朝日新聞出版刊 木村誠著「大学大崩壊」
pp.194-196より抜粋
ISBN-10 : 4022737905
ISBN-13 : 978-4022737908
それは一般の大学と違う専門職大学の特色を見るとはっきりする。設立に向けての答申のポイントは次のとおりである。
①〔教育内容〕専門性を求められる職業人や当該職業に関連する事業者などの関係者の協力を得て、教育課程を編成、実施する。すなわち、産業界などと連携した教育が義務付けられている。また、卒業単位のおおむね3~4割以上を実習などの科目とする。適切な指導体制が確保された企業内実習等を2年間で10単位以上、4年間で20単位以上履修する。
②〔修行年限〕4年制課程の専門職大学と、②年制または3年制課程の専門職短期大学がある。専門職大学は前期課程及び後期課程の区分制課程も導入できる。これにより、前期課程修了後にいったん就職してから後期課程へ再入学したり、社会人が学び直しのために後期課程から入学するなど、多様な学習スタイルが選択できる。
③〔教員〕必要専任教員数のおおむね4割以上を実務経験のある実務家教員とし、その半数以上は研究能力を併せ有する実務家教員とする。
④〔入学者の受け入れ〕高等学校(専門学科・普通科)卒業後の学生だけでなく、社会人学生、編入学生など、多様な学生を積極的に受け入れる。そのため、入学者選抜では実務経験や保有資格、技能検定での成績などを積極的に考慮し、意欲・能力・適性などを多面的・総合的に評価して選抜する。
⑤〔学位〕専門職大学を卒業した者に対し「学士(専門職)」の学位を与え、専門職短期大学を卒業した者に対し「短期大学士(専門職)」の学位を与える。専門職大学前期課程を修了した者に対しても「短期大学士」(専門職)の学位を与える。
⑥〔修行年限の通算〕社会人の学び直し(リカレント教育)を推進するため、実務経験のある者が専門職大学などに入学する場合に、当該入学者の実務経験を通じた能力習得を勘案して、一定期間を修行年限に通算できる。
すなわち一般の大学に比べ、企業内実習の義務化、実務家教員の4割以上、学力のみで測れない入学者選抜、リカレント教育の重視などの点が際立っている。
なぜ取り下げることになったのか?
認可に至らなかった理由として文部科学省の審議会は、次のようなコメントを出している。5点にまとめた。
①専門職大学の特色が十分に検討されていない。
②業績のない者が実務家教員として申請されている。
③専門職大学が目指す人材の専門性を支える理論が不足し、その結果、大学教育としての内容に体系性が欠けている。
④教育課程と連携する協議会の構成員が適切でない。
⑤実践を重視する研究内容や、施設、設備が整備されていない。
もちろん、申請した学校が、この5点すべてに当てはまったというわけではないだろうが、設立趣旨に対する基本的な理解不足、少なくとも準備不足だったとは言えるだろう。
2022年1月3日月曜日
2022年1月2日日曜日
20220102【架空の話】・其の81 【モザイクのピースとなるもの】【東京訪問篇】
医専大口腔保健工学科での実務家教員選定下準備のための東京訪問の初日、私は都心部にある**歯科大学の歯科理工学講座を訪ね、S教授から預かった数種類の試料を、主任教授であるO先生に手渡した。

すると、そのままの足で試料は実験室に持って行かれ、速やかに実験に供されたが、当初、そこで得られた接着強さの値は、K大学の実験室にて得られたものと比べ、明らかに低いと思われたところから、万能引張圧縮試験機のクロスヘッド・スピードから点検・確認させて頂き、その流れにて、試料の治具への固定の仕方が、どうも異なるように思われたことから、私の手で、そのはじめて触る治具の調整をさせて頂き、再度、実験に供せられたが、そこから得られた値も、当初に比べ、いくらかは大きくはなっていたものの、それでも、Kにて得られた値より、有意に低い思われたことから、件の院生**先生と相談し、一度、私が持参した治具を用いて行ってみることにした。そこで慎重に梱包した箱から治具を取り出し、付属のL字型六角レンチで、各接合部位の調整を行い、そして必要箇所に油を差し、試料の寸法を計測し、治具に固定し、試験機に設置して、接着試験を行ってみると、面白いことに、はたして接着強さの値は、Kにて得られたものとほぼ同水準のものとなった。
そこから、その原因は主として、試料を固定する治具の相違によって生じていると推理されたが、たしかに実験を行っている様子を何度か、注意深く観察していると、**先生の治具では、試料が破断に至る寸前に、試料を収めた治具固定部に緩みというか、ほんのわずかなブレのようなものが認められたことから、おそらく、そのブレが生じているわずかな間での荷重分が吸収され、そして、さきの治具による接着強さの相違といった現象が生じたものと考えられた。
