2020年5月23日土曜日

20200522【架空の話】・其の17

【架空の話】
Bとの会話にて「就職に備えて歯をキレイにしておきたい」との要望を聞き、D先生の医院をBに紹介した。そしてBは定期的にPMTCとホワイトニングを受けることになった。これら行為は主に歯科衛生士の職分であるとのことから、同年代のK出身者同士であるBとCさんの会話は弾んだのではないかと思われる・・。

そういえば、指導教員に対して編入試験の合格を伝えると「ふむ、それは良かった。では、次は修士論文を頑張ってください。今のドラフトでは、まだまだ、詰めが甘いところがありますからね。」とのことであり、そうしたこともあってか、以降しばらく研究経過報告や研究指導では、厳しいダメ出しが続いた。ちなみに、この先生のダメ出しは、たしかに厳しいことは厳しいのだが、そこから落ち込むような精神的ダメージを受けることは少なく、ストレスが溜まらないといった特徴があったが、こうしたものは、人それぞれ相性といったものがあるのではないかと最近は考えている・・。

そして9月の末頃になると、修士論文ドラフトも、どうにかカタチになり、個々の章について、さらに詳説すべきところ、省いても良いところ、といった文章の明暗、メリハリをつける作業や、記述内容について、その文脈、背景の把握そして確認などを行う段階に入った。これら作業はたしかに面倒ではあるが、年内中に、ある程度仕上がった状態にするためには、この程度までは進めておく必要があった・・。

指導教員は、経過報告や研究指導の際は、さきのように厳しくなることもあったが、それ以外については、やや放任気味とも云えるほどに自由で、さらに学内外問わず気軽に話しかけてきた。また、笑いのセンスも独特であり、ローワン・アトキンソンやモンティ・パイソンといったコメディアン、コメディグループを知ったのは、この先生を介してであった。こうした情報は、もちろん会話の中から出てくることもあれば、あるいは、先生の研究室にて報告や指導の後に、雑談をしていると、自然、本棚に並んだ書籍や映像資料で目に入ってくるものを話題にすることがあり、そうしたことを契機として知ったものも少なからずあった。

ともあれ、そこで当時の私がスゴイと感じたのは、書棚に並ぶ、ある著作について質問すると、それについての説明が延々と出来ることである。さらにその中で、別の著作や映画作品などの名前を挙げ「これらも今話した著作と関連があるから、興味があれば、見ると面白いと思うよ・・。」と、またそこから更にハナシを展開出来るようなところであった・・。さまざまな分野での知識の多い人を「引き出しが多い」と評するが、先生の場合、引き出しの中にまた、別の引き出しがあり、さらに、そうしたさまざまな段階での引き出しは、それぞれが、どこかで繋がり、関連し合い、ある種の知識体系を形成しているように思われた。

また、編入試験の報告の際に、不図、ハナシに出たことであるが、この先生の家は、曾祖父の代から東京の所謂、山の手地域に住んでいるが、それ以前については、おそらくヤマト朝廷成立の頃から中国地方に住み、古い記録には県主(あがたぬし)との記載があり、時代がくだってからは在庁官人、西国御家人、国人そして土豪化し、乱世を含めた各時代をどうにか生き延び、江戸期に入ってからは、当地に封じられた大名から、土着の古い家として、郷士の格式を与えられたという。そして現在でも、この先生の苗字を冠した社が地域にあるとのことであったが、それは仏教の普及以前から、この地域に居たことを示す材料にはなるかもしれないが、あまり実感が湧かないと云うか、そうした感覚がイマイチよく分からないとのことであった。

さて、D先生の医院にPMTCとホワイトニングで通うことになったBであるが、そのうちに歯科衛生士のCさんと仲良くなったようであり、修士論文の作成で忙殺されていた12月初旬に少しあらたまった重い調子でBから「実はちょっと前からCさんと付き合っているのだが・・やはり**にはちゃんと伝えておこうと思って。」と云われた。私の方は、Cさんを気にはなっていたものの「恋をする」ではなかったため「ああ、それは良かった。そうすると期せずして私がキューピットになったわけだから、長く続くといいな。」と自然な感じで快活に返事をした。すると、Bの方は少し気になっていたのか、重い調子であったのが、いつもの調子に戻り「Kでの家探しは手伝うよ。来年になって修士論文の提出と審査を終えたら、一度一緒にKに行こう。」とのことであったが、これは後日、実現した。

