A「つい先日より若干求職活動が慌しくなり、今後しばらくはブログ記事の更新が断続的になると思います。」
B「はあ、何か動きが出てきましたか・・。
それは良かったですね、また何か新たな動きなどがありましたら御連絡ください。」
A「ええ、そうさせていただきます・・。
それでハナシは変わりますが、昨日Cさんから電話がありました。
電話の話題は特段大きなものではありませんでした。
また、Cさんからの電話は時折あるのですが、それが昨日(20160306)であるということがどうも面白かったのです・・(笑)。」
B「はああ、昨日Cさんから電話があったのですか、それは何だか面白い偶然ですね(笑)。
それでCさんはお元気そうでしたか?」
A「ええ、多少風邪気味とのことでしたが、話すのが辛いという感じは受けませんでした。
とはいえ、そういった偶然があるということは何だか面白いですね・・。
ああいったことは一体何故、生じるのでしょうか?」
B「・・そういった偶然の原因とはよくわかりませんが、心理学者のフロイトあるいはユングが「集合的無意識」といったことを述べていましたが、何かしらそういったことと関連があるのかもしれませんね・・。
また、本当にその「集合的無意識」といった概念?が存在、在るのならば、現在Aさんが書き続けているブログにも何かしら、それを構成する、あるいは刺激する要素となっているのかもしれませんね・・(笑)。
そして、それ故、ブログの記事などにあまりキワドイ、カゲキなことを書かない方がいいのかもしれません・・。
それに加えて、さきほどの集合的無意識と同様、それが実際に存在、在るかどうか分かりませんが、我が国に古くからある言霊(コトダマ)とは、現在のインターネットをはじめとする情報技術の進化発展に伴い、巷にコトバが氾濫するようになり、それが我々の精神、心の無意識に近い層に影響を与えるようになりますと、この言霊により、何かしら好ましからぬ現象が生じることがあるのではないかとも思います・・。
そして昔の日本人とは、言葉を軽々しく扱うことに対して畏怖の念を持っていたことから、コトバには言霊があるとして畏れ敬ってきたのではないかと思います・・。
その意味において、現在とは、完全にそういった意味での底が抜けた、調節するものの存在、権威がなくなり、何でも基本的に「言いたい放題」の状態になっているのではないかと思います・・(苦笑)。
とはいえ、言論の自由が侵されるのもまた問題ではありますが・・。
その意味ではハナシは言論だけの問題ではなくなったことが問題なのではないでしょうか?」
A「・・はあ、何だか多少普段のBさんらしからぬ迷信的な感じもしましたが、それでも「集合的無意識」と「言霊」を類似あるいは関連のあるものとして述べられたことは大変面白く、興味深いと思います。
多分、我々人間一般の精神、心の無意識の層には、コトバ、言語により形成、成立している概念、思想などは存在しないのではないかと思います・・。
そして、「集合的無意識」とは、文字通りこの層に属しているのではないかと思います・・。
また、そこからさらに通常の意識、顕在意識というのですかね?の層に近づくにつれて、徐々にコトバ、言語によって概念、思想などが形成、成立されるようになってきます・・。
そして「言霊」とはおそらく、この言語、コトバにより形成、成立される層において、原初に近い部分にて生じた概念、思想ではないかと思います・・。
そのように考えますと、無意識から意識にかけての我々一人一人の精神、心の構造とは、そのまま我々人類の文明の進化発展に対応しており、そうしたことをアタマのみならず心身で知るということが、本当の意味での歴史を知るということではないかと思うのです・・(笑)。
ああ、何だか今度は私の方が迷信じみたことをいってしまいました・・(苦笑)。
それでも、こうしたことは小林秀雄やコンラッドも述べていますから、まあ、迷信というには過分に普遍性があるのではないかと思います・・(笑)。」
B「我々の心、精神の中に人類の歴史そのもの歴史があるということですね・・。
たしかにそうした考えは私も理解できます。
しかし、現在の特に我が国の社会傾向を見てみますと、どうもそうしたことを考慮外に置いている、あるいはわざと無視しているのではないかと考えさせられることがあります・・。
我々日本人とは極端に此岸的、現世志向的であるとはよく聞きますが、その意味において、歴史とは極端に此岸的、現世志向的な学問であるはずなのですが、
一体何故このようになってしまうのでしょうか・・?」
A「ええ、仰ることは大変よくわかりますが、そうしたことも漸進的に進化、改良してゆく以外にないと思います・・。
また、私がブログにて主張する内容が正しいかどうか正直よくわかりませんが、それでも、私は自身のブログを通じ、そうした言説を発信し続けることには、何かしら意味があるのではないかと考えています・・(笑)。
また、そのようにたとえ断続的になっても、何らかの形で発信し続けることが大事であるのではないでしょうか・・?」
2016年3月7日月曜日
2016年3月6日日曜日
20160306 ブログの閲覧者数から・・
A「最近のBさんのブログの閲覧者数はどうなっていますか?」
B「ええ、お陰様であれから特に大きな変動もなく、大体1日300~500人程度で落ち着いています。とはいえ、やはり以前に比べて閲覧者数が増加したことから、記事を書く際に多少緊張しているのではないかと思います・・(苦笑)。それでも、どうにか記事を書き続けることが出来ているのは、このブログ記事の作成によって、何かしら心の安定を得ているからではないかと思います・・。また、その意味においては、やはり、さきほどの閲覧者がいらっしゃるということは、大きな励みにはなっているのですが・・。それに加えて、純粋にブログ記事の作成が楽しいといった側面もあり、今現在、こうした便利な発信形式が存在することはありがたいかぎりです(笑)。」
A「まあ何でもプラス、マイナスの側面があると思いますよ・・(笑)。ともあれ、最近のBさんのブログを読みますと、また考古学、古代史の資料、書籍へ興味の方向がスライドしているのですか?」
B「・・ええ、まあ何となくではありますが、最近はまた日本古代史関連の書籍が面白くなってきた感じがします。そして、こうした書籍が面白くなってきますと、今度はそれらに示されている遺跡、古墳などを実際に見たくなるのです・・(笑)。また、こうした自身の傾向を考えてみますと、どうも私は暖かくなってくると、遺跡、古墳などを見たくなる傾向、性質があるのかもしれません・・(笑)。これまでに遺跡、古墳を見聞した際に記した日記、撮影した写真などを見てみますと、面白いことに、それらは全て3月~10月に集中しているのです。そうしますと、このこととさきほどの読書傾向の変化とは、どうも連動しているのではないかと思うのです・・(笑)。」
B「ええ、お陰様であれから特に大きな変動もなく、大体1日300~500人程度で落ち着いています。とはいえ、やはり以前に比べて閲覧者数が増加したことから、記事を書く際に多少緊張しているのではないかと思います・・(苦笑)。それでも、どうにか記事を書き続けることが出来ているのは、このブログ記事の作成によって、何かしら心の安定を得ているからではないかと思います・・。また、その意味においては、やはり、さきほどの閲覧者がいらっしゃるということは、大きな励みにはなっているのですが・・。それに加えて、純粋にブログ記事の作成が楽しいといった側面もあり、今現在、こうした便利な発信形式が存在することはありがたいかぎりです(笑)。」
A「まあ何でもプラス、マイナスの側面があると思いますよ・・(笑)。ともあれ、最近のBさんのブログを読みますと、また考古学、古代史の資料、書籍へ興味の方向がスライドしているのですか?」
B「・・ええ、まあ何となくではありますが、最近はまた日本古代史関連の書籍が面白くなってきた感じがします。そして、こうした書籍が面白くなってきますと、今度はそれらに示されている遺跡、古墳などを実際に見たくなるのです・・(笑)。また、こうした自身の傾向を考えてみますと、どうも私は暖かくなってくると、遺跡、古墳などを見たくなる傾向、性質があるのかもしれません・・(笑)。これまでに遺跡、古墳を見聞した際に記した日記、撮影した写真などを見てみますと、面白いことに、それらは全て3月~10月に集中しているのです。そうしますと、このこととさきほどの読書傾向の変化とは、どうも連動しているのではないかと思うのです・・(笑)。」
A「ほう・・それはなかなか面白いですね(笑)。また、それで私が今、不図思い出したのは、アメリカでは個人が季節毎で所属する運動部、部活が異なるということが普通であるということです。これは、もしかしたらさきほどのBさんのハナシと関連、類似する要素があるかもしれませんね・・。」