しかし、ここで書いてみると、この程度の文量にて、その経緯概要を述べることが出来るが、その認識の共有に至るまでは、結果的に、丸半日を費やすこととなり、最後、その内容を**先生と共にO教授のもとへ報告に行ったのは、午後6時半過ぎであり、また不図そこで、本日目覚めたのはKで、そこから飛行機に乗って来て、その日の夕方まで東京の大学で何やら実験作業を行っている自分のことを不思議に思ったが、そうした感傷のようなものは、O教授に再度実験室まで来て頂き、一連の様子を見届けて頂いている頃にはキレイさっぱりと忘れていた。ともあれ、O教授は、この実験の様子を動画撮影まで行い、納得された様子で、最後に「いや、今日はどうもありがとう。やっぱり実験は奥が深いね・・。おかげでまた接着試験の際の一つ懸案事項が片付いたよ。」と労われ、そして院生の**先生は、私が持参した治具の脇にメジャーを置いて写真撮影を行い、こちらの治具の複製を試みるとのことであった。ちなみに、私はこの時、**先生に高倍率でクリアなSEM観察画像を撮るための秘密を聞くことを忘れていた・・。
そうして**歯科大学を後にしたのは、思いのほか遅くなり20時を越えた頃であった。**歯科大学は、JR総武線と都営地下鉄双方を利用できる場所に立地し、またそこは、以前、歯科衛生士のCさんとの会話に出た歯科医療分野の書籍を専門で扱う***社の近くでもあったが、この時刻では既に営業時間外となっていた。
そこで、私は総武線に乗って帰路につこうとしたその時、E先生から電話があり、出てみると、その話し振りは本日の業務を終えた後のようなリラックスした感じであり、私に今日の出来事や、会った先生のことなどについて訊ねてこられ、そして、明日の面談予定についての確認を行った。
明日の面談は、とりあえずH・M先生の知人であり、また、私をK医療専門職大学を勧めてくださったD先生から始まって、そこから、たとえるならば「わらしべ長者」的に、歯科医療のデジタル化に精しい先生方への面通しをはかり、訪問の意図(K医専大 口腔保健工学科の実務家教員選定の下準備)を必要であればお伝えして、その反応や結果に基づいて、医専大の兼任教授でもあるS教授を中心として検討を行い、その結果にしたがい、またE先生や私が、各々先生方に実務家教員就任への打診を行い、それをとりまとめて、再度S教授に報告し、そこで承認を得てから、はじめて医専大の事務方へ実務家教員就任への事務作業の依頼となるのだ。
ともあれ、E先生との電話での報告や打合せを終えてから、実家への帰路につき、無事に帰着したのは午後21時半頃であったが、その日は移動もあり疲れが溜まっていたのか、早々に食事や風呂を済ませて床に就いたが、久しぶりの大都会の刺激によって心が昂っていたのか、あるいは久々に寝るベッドのためであるのか、なかなか眠ることが出来ず、結局、寝着いたのは24時過ぎ頃であった。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
そこから、その原因は主として、試料を固定する治具の相違によって生じていると推理されたが、たしかに実験を行っている様子を何度か、注意深く観察していると、**先生の治具では、試料が破断に至る寸前に、試料を収めた治具固定部に緩みというか、ほんのわずかなブレのようなものが認められたことから、おそらく、そのブレが生じているわずかな間での荷重分が吸収され、そして、さきの治具による接着強さの相違といった現象が生じたものと考えられた。
しかし、ここで書いてみると、この程度の文量にて、その経緯概要を述べることが出来るが、その認識の共有に至るまでは、結果的に、丸半日を費やすこととなり、最後、その内容を**先生と共にO教授のもとへ報告に行ったのは、午後6時半過ぎであり、また不図そこで、本日目覚めたのはKで、そこから飛行機に乗って来て、その日の夕方まで東京の大学で何やら実験作業を行っている自分のことを不思議に思ったが、そうした感傷のようなものは、O教授に再度実験室まで来て頂き、一連の様子を見届けて頂いている頃にはキレイさっぱりと忘れていた。ともあれ、O教授は、この実験の様子を動画撮影まで行い、納得された様子で、最後に「いや、今日はどうもありがとう。やっぱり実験は奥が深いね・・。おかげでまた接着試験の際の一つ懸案事項が片付いたよ。」と労われ、そして院生の**先生は、私が持参した治具の脇にメジャーを置いて写真撮影を行い、こちらの治具の複製を試みるとのことであった。ちなみに、私はこの時、**先生に高倍率でクリアなSEM観察画像を撮るための秘密を聞くことを忘れていた・・。
そうして**歯科大学を後にしたのは、思いのほか遅くなり20時を越えた頃であった。**歯科大学は、JR総武線と都営地下鉄双方を利用できる場所に立地し、またそこは、以前、歯科衛生士のCさんとの会話に出た歯科医療分野の書籍を専門で扱う***社の近くでもあったが、この時刻では既に営業時間外となっていた。
そこで、私は総武線に乗って帰路につこうとしたその時、E先生から電話があり、出てみると、その話し振りは本日の業務を終えた後のようなリラックスした感じであり、私に今日の出来事や、会った先生のことなどについて訊ねてこられ、そして、明日の面談予定についての確認を行った。
明日の面談は、とりあえずH・M先生の知人であり、また、私をK医療専門職大学を勧めてくださったD先生から始まって、そこから、たとえるならば「わらしべ長者」的に、歯科医療のデジタル化に精しい先生方への面通しをはかり、訪問の意図(K医専大 口腔保健工学科の実務家教員選定の下準備)を必要であればお伝えして、その反応や結果に基づいて、医専大の兼任教授でもあるS教授を中心として検討を行い、その結果にしたがい、またE先生や私が、各々先生方に実務家教員就任への打診を行い、それをとりまとめて、再度S教授に報告し、そこで承認を得てから、はじめて医専大の事務方へ実務家教員就任への事務作業の依頼となるのだ。