そして年末にはW県から兄が帰省してきたが、私の方は、この年の年末年始はあまりゆっくりとは過ごせず、論文の推敲やら、調べものなど論文審査の準備をしていた。しかし、久しぶりに会う兄と話すことはやはり面白く、また、その服装は以前と比べてアメカジ色が薄くなったように思われた。そこで、そのことを訊ねてみると「ああ、あっちに住んでいると、服装にお金をかけることが面白くなくなってきて、それよりも釣りとかの方がなんだか面白くなってきてね・・。それと、最近、釣りで知り合った人が県立医大のお医者さんで、親切にも色々な釣りの情報を教えてくれるのだが、そのお医者さんに「君は26・27歳くらいでまだ若いのだから医学部の学士編入試験を受けたらどうか?」って云われたよ。それで、こないだ聞いた**の専門職大学編入の件について、俺の意見としては、このまま文系の院を出て職に就くよりかは、将来の選択肢を増やすことが出来るという意味で、とても良いと思うよ。でも、その歯科技工士って資格は、今まで聞いたことがないけれども、良さそうなのか?」と思わぬ方向に話は行った。私はD先生から耳学問で聞いたことを散りばめながら歯科医療や歯科技工について語った。理工学部出身の兄からすると、歯科技工界では、あまり自動化や機械加工の技術が、他の工業分野と比べて進んでなく、人間の手によって一つ一つ作成されていることがかなり驚きであったようだが、それが今後、変わってくるということで納得したようであった・・。

また、兄の方も「うーん、実のところ、ここ最近は、このまま会社に残っている自分を全く想像できなくなってきているから、何か目標を見つけたら、**のように、その方向に向かって動く方が吉かもしれないな・・。」とのことであった。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2020年5月20日水曜日

20200520 河出書房新社刊ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」pp.43‐46

河出書房新社刊ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田 裕之訳「21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考」pp.43‐46
ISBN-10: 4309227880
ISBN-13: 978-4309227887

「同様に、もし世界医療保健期間(WHO)が新しい疾病を認定したり、研究所が新薬を開発したりしたら、こうした進展を世界中の人間の医師全員に知らせることは不可能に近い。

それに対して、たとえ世界中に100億のAI医師が存在し、それぞれが一人の人間の健康状態をモニターしていたとしても、そのすべてを瞬く間にアップデートでき、それらAI医師はみな、新しい疾病や薬についての自分のフィードバックを伝い合える。

このような接続性と更新可能性の潜在的な恩恵はあまりに大きいので、少なくとも一部の職種では、すべての人間をコンピューターに取って代わらせることが理に適っているかもしれないーたとえ個別には、機械よりも腕の良い人間がいくらかいたとしても。

個々の人間をコンピューターネットワークに切り替えたら、個別性の利点が失われるとして、異論を唱える人がいるかもしれない。たとえば、一人の人間の医師が判断を誤まっても、世界中の患者を殺すこともなければ、すべての新薬の開発を妨げることもない。それに対して、もし医師全員が本当は単一のシステムにすぎず、そのシステムが間違いを犯せば、大惨事になりかねない。とはいえ実際には、統合されたコンピューターシステムは、個別性の恩恵を失わずに接続性の利点を最大化しうる。同じネットワークで多くの代替アルゴリズムを作動させることが可能だ。だから、辺鄙な密林の中の村にいる患者は、自分のスマートフォンを使って、単一の権威ある医師ではなく、実際には100の異なるAI医師にアクセスできる。それらのAI医師の相対的な実績は、絶えず比較されている。IBMの医師に言われたことが気に入らなかった?大丈夫。たとえあなたがキリマンジャロの斜面のどこかで立ち往生していたとしても、いとも簡単に百度(バイドゥ)の医師と連絡を取って、セカンドオピニオンが聞けるから。

 おそらく、人間社会が受ける恩恵は計り知れない。AI医師は何十億もの人に、これまでよりもはるかに優れた医療をはるかに安く提供できるだろう。とくに、現在は何の医療も受けていない人々には。学習アルゴリズムと生体センサーのおかげで、発展途上国の貧しい村人さえもが、現在、世界で最も裕福な人が最も進んだ都会の病院で得るものよりもはるかに優れた医療を、スマートフォンを通して享受できるようになるかもしれない。