B「ああ、そのことは私も以前どこかで聞いたことがあります。しかし、現在はわかりませんが、私が所属していた頃の運動部、部活とは、一般的な傾向として、そのような季節毎に所属が変わるということは難しかったように思います。また、こうしたことは、何も所属する運動部、部活に限らず、おそらく我が国のこれまでの労働環境、会社組織等にも何か関係、関連があるのかもしれません・・。しかし、そうであるからといって、日本も季節、年度毎に仕事を変えた方がいいというわけではありませんが・・。これはおそらく、そういった環境のさらに基層にある文化に何かしらの原因があるのではないかと思います・・。そして、そうしたことを理解、把握しないで、表層的に制度のみを変革することは、後になって何らかの反動、しっぺ返しがくる可能性が高いのではないかと思うことがあります・・。」
A「・・まあ、たしかに我が国の組織などに属する個人とは、一般的に強くその組織に組み込まれる傾向がありますからね・・。もしかしたら、それは定住型水稲耕作社会の特徴であるのかもしれません・・。そして、そうした組織とは、日常自転的な業務、行動を為す場合においては、確固、堅牢としたものなのでしょうが、何か未知の事態に遭遇し、それに対し的確に対応しなければならない必要性が生じると、何だか大変なことになってしまう傾向があるのではないかと思います・・。そうした具体例として19世紀の相次ぐ外国船の来航に対する徳川幕閣の内外への施策、対応、戦間期から太平洋戦争敗戦に至るまでの大日本帝国政府の施策、対応などが挙げられるのではないでしょうか?しかし、そうであるからといって、私もさきほどのアメリカの運動部、部活の制度が全面的にいいというわけではありませんが・・。ただ、大事なことは、様々な内外の歴史、文化の知見に基づいてキチンと考えてゆく姿勢ではないかと私は思います・・。その意味において、現在の様々な勉強ブームとは、どうも皮相的に見えてしまい、どうもコトバばかりが躍っているように思えてしまうことが多くあります・・。とはいえ、そうしたこともまた大事であるのかもしれませんが、我が国においては、何でもビジネス、仕事のタネになればそれでいいと思い、またその後、それのみに焦点を合わせてゆくような傾向があるのではないかと思います。また、こうしたことは、何も我が国の歴史、文化を専門に学ばなくとも、ある程度の知見を積めば、そうした傾向は見えてくるのではないかと思うのですが・・。また、おそらくそうしたことは、昨今のインターネットをはじめとする情報技術の進化発展に伴い、我々日本人よりも海外の我が国について調査、研究している組織、人々の方が好悪の感情に振り回されることなく、冷静沈着に見て、判断しているのではないかと思います・・。そして、そういった意味において、我々日本人は、国際的な意味での優等生病にならず、様々な歴史、文化についての知見を能動的、自発的に広めた方がいいと思うのですが・・。また、もちろん、さきほどの情報技術の進化発展により、我が国も大きく影響を受けており、それにより、特に若年層において、既存の帰属組織への組み込まれの程度が弱くなってきているのではないかと思います。そして、そういったことに対して、基本的に、国家、公権力は介入出来ません。それ故、我々は個人として、否応なく、こうした状況の現代社会に対して適切に対応することが必然的に求められてしまうのではないでしょうか?また、こうしたことは、テレビなどにおける言説、様々な雑誌の見出し、そして書籍などの宣伝広告といった表層的、皮相的な言語のさらに下、基層にある層の変化、進化のようなものが必要なのではないでしょうか?しかし、そうであるからといって、そうした変化、進化を促す要素として外圧があるというような意見に対しては、感情レベルではありますが、どうも承服しかねるのです・・(苦笑)。」
B「・・ええ、仰ることは大体理解できます。しかしまた、こうした議論も福沢諭吉の「文明論之概略」あるいは夏目漱石の「現代日本の開化」などの時代から、あまり変化していないように思います。そのように考えると、現在のこの勉強ブームには、一体どのようなオチがあるのかは多少気になるところです・・。ただ、こうした勉強ブームといったものには、過緊張の傾向があるように思います。そして過緊張にはおそらく反動のようなものがあると思いますので、それがどのような形であらわれるのかもまた、同様に気になるところです・・。しかし、何れにせよ、歴史、文化を蔑ろにしたり、何かのリアクションとして、あるいは機会主義的に価値あるもののように扱うことは、長い目で見るとかなり危険なことなのではないかと思います。また、これは自分に対する戒めでもあります・・(苦笑)。」
一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。
B「ああ、そのことは私も以前どこかで聞いたことがあります。しかし、現在はわかりませんが、私が所属していた頃の運動部、部活とは、一般的な傾向として、そのような季節毎に所属が変わるということは難しかったように思います。また、こうしたことは、何も所属する運動部、部活に限らず、おそらく我が国のこれまでの労働環境、会社組織等にも何か関係、関連があるのかもしれません・・。しかし、そうであるからといって、日本も季節、年度毎に仕事を変えた方がいいというわけではありませんが・・。これはおそらく、そういった環境のさらに基層にある文化に何かしらの原因があるのではないかと思います・・。そして、そうしたことを理解、把握しないで、表層的に制度のみを変革することは、後になって何らかの反動、しっぺ返しがくる可能性が高いのではないかと思うことがあります・・。」
A「・・まあ、たしかに我が国の組織などに属する個人とは、一般的に強くその組織に組み込まれる傾向がありますからね・・。もしかしたら、それは定住型水稲耕作社会の特徴であるのかもしれません・・。そして、そうした組織とは、日常自転的な業務、行動を為す場合においては、確固、堅牢としたものなのでしょうが、何か未知の事態に遭遇し、それに対し的確に対応しなければならない必要性が生じると、何だか大変なことになってしまう傾向があるのではないかと思います・・。そうした具体例として19世紀の相次ぐ外国船の来航に対する徳川幕閣の内外への施策、対応、戦間期から太平洋戦争敗戦に至るまでの大日本帝国政府の施策、対応などが挙げられるのではないでしょうか?しかし、そうであるからといって、私もさきほどのアメリカの運動部、部活の制度が全面的にいいというわけではありませんが・・。ただ、大事なことは、様々な内外の歴史、文化の知見に基づいてキチンと考えてゆく姿勢ではないかと私は思います・・。その意味において、現在の様々な勉強ブームとは、どうも皮相的に見えてしまい、どうもコトバばかりが躍っているように思えてしまうことが多くあります・・。とはいえ、そうしたこともまた大事であるのかもしれませんが、我が国においては、何でもビジネス、仕事のタネになればそれでいいと思い、またその後、それのみに焦点を合わせてゆくような傾向があるのではないかと思います。また、こうしたことは、何も我が国の歴史、文化を専門に学ばなくとも、ある程度の知見を積めば、そうした傾向は見えてくるのではないかと思うのですが・・。また、おそらくそうしたことは、昨今のインターネットをはじめとする情報技術の進化発展に伴い、我々日本人よりも海外の我が国について調査、研究している組織、人々の方が好悪の感情に振り回されることなく、冷静沈着に見て、判断しているのではないかと思います・・。そして、そういった意味において、我々日本人は、国際的な意味での優等生病にならず、様々な歴史、文化についての知見を能動的、自発的に広めた方がいいと思うのですが・・。また、もちろん、さきほどの情報技術の進化発展により、我が国も大きく影響を受けており、それにより、特に若年層において、既存の帰属組織への組み込まれの程度が弱くなってきているのではないかと思います。そして、そういったことに対して、基本的に、国家、公権力は介入出来ません。それ故、我々は個人として、否応なく、こうした状況の現代社会に対して適切に対応することが必然的に求められてしまうのではないでしょうか?また、こうしたことは、テレビなどにおける言説、様々な雑誌の見出し、そして書籍などの宣伝広告といった表層的、皮相的な言語のさらに下、基層にある層の変化、進化のようなものが必要なのではないでしょうか?しかし、そうであるからといって、そうした変化、進化を促す要素として外圧があるというような意見に対しては、感情レベルではありますが、どうも承服しかねるのです・・(苦笑)。」