ともあれ、E先生との電話での報告や打合せを終えてから、実家への帰路につき、無事に帰着したのは午後21時半頃であったが、その日は移動もあり疲れが溜まっていたのか、早々に食事や風呂を済ませて床に就いたが、久しぶりの大都会の刺激によって心が昂っていたのか、あるいは久々に寝るベッドのためであるのか、なかなか眠ることが出来ず、結局、寝着いたのは24時過ぎ頃であった。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
日本赤十字看護大学 さいたま看護学部
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。
2022年1月1日土曜日
20220101 2022の元旦を迎えて思ったこと・・
本日から2022年となりました。新年あけましておめでとうございます。
さて、今年は昨年から引続いて、コロナ禍の中での年明けとなりましたが、今年はさらに、収束に向けて世界規模にて事態が進展することを願っています。
他方、当ブログについてですが、さきほど確認したところ、昨年の元旦にて丁度、1450記事に到達していましたので、そこから1年後の本日での投稿記事数が1682となっていますので、この1年間で232記事投稿してきたことになり、これを異言しますと、この1年間は、5日のうち3日は新規にて記事投稿を続けてきたことになりますので、自身としては、まあ、許容範囲の進み具合であると云えます。
また、昨年年初の投稿記事は【架空の話】其の58であり、こちらに関しては現在、最新が「其の80」であるため、この1年間にて22記事の進展であり、これは、年末12月からの集中的な投稿がなかれば、あるいは、そのまま自然に打ち切りとなっていたように思われます・・。
それが、当ブログを読んで頂いていた方のご意見によって、またどうにか、書き継ぐことを始められたのは、私としても嬉しいところであり、現在に至っては、この続きは「其の100」までは書きたいと思っています。
しかしまた、他方で、これまでの雑記的なブログや、書籍からの抜粋も同様に続けたいと考えていますので、あるいは、より精確に云うならば、これら(雑記ブログ・書籍からの引用記事と【架空の話】)の何れかで、ブログ記事の作成を行えば良いと、比較的緩く自分に課していることから、そこまで深刻な痛痒を覚えることなく(どうにか)継続的なブログ記事の作成は為されていると云えるのかもしれません・・。
ともあれ、1000記事、1500記事をも越えた今現在、まだブログ記事の作成を止めようとしない私は、このまま1700記事そしてさらに2000記事まで続けることになるのでしょうか?
これは自分でも全く分からないところであり、とりあえず、直近の目標と云える1700記事までは続けたいと考えていますが、その後については、またしばらく休息期間を経た後、どのように考えるかによると云えます。次の1700記事に到達してからの休息は、これまでよりも少し長くしたいと考えてはいるのですが、また、さきの1600記事到達時のように、中途半端な休息期間にて復帰してまうのではないかといった自分自身に対する危惧もあります・・(苦笑)。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
さて、今年は昨年から引続いて、コロナ禍の中での年明けとなりましたが、今年はさらに、収束に向けて世界規模にて事態が進展することを願っています。
他方、当ブログについてですが、さきほど確認したところ、昨年の元旦にて丁度、1450記事に到達していましたので、そこから1年後の本日での投稿記事数が1682となっていますので、この1年間で232記事投稿してきたことになり、これを異言しますと、この1年間は、5日のうち3日は新規にて記事投稿を続けてきたことになりますので、自身としては、まあ、許容範囲の進み具合であると云えます。
また、昨年年初の投稿記事は【架空の話】其の58であり、こちらに関しては現在、最新が「其の80」であるため、この1年間にて22記事の進展であり、これは、年末12月からの集中的な投稿がなかれば、あるいは、そのまま自然に打ち切りとなっていたように思われます・・。
それが、当ブログを読んで頂いていた方のご意見によって、またどうにか、書き継ぐことを始められたのは、私としても嬉しいところであり、現在に至っては、この続きは「其の100」までは書きたいと思っています。
しかしまた、他方で、これまでの雑記的なブログや、書籍からの抜粋も同様に続けたいと考えていますので、あるいは、より精確に云うならば、これら(雑記ブログ・書籍からの引用記事と【架空の話】)の何れかで、ブログ記事の作成を行えば良いと、比較的緩く自分に課していることから、そこまで深刻な痛痒を覚えることなく(どうにか)継続的なブログ記事の作成は為されていると云えるのかもしれません・・。
ともあれ、1000記事、1500記事をも越えた今現在、まだブログ記事の作成を止めようとしない私は、このまま1700記事そしてさらに2000記事まで続けることになるのでしょうか?