 同様に、自動運転車はこれまでのものをはるかに凌ぐ輸送サービスを人々に提供できるのではないか。とくに、交通事故の死亡率を下げられるだろう。現在、交通事故で毎年125万人近くが亡くなっている(訳注 世界保健機関によると、2016年の交通事故の死者数は135万人)(これは、戦争と犯罪とテロで死亡する人の合計を上回る)。これら事故の九割以上は、いかにも人間らしい過失が原因だ)。飲酒運転をする人もいれば、運転しながら電子メールを送っている人や、居眠り運転する人、道路に注意を向ける代わりにぼんやりと空想に耽っている人もいる。31パーセントにアルコール濫用、30パーセントにスピードの出し過ぎ、21パーセントに運転者の注意散漫が絡んでいたという。自動運転車なら、こういうことはいっさいない。もちろん自動運転車特有の問題や制約はあるし、避けられない事故もあるが、人間の運転者をすべてコンピューターに替えれば、交通事故による死者数の数がおよそ九割減ることが見込まれている。言い換えると、自動運転車に切り替えれば、おそらく毎年100万人の命が救われる。

 したがって、人間の仕事を守るためだけに、交通や医療のような分野での自動化を妨げるのは愚行だろう。なにしろ、最終的に守るべきなのは、職ではなく人間なのだから。余剰になった運転者や医師は、何か他にすることを見つけるしかない。

モーツァルトと機械
 少なくとも短期的には、AIとロボット工学がさまざまな産業をそっくり排除することはなさそうだ。狭い範囲での定型化された業務を専門とする職は、自動化されるだろう。だが、幅広い技能を必要とし、予期できない筋書きに対処するような、あまり定型化されていない職で、機械が人間に取って代わるのは、はるかにむつかしい。医療を例に取ろう。多くの医師は、情報の処理にほぼ専念している。医療データを取り込み、分析し、診断を下す。それに対して看護師は、痛みを伴なう注射を打ったり、包帯を取り換えたり、暴れる患者を拘束するために、優れた運動技能や情動的な技能をも必要とする。したがってAIの家庭医をスマートフォンで持てるようになってからも、信頼できる看護ロボットが手に入るまでには何十年もかかるだろう。病人や幼児や高齢者などの世話をする対人ケア産業は、ずっと先まで人間の独擅場であり続ける可能性が強い。それどころか、人間の寿命が延び、少子化が進むにつれ、高齢者の介護は人間の雇用のうちでも、著しい成長を見せる部門の一つとなるだろう。」

2020年5月18日月曜日

20200518【架空の話】・其の16

【架空の話】
ほかにも、これに似たハナシはいくつもあるが、現在の兄は、洋服よりもバス釣りや自動車の方に興味が向いているようであり、私がK県に行く前に一度、訪問してみようと思った。この訪問については、また別の機会に書きたいと思う。

さて、初夏に編入試験の合格発表があり、そこから続く盛夏、晩夏は、論文作成のための調べもの、指導教員への研究経過報告、ドラフト執筆、そしてアルバイトに多くを費やし、季節を感じる余裕はなかった。

また、ドラフト執筆時にあらためて気が付いたことは、以前も述べたが、私の修士課程の研究テーマは、ジョセフ・コンラッドというポーランドに出自を持つ英国作家の著作から、当時の西欧文化、また時代精神の認識を試みることであるが、それら著作の中で、我が国で比較的知られているのが「闇の奥」(Heart Of Darkness)と云えるが、この「闇の奥」のテーマの一つが「居地の移動に付随する精神の変化」であり、まさに「今後の私の身に生じることにも相通じる部分があるかもしれない」のである。

この「闇の奥」は、これまで数度にわたり映画化され、それらの中で最も有名であるのがフランシス・フォード・コッポラ監督による「地獄の黙示録」(Apocalypse Now)であり、むしろ、我が国では、当映画作品の原作がコンラッドの「闇の奥」と云った方が通りが良いのではないかと思われる。もっとも、双方、時代や舞台背景は異なり、「闇の奥」は19世紀末のアフリカ中央部であり、「地獄の黙示録」は1960~70年代の東南アジア(ベトナムとその周辺)である。そして、これらから、さきにも述べたある種普遍的とも云える、居地の移動から生じる人間精神変容のメカニズムについて考えてみると「そうすると私の場合は今後一体どうなっていくのだろうか・・。」と思い至り、突如として不安になり、落ち着かなくなってくる・・。つまり、当時の私は、居地の移動の経験がないにも関わらず、精神の変化や、あるいは、それらが蓄積したものとも云える歴史や文化について、何やら知っている気でいたのだ・・。また、そのような状態を指して、おそらく「観念的」と云うのだろう・・。