B「・・ええ、仰ることは大体理解できます。しかしまた、こうした議論も福沢諭吉の「文明論之概略」あるいは夏目漱石の「現代日本の開化」などの時代から、あまり変化していないように思います。そのように考えると、現在のこの勉強ブームには、一体どのようなオチがあるのかは多少気になるところです・・。ただ、こうした勉強ブームといったものには、過緊張の傾向があるように思います。そして過緊張にはおそらく反動のようなものがあると思いますので、それがどのような形であらわれるのかもまた、同様に気になるところです・・。しかし、何れにせよ、歴史、文化を蔑ろにしたり、何かのリアクションとして、あるいは機会主義的に価値あるもののように扱うことは、長い目で見るとかなり危険なことなのではないかと思います。また、これは自分に対する戒めでもあります・・(苦笑)。」
一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。
2016年3月5日土曜日
20160305 主に古墳についての雑談
A「最近はまた、思想系の書籍に代わり日本古代史、考古学関連の書籍が面白くなってきました。
そして、考えてみますと、この考古学、日本古代史に対する興味とは、関東在住時には無く、南紀在住時の休日に周囲を散策するようになってから、自然と生じていったものです。
また、こうした興味と同時に「私は自分の国の古代に関して何も知らない・・。」ということに気が付き、その関連資料、書籍等を読むようになりました。
それでもなかなかこうしたことは、そう簡単に分かるようになるものではなく、また同時に、多少分かるようになったからといって、何か得をするというわけでもありません・・。
しかし、自分が住むことになった地域、場所において自然に生じた知的好奇心とは、やはり何かしら意味があるのではないかと思います。
そして、何となく現在までどうにか継続してきた次第です・・。」
B「・・はあ、なるほど、そうですか。
それで結局、Aさんはまた和歌山に戻ることになったのですか?」
A「ええ、そうです。
そして、そのことを今考えてみますと、それが私の人生における一つの大きな分水嶺であったのではないかと思います・・。
とはいえ、以前にもブログにて記しましたが、私はかねてより文系の院に行くことを望んでおりましたので、ここで大きな意味を持つことは、それまでの自身のアイデンティティーがある首都圏の大学院、そしてヨーロッパ文化専攻に進まずに関西、西日本の大学院、そして地域学という分野に進んだことであると考えます。
また、そこでの様々な経験による自身の内部に生じた変化とは不可逆的なものであり、その後に進んだ歯科技工学校から鹿児島の院に進んだことも、いってみれば、そうした変化に沿う自然なものあったのではないかと思います・・。」
B「うーんAさんはこれまでに北は北海道から南は鹿児島まで色々な場所に住んできましたが、次は一体どこに行くつもりなのでしょうか・・(笑)?」
A「・・ええ、それが分かれば本当に苦労はありません・・(苦笑)。
しかし、何処であれ、また古墳などの遺跡が多い地域、場所がいいですね・・。
南紀、和歌山の場合、住んでいた場所から徒歩五分程度で古墳がありましたので、また、そうした環境が考古学、古代史の面白さを私に教えてくれたと思いますので、次に住む場所も願わくは、そういった場所がいいですね・・(笑)。」
B「そういえば、Aさんが和歌山在住時に私が訪ねた際、そうした場所に案内していただきましたね(笑)。」
A「ええ、先程の近場の古墳に関しては近すぎて御案内しておりませんが、県内の代表的なものや、興味深いと思った古墳、遺跡には御案内したと思います。
また、南紀の興味深い古墳といえば、私のgoogle+のページの下段に西牟婁郡すさみ町にある「上ミ山古墳」で撮影した写真が掲載されていますが、ここはBさんを御案内したと思います。
この「上ミ山古墳」とは、和歌山県内に現存する古墳の最南端であり、同時に本州最南端に位置する古墳でもあります。
また、その立地は、海に突き出た半島状にあり、こうした古墳立地の類例は西牟婁郡白浜町の「火雨塚古墳」、日高郡みなべ町の「小目津古墳」あるいは御坊市の尾ノ崎遺跡も前に挙げた古墳の始祖的な存在であるのかもしれません・・。
また、この「上ミ山古墳」の興味深いところは、南紀に立地しながらも、その古墳造営様式が遠く九州の福岡南部、熊本北部において多く見られるそれに類似していることなのです。
そして、その類似している点とは、古墳玄室の天井がドーム状になっていることに加え、玄室の遺体を葬る区域を仕切る板石(石障)があることです。
さらに何かしら玄室内に装飾が為されていれば、決定的であるのですが、それは見られなかったようです・・。
とはいえ、この「上ミ山古墳」の造営様式とは、同時期に県北部の紀ノ川下流部南岸に盛んに造営された「岩橋千塚」に多く見られる特徴的な造営様式とは明らかに異なり、そのことから両地域における葬送文化を含む背景文化全般が大きく異なっていたのではないかと考えさせられます・・。
また、前に出ました白浜町の「火雨塚古墳」には玄室内に組み合わせ式の石棺が設置されているのですが、この石棺の蓋部裏に文字(たしか大粒部)が刻まれているということなのですが、こうしたことは県内外を含めて類例が少なく、大変興味深いと思うのですが、あまり知られていないと思います・・。
ちなみに、この古墳も同じ機会に御案内したと思いますが、白浜の白良浜近くの半島いわゆる権現崎にある熊野三所権現神社の境内に立地しています。
また現存はしないのですが、北隣の田辺市にある平家物語にも登場する闘鶏神社のごく近くにも数基の古墳があったということなのですが、これもその立地などを考えてみますと、熊野三所権現神社の「火雨塚古墳」と類似しているのではないかと思います・・。
そして、こうしたことの背景には何かしら共通する葬送観念、生活文化が存在するのではないかと考えることがあります・・。」
A「・・はああ、なるほど、南紀の方には海に突き出た半島に古墳を造営するような傾向があるのですね・・。
もしかしたら、それらの古墳に葬られた方々は、在地、土着の海に関係する部族を統率する方々であったのかもしれませんね・・。」
B「・・ええ、たしかにそうである可能性は高いと思います。
しかしそれとほぼ同時代に、それらとは別の造営様式の墳墓が海岸部に築かれているのです(磯間岩陰遺跡)。
そして、そうした墳墓に葬られた方々も海に関係する部族の統率者であると考えられているのです・・。
それ故、もしかすると一言で海に関連する部族といっても色々とあったのかもしれません・・。
こうしたことも今後考えてゆくと、また面白いかもしれません・・。」
一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。
そして、考えてみますと、この考古学、日本古代史に対する興味とは、関東在住時には無く、南紀在住時の休日に周囲を散策するようになってから、自然と生じていったものです。
また、こうした興味と同時に「私は自分の国の古代に関して何も知らない・・。」ということに気が付き、その関連資料、書籍等を読むようになりました。
それでもなかなかこうしたことは、そう簡単に分かるようになるものではなく、また同時に、多少分かるようになったからといって、何か得をするというわけでもありません・・。
しかし、自分が住むことになった地域、場所において自然に生じた知的好奇心とは、やはり何かしら意味があるのではないかと思います。
そして、何となく現在までどうにか継続してきた次第です・・。」
B「・・はあ、なるほど、そうですか。
それで結局、Aさんはまた和歌山に戻ることになったのですか?」
A「ええ、そうです。
そして、そのことを今考えてみますと、それが私の人生における一つの大きな分水嶺であったのではないかと思います・・。
とはいえ、以前にもブログにて記しましたが、私はかねてより文系の院に行くことを望んでおりましたので、ここで大きな意味を持つことは、それまでの自身のアイデンティティーがある首都圏の大学院、そしてヨーロッパ文化専攻に進まずに関西、西日本の大学院、そして地域学という分野に進んだことであると考えます。
また、そこでの様々な経験による自身の内部に生じた変化とは不可逆的なものであり、その後に進んだ歯科技工学校から鹿児島の院に進んだことも、いってみれば、そうした変化に沿う自然なものあったのではないかと思います・・。」
B「うーんAさんはこれまでに北は北海道から南は鹿児島まで色々な場所に住んできましたが、次は一体どこに行くつもりなのでしょうか・・(笑)?」