これは自分でも全く分からないところであり、とりあえず、直近の目標と云える1700記事までは続けたいと考えていますが、その後については、またしばらく休息期間を経た後、どのように考えるかによると云えます。次の1700記事に到達してからの休息は、これまでよりも少し長くしたいと考えてはいるのですが、また、さきの1600記事到達時のように、中途半端な休息期間にて復帰してまうのではないかといった自分自身に対する危惧もあります・・(苦笑)。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
日本赤十字看護大学 さいたま看護学部
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。
2021年12月31日金曜日
20211231 筑摩書房刊 ちくま新書 坂井建雄著「医学全史」-西洋から東洋・日本まで
筑摩書房刊 ちくま新書 坂井建雄著「医学全史」-西洋から東洋・日本まで
pp.254-255より抜粋
ISBN-10 : 4480073612
ISBN-13 : 978-4480073617
pp.254-255より抜粋
ISBN-10 : 4480073612
ISBN-13 : 978-4480073617
人体が病原体の二度目の感染に対して強い抵抗力をもつこと、免疫が生じることはジェンナーの種痘や、パストゥールによるワクチンの有効性からも広く知られていた。そして病原体に対する免疫がどのような仕組みで生じるのか、注目されるようになった。
ロシア出身のメチニコフはパリのパストゥール研究所で研究中に、免疫された動物に含まれる物質がマクロファージを活性化して病原微生物を食べるようになる食作用を発見し、「感染症の免疫」(1901年)を発表して免疫の食作用説を提唱した。ドイツのベーリングはマールブルク大学の衛生学教授を務め、血清中の抗体が毒素と特異的に結合して中和することを見出してジフテリアに対する血清療法を開発した。
エールリヒはコッホの伝染病研究所を経てフランクフルト実験治療研究所所長になり、血清療法の研究を定量的に行った。抗体産生機構について、細胞表面の側鎖すなわち受容体があり、抗原がこれと結合することで多量の受容体が産生されて抗体になるという「側鎖説」を提唱した1908年にノーベル生理学医学賞を共同受賞した。それ以後、血清中の抗体が免疫の主役として注目されるようになった。
さまざまな抗原に対して特異的な抗体がどのように産生されるかが、解決すべき問題として残されていた。メルボルン医学研究所のフランク・マクファーレン・バーネットはウィルス性疾患について研究を行い、1940年頃から抗体産生機構について文献的な調査と研究を行った。1949年には獲得免疫寛容を説明する理論を提唱し、これにより1960年にノーベル生理学医学賞を受賞した。
さらに「クローン選択説」を発表し(1957年)、あらゆる抗原に対して特異的に反応する抗体を作るリンパ球が先天的に用意されていて、抗原が体内に侵入するとそのリンパ球のクローンが選択されて急激に増殖し、成熟して形質細胞となって抗体を大量を産生すると提唱した。さらに1959年には「獲得免疫のクローン選択説」を著している。彼が提唱した「クローン選択説」は現在でも基本的に正しいと認められている。
ロシア出身のメチニコフはパリのパストゥール研究所で研究中に、免疫された動物に含まれる物質がマクロファージを活性化して病原微生物を食べるようになる食作用を発見し、「感染症の免疫」(1901年)を発表して免疫の食作用説を提唱した。ドイツのベーリングはマールブルク大学の衛生学教授を務め、血清中の抗体が毒素と特異的に結合して中和することを見出してジフテリアに対する血清療法を開発した。
エールリヒはコッホの伝染病研究所を経てフランクフルト実験治療研究所所長になり、血清療法の研究を定量的に行った。抗体産生機構について、細胞表面の側鎖すなわち受容体があり、抗原がこれと結合することで多量の受容体が産生されて抗体になるという「側鎖説」を提唱した1908年にノーベル生理学医学賞を共同受賞した。それ以後、血清中の抗体が免疫の主役として注目されるようになった。
さまざまな抗原に対して特異的な抗体がどのように産生されるかが、解決すべき問題として残されていた。メルボルン医学研究所のフランク・マクファーレン・バーネットはウィルス性疾患について研究を行い、1940年頃から抗体産生機構について文献的な調査と研究を行った。1949年には獲得免疫寛容を説明する理論を提唱し、これにより1960年にノーベル生理学医学賞を受賞した。
さらに「クローン選択説」を発表し(1957年)、あらゆる抗原に対して特異的に反応する抗体を作るリンパ球が先天的に用意されていて、抗原が体内に侵入するとそのリンパ球のクローンが選択されて急激に増殖し、成熟して形質細胞となって抗体を大量を産生すると提唱した。さらに1959年には「獲得免疫のクローン選択説」を著している。彼が提唱した「クローン選択説」は現在でも基本的に正しいと認められている。
20211231 株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」 pp.225-227より抜粋
株式会社河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」
