A「本日首都圏は終日小雨が降り、ぐずついた天候でした。
そういえば、ここ最近都心部の電車内の吊り広告、駅の壁に貼られている広告ポスターなどを複数見ておりますと、どうも近代日本(主に明治以降)を時代背景としたドラマ、書籍等が流行しているように見受けられます・・。
こうした流行とは一体どのような現代社会の風潮により生じているのでしょうか・・?
ともあれ、これらの広告を見て思うことは「こうした近代を舞台としたドラマ、書籍とは、果たしてどの程度まで史実を考証して制作されているのであろうか?」ということです・・。
といいますのは、特に昨今の我が国における、こうしたいわゆる「歴史もの」とは、史実、時代考証に関しては出来る限り省略した流行に便乗したと思われるものが少なくないからです・・。
私はこれまで投稿したブログ記事にて記しているように、かねてより「歴史もの」全般が好きであり、そうした良い作品を観る、読むことが好きです。
その上で、昨今の我が国の「歴史もの」全般に認められる、こうした傾向(史実、時代考証の省略、簡略化)とは、その浅薄さに対し否応なく腹立たしく思い、同時に悲しくなります・・。
そして、それらは物語の背景を借景的に過去の時代を当て嵌めているだけではないかと考えさせられるのです。
しかしながら、こうした時代の借景現象とは、江戸時代の歌舞伎などにおいても見受けられ、その起源もまた、おそらくかなりの歴史的背景、伝統があるのではないかとも思われます。
つまり、こうしたことは、以前何度かブログ記事にて述べたような何も戦後、太平洋戦争の敗戦による歴史意識の挫折によるものではないということです。
そうしますと、では、なぜ学校などで学習する歴史と、それら「歴史もの」にて語られる歴史とは乖離していくのでしょうか・・?
おそらくそれは「歴史もの」一般とは、学校にて学ぶ歴史の勉強と根本的に異なる次元にあり、(創作者あるいは観客、読者が)好き勝手にその背景および内容をいじっても特に問題ないと考えられている、受け取られているからではないでしょうか・・?(日本のアニメ全般とは、概ねその延長であり、典型であると思われる。)
しかし、この点に関しては多少意固地になりますが、歴史とは見方、解釈においてはいくつもありますしょうが、本質的に史実は一つであると考えております(当たり前のハナシではありますが)。
ヴィトゲンシュタイン著「論理哲学論考」
そして、そうした前提が根本において存在するがゆえに、歴史を扱う学問が人文社会科学の一分野として存立するのではないでしょうか?
とはいえ、こうした意見とは、社会全般においては圧倒的に少数派であり、どちらかというと肩身が狭いといっても良いと云えます。
それに対する圧倒的な多数派とは、その表面的な評価のコトバ(建前)はさておき、本音においては歴史、史実に対し日常生活にあまり影響を及ぼさない、取るに足らないものとして、あるいは、そこまで厳粛に受け取ることなく、単に短期的なネタとして楽しむことが出来れば良いものとして考えているのではないかと思われます・・。
あるいはこれに対し何か他の表現、表記方法があるのでしょうか・・?
もとい、それ故、結果的に時代毎にその時代の風潮(時代精神)に適応した歴史観といったものが流布、流行し、それが社会を染め上げていくのではないでしょうか・・?
そして、それもまた歴史ではあるのですが・・(苦笑)。
・・そのように考えてみますと、こうした歴史観とは、和辻哲郎著の「風土」に述べられているモンスーン地帯(我が国も含む)において特徴的な精神的傾向、思考様式に親和性があるのではないかと考えさせられます・・。
あるいはこうしたモンスーン地帯における特徴的な精神的傾向、思考様式とは会田雄次もまた、そのいくつかの著作において類似したことを述べていたように思います。
しかし、何れにせよ、私はこうした我が国の歴史観、そしてそれに基づいてさらに再生産される(浅薄、軽薄な)国民感情、世論といったものは、どのようなものであれ好きにはなれません・・。
そして、こうした意見を述べると、日本的でないとして「日本がキライならば出て行けば良い。」といった意見などをマジメにいうのを聞きますと、何ともいえない絶望感をおぼえます・・・。
なぜならば、少なくとも近代以降の我が国とは、おそらくこうした意見を持つ方々により国民感情、世論が形成されてきたということもまた、史実であると考えるがためです・・・。
しかし、そうであるからといって、それに対し迎合、付和雷同するのはダメであると思います・・。
私は日本がキライではないと思います。
日本がキライであれば、その歴史などに興味を持ちません。
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本を中心として発生した大地震により被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
2016年9月24日土曜日
2016年9月22日木曜日
20160922 宙ぶらりん、保留・・疑問と葛藤そして創造について
A「これまでに投稿した記事は420を越え、また430にも近づいてきましたが、日常生活において特に大きな変化などは生じておりません・・。
それは、当たり前といえば当たり前ではあるのかもしれませんが、一方、これら記事を閲覧してくださっている方々がおられ、また昨日の記事に対してもそうであったのですが、投稿した記事に対して(時折かなり)興味深い反応が為されているのを見ますと、これまでの閲覧者数が国内外を合わせ15万人程度に到達したことにより、何かしらの出来事が生じても良いのではないかとも思われるのです・・(笑)。
いや、しかし、そうしたものは決して良いことばかりであるとも云えませんので、実際こうした静けさの方がブログ記事作成の継続においては望ましいのかもしれません・・。
とはいえ、それ以前に私に関しては、こうしたことに対し経験によって自身が定める「判断の基準」というものを未だに持っていないため、その良し悪しの判断とは、未だ保留、宙ぶらりん、棚上げ状態にしておこうと思います・・(笑)。
そして、そういったはっきりしない、煮え切らない状態とは、大抵の場合、どちらかといえば不愉快なものではないかと思われます・・。
しかしながら、実はそうした内面における解決出来ない疑問、あるいは葛藤といったものを飽くことなく、腐らせることなく平静のうちに問い続けることもまた、成熟というものの一つの要素ではないかとも思われます・・(・・果たして本当であろうか・・?)。
無論、様々な成熟の仕方があるとも思いますが・・。
ともあれ、こうした能動的ともいえる疑問、葛藤を持ち続ける姿勢から哲学そして様々な科学などが生まれ、発展していったのではないかとも思われます・・。
また、これは多くの科学者が述べられている「基礎科学が大事である。」ということの背景思想にも親和性を持つのではないかと思われます・・。
しかしながら、現在の我が国においては、表向きの評価はともかくも、日常我々が接するところの創造的な事物とは、貨幣を生むに都合の良さそうな既存フォームの表層を多少変形させたものをに対し、何かしら大げさなコトバをもって装飾しているものが多いのではないかと考えさせられるのです・・。
そして、こうしたことは社会における根源的な創造的な力(活力)が枯渇してきた時に多く見受けられる現象ではないかと私は思います・・。
私見としては、あまりカッコが良くなくとも、参考としたものは参考したものとしてその出典を明示し、そして、そこから先の自らの創造を為したと考える部分を提示するに留めた方が、健全であり、また未来における創造にも繋がるのではないかと思われるのです・・文章であれ芸術作品であれ。
また、これは、実際に自身がこれまでのブログ記事の作成を通じて、いみじくも痛感したことでもあります・・。
さて、ここまで記していて何故か不図思い起こしましたが、先日書店にて映画化もされた中上健次著「千年の愉楽」を立ち読みしましたが、ああした文体もまた人を引きつける何かがあり「実のところ、こちらの文体の方が本来の伝統に沿った日本語の用い方なのではなかろうか・・?」とも思われました。
この著作、映画をご存じない方は、好き嫌いが分かれるかもしれませんが、映画と共に是非一度観る、読んでみては如何でしょうか?