A「・・ええ、それが分かれば本当に苦労はありません・・(苦笑)。
しかし、何処であれ、また古墳などの遺跡が多い地域、場所がいいですね・・。
南紀、和歌山の場合、住んでいた場所から徒歩五分程度で古墳がありましたので、また、そうした環境が考古学、古代史の面白さを私に教えてくれたと思いますので、次に住む場所も願わくは、そういった場所がいいですね・・(笑)。」
B「そういえば、Aさんが和歌山在住時に私が訪ねた際、そうした場所に案内していただきましたね(笑)。」
A「ええ、先程の近場の古墳に関しては近すぎて御案内しておりませんが、県内の代表的なものや、興味深いと思った古墳、遺跡には御案内したと思います。
また、南紀の興味深い古墳といえば、私のgoogle+のページの下段に西牟婁郡すさみ町にある「上ミ山古墳」で撮影した写真が掲載されていますが、ここはBさんを御案内したと思います。
この「上ミ山古墳」とは、和歌山県内に現存する古墳の最南端であり、同時に本州最南端に位置する古墳でもあります。
また、その立地は、海に突き出た半島状にあり、こうした古墳立地の類例は西牟婁郡白浜町の「火雨塚古墳」、日高郡みなべ町の「小目津古墳」あるいは御坊市の尾ノ崎遺跡も前に挙げた古墳の始祖的な存在であるのかもしれません・・。
また、この「上ミ山古墳」の興味深いところは、南紀に立地しながらも、その古墳造営様式が遠く九州の福岡南部、熊本北部において多く見られるそれに類似していることなのです。
そして、その類似している点とは、古墳玄室の天井がドーム状になっていることに加え、玄室の遺体を葬る区域を仕切る板石(石障)があることです。
さらに何かしら玄室内に装飾が為されていれば、決定的であるのですが、それは見られなかったようです・・。
とはいえ、この「上ミ山古墳」の造営様式とは、同時期に県北部の紀ノ川下流部南岸に盛んに造営された「岩橋千塚」に多く見られる特徴的な造営様式とは明らかに異なり、そのことから両地域における葬送文化を含む背景文化全般が大きく異なっていたのではないかと考えさせられます・・。
また、前に出ました白浜町の「火雨塚古墳」には玄室内に組み合わせ式の石棺が設置されているのですが、この石棺の蓋部裏に文字(たしか大粒部)が刻まれているということなのですが、こうしたことは県内外を含めて類例が少なく、大変興味深いと思うのですが、あまり知られていないと思います・・。
ちなみに、この古墳も同じ機会に御案内したと思いますが、白浜の白良浜近くの半島いわゆる権現崎にある熊野三所権現神社の境内に立地しています。
また現存はしないのですが、北隣の田辺市にある平家物語にも登場する闘鶏神社のごく近くにも数基の古墳があったということなのですが、これもその立地などを考えてみますと、熊野三所権現神社の「火雨塚古墳」と類似しているのではないかと思います・・。
そして、こうしたことの背景には何かしら共通する葬送観念、生活文化が存在するのではないかと考えることがあります・・。」
A「・・はああ、なるほど、南紀の方には海に突き出た半島に古墳を造営するような傾向があるのですね・・。
もしかしたら、それらの古墳に葬られた方々は、在地、土着の海に関係する部族を統率する方々であったのかもしれませんね・・。」
B「・・ええ、たしかにそうである可能性は高いと思います。
しかしそれとほぼ同時代に、それらとは別の造営様式の墳墓が海岸部に築かれているのです(磯間岩陰遺跡)。
そして、そうした墳墓に葬られた方々も海に関係する部族の統率者であると考えられているのです・・。
それ故、もしかすると一言で海に関連する部族といっても色々とあったのかもしれません・・。
こうしたことも今後考えてゆくと、また面白いかもしれません・・。」
皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。
2016年3月4日金曜日
20160304 幕末についての雑談
A「最近少し暖かくなってきましたが、色々と調子はどうですか?」
B「ええ、こちらは相変わらず色々と動いておりますが、まだこれといったお知らせできるようなことはありません。
また、何かありましたらお知らせします。
それはそうと昨日は桃の節句でした。
私は御存知の通り男三人兄弟の真中ですので、これまで桃の節句にはとんと縁がなかったのですが、つい最近、姪が生まれましたので、このことに関しては多少状況が変わったようです・・(笑)。
また、それと同時に桃の節句の3月3日といえば、どうも似つかわしくないかもしれませんが「桜田門外の変」の日でもありますね。
A「・・はあ、Bさんに姪ができたのですか、それはおめでたいですね。
また「桜田門外の変」に関しては、昨今の状況から色々と評価が分かれるのではないかと思います。
また、この事件は数年前にもたしか映画化されていませんでしたか?
あとは司馬遼太郎の「幕末」という題名の短編集にて唯一の薩摩藩出身の事件参加者である有村治佐衛門のことを扱った作品があったと思います。
加えて、手塚治虫の長編マンガ「陽だまりの樹」にも、この有村治佐衛門が出ていたと思います・・。」
B「ああ、それらに関しては私も大体知っていると思います。
たしか司馬遼太郎著の短編集「幕末」は、主に幕末期に行われた様々な暗殺を題材にしていたと思います。
そして「桜田門外の変」以外においては、土佐藩参政であった吉田東洋の暗殺を描いた「土佐の夜雨」また、出羽出身の浪士で当時のフィクサーともいえる存在であり、剣の使い手でもあった清河八郎の暗殺を描いた「奇妙なり八郎」なども収録されていたのではないかと思います。
ちなみにこの「奇妙なり八郎」の暗殺場面は、萩原健一が見廻組隊士(与頭)佐々木只三郎を演じた映画「竜馬を斬った男」の冒頭近くにありましたが、あれはなかなか真に迫っていて怖かったです・・。
とはいえ、この「竜馬を斬った男」に代表されるような当時(20世紀末)の時代ものの映画とは、現在のそれに比べてどうも隔世の感があります・・(笑)。
私個人としては、かつての時代ものの映画の方が何もかもが重厚な感じがするのですが、一体何が違うのでしょうかね・・?」
A「うーん、たしかに昔の時代ものの映画の方が、映し出されている風景、光景などが、その舞台となった時代に入り込み易いような感じはありますね・・。
また、さきほどの吉田東洋暗殺に関してはアニメ化されたマンガ「おーい竜馬」においても描かれていたと思いますが、あのマンガでは多少脚色が加えられていたと思います・・。
そして、史実の方はおそらく「土佐の夜雨」に描かれているのに近いのではないでしょうか?
また、そのことは田中顕助(光顕)の「維新風雲回顧録」にも書かれていたと思いますが・・。
その中で吉田東洋暗殺を行ったのは、さきほどの田中光顕(顕助)の叔父である那須信吾に加え、安岡嘉助、大石団蔵の三人の土佐郷士と書かれていますが、このうち那須信吾、安岡嘉助は後に土佐勤皇党の盟友である吉村寅太郎等と1863年(文久三年)に天誅組の変を起こし、代官所、高取藩の城などを攻めましたが、幕府側により鎮圧され、その折に戦死、あるいはその後に獄死しました・・。」
B「ええ、田中光顕の「維新風雲回顧録」はたしか巻頭言を司馬遼太郎が書いていたのではないかと思います。
また、私もこの著作は以前読みました。
そして、そこでは書かれていなかったと思うのですが、この那須信吾、安岡嘉助以外の大石団蔵は後に薩摩藩士となり、イギリス留学をして維新後まで生き長らえました。
薩摩藩士となった大石団蔵は、名前を高見弥一と改め、その名前により現在鹿児島中央駅前広場の市電乗り場近くにある「若き薩摩の群像」という幕末期の薩摩藩からイギリスへの留学生達をモデルとした銅像の傍らにその写真が掲示されております。
どうやら薩摩藩出身ではないことから高見弥一こと大石団蔵は銅像のモデルにはならなかったようです・・。
また、この中の一人は最近テレビドラマで有名になりました五代友厚もいます。
加えて、この薩摩藩からの留学生達は映画「長州ファイブ」の中においても出てきておりますので、その中の一人が高見弥一こと大石団蔵であることは、何だか面白いですね・・。」
A「はあ、それは知りませんでした・・。
吉田東洋暗殺の三人のうちの一人は随分と数奇な人生を歩んだのですね・・。
「事実は小説よりも奇なり」を地で行くようなハナシですね。
また維新後の彼は一体どのような人生を歩んだのかは多少興味がありますが、
もしかしたら西南戦争では西郷側で戦ったのではないですか?」
B「いえ、そこまではわかりませんが、ただ彼は維新後にかつて属していた土佐勤皇党の同志、盟友達とは連絡を取り、会わなかったのでしょうか・・?