pp.225-227より抜粋
ISBN-10 : 4309227880
ISBN-13 : 978-4309227887
過去数十年間は、人間の歴史上最も平和な時代だった。暴力行為は、初期の農耕社会では人間の死因の最大15%、20世紀には5%を占めていたのに対して、今日では1パーセントにすぎない。とはいえ、2008年のグローバルな金融危機以降、国際情勢は急速に悪化しており、戦争挑発が再び流行し、軍事支出が急増している。1914年にオーストリア皇太子の暗殺がきっかけで第一次世界大戦が勃発したのとちょうど同じように、2018年にはシリア砂漠で何か事件が起こったり、朝鮮半島で誰かが無分別な行動を取ったりしてグローバルな争いが引き起こされはしないかと、素人も専門家も恐れている。
世界の緊張の高まりと、ワシントンや平壌、その他数か所の指導者の性格を考えると、心配の種は間違いなくある。とはいえ、2018年と1914年の間には、重要な違いがいくつかある。具体的には、1914年には世界中のエリート層は戦争に大きな魅力を感じていた。なぜなら、戦争で勝利を収めれば経済が繁栄し、政治権力を伸ばせることを示す具体例に事欠かなかったからだ。それに対して2018年には、戦争による成功は絶滅危惧種のように珍しいものに見える。
アッシリアや秦の時代から、大帝国はたいてい力ずくの征服によって築かれた。1914年にも、主要国はみな、戦争での勝利によってその地位を得ていた。たとえば大日本帝国は中国とロシアに対する勝利でアジアの大国になり、ドイツはオーストリア=ハンガリーとフランスに勝ってヨーロッパ最強国の座に就き、イギリスは各地で次々に小さな戦争を見事に勝ち抜いて世界で最も大きく裕福な国を築いた。たとえば1882年、イギリスはエジプトに侵攻し、わずか57人の兵を失っただけでテル・エル・ケビールの決戦に勝利し、エジプトを占領した。今ではイスラム教国を占領するというのは西洋人にとっては悪夢の材料だが、テル・エル・ケビールの戦いの後、イギリスはほとんど武力での抵抗に遭わず、70年以上にわたってナイル川流域とスエズ運河という要衝を支配し続けた。他のヨーロッパの大国もイギリスを手本とし、パリやローマやブリュッセルの政府がヴェトナムやリビアやコンゴへの出兵をもくろむときにはいつも、恐れていたのはよその国に出し抜かれることだけだった。
アメリカでさえ、ビジネスだけではなく軍事行動のおかげもあって、大国としての地位を確立した。同国は1846年にメキシコを侵略し、カルフォルニア、ネヴァダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコに加えて、コロラドやカンザスとワイオミングとオクラホマの一部も占領した。その後に結んだ平和条約ですでに行っていたテキサスの併合も承認された。この戦争でアメリカ兵1万3000人が亡くなったが、国土は230平方キロメートル増えた(これは、フランス、イギリス、ドイツ、スペイン、イタリアを合わせたよりも広い)2000年紀(西暦1001~2000年)でこれ以上ないほど有利な取引だった。
したがって1914年、ワシントンやロンドンやベルリンのエリートたちは、戦争に勝利を収めるとはどういうことか、そしてそこからどれほど多くを手に入れられるかを知り尽くしていた。それに対して2018年には、世界のエリートは、これほど旨みのある戦争はもうなくなったのではないかと考えている。もっともなことだ。第三世界の独裁者や非国家主体の一部は、依然として戦争でうまく栄えているものの、主要国にはそれはもう無理のようだ。
pp.225-227より抜粋
ISBN-10 : 4309227880
ISBN-13 : 978-4309227887
過去数十年間は、人間の歴史上最も平和な時代だった。暴力行為は、初期の農耕社会では人間の死因の最大15%、20世紀には5%を占めていたのに対して、今日では1パーセントにすぎない。とはいえ、2008年のグローバルな金融危機以降、国際情勢は急速に悪化しており、戦争挑発が再び流行し、軍事支出が急増している。1914年にオーストリア皇太子の暗殺がきっかけで第一次世界大戦が勃発したのとちょうど同じように、2018年にはシリア砂漠で何か事件が起こったり、朝鮮半島で誰かが無分別な行動を取ったりしてグローバルな争いが引き起こされはしないかと、素人も専門家も恐れている。
世界の緊張の高まりと、ワシントンや平壌、その他数か所の指導者の性格を考えると、心配の種は間違いなくある。とはいえ、2018年と1914年の間には、重要な違いがいくつかある。具体的には、1914年には世界中のエリート層は戦争に大きな魅力を感じていた。なぜなら、戦争で勝利を収めれば経済が繁栄し、政治権力を伸ばせることを示す具体例に事欠かなかったからだ。それに対して2018年には、戦争による成功は絶滅危惧種のように珍しいものに見える。