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
それは、当たり前といえば当たり前ではあるのかもしれませんが、一方、これら記事を閲覧してくださっている方々がおられ、また昨日の記事に対してもそうであったのですが、投稿した記事に対して(時折かなり)興味深い反応が為されているのを見ますと、これまでの閲覧者数が国内外を合わせ15万人程度に到達したことにより、何かしらの出来事が生じても良いのではないかとも思われるのです・・(笑)。
いや、しかし、そうしたものは決して良いことばかりであるとも云えませんので、実際こうした静けさの方がブログ記事作成の継続においては望ましいのかもしれません・・。
とはいえ、それ以前に私に関しては、こうしたことに対し経験によって自身が定める「判断の基準」というものを未だに持っていないため、その良し悪しの判断とは、未だ保留、宙ぶらりん、棚上げ状態にしておこうと思います・・(笑)。
そして、そういったはっきりしない、煮え切らない状態とは、大抵の場合、どちらかといえば不愉快なものではないかと思われます・・。
しかしながら、実はそうした内面における解決出来ない疑問、あるいは葛藤といったものを飽くことなく、腐らせることなく平静のうちに問い続けることもまた、成熟というものの一つの要素ではないかとも思われます・・(・・果たして本当であろうか・・?)。
無論、様々な成熟の仕方があるとも思いますが・・。
ともあれ、こうした能動的ともいえる疑問、葛藤を持ち続ける姿勢から哲学そして様々な科学などが生まれ、発展していったのではないかとも思われます・・。
また、これは多くの科学者が述べられている「基礎科学が大事である。」ということの背景思想にも親和性を持つのではないかと思われます・・。
しかしながら、現在の我が国においては、表向きの評価はともかくも、日常我々が接するところの創造的な事物とは、貨幣を生むに都合の良さそうな既存フォームの表層を多少変形させたものをに対し、何かしら大げさなコトバをもって装飾しているものが多いのではないかと考えさせられるのです・・。
そして、こうしたことは社会における根源的な創造的な力(活力)が枯渇してきた時に多く見受けられる現象ではないかと私は思います・・。
私見としては、あまりカッコが良くなくとも、参考としたものは参考したものとしてその出典を明示し、そして、そこから先の自らの創造を為したと考える部分を提示するに留めた方が、健全であり、また未来における創造にも繋がるのではないかと思われるのです・・文章であれ芸術作品であれ。
また、これは、実際に自身がこれまでのブログ記事の作成を通じて、いみじくも痛感したことでもあります・・。
さて、ここまで記していて何故か不図思い起こしましたが、先日書店にて映画化もされた中上健次著「千年の愉楽」を立ち読みしましたが、ああした文体もまた人を引きつける何かがあり「実のところ、こちらの文体の方が本来の伝統に沿った日本語の用い方なのではなかろうか・・?」とも思われました。
この著作、映画をご存じない方は、好き嫌いが分かれるかもしれませんが、映画と共に是非一度観る、読んでみては如何でしょうか?
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」
20160921 スランプとパンチの効いた警世的なるもの・・・
A「先日よりどうもブログ記事の良い着想が思い浮かびません・・。
これは現在、季節の変わり目であるからか、あるいは先日赴いた公募の面接がダメであり、それにより何となく萎縮してしまったからであるか、あるいはまた、その他にも何か要因があるのかもしれませんが、ともかく、どうも良いブログ記事の着想がパッと思い浮かびません・・(苦笑)。
そして現在はそうした思いを文章として記せば、それはそれで、とりあえずは記事になるのではないかと考え、これを記している次第です・・。
そういえば、本日は仕事上にて伺ったある歯科医院にて、古くか続いている某歯科大学の付属歯科衛生士専門学校が、このたび短期大学として認可されたということを伺いました。
そして、さきほど、このことをインターネットにて調べてみたところ、それは既に公式なことであると記されていたため、ブログ記事の題材として記している次第です。
また、そういえば、先日記したブログ記事において、歯科衛生士の教育に関して記したものがありましたため、これもまた何となく面白く感じました・・(笑)。
あるいは本日伺った歯科医院の先生は、このかつて投稿した記事を読んで頂いていたのかもしれません・・(笑)。
しかし、そのように考えてみますと、こうしたことは私が思う以上に多くあるのかもしれません・・。
そして、単に私がそうしたことを認識していないだけであるのかもしれません・・(苦笑)。
しかしながら、ブログ記事を記し、その一方で日常生活にて、そうしたことを気にし出しますと、ますます自意識過剰となり、そして、さらにその後反転し、萎縮してしまい、自由にブログ記事を記すことが困難になってしまうのではないかという危惧が生じてきます・・(笑)。
また、それがなくとも、さきに記したように今現在どうもブログ記事作成においてスランプに近い状態であると思われますので、こうしたことは出来る限り考えない方が良いのかもしれません・・(笑)。
そして、そのようなことを認識してみますと、案外こうした公開を前提とする継続的なブログ記事の作成とは、高所における綱渡りに近いようなところがあるのかもしれません・・(苦笑)。
(フリードリヒ・ニーチェ著「ツァラトゥストラかく語りき」冒頭近く・・)
渡る場所を単に横幅が狭い場所での移動(前進)であると考えれば、特に恐怖も湧かないのかもしれませんが、それが高所であると認識することにより恐怖が湧いてくるといったような感じではないでしょうか・・(笑)?