他方、こうしたことはBに知らせても、あまり興味を持つことはなく、それよりも映画内で出てきたビル・キルゴア中佐のキャラの立ち振り・無双振りに甚く感心して「いやあ、実際ああいう人が上にいたら従ってしまうだろうね・・。」とのことであった。たしかに、それはわかるが、しかし、この著作・映画の一つの大きなテーマは「優れた資質を持っている人であっても(あるいは、であるからこそ)野蛮にして原初的な創造性を行使できる環境に身を置くことは、抗しがたい誘惑となるのか、あるいは、それとは反対に、優れた資質を持っていればこそ、徹底的に管理された社会・組織の中で自身の内面からの能動性を押し殺し、平穏無事に暮らすことが正しいのか。」といったところであると思われるのだが、おそらく、こうした大きな問いのようなものは、19世紀末から20世紀初頭の西欧社会全体を通じ、ある程度共有されていたのではないかと思われる。またそれは、対外的な帝国主義と、ある程度成熟した大規模市民社会の結合の所産であるとも評し得る。そして、さらにそこから少し時代がくだると、初の世界の国家同士による、大規模総力戦である第一次世界大戦がはじまるといった構図になるわけだ・・。
【その意味において、エルンスト・ユンガーの人生は象徴的であるように思われる・・。】

また、ハナシは少し変わるが、この「対外的な帝国主義と、ある程度成熟した大規模市民社会」が併存している時代の社会一側面を描いた著作がトーマス・マンによる「魔の山」であり、また同時に、それはジャン・ルノワール監督による映画「大いなる幻影」の舞台背景とも少なからず共通するものがあると思われるのだが、如何だろうか?

ともあれ、そうこうするうちに秋となり、本格的に論文を書き始めた次第であるが、それと同時に、引越しの準備なども少しずつ始めた。また、編入試験の合格以降、治療がなくともD先生の医院には週一程度で訪問し、色々と歯科にまつわる耳学問を仕入れている。Cさんとは、以前よりかは話せるようにはなり、Kでの出身地も聞くことが出来たが、生憎、私の方がKの地理感覚が乏しいため、あまり話しを展開することが出来なかった。くわえて、それとも関係するが、忘れてはいけないことは、Bが最終面接に通り、希望通りの地銀に入行することが出来たことと、同じK出身者であるからとBにCさんを引き合わせたことである。このハナシは単純であり、Bと話しをしていたら「就職後のために歯をキレイにしておきたい」とのことから、D先生の医院にBを連れて行ったからである。そして、そこでBは定期的にPMTCとホワイトニングを受けることになった。これらは主に歯科衛生士の職分であるとのことから、同年代のK出身者同士であるBとCさんの会話は弾んだのではないかと思われる・・。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!



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20200517【架空の話】・其の15

【架空の話】
「先日受けた説明によると13:00からHPにて掲示とのことであり、時刻を過ぎ、更進ボタンを押してみると、学科毎の合格者の受験番号が掲示されており、口腔保健工学科の欄を見てみると、果たして、そこには一つだけ番号が掲示されており、それは私の受験番号であった・・。

とはいうものの、いざ合格してみると、その実感らしきものはなく「そうすると、生まれて初めての引越しを経験することになるが、どうしたものか・・。」といったことの方が気がかりになり、そこで、すぐさまBにメールを送り、合格したことを伝えた。すると「良かったな。今後忙しくなると思うけれど、Kでの家探しでは協力できるかもしれない。」といった返事が来て、くわえて「最終面接まで行った。こちらは結果が出るまでもう少し時間がかかりそうだ。」とも記されていた。

次いでD先生の医院に電話を掛けると、ごく短時間ではあるるが、電話口に出てきてくれて「ああ、それは良かった。また今度夕食にでも行って、そこで話そう。」とのことであった。しかし、丁度あの時、歯が痛くなり、D先生の医院に行かなければ、このような事態には至らなかったと思われることから「偶然とはスゴイものである。」と同時に「あるいは、これは必然であるのかもしれない。」とも思い、そこから、偶然と必然の違いというものが、イマイチよく分からなくなった・・。

