*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
~勉強会の御案内~
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おかげさまで、今回の記事投稿により総投稿記事数が1390に到達します。そしてまた、この調子にて記事作成を継続しますと、おそらく来月中には1400記事に達することが見込まれます。
とはいえ、今後近いうちに1400記事までの到達が見込まれても、それ自体、あまりキリの良い数値とは云えないことから、その後も1500記事の到達までは、継続的に記事の更新を行っていきたいと考えています。
さて、先日来から読み進めている大岡昇平著「俘虜記」は、さきほど、ようやく280頁まで至りました。このあたりになりますと、著者の収容所内の描写および洞察は冴えわたり、その抽象の度合いは、昭和20年のフィリピンでの米軍管理下の捕虜収容所のみに留まらず、75年後の我が国社会においても十分当て嵌まるのではないかと思われるものが散見されます。
そして、その具体的内容を知りたいとお考えの方は、読書の秋とも云いますので、是非、当著作を読まれることをおススメいたします。
ともあれ、こうした射程が長い洞察を、抑えた、乾いた筆致にて綴ることの出来る著述家は、果たして現在おられるのでしょうか?
他方で、ここ数日、連日記事作成を行ってきたことからか、この時間に至りますと、どうも眠気が襲ってきます。そうした状態の中で、なおも記事作成を行っていますと、時折は良いと思われる着想が湧き、スムーズな記事作成が出来ることもあり、実際、当ブログ開始当初の2~3年は、そのような感じでほぼ毎日作成を続けていました・・(苦笑)。
しかし、ここ最近になりますと、その「勢い」は減衰してきたようであり、さきに述べた以前のようには行きません。これは年齢によるものなのでしょうか・・(苦笑)?
また同時に、これまで5年以上にわたって記事作成を継続してきましたが、自身の文体を確立したという実感は未だなく「多少文章を書き易くはなったが、それが文体の確立にどのような関連があるのかとは、未だ実感として理解できていません・・。これもまた私の鈍感さによるものなのでしょうか・・(苦笑)?
あるいは、こうしたことは、継続的な記事作成を止めた後になり身体化され、そして、定着したものを実感出来るようになるのかもしれません・・。
そして、そのためにも少なくとも、あと110記事の新規作成が必要であるのだと思われます・・(苦笑)。
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一昨日から読み始めた村上春樹著「風の歌を聴け」は昨夜、読了に至りました。読後の感想は「どうも小説らしくない不思議な小説だな・・。」といったところですが、同時に「面白くない」という感覚はありませんでした。してみると、当著作を含め、村上春樹氏による小説の多くは、こうした謂わば「雰囲気を読ませる・感じさせる」物語であるのかもしれません・・。また、その雰囲気について考えてみますと、これまた不思議と、40年以上前に著された作品であるとは自身には感じられませんでした。(もっとも考えてみますと、私は最近の小説を(殆ど)読んだことがありませんが・・(苦笑)。)
ともあれ、そこから多くの批評家の方々が云うように「氏の小説作品は場所性といった概念を出来るだけ捨象している。」のと同様、時代性についても、同様であり、敢えて、あまりそういった要素を深掘りしないといった傾向があるのではないかと思われました。また、それにより、より多くの読者層を得ることが可能になるとも云えることから、これはこれで少なくとも、悪い作風ではないようにも思われます。
また、当著作は「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」との三部作であるとのことから、今後は機会を見つけ、とりあえず両作品を読んでみようと考えています。
他方で、もう一つ読み進めている大岡昇平著「俘虜記」は200頁過ぎまで至りましたが、そこでは、未だ収容所社会様相の描写はそこまで深彫りされておらず、周囲の収容者達、監視米兵の様子が主に描かれていると云えます。そして今後、徐々に収容所社会様相の描写が詳細になっていくのですが、おそらく、それらの描写が、現代の我が国社会との対比によって、憂鬱さ(多分それは司馬遼太郎が晩年「昭和という時代は実に不健康な時代です・・。」と宣っていたのと類似するか同根の感覚であるように思われます。)を生じさせるのだと思われます。しかしまた同時に、当作品の重要性の配分は、これまでの前半部に多く描かれていた「何故、目の前の米兵を撃たなかったか?」という著者自身の内的な問いよりも、後半部分での収容所社会の描写、および、それに対しての洞察に大きく因っているものと私は考えます。