そして、もし少なからずこうした(感情的な)要素がこれまでのブログ記事作成において良い方に作用してきたのであれば、少なくとも今現在までは、ブログ記事を書き続けるといった意味においては、どうにか上手くやってこれたのではないかと思われます・・(笑)。
そして、願わくは、今後しばらく(500記事程度迄)は、そうした状態(特に大きな反応がない)が続いてくれた方がありがたいと思います・・。
とはいえ、感情的な非難、批判、言いがかりとは、どのようなことをきっかけとしてでも、行うことは出来ると思われ、また、それに加え、おそらく私はそうしたことに対し強い耐性があるというわけではありませんので、繰り返すようではありますが、これまで通り、どちらかというと静かに見守って頂けた方がありがたいです。
読まれている皆様、どうぞよろしくお願いいたします・・。
さて、そうしたことを置いておいて、先日来より読んでおりました山田風太郎著「戦中派虫けら日記」を読了しました。
この著作は読了に至るまで大変短い期間であり、おそらく一週間程度であったのではないかと思われます・・。
また、この著作からも大変面白いと思われる記述が少なからずありましたので、今後、折を見て、それら記述を当ブログにて抜粋引用してみようと考えております・・。
そして、私見とはなりますが、ここ最近少なからず警世的な意味合い、あるいはそうした目的、意図を持った著作が刊行されているようですが、それらの著作と比べ、古書店にて(安価で程度の良いものが)購入することが出来る、山田風太郎著のこの時代(戦中戦後期)を扱った著作、あるいは、大岡昇平著の「俘虜記」、野上彌生子著「迷路」、大西巨人著「神聖喜劇」、そして山本七平著「私のなかの日本軍」などの方が、案外と普遍性のある、そしてパンチの効いた「警世的」なるものを明示してくれるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
これは現在、季節の変わり目であるからか、あるいは先日赴いた公募の面接がダメであり、それにより何となく萎縮してしまったからであるか、あるいはまた、その他にも何か要因があるのかもしれませんが、ともかく、どうも良いブログ記事の着想がパッと思い浮かびません・・(苦笑)。
そして現在はそうした思いを文章として記せば、それはそれで、とりあえずは記事になるのではないかと考え、これを記している次第です・・。
そういえば、本日は仕事上にて伺ったある歯科医院にて、古くか続いている某歯科大学の付属歯科衛生士専門学校が、このたび短期大学として認可されたということを伺いました。
そして、さきほど、このことをインターネットにて調べてみたところ、それは既に公式なことであると記されていたため、ブログ記事の題材として記している次第です。
また、そういえば、先日記したブログ記事において、歯科衛生士の教育に関して記したものがありましたため、これもまた何となく面白く感じました・・(笑)。
あるいは本日伺った歯科医院の先生は、このかつて投稿した記事を読んで頂いていたのかもしれません・・(笑)。
しかし、そのように考えてみますと、こうしたことは私が思う以上に多くあるのかもしれません・・。
そして、単に私がそうしたことを認識していないだけであるのかもしれません・・(苦笑)。
しかしながら、ブログ記事を記し、その一方で日常生活にて、そうしたことを気にし出しますと、ますます自意識過剰となり、そして、さらにその後反転し、萎縮してしまい、自由にブログ記事を記すことが困難になってしまうのではないかという危惧が生じてきます・・(笑)。
また、それがなくとも、さきに記したように今現在どうもブログ記事作成においてスランプに近い状態であると思われますので、こうしたことは出来る限り考えない方が良いのかもしれません・・(笑)。
そして、そのようなことを認識してみますと、案外こうした公開を前提とする継続的なブログ記事の作成とは、高所における綱渡りに近いようなところがあるのかもしれません・・(苦笑)。
(フリードリヒ・ニーチェ著「ツァラトゥストラかく語りき」冒頭近く・・)
渡る場所を単に横幅が狭い場所での移動(前進)であると考えれば、特に恐怖も湧かないのかもしれませんが、それが高所であると認識することにより恐怖が湧いてくるといったような感じではないでしょうか・・(笑)?
そして、もし少なからずこうした(感情的な)要素がこれまでのブログ記事作成において良い方に作用してきたのであれば、少なくとも今現在までは、ブログ記事を書き続けるといった意味においては、どうにか上手くやってこれたのではないかと思われます・・(笑)。
そして、願わくは、今後しばらく(500記事程度迄)は、そうした状態(特に大きな反応がない)が続いてくれた方がありがたいと思います・・。
とはいえ、感情的な非難、批判、言いがかりとは、どのようなことをきっかけとしてでも、行うことは出来ると思われ、また、それに加え、おそらく私はそうしたことに対し強い耐性があるというわけではありませんので、繰り返すようではありますが、これまで通り、どちらかというと静かに見守って頂けた方がありがたいです。
読まれている皆様、どうぞよろしくお願いいたします・・。
さて、そうしたことを置いておいて、先日来より読んでおりました山田風太郎著「戦中派虫けら日記」を読了しました。
この著作は読了に至るまで大変短い期間であり、おそらく一週間程度であったのではないかと思われます・・。
また、この著作からも大変面白いと思われる記述が少なからずありましたので、今後、折を見て、それら記述を当ブログにて抜粋引用してみようと考えております・・。
そして、私見とはなりますが、ここ最近少なからず警世的な意味合い、あるいはそうした目的、意図を持った著作が刊行されているようですが、それらの著作と比べ、古書店にて(安価で程度の良いものが)購入することが出来る、山田風太郎著のこの時代(戦中戦後期)を扱った著作、あるいは、大岡昇平著の「俘虜記」、野上彌生子著「迷路」、大西巨人著「神聖喜劇」、そして山本七平著「私のなかの日本軍」などの方が、案外と普遍性のある、そしてパンチの効いた「警世的」なるものを明示してくれるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
2016年9月21日水曜日
20160920 今回の大雨そして季節から思ったこと・・銅鐸について・・
A「本日の首都圏は終日の降雨であり、今現在なお雨が降っております・・。
そして、それと同時にかなり久々に大気が涼しいを通り越し、寒いと感じました・・。
そのように感じますと「果たして丁度今頃の九州とはどうであったか?」と思い起こしますと、未だに半袖を着て汗をかいていたと思われます・・。
また、それに伴い思い出すのは、九州においても南に位置する鹿児島は11月一杯までは暑いとも感じる日が続き、12月に入るあたりで急激に寒くなるといった気候であったことです。
こうした気候は首都圏、関東とも、和歌山ともまた異なり、在住当初は一人勝手にギャップを感じておりましたが、こうしたものは大抵在住2年目には当たり前のこととして慣れて行くようです・・。
しかし、それに慣れた体質のまま首都圏、関東に戻りますと、今度は、その地の冬の寒さがとても体に堪え、ギャップを感じる次第なのですが、この調子で行きますと、果たして今年の冬は一体どのようなことになるのでしょうか・・(笑)。
また、そうしたことを通して思うことは、おそらく私は南紀、和歌山、九州といった、その在住遍歴により、何といいますか体質もそうした西日本の温暖な地方仕様となったのではないかということです・・。