また、自宅に電話をかけて編入試験合格を伝えると、電話口に出た母親は「そお、受かったの・・それじゃあ、まあ頑張りなさい。」と、あまり気のない返事であった。おそらく、母親としては、二つ年上の兄も就職で既に家を出て、そのうえ私も遠いk県まで行くというのは、少なくとも手放しで歓迎出来る事態ではなかったのかもしれない・・。

そういえば、ここで兄がハナシに出てきたが、私には兄がいる。父親と同様、理工学部に進み、その分野での通例通り修士課程を修了し、某家電メーカーに就職し、現在は、近畿地方W県の事業所にて勤務している。仕事が忙しいのか、ここ最近は、あまり連絡がないが、以前に愚痴っていたのは「理系出身だから研究所に配属されると思っていたら、どうしたわけか、営業部署の配属になって大変だ。」といったことであった。しかし一方、W県での生活は、それなりに楽しんでいるらしく、向こうでバス釣りをはじめたことや、中古の自動車を購入したことを幾分誇らしげに伝えてきたこともあった。

また、私もそうした兄の様子を見て「何処か他の場所に行くのも悪くないのでは・・。」と思うようになっていたのかもしれない・・。

くわえて、兄からの他の影響と思われることは、古着も含めて洋服好きであるということである。傾向として兄は、所謂アメカジが好きであり、とりわけ第二次世界大戦頃の米陸軍航空隊のフライトジャケットを好み、各メーカーが製造しているレプリカのフライトジャケットは、片手では数えきれない程持っていた。おそらく、アルバイトで得た収入の多くを、そちらの方に費やしていたのではないかと思われる・・。

さらに、この趣味に拍車が掛かり、レプリカのあまり高価ではない布製フライトジャケット(たしかB‐10という型であった。)を購入し、サンドペーパーや洗濯機などを用いて布地にアタリや退色感が出るように加工し、背中に何やら絵を描いたりし、さらにジッパーを部品取りするために比較的安価な、状態の良くない1940年代のジャケットを購入し、ジッパーを外して加工したフライトジャケットの方に取り付け、いかにも本物のヴィンテージらしく見えるような加工をしていた。兄から聞いたハナシによると、このジャケットを都内のヴィンテージ古着を多く扱っていることで有名な店に、買取希望として持込み、店員によるチェックで本物のヴィンテージであると認められ、かなり高額での買取を申し出て来たという・・。

しかし、ここまでやると多少やり過ぎの感もあると云えるが、単純に兄は、自分の加工したジャケットをプロに評価してもらいたかったのだと思う。その証左として、兄はそのジャケットを店に売却せず、そのまま大学での作業着として愛用していた。

ほかにも、これに類したハナシはいくつもあるが、現在の兄は、洋服よりもバス釣りや自動車の方に興味が向いているようであり、私がK県に行く前に一度、訪問してみようと思った。この訪問については、また別の機会に書きたいと思う。」

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2020年5月16日土曜日

20200515【架空の話】・其の14

【架空の話】
「その日帰宅したのは24:00少し前であり、かなり久しぶりの飛行機による移動、そして何より、生まれてはじめての編入試験で疲れたのか、この日もストンと寝付くことが出来た。翌日は2限目からの講義であり、少し休めると思ったが、修士(博士前期課程)2年目になると、履修科目の状態は、このような感じになるのではないだろうか・・。

翌日2限目の講義に出席し、その後、あまり人に会わないように一人、学食テラス席にて岩波文庫版の カレル・チャペック著「山椒魚戦争」での山椒魚と人間の戦争が始まるくだり(英仏海峡事件のあたり)を読んでいると、横から聴き慣れた声で「やあ**君、今日は何を読んでいるのですか?」と訊ねてきた。声の主は指導教員であり、この先生の声は、若干オクターブが高く、言葉が明瞭に聞き取れるのは良いが、反面、あまり感情に訴える要素は少なく、どちらかというと、理性に訴えるような響きが強いと云える。こうした声の持ち主は、その後も何名か出会ったが、総じて、軽躁の気があったのではないかと思われる。そして、出来ることなら、自分もこうした声になり、さらに軽躁気味にもなりたいと願うようになったが、今のところ、そうした変化は全く見られない。

