2021年8月1日日曜日

20210731 記事作成時の集中に至るまでに大事なもの:コーヒー

 今回の記事投稿により、総投稿記事数が1598に達します。またおそらく、本日中での3記事の新規投稿は困難と思われるため、今月7月内での1600記事への到達には、至らないものと思われます。とはいえ、その後、8月初頭に到達出来るのであれば、去る3月の下旬に1500記事に到達し、そこから4カ月程度にて、新規投稿を100記事重ねたことになりますので、それはそれで自分としては、いくらかは身を入れたとは云えるのかもしれません。

ともあれ、当記事投稿後も、あまり怠けず、そしてまた慌てることなく、今しばらくの期間、記事作成を続け、出来るだけ速やかに1600記事まで到達し、そして、しばらく休息期間を設けたいと考えています。

また、昨日の投稿記事においても述べましたが、この1600記事の節目は、どうも常よりも緊張、萎縮しているようであり、その一つの要因は「これまでツイッターとブロガーにて連携してきた効果のようなものを、ここに来て実感したこと」であると云えます。こうした緊張感から生じる萎縮は、自分が願っても改善出来るものではないようで、ただ、その状況をどうにか乗り切るうちに、何となく自分全体がそれに合わせて進化なり発展といった変化を遂げていくのだと思われるのですが、そこから、さきに述べた昨今の状況も、後日、1600記事に到達することにより、自然と改善されるのではないかと考えていますが、あるいは到達後も、この感覚(緊張、萎縮)に変化がないようでしたら、それは少し考えものであると云えます・・。

しかしながら、今回を含めて、どのような状況であっても、継続的な記事(文章)作成を行っていますと、少なくとも、当初に書く意欲がなくとも、書き進めるにしたがい、徐々にそれが増幅され、そして、ある程度の量の文章は作成できるようになるとは云えるのかもしれません。また、その効果が顕現しているのは、まさに現在書き進めている当記事であると云え、ここでの文章は、冒頭の書き始めの頃と比べますと、緊張も萎縮も少なくなり、そして、書き進めたい意欲は、書き始め当初の頃と比べますと、幾分かは強くなっていると云えます。これは他面から見ますと「集中し始めた・・」ということになると思われるのですが、この「集中」もまた、記事作成に大きく関与するものであり、また、これは飲み物であるコーヒーによって助けられている部分が少なからずあると云えます・・。

子供の頃から私はコーヒーなどには弱く、時折、喫茶店などに入ってもコーヒーを注文することは殆どありませんでした。その後、社会人になってからは、缶コーヒーとタバコの組み合わせを知り、甘ったるい缶コーヒーを飲みつつ、タバコを喫うことが(現在考えると恐ろしいことではあるのですが)自然な習慣になっていましたが、和歌山の在住期間にて、何故だか缶コーヒーを飲む習慣が廃れ、その次の鹿児島在住期間では、殆ど飲まなくなっていました。その一方で、本物のコーヒーの方は、その味覚から始まり徐々に進歩してゆき、どうにか現在に至っていると云えますが、そこから、私のコーヒーに関しての感覚は、かなり遅い発達を遂げているようであり、あるいは、コーヒーのカフェインに対しても発達が遅かった分だけ、今現在に至るまで、新鮮とも云える効果を齎してくれているのであれば、それはそれで当ブログの記事作成に関しては大変ありがたいものであると云えます・・。

そういえば、ここ数カ月來、私はお店で豆を挽いて頂き、自宅にてコーヒーを淹れて飲んでいますが、これも私からしますと新たな試みであり、楽しんでいると云えます。またこれは、現今のコロナ禍の中であるからこそ見出した新たな行動パターンであるとも云えますので、あるいは、このコロナ禍も、自分の既定行動パターンを変えるための環境変化であると考え、各種規制への対応と同時に、何と云いますか、外に開かれた構えも保持することが、思いのほかに大事ではないかと思われました・・。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

順天堂大学保健医療学部
順天堂大学医療科学部

日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 


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~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

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連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

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2021年7月30日金曜日

20210730 「文体の獲得」とは相変態的な変化なのでしょうか・・?