そうしたことから、関東周辺における、そうした(西日本の温暖な)気候風土を感じさせる静岡県東部の伊豆、伊東市などに行きますと、何とも懐かしい感じがしてきます・・。
しかしながら、この伊豆、伊東市周辺の気候風土を懐かしく思う感覚とは、実のところ、私のもっと幼い頃、深い層において刷り込まれたものではないかとも思われます・・。
といいますのは、私の祖父母および一枝の遠い父祖がこの地域に住んでいたことから、様々な機会においてこの地を訪れた記憶があるからです・・。
そして、この地の気候風土を(幼い頃より)知っていたがために、その後在住することとなった南紀、和歌山も、ある程度類似したものであると(体が)認識することが出来たのではないかとも思われるのです。
また、結果から考えてみますと、そうした感覚の古来から(歴史的な意味で)の普遍性を自分なりに考えるための一つの要素が銅鐸に対する興味であったのではないかとも思われます・・。
感覚的なハナシではありますが、銅鐸を祭器として用いた集団とは、何といいますか、自らが住む地域の気候風土、植生などに相当こだわっていたのではないかと強く思われるのです・・。
しかし、そのように考えてみますと、その後私が在住した鹿児島においては、これまでに銅鐸の出土例がないため、おそらくこの地には、それ(銅鐸祭祀)以前の時代から、異なった背景文化を持つ集団が既にいくつか住み、銅鐸祭祀を行う集団の入る余地がなかった、あるいはこの地がさきに述べたような彼ら(銅鐸を祭器として用いた集団)の好み(気候風土、植生)ではなかったのかもしれません・・。
また、以前のブログ記事においても取り上げたことがありますが弥生時代における鹿児島の墳墓、墓制と関連させて考えてみますと、大陸、半島由来の墓制である甕棺墓が鹿児島県西部において見られることは、当時、この地において半島からの文化が来訪、往来していたことを示し、一方において甕棺墓と同様、大陸、半島由来の技術(青銅による鋳造)を用いる銅鐸の出土が見られない(北隣の熊本県においては存在する)ことは、おそらく銅鐸の作成とは全般的に見て、渡来した大陸、半島の技術「のみ」により為されたものではなく、在来住民との文化との結合によって、はじめて為し得たと考えることが妥当であると云えます。
具体的には、当時の鹿児島とは、渡来の墓制を受け入れつつも、それと同時に在来文化との結合により銅鐸を生じないという特徴を持つ在来住民が住んでいたということであり、こうした傾向とは、おそらく九州においては長崎、宮崎、そして四国においては愛媛、高知両県の西部(つまり四国の西半分)といった地域と概ね共通しているのではないかと思われます・・。
そのことから、おそらく、これらの地域とは、在来文化との混淆の具合が、北方からの半島、大陸からの文化よりも、南方からの海洋民の文化との方が優勢、盛んであったのではないかとも考えることが出来ます・・。
そして、そのようにして(おそらくそれ以前からの伏線が存在すると思いますが・・)生じた地域毎の文化とは、現在においても我々に何かしらの(文化的な)意図、傾向を感じさせるのではないかと思われますが、如何でしょうか・・?
今回もここまで興味を持って読んで頂いてどうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの復旧そしてその後の速やかな復興、また九州全土における今回の台風、大雨による被害が出来るだけ軽微であることを祈念します。」
そして、それと同時にかなり久々に大気が涼しいを通り越し、寒いと感じました・・。
そのように感じますと「果たして丁度今頃の九州とはどうであったか?」と思い起こしますと、未だに半袖を着て汗をかいていたと思われます・・。
また、それに伴い思い出すのは、九州においても南に位置する鹿児島は11月一杯までは暑いとも感じる日が続き、12月に入るあたりで急激に寒くなるといった気候であったことです。
こうした気候は首都圏、関東とも、和歌山ともまた異なり、在住当初は一人勝手にギャップを感じておりましたが、こうしたものは大抵在住2年目には当たり前のこととして慣れて行くようです・・。
しかし、それに慣れた体質のまま首都圏、関東に戻りますと、今度は、その地の冬の寒さがとても体に堪え、ギャップを感じる次第なのですが、この調子で行きますと、果たして今年の冬は一体どのようなことになるのでしょうか・・(笑)。
また、そうしたことを通して思うことは、おそらく私は南紀、和歌山、九州といった、その在住遍歴により、何といいますか体質もそうした西日本の温暖な地方仕様となったのではないかということです・・。
そうしたことから、関東周辺における、そうした(西日本の温暖な)気候風土を感じさせる静岡県東部の伊豆、伊東市などに行きますと、何とも懐かしい感じがしてきます・・。
しかしながら、この伊豆、伊東市周辺の気候風土を懐かしく思う感覚とは、実のところ、私のもっと幼い頃、深い層において刷り込まれたものではないかとも思われます・・。
といいますのは、私の祖父母および一枝の遠い父祖がこの地域に住んでいたことから、様々な機会においてこの地を訪れた記憶があるからです・・。
そして、この地の気候風土を(幼い頃より)知っていたがために、その後在住することとなった南紀、和歌山も、ある程度類似したものであると(体が)認識することが出来たのではないかとも思われるのです。
また、結果から考えてみますと、そうした感覚の古来から(歴史的な意味で)の普遍性を自分なりに考えるための一つの要素が銅鐸に対する興味であったのではないかとも思われます・・。
感覚的なハナシではありますが、銅鐸を祭器として用いた集団とは、何といいますか、自らが住む地域の気候風土、植生などに相当こだわっていたのではないかと強く思われるのです・・。
しかし、そのように考えてみますと、その後私が在住した鹿児島においては、これまでに銅鐸の出土例がないため、おそらくこの地には、それ(銅鐸祭祀)以前の時代から、異なった背景文化を持つ集団が既にいくつか住み、銅鐸祭祀を行う集団の入る余地がなかった、あるいはこの地がさきに述べたような彼ら(銅鐸を祭器として用いた集団)の好み(気候風土、植生)ではなかったのかもしれません・・。
また、以前のブログ記事においても取り上げたことがありますが弥生時代における鹿児島の墳墓、墓制と関連させて考えてみますと、大陸、半島由来の墓制である甕棺墓が鹿児島県西部において見られることは、当時、この地において半島からの文化が来訪、往来していたことを示し、一方において甕棺墓と同様、大陸、半島由来の技術(青銅による鋳造)を用いる銅鐸の出土が見られない(北隣の熊本県においては存在する)ことは、おそらく銅鐸の作成とは全般的に見て、渡来した大陸、半島の技術「のみ」により為されたものではなく、在来住民との文化との結合によって、はじめて為し得たと考えることが妥当であると云えます。
具体的には、当時の鹿児島とは、渡来の墓制を受け入れつつも、それと同時に在来文化との結合により銅鐸を生じないという特徴を持つ在来住民が住んでいたということであり、こうした傾向とは、おそらく九州においては長崎、宮崎、そして四国においては愛媛、高知両県の西部(つまり四国の西半分)といった地域と概ね共通しているのではないかと思われます・・。
そのことから、おそらく、これらの地域とは、在来文化との混淆の具合が、北方からの半島、大陸からの文化よりも、南方からの海洋民の文化との方が優勢、盛んであったのではないかとも考えることが出来ます・・。
そして、そのようにして(おそらくそれ以前からの伏線が存在すると思いますが・・)生じた地域毎の文化とは、現在においても我々に何かしらの(文化的な)意図、傾向を感じさせるのではないかと思われますが、如何でしょうか・・?