私は指導教員に「ああ、先生ですか。今日は「山椒魚戦争」を読んでいます。この作品は1920~30年代の世界情勢や時代精神を知るうえで、とても参考になりますね。」と著作を示しながら答えた。すると指導教員は「ははあ、その作品はたしかに面白くて、フィクションなのに芸が細かく、現実っぽく仕上げているところがとても秀逸ですね。あと、当時の世界情勢、時代精神についての君の指摘も間違っていないと思いますね。ええと、その著作はたしか1930年代半ば頃に刊行されたと思いますが、そこを基点として大体10年前に刊行のトーマス・マンの「魔の山」そして、大体10年後に刊行のジョージ・オーウェルの「1984年」の3作品をそれぞれ読んでみますと、何と云いますか20世紀前半の時代精神の推移といったものが見えてくるのではないかと思いますね。・・あ!これは学部ゼミの講義で使えるかもしれない・・。いや、いや、まあ、それは置いておいて、たしか先日、編入試験を受けてきましたよね?」と少しだけ真顔になって訊ねてきた。本日の指導教員は、先日より明るいブルーのブロード地ボタンダウンをこれまた腕まくりして着て、片手にコーヒー用の蓋付き紙コップを持ち、もう片方の手は濃いベージュの古風なパイプドステムのチノパンのポケットに入れていた。

こうしたことを訊ねてくるのも指導教員の務めの一つであるのか、あるいは単純な好奇心からであるのか不明であるが、この先生の場合、様子を見ていると、どうも後者の方が強いのではないかと思われる・・。ともあれ私は「ええ、昨日、編入試験を受けて深夜にこちらに戻ってきました。試験の出来はボチボチでしたね・・。英論文の翻訳は、院の講義で使う向こうの経済誌の翻訳などに比べれば、素直な文章で比較的訳しやすいと思いました。しかし、その意味はイマイチ分かりませんでしたが・・。あと、小論文と実技試験は、まあ、自分なりに頑張りましたので、あれで落ちていれば、まあ、仕方ないとあきらめます・・(笑)。」と少し先回り気味で返事をした。

すると、指導教員は「ふーん、そうですか・・。まあ「人事を尽くして天命を待つ」といったところでしょうかね・・。上手いこと行っているといいですが・・。あと、それはそうと、来年度からは私のところにも一人、新しい院生が来るかもしれません。まあ、君の今後の身の振り方が決まりましたら、また一緒に夕飯にでも行きましょう・・。」とのことであった。A大学は比較的小規模な大学ではあるものの、戦前の私立旧制高等学校の流れを汲んでおり、ところどころには、未だこうした教員と学生のあまり壁のない交流の文化が残存していたのかもしれない・・。

ともあれ、そのような会話ののち、私は図書館で少し調べものをしてから帰宅し、夕刻頃、D先生の医院に電話をかけた。「あ、先生どうも、昨日試験を受けて戻ってきました。そこで本日少しそちらにお邪魔したいのですが、よろしいですか?」と訪ねると「ああ、今日はあまり患者さんが多くないから、そうだな19:00頃に来てもらえればCさん共々相手出来るよ。」とのことであった。そこで指定の時刻に医院に着き、ノックをして待合室から診療室に入ると、先生はカルテに何か記入をしており、Cさんは治療に使用した器具の後片付けをしていた。両名とも私の姿を認めると、それぞれの作業を止め、D先生が「・・おお、よく来たね。それで昨日、試験の後、前に話した口腔保健工学科で教員をしている同期の友人から電話があってね。まあ、ハナシを聞かされたよ。いや、今回の口腔保健工学科の編入試験を受けたのはどうやら君一人だったようだね・・。これでもし、君が合格していれば、私は彼等から少しは感謝されてもいいのかもしれないね・・。まあ、先のハナシはまだ分からないけれども・・。」と云った。Cさんは「どのくらい志願者がいましたか?」聞いてきたため、私は「ええ、全体で20~30名ほどであったと思います。そのうち7~8割方は女性でしたが、歯科衛生士学科(口腔保健学科)の編入希望者は何人かいたのではないかと思います。」と当てずっぽうな返事をした。また、続けて「結果は1週間に郵送で知らせ、あと大学HPにも掲示されるとのことです。」と言い添えた。ともあれ、以上の報告を今回お世話になった二人にしてから、しばらく雑談をした後、医院を辞して帰路についた。そして、帰り道の途中でCさんのKでの出身地を聞くことを忘れていたことを思い出し、少し後悔した・・。Bに対しては、メールにて編入試験を無事終えたことを伝えていたが、夜になって「それはご苦労さん。こちらも2日後に二次面接だ。」と短いメールが届き、それに対し「頑張れ。来年二人してK行きになったら面白いな。」と返信した。

