~勉強会の御案内~
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去る4月末から断続的にではあれ、現在に至るまで書き続けている【架空の話】もおかげさまで49話まで書き進めることが出来ました。しかしながら、そのモデルとなっている自身の経験全てから考えてみますと、これまでの文量は、その全体の10%にも至っておりません。それ故、今後、当【架空の話】を書き進めるに当たり、その書き進め方については、今しばらく検討する必要があるのではないかと考えています。
具体的には、物語の進行の速度であり、これまで夏頃から物語が始まり、そして現在翌年の1月末頃を描いていることから、期間的には半年程度を49回に分け、さらにその焦点を当てている時期は編入試験とWへの旅行およびその後の時期であり、出来れば、今後2話程後にはKでの新生活が始まるようにしたいと考えてますが、こういったものを書いていて面白いと感じることは、書いているうちに、その物語の筋を即興にて変えることがあるのですが、その筋にて書いていると、再度興に乗り、ある時期・場所の描写を念入りに書いてしまうことであり、これが続くと当初の漠然としたものであれ、予定と噛み合うことが困難になり、本格的に「脱線」していくことになります。たしかにそれはそれで、その時書いていて面白いとは感じているのですが、他方でやはり、さきに述べた「全体の筋・予定」も同様に重要であると思われることから、今回このような文章を作成して、自身としても状況の整理を促し、また今後の物語進行の方向性を大まかなものであれ、読んで頂いている皆様に対し提示することにより、その路線にて書き進める必要性が生じると思われますので、これはこれで意味があると自身としては考える次第です。
また、これまでの経緯からしますと、蛇足気味にはなりますが、当【架空の話】をしばらく継続して作成し、その他については書籍からの抜粋引用文を記事としていますと、他のこれまでに作成してきたような記事を書く”コツ”のようなものを忘れてしまったような感覚を覚えるのです。そして、そうした状態にて作成することが出来る、自身オリジナルの記事とは、こうした【架空の話】にまつわるものであり、自身としても多少驚くところです。
とはいえ、それ以外にて記事作成が出来ないというわけではなく、おそらく自身内部の異なる記憶の相には、これまである程度の期間、継続的に作成してきた雑文記事のような文章を作成するための「記憶の相」が存在するはずであると思われ、また感じられることから、もし、それを強く望むのであれば、しばらく時間を必要とするとは思われますが、再度、そうした雑文系の記事を書き続けることは出来るのではないかと思われます・・。あるいは、そうしたところは、もっと疑問視すべきところであるのかもしれませんが・・。
ともあれ、現在の私はそうした状況であり、そして次回からは【架空の話】の先を作成して行こうと考えています。
株式会社講談社刊 村上春樹著「羊をめぐる冒険」上巻pp.19-22より抜粋
ISBN-10 : 40627491221970年11月25日のあの奇妙な午後を、僕は今でもはっきりと覚えている。強い雨に叩き落された銀杏の葉が、雑木林にはさまれた小径を干上がった川のように黄色く染めていた。僕と彼女はポケットに両手をつっこんだまま、そんな道をぐるぐると歩きまわった。落ち葉を踏む二人のの靴音と鋭い鳥の声の他に何もなかった。
「あなたはいったい何を抱え込んでいるの?」と彼女が突然僕に訊ねた。
「たいしたことじゃないよ」と僕は言った。
彼女は少し先に進んでから道ばたに腰を下し、煙草をふかした。僕もその隣りに並んで腰を下した。
「いつも嫌な夢を見るの?」
「よく嫌な夢を見るよ。大抵は自動販売機の釣り銭が出てこない夢だけどね」
彼女は笑って僕の膝に手のひらを置き、それからひっこめた。
「きっとあまりしゃべりたくないのね?」
「きっとうまくしゃべれないことなんだ」
彼女は半分吸った煙草を地面に捨てて、丁寧に踏み消した。「本当にしゃべりたいことは、うまくしゃべれないものなのね。そう思わない。」
「わからないな」と僕は言った。
ばたばたという音を立てて地面から二羽の鳥がとびたち、雲ひとつない空に吸い込まれるように消えていった。我々はしばらく鳥の消えたあたりを黙って眺めていた。それから彼女は枯れた小枝で地面にわけのわからない図形を幾つか描いた。
「あなたと一緒に寝ていると、時々とても悲しくなっちゃうの」
「済まないと思うよ」と僕は言った。
「あなたのせいじゃないわ。それにあなたが私を抱いている時に別の女の子のことを考えているせいでもないのよ。そんなのはどうでもいいの。私が」彼女はそこで突然口を閉ざしてゆっくりと地面に三本平行線を引いた。「わかんないわ」
「べつに心を閉ざしているつもりはないんだ」と僕は少し間をおいて言った。「何が起こったのか自分でもまだうまくつかめないだけなんだよ。僕はいろんなことをできるだけ公平につかみたいと思っている。必要以上に誇張したり、必要以上に現実的になったりしたくない。でもそれには時間がかかるんだ」
「どれくらいの時間?」
僕は首を振った。「わからないよ。一年で済むかもしれないし、十年かかるかもしれない」
彼女は小枝を地面に捨て、立ち上がってコートについた枯草を払った。「ねえ、十年って永遠みたいだと思わない?」
「そうだね」と僕は言った。