さて、突然ハナシは変わりますが、最近は主にツイッターでのインプレッション数を注視していたため、ここに来て当ブロガーの全期間での総閲覧者数が493000人を超えていることに気が付きました。
そして現在の調子にて書き進めて行きますと、おそらく、本格的に冬に入る前には、以前から目標としていた50万人に到達することが出来るのではないかと思われます。
もとより、所謂アルファ・ブロガーと呼ばれる方々と比較しますと、本当に大したことではないのかもしれませんが、それでも自身としては一つの目途が立ち、区切りになるとは云えます・・。
さらに、これまた現在の調子にて書き進めますと、来月には総投稿記事数が1400に至るとも予測されることから、とりあえずは、これらを目標として、さらに書き続けて行こうと考えています。
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帰路の御茶ノ水から本八幡までの電車内にて30頁以上まで読み進みましたが、特に面白いと感じることはないものの、以前と違い、どうにか普通に読み進めることが出来ています。おそらく、氏の小説を読まなかった期間に私の何かが変わったのだと思われますが、それが一体何であるかは、未だに分かりません・・。
これを読了してみると、また少し風向きも変わるものなのでしょうか(笑)?
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当ブロガーにて作成した記事をツイッター、フェイスブックなどで共有していますと、時折、ある特定の記事にインプレッション、閲覧者が集中するといった事態が生じることがあります。そこから「何故、この記事が今読まれるのだろうか?」といった疑問が生じるわけですが、こうした疑問はこれまで自身の中で明解な答えに至ったことはありません・・。
そして、ここにこうしたことを記している理由は、本日また、それに類する事態が生じたことによるのですが、これについても、さきと同様、答えらしきものは思いつかず、見つかっていません・・。
あるいは今後、そうしたことも分かるようになってくるのでしょうか・・?いや、こうしたことの精確な経緯とは、自身にとって、あまりにも複雑であるように思われることから、今後も分かるまでには至らないと思われます。多少残念ではありますが・・(苦笑)。
とはいえ、こうした時折生じる事態は、少なくとも、自身に新たなブログ記事作成のネタを与えてくれるものでもありますので、それはそれでありがたく、あまり過度な理解への期待など抱かず、とりあえず、こうして記録に留めるだけでも、自身にとっては、それなりに意味があるのではないかとも思われます。
昨日投稿の記事にも書きましたが、現在はスランプ気味といって良い状態であり、調子が良い時のような「この題材をもとに記事作成をしよう・・」といった感情は湧かず、中身が乏しくなったチューブから無理やり押し出しているような感さえ多少感じます・・(苦笑)。
あるいはしばらくの期間、記事作成を止めて、そのネタとなる読書や他の経験に時間を割いた方が、その後の記事作成にも弾みがつくのかもしれません・・。
しかし、一方で、現在よりもさらに記事作成を面倒に感じるようになり、そのまま止めてしまう可能性もなくはないと思われることから、やはり、ここは出来るだけ記事作成を行った方が良いのではないかとも思われるのです。
そうした状況下で、さきに書いたような記事題材となり得る事態が生じることにより、現在の記事が作成されていると云えますが、ともあれ、それでこの程度まで書くことが出来れば、それはそれで自身としては及第の域には達したと云えます・・(笑)。
また、その背景には、現在読み進めている大岡昇平著「俘虜記」の文体があるのではないかと考えます。たとえ記事題材となり得る事態が存在しても、それを文章として表出するためには文体が不可欠であり、それは題材となる事態と等価に重要なものであると考えます。そして、この文体とは、それまでの経験の蓄積によって個人に定着しているものであると同時に、その最表層は、直近の文章的な刺激に左右される性質があるのではないかと思われます。そのため、ブログ記事ではあっても、個人を感じさせる文章の継続的な作成のためには、作成者にとって良質と感じられる読書もまた継続した方が良いのだと思われるのです・・。
そして、ここに自然科学系学問のさらに根幹部・基礎にある人文社会科学系学問の重要性があるのではないかとも思われるところです。多少ハナシを広げ過ぎた感はあるかもしれませんが、さて、如何でしょうか?
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