それから1週間はバイトや論文の調べもので費やされ、HPでの合格者掲示の日は、1時間ほど前から院生研究室にてHPを開いて待っていた・・。こういう時はやはり落ち着かないものであり、院生研究室から出たり入ったりを繰り返し、また、HPの更新ボタンを何度も押していた・・。先日受けた説明によると13:00から掲示とのことであり、時刻を過ぎて、更新ボタンを押してみると、学科毎の合格者の受験番号が掲示されており、口腔保健工学科の欄を見てみると、果たして、そこには一つだけ番号が掲示されており、それは私の受験番号であった・・。

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2020年5月14日木曜日

20200514 1300記事の到達 嗅いで視る動く車の三つの外・・

おかげさまで、昨日の記事投稿により総投稿記事数が1300に到達しました。かねてより、今月内での1300記事への到達を目指していましたが、これは思いのほかに早く達成できました。次は来月、6月22日まで、ある程度のペースを保持して記事作成を継続したいと考えています。これにより当ブログの継続期間が丁度、丸5年になります。

聞いたハナシによりますと、ブログは5年間続けると大爆発が生じるとのことですが、当ブログにそのようなことは生じるのでしょうか?ともあれ、何れにせよ、今しばらく、具体的には1500記事あたりまでは、記事作成を継続したいと考えています。しかし、これは、おそらく年内での到達は困難であると考え、来年、当ブログの継続期間が6年を迎えるまでに、どうにか達成出来ればと考えています。【丸6年で1500記事の到達】

また、昨日まで書き続けていました【架空の話】ですが、おかげさまで、思いのほか多くの方々に読んで頂き、くわえて、登場人物のモデルとさせて頂いた複数の方々から、この期間内にコンタクトがありました。これは偶然としては出来過ぎであるように思われ、そこには当ブログの【架空の話】と何らかの関連性があったのではないかと思われます。ともあれ、今後も、さらに書き進めて行きたいと考えています。今後ともどうぞよろしくお願いします。

しかし、正直なところ、ここに来て自分が【架空の話】を作成するとは、少し以前までは全く考えていませんでしたので、これは明確に、転居と、現在なおも続く新型コロナウィルス感染症による外出自粛が、自身に及ぼした影響であると云えます。また、これは、進化とは云わないまでも、何かしらの変化とは云えると考えます。【こうした変化は思いもかけぬことを契機として生じることが多い。】

そのように考えてみますと、現今の外出自粛も、悪い事ばかりでなく、捉えようであるのかもしれませんが、しかしながら、やはり、こうした半ば強いられたとも云える外出の規制はストレスが溜まるものであり、早くに自粛期間が終わり、さまざまなところに出かけたいと考えています。そして、その時に、これまでに作成した【架空の話】の続きが、どのような影響を受けるのかは、自身としては興味深い実験であると云えます。具体的には、外出の刺激よって、さまざまな着想が湧き、これまで以上に充実した書きぶりの続編となるのか、あるいは、これまでの溜めたストレスを作成のエネルギーとしていた分、続編を作成すること自体が困難になってしまうのか、ということですが、自身としては前者であることを願う次第です。

ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。



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20200513【架空の話】・其の13

【架空の話】 「案の定、この講義室は、さきほどのK101号室の半分程度の広さであり、普段使用している机・椅子は端に片付けられていたが、そのうち3つの机と椅子が私の前に並び、それぞれに面接者が座り、こちらを見ていた。ともあれ、そこで面白いと思ったことは、彼等全員が白衣を着ていることであり、私はこれまで、こうした面接の場に立ったことがなかったため、そうした光景が著しく新鮮であったのだと思う・・。

さて、こうして3対1の面接が始まったわけであるが、先ず私が受験番号と氏名を名乗り、先方からの許可を得て、着席した。すると、私から見て左側に座っている細身で背の高い教員(H先生)が「**さんですね。試験の出来はどうでしたか?」と割に気軽な感じで訊ねてきたため「はい、あまり自信はありませんが、出来る限りは頑張りました。」と当り障りのない返事をした。