今回もここまで興味を持って読んで頂いてどうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの復旧そしてその後の速やかな復興、また九州全土における今回の台風、大雨による被害が出来るだけ軽微であることを祈念します。」
2016年9月20日火曜日
20160919 閲覧者数のとらえ方について・・
A「本日首都圏は朝からの降雨であり、また、この雨とは九州地方において台風を伴った暴風雨のような状態であるとのことで、九州方面におけるこの台風による被害が(強く)懸念されます・・。
また、こうした天候から本日は特に外出することなく、ここに至りブログ記事作成をはじめました・・。
とはいえ、やはり何かしら外出をして刺激を受けた方がブログ記事などを作成する上においては都合が良いようであり、そうしたことからか、本日はいつも以上にブログ記事の着想、主題が思いつきません・・(苦笑)。
とはいえ、やはり何かしら記すため、その主題について思いを巡らしますと、つい先日のブログ上での出来事となりますが、これまでの閲覧者総数が150000人を越えたことが挙げられます・・。
この数字とは、たとえば統計的な数字として考えてみますと、あまり大したものとは捉えられないのですが、一方、これまでに作成したブログ記事を閲覧して頂いた方々の人数として考えてみますと、それら一連の記事を作成した者としては、否応なく、その受け取り方が変わってきます・・。
何といいますか「結構な数の方々が閲覧してくださっているなあ・・。」といった感じに続き、少し身が引締まる、緊張するような感じを受けます・・。
そして、こうした感覚が勝りすぎると、萎縮してしまうためか、今度はブログ記事の着想、作成が困難になってくるのですが、ここ最近はそうしたことも特になく、以前に比べ、投稿した記事が公開、閲覧されているということを(強く)感じることなく、良くいえば自然に記事を作成することが出来ているように思います。
これは良いことであるのか分かりませんが、一方、ブログの炎上などもありませんので、特に問題はないように思われますが、さて如何でしょうか・・?
また、それに関して、これらのブログ記事に対しての具体的な反応、感想などを聞くことは殆どありませんが、時折ごく少数(閲覧者総数に比して)の方々にその感想を尋ねてみますと、それらは「面白い記事ばかりではないけれど、少なくとも内容に関しては特に問題ないのではないか。」といったものであり、そのことから「まあ、この調子で今後もキリの良いところまで書いてみよう・・」といった考えに辿り着きます。
そういえば、本日はさきほど記したように終日の降雨であるため、書籍をいくつか手に取り読んでおりましたが、その中で山田風太郎著「戦中派虫けら日記」は大変に捗り、概ね読了に至りつつあります。
また、面白いことに、こうした日記体の著作とは、他の文体のものに比べ、その頁数が多くとも意外とスムーズに読むことが出来るようです・・。
あるいはこれは文体への感情移入が容易な著者に対してだけ云えることなのでしょうか・・?
そして、その後、かねてより読んでいる野上彌生子の「迷路」下巻を読んでみましたが、これもなかなか面白く読むことが出来、おそらく良い著作とは論文、小説といった文体に限定されず、何度読んでみても面白い要素を引出す、感じることが出来るものではないかと思われます・・。
おそらくこれは、かなり月並みな意見であるとは思いますが、ここ最近は自身がブログ記事を記しているためか、より一層そうした感じを強く受け、またそれと同時に自身の作成したブログ記事およびその文体についても否応なく思いが至ってしまいます・・(苦笑)。
こうしたことは、ここ一年まではあまり多く考えることはありませんでしたが、ブログ記事の作成を継続的に行っておりますと、自然とそのようなことを考えるようになるのではないかと思われます。
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震、そして本日においては九州全土での台風からの大雨による被害が出来るだけ軽微であり、そして熊本での大地震からの復旧、復興作業に支障がないことを祈念いたします。」
また、こうした天候から本日は特に外出することなく、ここに至りブログ記事作成をはじめました・・。
とはいえ、やはり何かしら外出をして刺激を受けた方がブログ記事などを作成する上においては都合が良いようであり、そうしたことからか、本日はいつも以上にブログ記事の着想、主題が思いつきません・・(苦笑)。
とはいえ、やはり何かしら記すため、その主題について思いを巡らしますと、つい先日のブログ上での出来事となりますが、これまでの閲覧者総数が150000人を越えたことが挙げられます・・。
この数字とは、たとえば統計的な数字として考えてみますと、あまり大したものとは捉えられないのですが、一方、これまでに作成したブログ記事を閲覧して頂いた方々の人数として考えてみますと、それら一連の記事を作成した者としては、否応なく、その受け取り方が変わってきます・・。
何といいますか「結構な数の方々が閲覧してくださっているなあ・・。」といった感じに続き、少し身が引締まる、緊張するような感じを受けます・・。
そして、こうした感覚が勝りすぎると、萎縮してしまうためか、今度はブログ記事の着想、作成が困難になってくるのですが、ここ最近はそうしたことも特になく、以前に比べ、投稿した記事が公開、閲覧されているということを(強く)感じることなく、良くいえば自然に記事を作成することが出来ているように思います。
これは良いことであるのか分かりませんが、一方、ブログの炎上などもありませんので、特に問題はないように思われますが、さて如何でしょうか・・?