 今回の投稿記事を含めて4記事の投稿により、1600記事に到達します。昨日の投稿記事にても述べましたが、今回の1600記事への到達は、より当ブロガーとツイッターとの連携を重視した後での、ある程度の区切りであることから、これまでとは多少感じが異なり、あるいは少し緊張・萎縮していると云えるかもしれません・・(苦笑)。

それでも一つずつ記事作成を行わないことには目標に到達出来ませんので、あまり気乗りがしないままにて、ついさきほどから記事作成を始めた次第です。

また、昨日より「緊張」や「萎縮」といった表現を度々用いましたが、これらは後日、無事に1600記事に到達することができれば、何処かへ胡散霧消してしまうものなのでしょうか?さらに、そのように考えてみますと、1600記事の到達目前と云える現在にて「これまでに到達した各通過点でのそれとは異なった感覚を覚えている」とは、云えるのかもしれません。

とはいえ、当ブログ開始当初の頃を想起してみますと、当時は「公表する文章なんて、どう書けば良いのだろう?」と悩みつつ、書籍からの抜粋や、対話形式にて記事作成をしていましたが、その後、2016年の前半頃から独白形式を主とした記事作成を始め、そこから、さらに多少の紆余曲折を経て(どうにか)現在に至っていると云えます・・。

そうしますと、そこから5年程さらに独白形式にて記事作成を行ってきたのであれば「面白い記事をより多く作成出来るようになったのでは?」と思われるかもしれませんが、これに関しましては、さきの「緊張」や「萎縮」ともあるいは少し関係があるとも思われますが、当ブログ開始以前からの懸案事項である「文体の獲得」は、未だに実感され得ないことから、文章力向上についての見解は、現時点では出すことを控えたいと思います。

あるいは上記のように5年以上文章作成を続けても「文体の獲得」に至らず、徒に、ただただブログ記事を作成していることは、見様によれば喜劇的でもあるのかもしれません。しかしながら、これまでの記事作成を継続した期間には、現在よりも著しいスランプの時期もあり、一方で記事作成が全般的に楽しく、文章のアイデアも比較的快調に出ていた時期もあったと云えますが、そうした経験を経ても未だ明瞭な「文体の獲得」といった(相変態的な)感覚はないものの、同時に、これまで継続してきた期間にて、半ば無意識のうちに得てきたものも少なからずあると思われ、そして、その先にこそ「文体の獲得」の感覚があるのではないかとも思われるのです・・。

しかし他方で「では、これまでに相変態的と仮定される「文体の獲得」の感覚と、類似した感覚を覚えたことはあるのか?」と、記憶を遡ってみますと「それは2012・2013年頃にそうした感覚を覚えた」とは云え、またそれは、幾度か述べましたが、これまで、どうにか記事作成を継続出来ている根元にあるものであり、また、それなりの情動を齎したものと云え、後日、それをブログ記事として書いてみたいとも考えていますが、これについては「自分の文体を確立した」と自然に云えるようになった、ある程度先になるのではと考えています。

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2021年7月29日木曜日

20210729 1600記事到達前での緊張感について・・

 昨日投稿の記事にて、ここ最近は、当ブロガーでの記事投稿とツイッターとの連携を重視していると述べましたが、それに関連があるのか分かりませんが、昨日、本日は以前のツイッターでのある投稿により、閲覧者数が、驚くべきことに、これまでと比べ、かなり多くの数にまで達しました。

この事態は、昨日の投稿記事での見解からしますと、やはり多少は緊張を伴うものではあり、案の定、本日もまた、あまりスムーズな感じでの記事作成には至らず、ようやく、つい先刻よりどうにか記事作成を開始した次第です・・(苦笑)。

さて、昨日の投稿記事にて述べた、緊張とスランプについて少し考えてみますと、おそらく、それを生じさせている一つの要因は、これまでの1500以上の投稿記事の存在であり、そこで述べていることと、現在作成している当記事との間に、できるだけ齟齬を生じさせないように作成することは、思いのほかに心に負荷を掛け、また、記事作成へのハードルを上げるものであり、あるいは慣れてしまえば、たいしたことではないのかもしれませんが、これは昨今の私としては、やはり重視して、そして緊張してしまうところであると云えます。

その意味において、単純に1600までの記事数を速やかに得たいのであれば、書籍からの抜粋による記事を投稿すれば良いのかもしれませんが、しかし、そうした目標間近という事態であればこそ、オリジナルの記事を主軸としての記事投稿を行う方が良いのではないかと思われるのです。

そして実際に今後、1600記事に到達することが出来ましたら、その時はさすがしばらく休み、あるいは投稿頻度を下げたいと考えています。ともあれ、1600記事への到達直前の今頃、ツイッターとの連携による効果にて、時々は、(自分としては)多くの方々に閲覧して頂けたという何度かの事態が(あるいは過度に)意識され、この緊張へと至ったことは、特に悪いことではなく、これに慣れることが出来れば、それはそれで進化であるとも思われますので、もうしばらく、この緊張は続くものと思われますが、とりあえず1600記事到達までは書いていきたいと思っています・・。

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20210728 今回の記事投稿により1595記事に到達することについて思ったこと

 今回の記事投稿により、総投稿記事数が1595に至り、また、残り5記事の投稿を3日間にて行う必要性も生じてきますが、こちらに関しては、あまり考えないようにして、とりあえず一記事ずつ作成するほかにないと思うようにはしていますが、今回の目標である1600記事は、以前の1500記事、さらに以前の1000記事での達成直前の頃と比べて、何かしら緊張するものがあるのです・・。