こういったことは、もしかすると誰かが既に研究されているかもしれませんが、ともあれ、何かしらむつかしい事情もまたあったのではないかとも思います・・。」
一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
B「ええ、こちらは相変わらず色々と動いておりますが、まだこれといったお知らせできるようなことはありません。
また、何かありましたらお知らせします。
それはそうと昨日は桃の節句でした。
私は御存知の通り男三人兄弟の真中ですので、これまで桃の節句にはとんと縁がなかったのですが、つい最近、姪が生まれましたので、このことに関しては多少状況が変わったようです・・(笑)。
また、それと同時に桃の節句の3月3日といえば、どうも似つかわしくないかもしれませんが「桜田門外の変」の日でもありますね。
A「・・はあ、Bさんに姪ができたのですか、それはおめでたいですね。
また「桜田門外の変」に関しては、昨今の状況から色々と評価が分かれるのではないかと思います。
また、この事件は数年前にもたしか映画化されていませんでしたか?
あとは司馬遼太郎の「幕末」という題名の短編集にて唯一の薩摩藩出身の事件参加者である有村治佐衛門のことを扱った作品があったと思います。
加えて、手塚治虫の長編マンガ「陽だまりの樹」にも、この有村治佐衛門が出ていたと思います・・。」
B「ああ、それらに関しては私も大体知っていると思います。
たしか司馬遼太郎著の短編集「幕末」は、主に幕末期に行われた様々な暗殺を題材にしていたと思います。
そして「桜田門外の変」以外においては、土佐藩参政であった吉田東洋の暗殺を描いた「土佐の夜雨」また、出羽出身の浪士で当時のフィクサーともいえる存在であり、剣の使い手でもあった清河八郎の暗殺を描いた「奇妙なり八郎」なども収録されていたのではないかと思います。
ちなみにこの「奇妙なり八郎」の暗殺場面は、萩原健一が見廻組隊士(与頭)佐々木只三郎を演じた映画「竜馬を斬った男」の冒頭近くにありましたが、あれはなかなか真に迫っていて怖かったです・・。
とはいえ、この「竜馬を斬った男」に代表されるような当時(20世紀末)の時代ものの映画とは、現在のそれに比べてどうも隔世の感があります・・(笑)。
私個人としては、かつての時代ものの映画の方が何もかもが重厚な感じがするのですが、一体何が違うのでしょうかね・・?」
A「うーん、たしかに昔の時代ものの映画の方が、映し出されている風景、光景などが、その舞台となった時代に入り込み易いような感じはありますね・・。
また、さきほどの吉田東洋暗殺に関してはアニメ化されたマンガ「おーい竜馬」においても描かれていたと思いますが、あのマンガでは多少脚色が加えられていたと思います・・。
そして、史実の方はおそらく「土佐の夜雨」に描かれているのに近いのではないでしょうか?
また、そのことは田中顕助(光顕)の「維新風雲回顧録」にも書かれていたと思いますが・・。
その中で吉田東洋暗殺を行ったのは、さきほどの田中光顕(顕助)の叔父である那須信吾に加え、安岡嘉助、大石団蔵の三人の土佐郷士と書かれていますが、このうち那須信吾、安岡嘉助は後に土佐勤皇党の盟友である吉村寅太郎等と1863年(文久三年)に天誅組の変を起こし、代官所、高取藩の城などを攻めましたが、幕府側により鎮圧され、その折に戦死、あるいはその後に獄死しました・・。」
B「ええ、田中光顕の「維新風雲回顧録」はたしか巻頭言を司馬遼太郎が書いていたのではないかと思います。
また、私もこの著作は以前読みました。
そして、そこでは書かれていなかったと思うのですが、この那須信吾、安岡嘉助以外の大石団蔵は後に薩摩藩士となり、イギリス留学をして維新後まで生き長らえました。
薩摩藩士となった大石団蔵は、名前を高見弥一と改め、その名前により現在鹿児島中央駅前広場の市電乗り場近くにある「若き薩摩の群像」という幕末期の薩摩藩からイギリスへの留学生達をモデルとした銅像の傍らにその写真が掲示されております。
どうやら薩摩藩出身ではないことから高見弥一こと大石団蔵は銅像のモデルにはならなかったようです・・。
また、この中の一人は最近テレビドラマで有名になりました五代友厚もいます。
加えて、この薩摩藩からの留学生達は映画「長州ファイブ」の中においても出てきておりますので、その中の一人が高見弥一こと大石団蔵であることは、何だか面白いですね・・。」
A「はあ、それは知りませんでした・・。
吉田東洋暗殺の三人のうちの一人は随分と数奇な人生を歩んだのですね・・。
「事実は小説よりも奇なり」を地で行くようなハナシですね。
また維新後の彼は一体どのような人生を歩んだのかは多少興味がありますが、
もしかしたら西南戦争では西郷側で戦ったのではないですか?」
B「いえ、そこまではわかりませんが、ただ彼は維新後にかつて属していた土佐勤皇党の同志、盟友達とは連絡を取り、会わなかったのでしょうか・・?
こういったことは、もしかすると誰かが既に研究されているかもしれませんが、ともあれ、何かしらむつかしい事情もまたあったのではないかとも思います・・。」
一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
2016年3月3日木曜日
20160303 一芸に達するものは六芸に通じる・・?
A「どうも先日の風邪の影響からか、ここ最近思想系の書籍を読むのが億劫になってきました・・。
これはもしかしたら季節の変化などと関係あるのかもしれません(笑)。
また、そのように考えてみますと、これまでにもそうしたことは何度も起きていたのかもしれません・・。
そして、その結果として、あるいはそのようにして、私は様々な時代、地域の歴史等そして歯科系の学問をしてきたのかもしれません・・(苦笑)。
また、そこから考えてみますと、ある一つの学問分野をある程度勉強して何かしら体系らしきものを理解、体得すると、それは他の学問分野においても応用を利かすことが出来るようになるのではないかと思います。
その意味において、私などはおそらくまだまだ未熟であると思いますが、それでも興味を持ち続けることが出来る学問分野がいくつかあるということは、まあ、あながち悪いことではないのと思います。
それに加えて、人間とは自然なかたちで学問を続けておりますと、大体そのような感じになるのではないでしょうか・・?」
B「・・まあ、私も自身の表看板の専門分野とは別にそういったものがありますので、今のAさんの意見はよくわかります・・。
また、たしか昔の中国の諺で「一芸に達するものは六芸に通じる」などともいいますので、とりあえず何か自身の専門といえる分野について、その体系を理解、把握すると、それは他のことにも応用できるようになるのではないかと思います。」
A「はあ、そんな諺があるのですね・・。
しかし現在の我々の社会とは、どちらかというと、そうした個人の技能、社会的役割を一つに集約したがっているのではないかと思うことがあります・・。
また、その六芸に通じた人物として、私はレオナルド・ダ・ヴィンチ、平賀源内、南方熊楠、金関丈夫などを想起します。
そのなかで、特に南方熊楠に関しては南紀、和歌山在住時に何度か田辺市内にある菩提寺に墓参したことがあります・・。
ちなみに、この同じ寺のすぐ近くの場所に、合気道の創始者である植芝盛平のお墓があることには少し驚きました。
加えて、この寺の境内から縄文時代早期(紀元前6000年頃)の貝塚が見つかり、そこで出土した土器の形式(尖頭、楕円文様、厚手)がこの時代のメルクマール、標識土器となっています。
そのように、和歌山県でも市内でなく、南紀に属する田辺市というあまり有名とはいえない場所にこうした不思議といえば不思議な偶然が重なっていることがどうも面白いのです(笑)。
また、ここまで話しておりますと、はじめてこのお寺に行った時のことを思い出しました・・。
あれはたしか初夏であり、セミの鳴き声が聞こえておりましたが、周囲の木々、緑のお陰で境内は少し涼しく感じました・・。
そして、そのことが周囲の自然環境、土壌を含めた植生の薫りをより強く感じさせました。
しかしながら、こうしたことは南紀、和歌山在住時は常にそうした環境の中におりましたので、知らず知らずのうちに、何かしら脳内いや精神に変化が生じたのではないかと思います・・。
それが良いものであるのか、そうでないのかは別として。
それでも私は今でも南紀、和歌山のあの濃厚な自然環境の薫りはキライではないです・・(笑)。」
B「・・なるほど、それもまたAさんらしくコンラッドの「闇の奥」を彷彿とさせるような話ですね(笑)。
しかし、それよりも南方熊楠と植芝盛平の墓所が同じお寺にあることは少し驚きましたね・・。
・・ああ、それでもたしかこの二人が一緒に出て来る小説がありましたね。
津本陽の「黄金の天馬」でしたか?