また、それに関して、これらのブログ記事に対しての具体的な反応、感想などを聞くことは殆どありませんが、時折ごく少数(閲覧者総数に比して)の方々にその感想を尋ねてみますと、それらは「面白い記事ばかりではないけれど、少なくとも内容に関しては特に問題ないのではないか。」といったものであり、そのことから「まあ、この調子で今後もキリの良いところまで書いてみよう・・」といった考えに辿り着きます。
そういえば、本日はさきほど記したように終日の降雨であるため、書籍をいくつか手に取り読んでおりましたが、その中で山田風太郎著「戦中派虫けら日記」は大変に捗り、概ね読了に至りつつあります。
また、面白いことに、こうした日記体の著作とは、他の文体のものに比べ、その頁数が多くとも意外とスムーズに読むことが出来るようです・・。
あるいはこれは文体への感情移入が容易な著者に対してだけ云えることなのでしょうか・・?
そして、その後、かねてより読んでいる野上彌生子の「迷路」下巻を読んでみましたが、これもなかなか面白く読むことが出来、おそらく良い著作とは論文、小説といった文体に限定されず、何度読んでみても面白い要素を引出す、感じることが出来るものではないかと思われます・・。
おそらくこれは、かなり月並みな意見であるとは思いますが、ここ最近は自身がブログ記事を記しているためか、より一層そうした感じを強く受け、またそれと同時に自身の作成したブログ記事およびその文体についても否応なく思いが至ってしまいます・・(苦笑)。
こうしたことは、ここ一年まではあまり多く考えることはありませんでしたが、ブログ記事の作成を継続的に行っておりますと、自然とそのようなことを考えるようになるのではないかと思われます。
今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さる四月に熊本にて発生した大地震、そして本日においては九州全土での台風からの大雨による被害が出来るだけ軽微であり、そして熊本での大地震からの復旧、復興作業に支障がないことを祈念いたします。」
2016年9月19日月曜日
20160918 入出力の習慣化・・知的好奇心について★★★
A「おかげさまで昨日(20160917)のブログ閲覧者も1000人に到達しました。
どうもありがとうございます。
本日も半分仕事にて都心部に出向いておりました・・。
また、途中書店にも立ち寄り、面白そうな書籍をいくつか見つけましたが、諸事情により今回の購入は見合わせました・・(笑)。
そういえば、私の週末の習慣ともいえる書店への訪問とは、かなり長い間(10年以上)継続していると思われます・・。
そして、その経験に基づいて思い起こしますと、しばらく書店に出向かないで、突然書店に行くと、どうも圧倒されるような感じ(書店に行くと緊張する感覚)を受けるのではないかと思います。
しかし、定期的に書店を訪ねる習慣を保持していると、そうした感覚(圧倒、緊張)はあまり感じることはありません・・。
こういったものも現在継続的に作成しているブログ記事においても類似したところがあり、これもまた一種の慣れ、習慣化といったものが大事であるのかもしれません・・。
しかし、習慣化ととらえてみますと、そこから単純作業、画一的といった考えが連想されると思われますが、おそらく様々な創造的行為の基層においては、(複数の)習慣化された行為といったものが極めて重要なものとして各々存在するのではないかと思われます・・。
そして、これまでに作成したブログ記事を一応、創造的なものとしますと、それら作成の前提として、ノートに着想をメモしておく、あるいはPCの前に座り、とりあえず何かしら記し始めるといった(習慣化され得る)行為が挙げられると思われます・・。
そして、現在においては概ね、これらの行為をはじめますと、何となく(ここもまた大事であると思いますが・・)着想が浮かび、そこから文章を記し、ブログ記事として投稿することが出来ている感じがします。
しかし一方、たしかにこれは現在においては一応習慣化され(やはり多少面倒ではありますが)ほぼ毎日ブログ記事の投稿が出来ておりますが、ブログ作成開始当初においては、ここでなかなか苦労をしており、またそのことから記事の作成、投稿も(一応)継続的ではありましたが、同時に断続的でもありました・・。
そうした時期(ブログ作成開始時)に比べますと、ここ最近において記している記事とは、おそらく内容的には、以前に比べ、相対的に深いものが少ないのではないかと思われますが、同時に記したいと思う内容をコトバにてある程度的確に表現することが出来ているように思われます・・。
そして、これら(内容の深さ、表現力)の最適なバランス(これが抽象的であり、また、その評価が難しいのですが・・)が得られ、且つそれが保持されていると思われる時期こそが「文章作成能力が向上した。」といえる時期なのではないかと思われます・・。
そして、そこに至る為には、一般的には文章の作成という出力のみでは不十分であり、双輪のもう一つとして、何らかの入力、つまり読書、観察といった行為が不可欠ではないかと思われます。
その意味において、これまでに作成、投稿したブログ記事とは、これまでに為された入出力(主に過去における入力)の賜物であり、また今後もそうした行為を何かしら継続しておかないと、いずれ着想、アイデアが枯渇してしまう時期が訪れるのではないかと思われます・・。
しかしながら、現在もブログ記事作成と同様に継続している入力(現在では主に読書、観察)とは、決してそうした危惧(枯渇してしまう)に基づき為されているわけではなく、どちらかといいますと、能動的な興味に基づいて為されていると思われますので、さきに述べた「慣れ、習慣化」とは「ノートに着想をメモしておく、あるいはPCの前に座り、とりあえず何かしら記し始める」といった、どちらかというと出力的な要素「のみ」の習慣化に依存しているのではなく「読書あるいは観察」といった入力的な要素そして、その習慣化にも同程度に依存しているのではないかと思われます。
そして、これら入出力の総称として「知的好奇心」なるコトバが存在するのではないでしょうか?
また、人によりその性質の強さが異なる「知的好奇心」とは、おそらく能動的に為され、習慣化されたこれらの行為(入出力)の量、質と随伴している傾向があるのではないでしょうか・・?