アッシリアや秦の時代から、大帝国はたいてい力ずくの征服によって築かれた。1914年にも、主要国はみな、戦争での勝利によってその地位を得ていた。たとえば大日本帝国は中国とロシアに対する勝利でアジアの大国になり、ドイツはオーストリア=ハンガリーとフランスに勝ってヨーロッパ最強国の座に就き、イギリスは各地で次々に小さな戦争を見事に勝ち抜いて世界で最も大きく裕福な国を築いた。たとえば1882年、イギリスはエジプトに侵攻し、わずか57人の兵を失っただけでテル・エル・ケビールの決戦に勝利し、エジプトを占領した。今ではイスラム教国を占領するというのは西洋人にとっては悪夢の材料だが、テル・エル・ケビールの戦いの後、イギリスはほとんど武力での抵抗に遭わず、70年以上にわたってナイル川流域とスエズ運河という要衝を支配し続けた。他のヨーロッパの大国もイギリスを手本とし、パリやローマやブリュッセルの政府がヴェトナムやリビアやコンゴへの出兵をもくろむときにはいつも、恐れていたのはよその国に出し抜かれることだけだった。
アメリカでさえ、ビジネスだけではなく軍事行動のおかげもあって、大国としての地位を確立した。同国は1846年にメキシコを侵略し、カルフォルニア、ネヴァダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコに加えて、コロラドやカンザスとワイオミングとオクラホマの一部も占領した。その後に結んだ平和条約ですでに行っていたテキサスの併合も承認された。この戦争でアメリカ兵1万3000人が亡くなったが、国土は230平方キロメートル増えた(これは、フランス、イギリス、ドイツ、スペイン、イタリアを合わせたよりも広い)2000年紀(西暦1001~2000年)でこれ以上ないほど有利な取引だった。
したがって1914年、ワシントンやロンドンやベルリンのエリートたちは、戦争に勝利を収めるとはどういうことか、そしてそこからどれほど多くを手に入れられるかを知り尽くしていた。それに対して2018年には、世界のエリートは、これほど旨みのある戦争はもうなくなったのではないかと考えている。もっともなことだ。第三世界の独裁者や非国家主体の一部は、依然として戦争でうまく栄えているものの、主要国にはそれはもう無理のようだ。
20211230 株式会社河出書房新社刊 ウンベルト・エーコ著 和田 忠彦監訳 石田 聖子・小久保 真理江・柴田 瑞枝・高田和弘・横田さやか 訳「ウンベルト・エーコの世界文明講義」 pp.186-189より抜粋
株式会社河出書房新社刊 ウンベルト・エーコ著 和田 忠彦監訳 石田 聖子・小久保 真理江・柴田 瑞枝・高田和弘・横田さやか 訳「ウンベルト・エーコの世界文明講義」
pp.186-189より抜粋
ISBN-10 : 4309207529
ISBN-13 : 978-4309207520
ヒトラーとアンナ・カレーニナが存在論的に異なる状態にある二つの異なる実体であることを合理的に否定できる者はいない。
一方で、歴史についての命題もまたしばしば(言表)であると認めざるを得ない。小説の登場人物についての命題と同じことだ。たとえば、現代史にかんして、学生がヒトラーはベルリンの地下壕で自殺したと書いても、それは直接の経験によって知っていることを述べているのではなく、自分たちの歴史の教科書にそう書いてあるとただ認めているだけだ。
言い換えれば、自分の直接の経験による判断(いま雨が降っているなど)は別として、わたしのあらゆる判断はわたし自身の文化的知識を根拠になされるのであり、百科事典に記載されている情報にもとづいているのだ。
その百科事典から、わたしは地球から太陽までの距離や、ヒトラーがベルリンの地下壕で死んだという事実を学んでいる。それが真実かどうかを量るにはわたしはその場に居合わせなかったので、百科事典の情報を信頼する。太陽についての情報にしても、ヒトラーについての情報にしても、わたしがそれらを専門とする研究者に委任したからだ。
さらには百科事典にあるあらゆる真実は、どれも再検討の可能性に開かれている。わたしたちが学術的に開かれた意識をもっているなら、新たな資料がいつか発見されることへの心構えが必要だ。新たな資料によれば、ヒトラーは地下壕で死んでおらず、アルゼンチンに逃亡し、地下壕で発見された焼死体はかれのものではなく、自殺説はプロパガンダを目的としたロシア人の創作であると、あるいはそもそも地下壕など存在していないと明らかされるかもしれない。事実、地下壕のあった場所にチャーチルが腰を下した写真があっても、その場所には疑いの余地があると主張する者もいるのだ。その一方で、アンナ・カレーニナが線路に身を投げ自殺したことに疑いの余地は絶対にない。
架空の人物は、歴史上の人物に対してもうひとつ特権をもっている。史実としては、鉄仮面やカスパー・ハウザーの正体についてわたしたちはいまだに確信をもっていないし、アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァがロシアの皇族一家もろとも殺されたのか、あるいは生き延びて魅力的な婚約者としてイングリッド・バーグマン(「追想」1956)に演じられるに至ったのかもたしかではない。それとは対照的に、アーサー・コナン・ドイルを読んでいるとき、シャーロック・ホームズがワトソンについて言及すれば、それはいつでもひとりの人物を指していると、わたしたちは確信しているし、ロンドンに同じ名前で同じ特性の人はひとりだけであることも、どの作品中でその言及されている人物があの「緋色の研究」でスタンフォードという名の人からはじめてワトスンとよばれた人物であることも確信している。ドイルの未発表作品があり、そこには、ワトスンがアフガン戦争のさなかマイワインドの戦いで負傷しただとか医学の学士号をもっていることなどと言っていたのは嘘だった、とドイルが書いている可能性だってある。しかし、たとえそうだとしても詐欺師として正体を暴かれる人物は、やはり「緋色の研究」でスタンフォードからワトスンとよばれたその人であることに変わりない。