この小説はたしかAさんが和歌山在住時に私が大阪に行く所用と休日が重なったため、和歌山に足を延ばした頃に読んだのではないかと思います・・。」
A「ええ、その小説でしたら私も和歌山在住時に読みました。
また、丁度その頃に読んだのでしたら、私にいってくだされば、菩提寺を御案内したのですが・・。
また、あちらの神社仏閣の多くは普通に存在しているようでありながら、なかなか深い歴史的背景を持っているのです・・。
こうした感覚とは多分関東、特に首都圏のそれらと大きな断層があるのではないかと思います・・。
そして、それに関連すると思うのですが、以前私のブログにおいて抜粋しました道成寺境内にて出土した近畿式の大型銅鐸についての記述、みなべ町の須賀神社のかつての社叢域内から同様形式の銅鐸が出土していることは、地域の歴史を考える上において何かしら深い意味があるのではないかと思います・・。
また、こうしたことはおそらく何も和歌山県に限ったことではないと思います。
しかし、こうした偶然らしきものを何度か自身が再発見、認識するようになりますと、少なくともその地域における歴史を貫通する何かがあるのではないかと考えるようになるのです・・。
そして私の場合、そうした時期にこれも偶然にコンラッドの「闇の奥」に出会ったこともまたどうも不思議に思うのです(笑)。」
B「・・なるほどねえ・・。
帰納法による様々な事柄の積み重ね、統合によって見えるものはやはり不思議なものなのだろうね・・。
しかし、そうした一般的に考えれば面倒な方法とは、現在どうも廃れつつあるようですね・・。
私はそれでは、どうもいけないような気がするのですが・・(苦笑)。」
「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。」
これはもしかしたら季節の変化などと関係あるのかもしれません(笑)。
また、そのように考えてみますと、これまでにもそうしたことは何度も起きていたのかもしれません・・。
そして、その結果として、あるいはそのようにして、私は様々な時代、地域の歴史等そして歯科系の学問をしてきたのかもしれません・・(苦笑)。
また、そこから考えてみますと、ある一つの学問分野をある程度勉強して何かしら体系らしきものを理解、体得すると、それは他の学問分野においても応用を利かすことが出来るようになるのではないかと思います。
その意味において、私などはおそらくまだまだ未熟であると思いますが、それでも興味を持ち続けることが出来る学問分野がいくつかあるということは、まあ、あながち悪いことではないのと思います。
それに加えて、人間とは自然なかたちで学問を続けておりますと、大体そのような感じになるのではないでしょうか・・?」
B「・・まあ、私も自身の表看板の専門分野とは別にそういったものがありますので、今のAさんの意見はよくわかります・・。
また、たしか昔の中国の諺で「一芸に達するものは六芸に通じる」などともいいますので、とりあえず何か自身の専門といえる分野について、その体系を理解、把握すると、それは他のことにも応用できるようになるのではないかと思います。」
A「はあ、そんな諺があるのですね・・。
しかし現在の我々の社会とは、どちらかというと、そうした個人の技能、社会的役割を一つに集約したがっているのではないかと思うことがあります・・。
また、その六芸に通じた人物として、私はレオナルド・ダ・ヴィンチ、平賀源内、南方熊楠、金関丈夫などを想起します。
そのなかで、特に南方熊楠に関しては南紀、和歌山在住時に何度か田辺市内にある菩提寺に墓参したことがあります・・。
ちなみに、この同じ寺のすぐ近くの場所に、合気道の創始者である植芝盛平のお墓があることには少し驚きました。
加えて、この寺の境内から縄文時代早期(紀元前6000年頃)の貝塚が見つかり、そこで出土した土器の形式(尖頭、楕円文様、厚手)がこの時代のメルクマール、標識土器となっています。
そのように、和歌山県でも市内でなく、南紀に属する田辺市というあまり有名とはいえない場所にこうした不思議といえば不思議な偶然が重なっていることがどうも面白いのです(笑)。
また、ここまで話しておりますと、はじめてこのお寺に行った時のことを思い出しました・・。
あれはたしか初夏であり、セミの鳴き声が聞こえておりましたが、周囲の木々、緑のお陰で境内は少し涼しく感じました・・。
そして、そのことが周囲の自然環境、土壌を含めた植生の薫りをより強く感じさせました。
しかしながら、こうしたことは南紀、和歌山在住時は常にそうした環境の中におりましたので、知らず知らずのうちに、何かしら脳内いや精神に変化が生じたのではないかと思います・・。
それが良いものであるのか、そうでないのかは別として。
それでも私は今でも南紀、和歌山のあの濃厚な自然環境の薫りはキライではないです・・(笑)。」
B「・・なるほど、それもまたAさんらしくコンラッドの「闇の奥」を彷彿とさせるような話ですね(笑)。
しかし、それよりも南方熊楠と植芝盛平の墓所が同じお寺にあることは少し驚きましたね・・。
・・ああ、それでもたしかこの二人が一緒に出て来る小説がありましたね。
津本陽の「黄金の天馬」でしたか?
この小説はたしかAさんが和歌山在住時に私が大阪に行く所用と休日が重なったため、和歌山に足を延ばした頃に読んだのではないかと思います・・。」
A「ええ、その小説でしたら私も和歌山在住時に読みました。
また、丁度その頃に読んだのでしたら、私にいってくだされば、菩提寺を御案内したのですが・・。
また、あちらの神社仏閣の多くは普通に存在しているようでありながら、なかなか深い歴史的背景を持っているのです・・。
こうした感覚とは多分関東、特に首都圏のそれらと大きな断層があるのではないかと思います・・。
そして、それに関連すると思うのですが、以前私のブログにおいて抜粋しました道成寺境内にて出土した近畿式の大型銅鐸についての記述、みなべ町の須賀神社のかつての社叢域内から同様形式の銅鐸が出土していることは、地域の歴史を考える上において何かしら深い意味があるのではないかと思います・・。
また、こうしたことはおそらく何も和歌山県に限ったことではないと思います。
しかし、こうした偶然らしきものを何度か自身が再発見、認識するようになりますと、少なくともその地域における歴史を貫通する何かがあるのではないかと考えるようになるのです・・。
そして私の場合、そうした時期にこれも偶然にコンラッドの「闇の奥」に出会ったこともまたどうも不思議に思うのです(笑)。」
B「・・なるほどねえ・・。
帰納法による様々な事柄の積み重ね、統合によって見えるものはやはり不思議なものなのだろうね・・。
しかし、そうした一般的に考えれば面倒な方法とは、現在どうも廃れつつあるようですね・・。
私はそれでは、どうもいけないような気がするのですが・・(苦笑)。」
「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。」
20160302 歴史力・予言力と合理性?・・
A「相変わらずブログを続けているようですね。
あと、最近閲覧者数も増えたようで良かったですね(笑)。」
B「・・どうもありがとうございます。
お陰さまで、最近閲覧者が増えましたが、しかし、これはこれでプレッシャーらしきものもありますよ・・(苦笑)。また、求職活動でも相変わらず動いておりまして、昨日も夜半に応募書類を作成し、一番近い24時間空いている郵便局まで行き、発送してきました・・。そういえば、ここ最近数ヶ月は応募書類を発送する際に心の中で「頼むよ神様、こんな人生だったんだ、どうか幸せな夢を見させてください・・」と心のなかでつぶやくようになりました(苦笑)。ともあれ、今後また何か動き、変化がありましたらお知らせいたします。」
A「・・・そうですか、わかりました。
そういえば、これまでBさんが作成した対話形式のブログ記事での登場人物で「これは私のことかな?」と思える人物が出てきますが、あれは何人かそのモデルの方々がいるのですか?」
B「ええ、そうです。私のブログ記事での登場人物は概ねA、Bですが、このうちの片方は私自身がモデルであり、他方には、そのモデルの方が何人かおります。とはいえ、この登場人物キャラクターとは、そのモデル一人一人から抽出したものではなく、毎回それらを適宜複合、合成したものとなっています。まあ、それでも、さきほどのAさんと同様、モデルとなっている方々は読んでいらっしゃれば「これは多分、私のことかもしれない・・。」となっているのではないかと思いますが・・。」
A「はあ、なるほどねえ・・。何だかそうしたキャラクターの表現、書き方とは「記紀」に描かれているスサノオ、オオクニヌシ、ヤマトタケルのようですね・・。それは編纂者から見て類似したような複数の人格を一人の人格にまとめ上げて物語の登場人物とすることです。しかしまあ、こうしたことは、おそらく世界各国の神話、伝承などにおいて類例が少なからずあるのではないかと思いますが・・。」