また、こうしたことは読む人が読むと、当たり前過ぎて面白くないかもしれませんが、同時に記しておいてもあまり害はないものと考える為、記す次第です。
今回も何故か観念的な内容となってしまいました・・・(苦笑)。
また、ここまで興味を持って読んで頂いてどうもありがとうございます。
さる四月に熊本を中心として発生した大地震によって被災された地域における諸インフラの出来るだけ早い復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
どうもありがとうございます。
本日も半分仕事にて都心部に出向いておりました・・。
また、途中書店にも立ち寄り、面白そうな書籍をいくつか見つけましたが、諸事情により今回の購入は見合わせました・・(笑)。
そういえば、私の週末の習慣ともいえる書店への訪問とは、かなり長い間(10年以上)継続していると思われます・・。
そして、その経験に基づいて思い起こしますと、しばらく書店に出向かないで、突然書店に行くと、どうも圧倒されるような感じ(書店に行くと緊張する感覚)を受けるのではないかと思います。
しかし、定期的に書店を訪ねる習慣を保持していると、そうした感覚(圧倒、緊張)はあまり感じることはありません・・。
こういったものも現在継続的に作成しているブログ記事においても類似したところがあり、これもまた一種の慣れ、習慣化といったものが大事であるのかもしれません・・。
しかし、習慣化ととらえてみますと、そこから単純作業、画一的といった考えが連想されると思われますが、おそらく様々な創造的行為の基層においては、(複数の)習慣化された行為といったものが極めて重要なものとして各々存在するのではないかと思われます・・。
そして、これまでに作成したブログ記事を一応、創造的なものとしますと、それら作成の前提として、ノートに着想をメモしておく、あるいはPCの前に座り、とりあえず何かしら記し始めるといった(習慣化され得る)行為が挙げられると思われます・・。
そして、現在においては概ね、これらの行為をはじめますと、何となく(ここもまた大事であると思いますが・・)着想が浮かび、そこから文章を記し、ブログ記事として投稿することが出来ている感じがします。
しかし一方、たしかにこれは現在においては一応習慣化され(やはり多少面倒ではありますが)ほぼ毎日ブログ記事の投稿が出来ておりますが、ブログ作成開始当初においては、ここでなかなか苦労をしており、またそのことから記事の作成、投稿も(一応)継続的ではありましたが、同時に断続的でもありました・・。
そうした時期(ブログ作成開始時)に比べますと、ここ最近において記している記事とは、おそらく内容的には、以前に比べ、相対的に深いものが少ないのではないかと思われますが、同時に記したいと思う内容をコトバにてある程度的確に表現することが出来ているように思われます・・。
そして、これら(内容の深さ、表現力)の最適なバランス(これが抽象的であり、また、その評価が難しいのですが・・)が得られ、且つそれが保持されていると思われる時期こそが「文章作成能力が向上した。」といえる時期なのではないかと思われます・・。
そして、そこに至る為には、一般的には文章の作成という出力のみでは不十分であり、双輪のもう一つとして、何らかの入力、つまり読書、観察といった行為が不可欠ではないかと思われます。
その意味において、これまでに作成、投稿したブログ記事とは、これまでに為された入出力(主に過去における入力)の賜物であり、また今後もそうした行為を何かしら継続しておかないと、いずれ着想、アイデアが枯渇してしまう時期が訪れるのではないかと思われます・・。
しかしながら、現在もブログ記事作成と同様に継続している入力(現在では主に読書、観察)とは、決してそうした危惧(枯渇してしまう)に基づき為されているわけではなく、どちらかといいますと、能動的な興味に基づいて為されていると思われますので、さきに述べた「慣れ、習慣化」とは「ノートに着想をメモしておく、あるいはPCの前に座り、とりあえず何かしら記し始める」といった、どちらかというと出力的な要素「のみ」の習慣化に依存しているのではなく「読書あるいは観察」といった入力的な要素そして、その習慣化にも同程度に依存しているのではないかと思われます。
そして、これら入出力の総称として「知的好奇心」なるコトバが存在するのではないでしょうか?
また、人によりその性質の強さが異なる「知的好奇心」とは、おそらく能動的に為され、習慣化されたこれらの行為(入出力)の量、質と随伴している傾向があるのではないでしょうか・・?
また、こうしたことは読む人が読むと、当たり前過ぎて面白くないかもしれませんが、同時に記しておいてもあまり害はないものと考える為、記す次第です。
今回も何故か観念的な内容となってしまいました・・・(苦笑)。
また、ここまで興味を持って読んで頂いてどうもありがとうございます。
さる四月に熊本を中心として発生した大地震によって被災された地域における諸インフラの出来るだけ早い復旧そしてその後の復興を祈念しております。」
2016年9月18日日曜日
20160917 筑摩書房刊 丸山眞男著「忠誠と反逆」pp.234ー237より抜粋引用
「明六社的啓蒙思想がフランスの百科全書家ほどラディカルでなかったとすれば、なにより伝統的思考の範疇を打破し転回させるという点の不十分さという点にこそ問題の所在を求めねばならぬ。
それにしても明六社の思想は十年代以後の自由民権論に比べて、政治的急進性において劣っていたものを、啓蒙主義本来の課題の方法的自覚において補っていたといっても必ずしも言い過ぎではない。
明六社のような非政治的な目的をもった自主的結社が、まさにその立地から政治を含めた時代の重要な課題に対して、普段に批判して行く伝統が根付くところに、はじめて政治主義か文化主義かといった二者択一の思考習慣が打破され、非政治的領域から発する政治的発言という近代市民の日常的モラルが育って行くことが期待される。
その意味では、この明六社が誕生わずか一年余りで讒謗律、新聞紙条例といった維新政府の言論弾圧によって解散しなければならなかったということは、近代日本における開いた社会の思考の発展にとって象徴的な出来事であった。
これ以後にもっとも活発に社会的に活動する自主的結社は、ほとんど政党のような純政治団体に極限されていかざるを得なかったのである。
けれども、政治団体が自主的集団を代表するところでは、国家と独立した社会の十全な発達は期待できない。
むしろ本来的に闘争集団であり権威性と凝集性を欠くことのできない政治団体にたいして、開いた社会への垂範的な役割を託するということ自体に内在的な無理があるというべきであろう。
政治と異なった次元(宗教・学問・芸術・教育等々)に立って組織的化される自主的結社の伝統が定着しないところでは、一切の社会的結社は構造の上でも機能の上でも、政治団体をモデルとしてそれに無限に近づこうとする傾向があるし、政党はまた政党で、もともと最大最強の政治団体としての政府の小型版にすぎない。
それだけにここでは一切の社会集団がレヴァイアサンとしての国家に併呑され吸収されやすいような磁場が形成されることとなる。