架空の人物の強固なアイデンティティにまつわるこうした問題は非常に重要だ。
pp.186-189より抜粋
ISBN-10 : 4309207529
ISBN-13 : 978-4309207520
ヒトラーとアンナ・カレーニナが存在論的に異なる状態にある二つの異なる実体であることを合理的に否定できる者はいない。
一方で、歴史についての命題もまたしばしば(言表)であると認めざるを得ない。小説の登場人物についての命題と同じことだ。たとえば、現代史にかんして、学生がヒトラーはベルリンの地下壕で自殺したと書いても、それは直接の経験によって知っていることを述べているのではなく、自分たちの歴史の教科書にそう書いてあるとただ認めているだけだ。
言い換えれば、自分の直接の経験による判断(いま雨が降っているなど)は別として、わたしのあらゆる判断はわたし自身の文化的知識を根拠になされるのであり、百科事典に記載されている情報にもとづいているのだ。
その百科事典から、わたしは地球から太陽までの距離や、ヒトラーがベルリンの地下壕で死んだという事実を学んでいる。それが真実かどうかを量るにはわたしはその場に居合わせなかったので、百科事典の情報を信頼する。太陽についての情報にしても、ヒトラーについての情報にしても、わたしがそれらを専門とする研究者に委任したからだ。
さらには百科事典にあるあらゆる真実は、どれも再検討の可能性に開かれている。わたしたちが学術的に開かれた意識をもっているなら、新たな資料がいつか発見されることへの心構えが必要だ。新たな資料によれば、ヒトラーは地下壕で死んでおらず、アルゼンチンに逃亡し、地下壕で発見された焼死体はかれのものではなく、自殺説はプロパガンダを目的としたロシア人の創作であると、あるいはそもそも地下壕など存在していないと明らかされるかもしれない。事実、地下壕のあった場所にチャーチルが腰を下した写真があっても、その場所には疑いの余地があると主張する者もいるのだ。その一方で、アンナ・カレーニナが線路に身を投げ自殺したことに疑いの余地は絶対にない。
架空の人物は、歴史上の人物に対してもうひとつ特権をもっている。史実としては、鉄仮面やカスパー・ハウザーの正体についてわたしたちはいまだに確信をもっていないし、アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァがロシアの皇族一家もろとも殺されたのか、あるいは生き延びて魅力的な婚約者としてイングリッド・バーグマン(「追想」1956)に演じられるに至ったのかもたしかではない。それとは対照的に、アーサー・コナン・ドイルを読んでいるとき、シャーロック・ホームズがワトソンについて言及すれば、それはいつでもひとりの人物を指していると、わたしたちは確信しているし、ロンドンに同じ名前で同じ特性の人はひとりだけであることも、どの作品中でその言及されている人物があの「緋色の研究」でスタンフォードという名の人からはじめてワトスンとよばれた人物であることも確信している。ドイルの未発表作品があり、そこには、ワトスンがアフガン戦争のさなかマイワインドの戦いで負傷しただとか医学の学士号をもっていることなどと言っていたのは嘘だった、とドイルが書いている可能性だってある。しかし、たとえそうだとしても詐欺師として正体を暴かれる人物は、やはり「緋色の研究」でスタンフォードからワトスンとよばれたその人であることに変わりない。
架空の人物の強固なアイデンティティにまつわるこうした問題は非常に重要だ。
2021年12月30日木曜日
20211229【架空の話】・其の80 【モザイクのピースとなるもの】
国による、医療介護従事者の大幅な増員政策と、ジョブ型雇用職種となり得易い、医療介護職職種の養成機関増設計画とが重なり、各地方に概ね二つの医療系専門職大学の新設を目指す方向にて動き出したが、その設置地域選定から始まり、各医療線も職大学の設置学科の調整、人員の募集などといった設置当初のさまざまな業務は、半官半民の「医療専門職大学運営機構」という組織が担当して実施した。これと類似していると思われる既存の組織は、国内各地にて看護大学を運営している日本赤十字学園であったり、あるいはこれにいくらか似ていると思われる、以前投稿のブログ記事においても少し触れた、東京医療保健大学と云える。
さて、各医療専門職大学を運営している「医療専門職大学運営機構」は、さまざまな基準に基づき、どの地域に設置するのが適切であるかの検討からはじまり、その決定後に大学が擁する学科についての検討を行い、それが決定されて公開に至って初めて、新設専門職大学の運営を希望する企業等の在地組織の募集を始めたとのことであるが、ここに至るまでの経緯は、さきの「医療専門職大学運営機構」の更なる運営元の主体といえる医療政策の研究を行っている、ある組織が実施に携わったとのことであり、その組織は、基本的に政府の職にある方はいない民間組織であり、また、その多くは、医療分野の研究者や、人文系の政治社会学、国際関係論などの研究者によって構成されており、各々の背景はさまざまなであったが、総じて、今後の更なる労働力人口の減少にくわえ、社会全体の高齢化による医療介護専門職の大幅な増員が求められることを見越して、そうした高等教育機関の設置を求めて活動を続けてきた方々であったが、この情勢が本格的に問題視されるようになってきた十年ほど前、この専門職大学の設置案が注目を集めるようになった。