我々は林を抜けてICUのキャンパスまで歩き、いつものようにラウンジで座ってホットドッグをかじった。午後の二時で、ラウンジのテレビには三島由紀夫の姿が何度も何度も繰り返し映し出されていた。ヴォリュームが故障したせいで、音声は殆ど聞きとれなかったが、どちらにしてもそれは我々にとってはどうでもいいことだった。我々はホットドッグを食べてしまうと、もう一杯ずつコーヒーを飲んだ。一人の学生が椅子に乗ってヴォリュームのつまみをしばらくいじっていたが、あきらめて椅子から下りるとどこかに消えた。
「君が欲しいな」と僕は言った。
「いいわよ」と彼女は言って微笑んだ。
我々はコートのポケットに手を突っ込んだままアパートまでゆっくり歩いた。
河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21Lessonsー21世紀の人類のための21の思考」
ISBN:978-4-309-22788-7pp.17-19より抜粋
人間は、事実や数値や方程式ではなく物語の形で物事を考える。そして、その物語は単純であればあるほど良い。どんな人も集団も、独自の物語や神話を持っている。だが20世紀には、ニューヨーク、ロンドン、ベルリン、モスクワのグローバルなエリート層が、過去をそっくり説明するとともに全世界の将来を予言するという触れ込みの、三つの壮大な物語を考え出した。ファシズムの物語と、共産主義の物語と、自由主義の物語だ。
ファシズムの物語は、異なる国家間の闘争として歴史を説明し、他のあらゆる人間の集団を力づくで征服する一つの集団によって支配される世界を思い描いた。共産主義の物語は、異なる階級間の闘争として歴史を説明し、たとえ自由を犠牲にしても平等を確保する。中央集権化された社会制度によって、あらゆる集団が統一される世界を思い描いた。自由主義の物語は、自由と圧制との闘争として歴史を説明し、あらゆる人が自由に平和的に協力し、たとえ平等はある程度犠牲にしても中央の統制を最小限にとどめる世界を思い描いた。
これら三つの物語の間の争いは、第二次世界大戦で最初の山場を迎え、この戦争によってファシズムが打ち負かされた。1940年代後期から80年代後期にかけて、世界は共産主義と自由主義という、残る二つの物語の間の戦場と化した。やがて共産主義の物語が破綻し、自由主義の物語が、人間の過去への主要なガイド兼、世界の将来への不可欠の手引きとして後に残されたーいや、グローバルなエリート層にはそう思えた。
自由主義の物語は自由の価値と力を賛美し、次のように語る。人類は何千年にもわたって暴虐な政治体制の下で暮らしてきた。そうした体制は、政治的な権利や経済的な機会や個人の自由を人々にほとんど許さず、個人やアイデアや財の移動を厳しく制限した。だが人々は自由のために戦い、自由は着実に地歩を固めていった。民主的な政治体制が独裁政権を押しのけた。自由企業制が経済的制約に打ち勝った。人々は、偏狭な聖職者や旧弊な伝統にやみくもに従う代わりに、自分で考え、自らの心に従うことを学んだ。公道や頑丈な橋や活気に満ちた空港が、壁や堀や有刺鉄線のついた柵に取って代わった。
自由主義の物語は、世の中では万事が順調であるわけではないことや、まだ乗り越えなければならない障害が多々あることを認める。地球上の多くが圧制者に支配されており、非常に自由主義的な国々でも、多くの国民が貧困や暴力や迫害に苦しんでいる。だが少なくとも、これらの問題を克服するために何をする必要があるかはわかっている。より多くの自由を人々に与えればいいのだ。私たちは人権を擁護し、全員に選挙権を与え、自由市場を確立し、個人やアイデアや財が世界中をできるだけ容易に移動できるようにする必要がある。この自由主義的な万能の解決法【わずかな違いこそあれ、ジョージ・W・ブッシュもバラク・オバマも受け容れている)によれば、私たちの政治制度と経済制度を自由主義化・グローバル化し続けさえすれば、万人のために平和と繁栄を生み出せるという。
とどまる所を知らないこの進歩の大行進に加わる国々は、より早く平和と繁栄で報われる。この必然的な展開に逆らおうとする国々は、苦しむ羽目になるー彼等も目を覚まし、国境を開放し、社会と政治と市場を自由主義化するまでは。時間はかかるかもしれないが、北朝鮮やイラクやエルサルバドルさえもが、デンマークあるいはアイオワ州のように見えるようになるだろう。
1990年代と2000年代には、この物語は繰り返し語られるグローバルな信条になった。ブラジルからインドまで多くの国の政府が、容赦ないこの歴史の進展に加わろうとして、自由主義の処方箋を採用した。そうしそこなった国は、太古の化石のように見えた。1997年、アメリカのビル・クリントン大統領は、中国が政治を自由主義化するのを拒めば、「歴史の流れに逆行する」ことになると、自信たっぷりに中国政府を批判した。
ところが、2008年のグローバルな金融危機以来、世界中の人々が自由主義の物語にしだいに幻滅するようになった。壁やファイアウォールの人気が回復した。移民や貿易協定への抵抗が強まっている。表向きは民主主義の政府が、司法制度の独立性を損なったり、報道の自由を制限したり、いかなる反政府運動も叛逆呼ばわりしたりしている。トルコやロシアのような国の独裁者は、新しい種類の非自由主義的民主主義やあからさまな独裁制を試している。今日、中国共産党が歴史の流れに逆行していると自信を持って言い切れる人はほとんどいないだろう。