「交詢社」などの使命とした「社交」がその後たどった運命はどうであったか。
維新以来のもっとも著名な知日家の一人であるB・チェンバレンは、この国の自然の風景の素晴らしさと対蹠的に「社交」がおそろしく退屈(ダル)なことをのべ、「日本における善美なもののカタログをひろげれば随分沢山ある。
けれども諸君の教養ある魂が客間やコンサートホールのよろこびを憧れはじめたら、諸君はむしろ故国へ帰る切符を買った方がいい」(Things japanese, 6th rev. ed., 1901, 〔1st ed., 1890〕のなかの“Society”の項)と勧告しながら、そこに潜む根本問題についてつぎのような定式化をこころみている。
日本では、社交界というのはほとんど全く政府筋のものである。イギリスで田舎の名門といえば、官職を引き受けるのも引き受けないのもあるが、引き受けた場合にも、それですこしでも家門の名誉が増すわけではなく、それどころか逆に官位の方に箔が付くのであるが、そういった意味の名門に当たるものが日本には皆無である。(中略)
日本では皇室が事実上唯一つの名誉の源泉であり、一旦敗れた大義名分(コーズ)にはこの国では誰も味方に付き手がない。
(中略)皇室(というよりも皇室の名において行動する者なら誰でもいいのだが)は古い封建制の廃墟の上に新たな官僚制を築いたが・・・この官僚制こそ国家そのものでありまた社交界でもあって、いかなるライヴァルの存在をも始めから排除してしまうような、本来の意味での貴族制なのである。
・・・実際日本の社会では官界が圧倒的なエレメントであり、政府の援助なしには何一つできない。
アングロ=サクソンはこうした個人主義の欠如をもって、とかく弱さの源泉と断定しがちである。
しかしこうした見方にたいして、日本の驚異的勃興―日本が政府の指導下の奮励によってたった一世代の間にかちえた地位―はまさに抗し難い反証となる。
日本はプロシアのように中央集権化を通じて成功した。
その四千三百万の国民はあたかも一人の人間のようにうごくのである」。
無数の閉じた社会の障壁をとりはらったところに生まれたダイナミックな諸要素をまさに天皇制国家という一つの閉じた社会の集合的エネルギーに切りかえて行ったところに「万邦無比」の日本帝国が形成される歴史的秘密があった、チェンバレンのいう反証がはたして、またどこまで、反証でありえたかを、すでに私達はおびただしい犠牲と痛苦の体験を通じて知っている。
しかし、その体験から何をひき出すかはどこまでも「第三の開国」に直面している私達の自由な選択と行動の問題なのである。」
それにしても明六社の思想は十年代以後の自由民権論に比べて、政治的急進性において劣っていたものを、啓蒙主義本来の課題の方法的自覚において補っていたといっても必ずしも言い過ぎではない。
明六社のような非政治的な目的をもった自主的結社が、まさにその立地から政治を含めた時代の重要な課題に対して、普段に批判して行く伝統が根付くところに、はじめて政治主義か文化主義かといった二者択一の思考習慣が打破され、非政治的領域から発する政治的発言という近代市民の日常的モラルが育って行くことが期待される。
その意味では、この明六社が誕生わずか一年余りで讒謗律、新聞紙条例といった維新政府の言論弾圧によって解散しなければならなかったということは、近代日本における開いた社会の思考の発展にとって象徴的な出来事であった。
これ以後にもっとも活発に社会的に活動する自主的結社は、ほとんど政党のような純政治団体に極限されていかざるを得なかったのである。
けれども、政治団体が自主的集団を代表するところでは、国家と独立した社会の十全な発達は期待できない。
むしろ本来的に闘争集団であり権威性と凝集性を欠くことのできない政治団体にたいして、開いた社会への垂範的な役割を託するということ自体に内在的な無理があるというべきであろう。
政治と異なった次元(宗教・学問・芸術・教育等々)に立って組織的化される自主的結社の伝統が定着しないところでは、一切の社会的結社は構造の上でも機能の上でも、政治団体をモデルとしてそれに無限に近づこうとする傾向があるし、政党はまた政党で、もともと最大最強の政治団体としての政府の小型版にすぎない。
それだけにここでは一切の社会集団がレヴァイアサンとしての国家に併呑され吸収されやすいような磁場が形成されることとなる。
「交詢社」などの使命とした「社交」がその後たどった運命はどうであったか。
維新以来のもっとも著名な知日家の一人であるB・チェンバレンは、この国の自然の風景の素晴らしさと対蹠的に「社交」がおそろしく退屈(ダル)なことをのべ、「日本における善美なもののカタログをひろげれば随分沢山ある。
けれども諸君の教養ある魂が客間やコンサートホールのよろこびを憧れはじめたら、諸君はむしろ故国へ帰る切符を買った方がいい」(Things japanese, 6th rev. ed., 1901, 〔1st ed., 1890〕のなかの“Society”の項)と勧告しながら、そこに潜む根本問題についてつぎのような定式化をこころみている。
日本では、社交界というのはほとんど全く政府筋のものである。イギリスで田舎の名門といえば、官職を引き受けるのも引き受けないのもあるが、引き受けた場合にも、それですこしでも家門の名誉が増すわけではなく、それどころか逆に官位の方に箔が付くのであるが、そういった意味の名門に当たるものが日本には皆無である。(中略)
日本では皇室が事実上唯一つの名誉の源泉であり、一旦敗れた大義名分(コーズ)にはこの国では誰も味方に付き手がない。
(中略)皇室(というよりも皇室の名において行動する者なら誰でもいいのだが)は古い封建制の廃墟の上に新たな官僚制を築いたが・・・この官僚制こそ国家そのものでありまた社交界でもあって、いかなるライヴァルの存在をも始めから排除してしまうような、本来の意味での貴族制なのである。
・・・実際日本の社会では官界が圧倒的なエレメントであり、政府の援助なしには何一つできない。
アングロ=サクソンはこうした個人主義の欠如をもって、とかく弱さの源泉と断定しがちである。
しかしこうした見方にたいして、日本の驚異的勃興―日本が政府の指導下の奮励によってたった一世代の間にかちえた地位―はまさに抗し難い反証となる。
日本はプロシアのように中央集権化を通じて成功した。
その四千三百万の国民はあたかも一人の人間のようにうごくのである」。
無数の閉じた社会の障壁をとりはらったところに生まれたダイナミックな諸要素をまさに天皇制国家という一つの閉じた社会の集合的エネルギーに切りかえて行ったところに「万邦無比」の日本帝国が形成される歴史的秘密があった、チェンバレンのいう反証がはたして、またどこまで、反証でありえたかを、すでに私達はおびただしい犠牲と痛苦の体験を通じて知っている。
しかし、その体験から何をひき出すかはどこまでも「第三の開国」に直面している私達の自由な選択と行動の問題なのである。」
「忠誠と反逆」
ISBN-10: 4480083987
ISBN-13: 978-4480083982
ISBN-13: 978-4480083982
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