B「・・なるほど、それはこれまでに気が付きませんでした・・。また、たしかにそういわれてみますと、ほぼ無意識ではあったと思いますが、そうした要素はあるかもしれません。そうしますと、私はそれを知らずに「記紀」あるいは、その他の神話、伝承のような表現方法、書き方を採っていたということになるのですね・・(笑)。それに加えて、こうした経緯の可能性を示唆されると「そのようなことは、ある程度合理的に考えれば、大体共通した方法を採るであろうから、まあ当然といえるのではないか。」と考えるか、あるいは「そうした時間・空間を越えた共通、類似性の間には何らかの原因、あるいは関連性があるのだろうか?」と考えるかにより、その後の考えとは、ずいぶん変わってくるのではないかと思います。そして、一般的な意味における合理性に基づいて考えると、おそらく前者の考えに近いものに落ち着くことが多いのではないでしょうか?」
あと、最近閲覧者数も増えたようで良かったですね(笑)。」
B「・・どうもありがとうございます。
お陰さまで、最近閲覧者が増えましたが、しかし、これはこれでプレッシャーらしきものもありますよ・・(苦笑)。また、求職活動でも相変わらず動いておりまして、昨日も夜半に応募書類を作成し、一番近い24時間空いている郵便局まで行き、発送してきました・・。そういえば、ここ最近数ヶ月は応募書類を発送する際に心の中で「頼むよ神様、こんな人生だったんだ、どうか幸せな夢を見させてください・・」と心のなかでつぶやくようになりました(苦笑)。ともあれ、今後また何か動き、変化がありましたらお知らせいたします。」
A「・・・そうですか、わかりました。
そういえば、これまでBさんが作成した対話形式のブログ記事での登場人物で「これは私のことかな?」と思える人物が出てきますが、あれは何人かそのモデルの方々がいるのですか?」
B「ええ、そうです。私のブログ記事での登場人物は概ねA、Bですが、このうちの片方は私自身がモデルであり、他方には、そのモデルの方が何人かおります。とはいえ、この登場人物キャラクターとは、そのモデル一人一人から抽出したものではなく、毎回それらを適宜複合、合成したものとなっています。まあ、それでも、さきほどのAさんと同様、モデルとなっている方々は読んでいらっしゃれば「これは多分、私のことかもしれない・・。」となっているのではないかと思いますが・・。」
A「はあ、なるほどねえ・・。何だかそうしたキャラクターの表現、書き方とは「記紀」に描かれているスサノオ、オオクニヌシ、ヤマトタケルのようですね・・。それは編纂者から見て類似したような複数の人格を一人の人格にまとめ上げて物語の登場人物とすることです。しかしまあ、こうしたことは、おそらく世界各国の神話、伝承などにおいて類例が少なからずあるのではないかと思いますが・・。」
B「・・なるほど、それはこれまでに気が付きませんでした・・。また、たしかにそういわれてみますと、ほぼ無意識ではあったと思いますが、そうした要素はあるかもしれません。そうしますと、私はそれを知らずに「記紀」あるいは、その他の神話、伝承のような表現方法、書き方を採っていたということになるのですね・・(笑)。それに加えて、こうした経緯の可能性を示唆されると「そのようなことは、ある程度合理的に考えれば、大体共通した方法を採るであろうから、まあ当然といえるのではないか。」と考えるか、あるいは「そうした時間・空間を越えた共通、類似性の間には何らかの原因、あるいは関連性があるのだろうか?」と考えるかにより、その後の考えとは、ずいぶん変わってくるのではないかと思います。そして、一般的な意味における合理性に基づいて考えると、おそらく前者の考えに近いものに落ち着くことが多いのではないでしょうか?」
A「・・うん、まあ多分そうでしょうね(苦笑)。さきほど私も自分の思ったことをいったわけですが、それに対してBさんからそのような反応がくるとは思っていませんでした(笑)。
しかし、多分、おっしゃる通りこうしたことは案外重要ではないかと思います・・。
たしか柳田國男がそうした能力のことをどこかで「予言力」と書いていたように思います・・。「予言」といいますと非科学的であり「怪しい」と思われそうですが、それは過去の歴史に対する様々な深い理解、知識に基づいた、これから起こる出来事への理解および対応の仕方ともいえるのではないかと思います・・。我々日本人のこうしたことに対する認識、理解の仕方については、かねてより多くの研究者、著述家が記しておりますが、全体的な傾向としては、たしかにBさんの仰る通り、まあ、前者つまり合理性に基づいてなされているのではないかと思います・・。とはいえ、この「予言力」とは、前者的な考え方も重要でしょうが、おそらく後者的な考えを思考の熱により煮詰めることによって精製、生成されるのではないでしょうか?」
B「・・はあ柳田國男が「予言力」と記していたのですか・・。また、そうした考えとは、今現在の様々な情報が錯綜して存在している我が国であるからこそ特に重要であるのかもしれません。加えて、さきほどAさんが私のブログ登場人物キャラクターに関して指摘されたことは、一種の「抽象化」であると思います。そして「様々な歴史的出来事に対する抽象化の仕方の傾向」などにおいても国あるいは地域毎に特徴があるのかもしれません・・。」
A「・・ええ、そういったことは、たしかにあるかもしれませんね。また同じ国、地域などにおいても、時代が変わるとそうした傾向はまた変わってくるのではないかとも思います・・。これはブログの文章を書く際においても同様であるかもしれませんが、どういった深度あるいは高度から事象を眺めるかによって、眺望が異なり、それにより書く文章も変化してくると思いますので、時代、国、地域における「抽象化の仕方の傾向」の相違とは、そうしたことに因っているのではないかと思います。そして、そうした「眺望」が何故、その時代、その場所において成立したかということを考えてみるのもなかなか面白いのではないでしょうか(笑)?」
一連の私のブログ記事を読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
しかし、多分、おっしゃる通りこうしたことは案外重要ではないかと思います・・。
たしか柳田國男がそうした能力のことをどこかで「予言力」と書いていたように思います・・。「予言」といいますと非科学的であり「怪しい」と思われそうですが、それは過去の歴史に対する様々な深い理解、知識に基づいた、これから起こる出来事への理解および対応の仕方ともいえるのではないかと思います・・。我々日本人のこうしたことに対する認識、理解の仕方については、かねてより多くの研究者、著述家が記しておりますが、全体的な傾向としては、たしかにBさんの仰る通り、まあ、前者つまり合理性に基づいてなされているのではないかと思います・・。とはいえ、この「予言力」とは、前者的な考え方も重要でしょうが、おそらく後者的な考えを思考の熱により煮詰めることによって精製、生成されるのではないでしょうか?」
B「・・はあ柳田國男が「予言力」と記していたのですか・・。また、そうした考えとは、今現在の様々な情報が錯綜して存在している我が国であるからこそ特に重要であるのかもしれません。加えて、さきほどAさんが私のブログ登場人物キャラクターに関して指摘されたことは、一種の「抽象化」であると思います。そして「様々な歴史的出来事に対する抽象化の仕方の傾向」などにおいても国あるいは地域毎に特徴があるのかもしれません・・。」
A「・・ええ、そういったことは、たしかにあるかもしれませんね。また同じ国、地域などにおいても、時代が変わるとそうした傾向はまた変わってくるのではないかとも思います・・。これはブログの文章を書く際においても同様であるかもしれませんが、どういった深度あるいは高度から事象を眺めるかによって、眺望が異なり、それにより書く文章も変化してくると思いますので、時代、国、地域における「抽象化の仕方の傾向」の相違とは、そうしたことに因っているのではないかと思います。そして、そうした「眺望」が何故、その時代、その場所において成立したかということを考えてみるのもなかなか面白いのではないでしょうか(笑)?」
一連の私のブログ記事を読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
20160301 「Deus Ex Machina」機械仕掛けの神
A「おかげさまで昨日(20160229)で全期間のブログ閲覧者数が40000人を越えました。
以前20160209で30000人を越えたばかりでしたので、この閲覧者数の増加はなかなか早いのではないかと思います。」
B「・・ええと、たしかAさんは昨年の6月にブログははじめたと聞いていましたので、それは大体8ヶ月程度で30000人そして9ヶ月あたりで40000人ということになりますから、直近10000人の増加とは、たしかにこれまでに比べると早いですね・・。」
A「先日来の風邪もあり、また、その他色々とありまして、ここ最近はブログの更新が多少辛かったです・・(苦笑)。とはいえ、記事を更新しないのもどうも気持ちが悪いので、とりあえず書いておりました・・。そして、これまでに何度か思ったことなのですが、文章の作成とは、当初においては質より量であるとよく聞きますが、私の文章、つまりブログの記事とはこれでいいのかと時折、不図思うことがあります・・。」
