊として出現し、その来歴を語り、女性、子供を脅かし、食物を強請し、子供に対し秘儀的なイニシエーションを施す組織、結社といった意味合いである。
こうした仮面装者たちの振舞い等の文化とは、メラネシアにおけるそれと本質的な部分にて一致する。
この秘密結社文化の起源は未だ明瞭ではないが、同時に、この文化がさきの母系的、芋栽培文化に付随するものであることは間違いない。
くわえて、この文化における宗教観念の基層にあるものは、霊魂、祖霊、祖先崇拝であり、その祖霊が、彼方にある死者の国から訪れるという考えである。
そして、こうした民俗文化を持つ集団が時代を通じ波状的に我が国に渡来した。また、その中でも、どの地域において特に強く根付いていたかは未だ判然としない。しかしながら、これらの民俗文化がセットになった文化体系は。メラネシアを対象とした研究によって認められており、さらにこの民俗文化に含まれる要素として、以下のものが挙げられる。
*霊魂、祖先崇拝が顕著(祖先像、祖霊祠の存在)
*女酋の存在が多く見られる(母系社会)
*既婚男子による集会所(秘密結社の形成)
*頭蓋崇拝
*渦巻文様の盛行
*土偶、土面の存在
*仮面
*切妻家屋・・
といったところであるが、しかしながら、こうした民俗文化がメラネシアより直接我が国に齎されたとは考え難い。
おそらく、この民俗文化は中国南部沿岸の何処からか、一つの流れは南洋方面に、そして他方が日本列島へ流入したのではないかと考えられている。
ともあれ、今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在までに日本列島各地において発生した一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害により被害を被った諸インフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。
先日より新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」
20171025 ある書籍から別の書籍に読み遷る理由について・・明日以降の新たな試み
A「以前読了した『銃・病原菌・鉄』と同著者ジャレド・ダイアモンドによる『昨日までの世界』を先日から読んでいます。
この著書はさきの『銃・病原菌・鉄』と同様に大変面白いのですが、個人的な興味を基準として評価しますと現在読んでいる『昨日までの世界』の方が幾分興味深いといえます。
その理由とは、こちらの著作に記されている内容の方が、より多く、かつて自身が専攻した地域学、民俗学といった学問分野に近いと思われるからです。
それ故、この著作を読んでいますとフレーザー著『金枝篇』に記載されているような民俗風習の事例が散見され興味深く、さらにそうした手法を我が国の民俗風習の理解、解明に応用した著作ともいえる岡正雄著 大林太良編『異人その他』は、参照するために頁を広げたところ、こちらの著作の方がさらに面白く感じられるようになり、ひとまず『昨日までの世界』を置き『異人その他』をあらためて精読してみることにしました・・(笑)。
こうしたあちこちに飛び移るような読書の手法とは、あまり良いものではないのでしょうが、しかし、興味が新鮮であり気分がノッている時にその著作を読み込むということは、ある程度まで年齢が行き、体力に任せ書籍を読み込むことが困難になってきた場合においては、少なからず有効な手法ではないかと考えます。
さて、この『異人その他』著者岡正雄によると我が国の民俗文化全般とは、列島外の北・西・南より、いくつかの民族がそれぞれの文化を携え列島に渡来し、それが時代の経過と共に積層し、さらにそれらは列島内部においてもさまざまな要因によって反応をし、活性化したり衰退化したりし、そしてそれが列島各所の地域性の基層となり、現在に至っているということになります。
そしてその具体的な渡来してきた各民族およびそれらが持つ文化の特色を述べているのですが、これを考察する際において冒頭に挙げた著作『昨日までの世界』とはかなり有効ではないかと考えるのです・・。
そして、その考察を行うための土台として『異人その他』にて述べられている各民族について明日以降、少しづつ書き進めてみようと思います・・。
また、これは自身のブログとしては新たな試みであり、どの程度まで継続出来るか多少不安ではありますが、とりあえず明日以降しばらくはこれを題材として書いてみます。
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年より現在に至るまでに日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。
先日から新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」
この著書はさきの『銃・病原菌・鉄』と同様に大変面白いのですが、個人的な興味を基準として評価しますと現在読んでいる『昨日までの世界』の方が幾分興味深いといえます。
その理由とは、こちらの著作に記されている内容の方が、より多く、かつて自身が専攻した地域学、民俗学といった学問分野に近いと思われるからです。
それ故、この著作を読んでいますとフレーザー著『金枝篇』に記載されているような民俗風習の事例が散見され興味深く、さらにそうした手法を我が国の民俗風習の理解、解明に応用した著作ともいえる岡正雄著 大林太良編『異人その他』は、参照するために頁を広げたところ、こちらの著作の方がさらに面白く感じられるようになり、ひとまず『昨日までの世界』を置き『異人その他』をあらためて精読してみることにしました・・(笑)。
こうしたあちこちに飛び移るような読書の手法とは、あまり良いものではないのでしょうが、しかし、興味が新鮮であり気分がノッている時にその著作を読み込むということは、ある程度まで年齢が行き、体力に任せ書籍を読み込むことが困難になってきた場合においては、少なからず有効な手法ではないかと考えます。
さて、この『異人その他』著者岡正雄によると我が国の民俗文化全般とは、列島外の北・西・南より、いくつかの民族がそれぞれの文化を携え列島に渡来し、それが時代の経過と共に積層し、さらにそれらは列島内部においてもさまざまな要因によって反応をし、活性化したり衰退化したりし、そしてそれが列島各所の地域性の基層となり、現在に至っているということになります。
そしてその具体的な渡来してきた各民族およびそれらが持つ文化の特色を述べているのですが、これを考察する際において冒頭に挙げた著作『昨日までの世界』とはかなり有効ではないかと考えるのです・・。
そして、その考察を行うための土台として『異人その他』にて述べられている各民族について明日以降、少しづつ書き進めてみようと思います・・。
また、これは自身のブログとしては新たな試みであり、どの程度まで継続出来るか多少不安ではありますが、とりあえず明日以降しばらくはこれを題材として書いてみます。
今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年より現在に至るまでに日本列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復そしてその後の復興を祈念しています。
先日から新たに噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事も祈念しています。」
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