そして、そこから設置準備室から始まり、各地方二つの新設へと至ったが、そこでは、各地の専門職大学では運営に参画している地元企業からの意向も考慮することが求められたが、実際のところは、かなり自由であり、特に運営する地元企業・組織として、医療機関や医師会・歯科医師会が入っている場合、(これは殆どの専門職大学の運営側に入っていたが、その「程度」が大学によって異なり、それが所謂、金太郎飴的になりがちと指摘されていた各地の専門職大学にてスクール・カラーのようなものが形成されてゆく契機・端緒であったものと云える。)無頓着であるのか、殆ど大学運営に関して干渉することはなく、ただ、各種国家試験の合格率の保持、あるいはその改善については強い関心を持っているようであった。
また、設置される各学科の教員は、設置準備室による公募とスカウトの併用にて募集したが、そこには研究教育職への求職活動に苦労していた多くの若手研究者からの応募があったとのことである。
そうしたことから、これら専門職大学は、設置当初から全体的に運営側が未だ若手に属する年齢層の方々が多く、設置当初から数年経て、比較的年配であった初代学長に代わり、二人目の学長となった方は40歳代であり、また、その頃の医専大執行部の方々の多くも、それに近い年齢層の方々であった。とはいえ、執行部とは云っても、教授職の多くは、当初からの数年は、さきの初代学長のように、地元大学医学部の教授が兼任していた。また、それにより、S教授はK大学教授であると同時に、医専大口腔保健工学科の初代教授ということにもなっていた。また、そうした状況は他の学科においても概ね同様であり、設置後数年を経た頃に、徐々に教授職の代替わりが生じ、それによって40歳代を主とする若手による大学運営が本格的に始まったとのことである。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

さて、各医療専門職大学を運営している「医療専門職大学運営機構」は、さまざまな基準に基づき、どの地域に設置するのが適切であるかの検討からはじまり、その決定後に大学が擁する学科についての検討を行い、それが決定されて公開に至って初めて、新設専門職大学の運営を希望する企業等の在地組織の募集を始めたとのことであるが、ここに至るまでの経緯は、さきの「医療専門職大学運営機構」の更なる運営元の主体といえる医療政策の研究を行っている、ある組織が実施に携わったとのことであり、その組織は、基本的に政府の職にある方はいない民間組織であり、また、その多くは、医療分野の研究者や、人文系の政治社会学、国際関係論などの研究者によって構成されており、各々の背景はさまざまなであったが、総じて、今後の更なる労働力人口の減少にくわえ、社会全体の高齢化による医療介護専門職の大幅な増員が求められることを見越して、そうした高等教育機関の設置を求めて活動を続けてきた方々であったが、この情勢が本格的に問題視されるようになってきた十年ほど前、この専門職大学の設置案が注目を集めるようになった。そして、そこから設置準備室から始まり、各地方二つの新設へと至ったが、そこでは、各地の専門職大学では運営に参画している地元企業からの意向も考慮することが求められたが、実際のところは、かなり自由であり、特に運営する地元企業・組織として、医療機関や医師会・歯科医師会が入っている場合、(これは殆どの専門職大学の運営側に入っていたが、その「程度」が大学によって異なり、それが所謂、金太郎飴的になりがちと指摘されていた各地の専門職大学にてスクール・カラーのようなものが形成されてゆく契機・端緒であったものと云える。)無頓着であるのか、殆ど大学運営に関して干渉することはなく、ただ、各種国家試験の合格率の保持、あるいはその改善については強い関心を持っているようであった。
また、設置される各学科の教員は、設置準備室による公募とスカウトの併用にて募集したが、そこには研究教育職への求職活動に苦労していた多くの若手研究者からの応募があったとのことである。
そうしたことから、これら専門職大学は、設置当初から全体的に運営側が未だ若手に属する年齢層の方々が多く、設置当初から数年経て、比較的年配であった初代学長に代わり、二人目の学長となった方は40歳代であり、また、その頃の医専大執行部の方々の多くも、それに近い年齢層の方々であった。とはいえ、執行部とは云っても、教授職の多くは、当初からの数年は、さきの初代学長のように、地元大学医学部の教授が兼任していた。また、それにより、S教授はK大学教授であると同時に、医専大口腔保健工学科の初代教授ということにもなっていた。また、そうした状況は他の学科においても概ね同様であり、設置後数年を経た頃に、徐々に教授職の代替わりが生じ、それによって40歳代を主とする若手による大学運営が本格的に始まったとのことである。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
日本赤十字看護大学 さいたま看護学部
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。
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