私がこれまで記事を作成している「ブロガー」ですが、こちらでは投稿記事に対する何らかの反応を見出せることは稀であり、そうしたことから、ブロガーにおいては、それぞれの記事閲覧者数によって、その反応の程度を反映するものと考えるようになりました。

また、そうした見方も決して全面的に間違いではなく、むしろ、その見方によって、これまでの記事作成期間を通じて、多く読んで頂ける記事と、そうでない記事が書かれた理由のようなものが、少しでも分かり、理解出来ればと考えています。

他方で「ブロガー」にて作成した記事を他のSNSサイトにて連携しますと、それに対してのコメントがつくこともあり、そうしたことから、さきの「ブロガー」のみ、そしてその後の「ブロガー」と「フェイス・ブック」を連携させていた頃と比べ、現在の私は、より「ブロガー」と「ツイッター」との連携を重視していると云えます。

つまり、そうした「重視する」といった背景での思いがあったからこそ、冒頭にて述べた「緊張するものがある」も理解することが出来るのではないかと思われます。ともあれ、今回の1600記事への到達は、よりツイッターとの連携を深めた先にある、ある程度の到達記念であることから、緊張しているのであると云えるのかもしれません。

とはいえ、それを気にしているのは、ほぼ記事作成者のみではあるのですが、むしろ、こうした緊張は、これまでに経験することなく、どちらかと云えば漫然と数年間、記事作成を続けてきたわけですが、そうした先に、こうした緊張感のようなものがあっても、それはそれで特には問題ないように思われます。

そうしたことから、昨年1月からはじめたブロガーとツイッターとの連携は、間違いなく、そこからのブログ記事作成に影響を与えたと云えます。

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2021年7月28日水曜日

20210727 株式会社講談社刊 東浩紀著「動物化するポストモダン」 オタクから見た日本社会 pp.125-127より抜粋

株式会社講談社刊 東浩紀著「動物化するポストモダン」

オタクから見た日本社会

pp.125-127より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 4061495755
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061495753

 コジューヴによれば、大きな物語が失われたあと、人々にはもはや「動物」と「スノビズム」の二つの選択肢しか残されていなかった。そして本書ではここまで、そのスノビズムのほうは、世界では1989年、日本では95年に時代精神としての役割を終え、いまは別種の時代精神=データベース消費に取って替わられつつあると論じてきた。とすれば、ここで、その変化を、コジューヴの言葉を踏まえて、「動物化」と名付けるのもよいかもしれない。

 動物化とは何か。コジューヴの「ヘーゲル読解入門」は、人間と動物の差異を独特な方法で定義している。その鍵となるのは、欲望と欲求の差異である。コジューヴによれば人間は欲望を持つ。対して動物は欲求しかもたない。「欲求」とは、特定の対象をもち、それとの関係で満たされる単純な渇望を意味する。たとえば空腹を覚えた動物は、食物を食べることで完全に満足する。欠乏ー満足のこの回路が欲求の特徴であり、人間の生活も多くはこの欲求で駆動されている。

しかし人間はまた別種の渇望をもっている。それが「欲望」である。欲望は欲求とは異なり、望む対象が与えられ、欠乏が満たされても消えることがない。その種の欲望の例として、コジューヴを始め、彼に影響を受けた多くのフランスの思想家たちが好んで挙げてきたのは、男性の女性に対する性的な欲望である。男性の女性への欲望は、相手の身体を手に入れても終わることがなく、むしろますます膨らんでいく(と彼らは記している)というのも、性的な欲望は、生理的な絶頂感で満たされるような単純なものではなく、他者の欲望を欲望するという複雑な構造を内側に抱えているからだ。平たく言えば、男性は女性を手に入れたあとも、その事実を他者に欲望されたい(嫉妬されたい)と思うし、また同時に、他者が欲望するものをこそ手に入れたいとも思う(嫉妬する)ので、その欲望は尽きることがないのである。人間が動物と異なり、自己意識をもち、社会関係を作ることができるのは、まさにこのような間主体的な欲望があるからにほかならない。動物の欲求は他者なしに満たされるが、人間の欲望は本質的に他者を必要とするーここでは詳しくは述べないが、この区別はじつは、ヘーゲルからラカンまで、近代の哲学や思想の根幹をなしているきわめて大きな前提である。コジューヴもまたそれを踏襲している。

 したがってここで「動物になる」とは、そのような間主体的な構造が消え、各人がそれぞれ欠乏ー満足の回路を閉じてしまう状態の到来を意味する。コジューヴが「動物的」だと称したのは戦後のアメリカ型消費社会だったが、このような文脈を踏まえると、その言葉にもまた、単なる印象以上の鋭い洞察が込められていたことがよく分かるだろう。