以前20160209で30000人を越えたばかりでしたので、この閲覧者数の増加はなかなか早いのではないかと思います。」
B「・・ええと、たしかAさんは昨年の6月にブログははじめたと聞いていましたので、それは大体8ヶ月程度で30000人そして9ヶ月あたりで40000人ということになりますから、直近10000人の増加とは、たしかにこれまでに比べると早いですね・・。」
A「先日来の風邪もあり、また、その他色々とありまして、ここ最近はブログの更新が多少辛かったです・・(苦笑)。とはいえ、記事を更新しないのもどうも気持ちが悪いので、とりあえず書いておりました・・。そして、これまでに何度か思ったことなのですが、文章の作成とは、当初においては質より量であるとよく聞きますが、私の文章、つまりブログの記事とはこれでいいのかと時折、不図思うことがあります・・。」
B「・・うーん、これまでにAさんのブログが炎上したりしないで、一応順調に閲覧者数が増加しているのですから、そのままの調子で続けて特に問題ないのではないかと思いますけれども・・。私としては、むしろAさんのブログに1日数百人の閲覧者がいること自体が未だに不思議なのですが・・(笑)。それでも時折は面白いと思う記事もありますけれども・・。それ故、閲覧者数といった周囲の状況が多少変わっても、そうしたことをあまり気にしないで、記事を書き続ければいいのではないでしょうか?」
A「・・まあ、それはたしかにそうなのですが、また、このようなことをBさんにいうのは「釈迦に説法」であるとは重々承知しておりますが、それでも自分の書いた文章が1日数百人の方々に読んでいただいているというのは、なかなか緊張するものです・・。あまりウカツなことも書けませんし・・。その点、書籍の抜粋とは、ある程度楽なのですが、そればかりを続けていると今度は自分の文章が書けなくなるのです・・(苦笑)。
ともあれ、そのようなことから時折「もしかしたら私は泳がされているのかもしれない・・」などといった漠然とした不安を覚えることもあります(笑)。
無論、こうした考えとは、自意識過剰の所産ではあるのですが、そのあたりもある意味、原始的な感情と理性との葛藤であるのかもしれませんね・・(笑)。それでも古代ギリシャの劇に出てくる機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)あるいは水戸黄門一行のようなものがこの先突然登場し、一気に状況が変わるといったこともないと思いますので、まあ、とりあえず今現在は記事を書き続けることが大事ではないかと思います・・(苦笑)。」
B「・・まあ、そうでしょうね。しかし、それよりも、今のハナシでギリシャ悲喜劇の機械仕掛けの神と水戸黄門を類似したものとして示したのは、なかなか面白いですね(笑)。
しかしながら、私が思うに、この両者とは、たしかに類似している要素もあるのですが、また同時に相違もあると思います。つまり、ギリシャ悲喜劇における機械仕掛けの神とは大体が劇終盤に突然登場し、大団円の方向に持ってゆくようなものであるのに対して、水戸黄門に象徴されるような我が国の時代劇におけるヒーローの多くとは、物語のはじめから登場しており、それが物語の事態悪化を好転させるということなのですが、これは、さきほどの機械仕掛けの神というよりもむしろ、トリック・スター的な要素の方が強いのではないかと思います。また、我が国のそうした民話、伝承的なヒーローとしてのトリック・スターとは、スサノオそしてヤマトタケルのあたりから連綿と続いているのではないかとも思いますね・・。とはいえ、こうしたトリック・スター的なキャラクターとは海外の神話、物語でも多く見られるとも思いますが・・。」
A「・・なるほど突然登場して事態を展開に至らしめる機械仕掛けの神に対して、当初から登場はしているが事態の要求により、突然別の側面を露わにして物語を展開に至らしめるトリック・スターということですか・・。たしかにそうであるかもしれませんね・・。
そして、そうしますと、どうも夏目漱石の「夢十夜」の第三夜を思い出しますね。
これはトリック・スターとはいえませんが、主題的には概ね、さきほどの筋に沿っているのではないかと思います・・。そうしますと、我々日本人とは、既知でありながらも、ほぼ無意識化されていたものが、何かの契機により突然姿を現し、物語を展開させる、あるいは何か重要なことを気付かせるといった主題が、それこそ無意識的ではあるのかもしれませんが、嗜好するような傾向があるのかもしれませんね・・まあ、あくまでも思いつきですが(笑)。」
ともあれ、そのようなことから時折「もしかしたら私は泳がされているのかもしれない・・」などといった漠然とした不安を覚えることもあります(笑)。
無論、こうした考えとは、自意識過剰の所産ではあるのですが、そのあたりもある意味、原始的な感情と理性との葛藤であるのかもしれませんね・・(笑)。それでも古代ギリシャの劇に出てくる機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)あるいは水戸黄門一行のようなものがこの先突然登場し、一気に状況が変わるといったこともないと思いますので、まあ、とりあえず今現在は記事を書き続けることが大事ではないかと思います・・(苦笑)。」
B「・・まあ、そうでしょうね。しかし、それよりも、今のハナシでギリシャ悲喜劇の機械仕掛けの神と水戸黄門を類似したものとして示したのは、なかなか面白いですね(笑)。
しかしながら、私が思うに、この両者とは、たしかに類似している要素もあるのですが、また同時に相違もあると思います。つまり、ギリシャ悲喜劇における機械仕掛けの神とは大体が劇終盤に突然登場し、大団円の方向に持ってゆくようなものであるのに対して、水戸黄門に象徴されるような我が国の時代劇におけるヒーローの多くとは、物語のはじめから登場しており、それが物語の事態悪化を好転させるということなのですが、これは、さきほどの機械仕掛けの神というよりもむしろ、トリック・スター的な要素の方が強いのではないかと思います。また、我が国のそうした民話、伝承的なヒーローとしてのトリック・スターとは、スサノオそしてヤマトタケルのあたりから連綿と続いているのではないかとも思いますね・・。とはいえ、こうしたトリック・スター的なキャラクターとは海外の神話、物語でも多く見られるとも思いますが・・。」
A「・・なるほど突然登場して事態を展開に至らしめる機械仕掛けの神に対して、当初から登場はしているが事態の要求により、突然別の側面を露わにして物語を展開に至らしめるトリック・スターということですか・・。たしかにそうであるかもしれませんね・・。
そして、そうしますと、どうも夏目漱石の「夢十夜」の第三夜を思い出しますね。
これはトリック・スターとはいえませんが、主題的には概ね、さきほどの筋に沿っているのではないかと思います・・。そうしますと、我々日本人とは、既知でありながらも、ほぼ無意識化されていたものが、何かの契機により突然姿を現し、物語を展開させる、あるいは何か重要なことを気付かせるといった主題が、それこそ無意識的ではあるのかもしれませんが、嗜好するような傾向があるのかもしれませんね・・まあ、あくまでも思いつきですが(笑)。」
B「・・ううむ、それはなかなか面白いかもしれませんね・・。あるいはそうしたことは、我が国の様々な文化、事象などにおいて、何か深い意味があるのかもしれません・・。
また、そうしますと日本人が歴史などの記憶を忘却の彼方に追いやるといったよく聞く傾向に対してもまた、異なった視点で見ることが出来るかもしれませんね・・。」
A「・・ええ、我が国の公的な近代以降の歴史の叙述とは、結局のところ欧米的な方法論によるものであると思います。無論、それはそれで大変重要、大事であるとは思います。
しかし、一方において、そうでない在来の方法論にて述べられた歴史もまたあるのではないかと思います。そして、それを理解しようと試みると、また異なった我が国あるいは他の国の歴史、文化に対する視座が出来て、それはそれで面白いのではないでしょうか(笑)?」
「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。」
また、そうしますと日本人が歴史などの記憶を忘却の彼方に追いやるといったよく聞く傾向に対してもまた、異なった視点で見ることが出来るかもしれませんね・・。」
A「・・ええ、我が国の公的な近代以降の歴史の叙述とは、結局のところ欧米的な方法論によるものであると思います。無論、それはそれで大変重要、大事であるとは思います。
しかし、一方において、そうでない在来の方法論にて述べられた歴史もまたあるのではないかと思います。そして、それを理解しようと試みると、また異なった我が国あるいは他の国の歴史、文化に対する視座が出来て、それはそれで面白いのではないでしょうか(笑)?」
「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。」
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