2021年7月27日火曜日

20210727 記事作成のための原動力と必要な感覚・・

 今回の記事投稿によって総投稿記事が1593に到達します。これもあまりキリの良い数字ではありませんが、一記事の投稿によって、とりあえずの目標に近づいていると思えることは、何れの数字であっても、それなりに嬉しいものであり、さらにまた、本日のようにあまり書く題材がなかなか見つからない時においては、新たな記事作成のための題材ともなり、それはそれでありがたい感覚であるようにも思われます。

そういえば、ここ最近私は、自分の思ったことをそのまま口頭にて話し、それを筆記して言語化し続けるよりも、とりあえず、ここでキーボード入力であれ筆記であっても、書き続けることの方が、記事作成のための効率的な途であると考えるようになりました。それは異言しますと、自分が口頭で何かを云おうとするよりも、ペンを持ち、あるいはキーボードを操作し、文章を作成している自分の方が、口頭で云おうとする自分よりも、あるいは少しマシであるように思われてきたということです。

これはおそらく、現実での私と、この文章での世界の私の間にて、この文章の世界の私の方がよく話しをする環境にあるということを示すものであるとも云え、ひいては現実社会における私は、あまり話していないということにもなり得ます・・(苦笑)。

とはいえ、おそらくそうした環境は、文章作成もしくは文体の獲得のためには良いと思われるため、これも以前に述べたと思われますが、それぞれのバランスといったものが大事であると思われるのです。

そして、その最適なバランスが継続的に確保されるのであれば、最も効果的な文章作成が出来るのかと云えば、そうではなく、おそらく、文章作成のための一つの大きな原動力とは、文章作成のための(自分なりの)最適な環境を求めつつも、それがなかなか得られないといった状態から惹起される摩擦のようなものから生じるのではないかと思われるのです。

また、そうしたことをここで思ったのは、現在読み進めている ちくま新書 小泉悠著 「現代ロシアの軍事戦略」p.77の記述によると思われますが、しばしば書籍とは面白いものであり、その題名「現代ロシアの軍事戦略」と、卑近とも云える(自分の)記事作成のための原動力とは、あまり結節しそうにないと思われるところではあるのですが、それらをごく自然に関連があるのかもしれないと考えるところに、現在に至るまで、どうにか記事作成を続けることが出来ている一つの要因があるのではないかとも思われるのです・・。

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2021年7月26日月曜日

20210726 メモランダムに記した文章をキーボードにて入力していて思ったこと

以下、先日メモランダムにて筆記したものを示します。

「そういえば、大抵の条件にてスムーズにインクが出て筆記が出来て、また出過ぎて服を汚すことのない万年筆と、それに合った適切なノートがあれば、キーボードにて打ち込み、PCにて文章を作成するよりも、生き生きとした文章を作成することが出て来るかもしれない。また、不思議なことであるが、このメモランダムに書いた文章をそのままPCに入力ことはどうも気が引ける。」

これはPC入力にて文章を作成している自分と、メモランダムに筆記で文章を作成している私とでは、少し性質が異なることから、以上のような見解になったものと思われます。それでも、さきに「気が引く」と述べていた、メモランダム文章を当ブログに実際、入力してみても、特に違和感は感じられませんでした。

この二人の自分に隔たりが無くなれば、あるいは、スムーズな記事作成が出来るようになるかもしれず、さらに、これは未だスランプの中にいる私からすれば、検討すべきことであると思われ、そのさきを記そうとしていますが、そこで思い付いたのは「とりあえず、メモランダムに書いた文章をより多く、こちらに移植することを続けること」により、キーボードを使う私と、ペンとノートを使う私は、同一化することが出来るのではないかということです。今後、メモランダムにどのようなことを記すか未だ分かりませんが、こうした試みもまた当ブログ全体の記事数に資するのであれば、意味があると云えるかもしれません・・。

そして、ここにきて再びメモランダムに目を移しますと、そこに書かれている文字がPC画面の文字と比べ、あきらかにくずれていることから、先ずはその意味を再解釈する必要性が往々にしてあるのですが、おそらく、その過程で、メモランダム上の文章をリアルタイムに記していた頃が想起されるのだと思われます。そして、その想起されたものが多くなっていくことにより、手書きとキーボードでの私は和解してゆくのだと思います。

また、くずれた文字は万年筆を用いて書いたものですが、ここ数年間愛用しているのはラミー(Lamy)社のLamy2000(ニブはF)というものであり、1960年代にデザインされたものであるにもかかわらず、古さを感じさせないシンプル且つバランスの良いフォルム、そして、外観からは、あまり万年筆らしくないと思われるものの、書き味は万年筆らしく大変滑らかなものであり、そのギャップのようなものが、ロング・セラーである当Lamy2000万年筆の魅力であると私は思っています。

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