すると同じ方が「ええと、君の履歴書を見てみると、現在、A大学大学院のヨーロッパ文化専攻の修士課程に在籍しているとのことですね・・。それで、そこの院は無事修了できそうなのですか?」とさらに訊ねてきたことから「ええ、この分野は自分の好きな分野であるため、研究自体は面倒なところもありますが、全体的には楽しいと云えますので、特に問題なく修士論文は通ると思います。また、他の履修科目については、すでに所定の単位数は満たしていますので、おそらく大丈夫であると思います。」といった事実を述べた。

すると、真中に座った恰幅が良くて、目の大きな教員(M先生)が「・・しかしねえ、それであれば、そのままの専攻分野の博士課程にでも進めば良いのに何故、わざわざ、この大学の編入試験を受けようと思ったのですか?」と本質的とも云える質問をしてきた。

そこで「はい、たしかに博士課程に進むのも良いと考えていましたが、同時に、かねてより何か手に職を着けたいとも考えていました。そうした時に偶然、D先生の診療を受けまして、こちらの大学のことを紹介して頂き、興味を持ち、今回の学士編入試験を受験させて頂いている次第です。」と、これまでの経緯を述べた。すると、右側に座っているこの中で一番若手に見え、おそらく、私とあまり年齢が変わらないであろう立派な頤をした教員(E先生)がしばし履歴書を注視してから「ああ、君はK出身者ではなくて、首都圏の出身ですか?」と何やら気が付いたように訊ねてきた。すると、さきほどの目の大きな教員が、この若手教員に向かい、持参資料の一部分を示した。すると、この若手教員は、自分の資料を見てから二、三回小さく頷き真中の教員の方を見た。そして、さらに「うん、君の**という姓は、こちらの特徴的な姓なので、元々はこちらの出身で、大学だけ首都圏の方に行った人だと思いました。・・それでもお父さんか御祖父さんはやはりこちらのご出身なのですか?」と、なおも訊ねてきた。

そこで「はい、私の高祖父がこのK出身でして、それ以降は代々、首都圏の方に住んでいます。こちらにも遠い親戚がいるとは聞いていますが、随分と遠い親戚であり、実際にお目に掛かったことはありませんが・・。」と返事をした。すると3名とも、少し顔を見合わせて、左側にいる長身の教員が「ふうん、まあ事情は分かりましたが、もしも、この編入試験に合格出来たら、本当に入学しますか?」と、これまたフランクな調子で訊ねてきたため「ええ、おそらく学費などの費用については大丈夫だと思いますが、生活費に関しては、おそらくアルバイトをすることになると思います・・。それと出来れば、無利子の奨学金を頂ければとも思っています。」と正直に答えた。すると「そうですか。分かりました。では、逆に君の方から、こちらに何か聞いておきたいことはありますか。」と訊ねてきたため、少し考えてから「すみません。私は根っからの文系人間であると思っているのですが、このような私でも歯科技工士にはなることが出来るのでしょうか?」と、これまで一番不安に思っていたことを訊ねてみた。

すると真中の目の大きな教員が「・・うーん、たしかに一般的に歯科技工士は、理系的な職種だと思われているかれども、正直なところあまり関係ないと思うね・・。もちろん、今後は更に色々な機会や材料が進化して、それに対応するために多くの知識が必要になってくるとは思うけれども、本質的な部分は大きく変わりはしないと思うよ。」とのことであった。また、右の若手教員からは「うん、そういったこともあって、この後には実技試験があるのだが、これは、そこまで器用でなくとも多分、大丈夫だよ。」と卑近且つ現実的な返事が来た。

左側の教員からは「まあ、学士編入だから全学科で見ると色々な人が受験しに来てはいるけれど、君みたいな文系の院生が受けに来ているケースはこれまででも多分初めてかもしれないな・・。でも口腔保健工学科の講義や実習も、これまでの勉強や研究と同じように取組めば大丈夫だと思うよ。それとD先生には是非よろしく伝えてください。それでは面接はこれで終了です。次は実技試験で消しゴムをナイフでカービングしてもらうのだけれど、指を切らないように気を付けて、頑張ってください。」と云って他の教員と顔を見合わせ、二人が無言の同意をするのを見てから私は「今回はどうもありがとうございました。」と最後に言ってお辞儀をして席を立った。

そして廊下に置いてある荷物を持って、次の実技試験会場まで再度、大学スタッフに案内してもらった。今度の会場は実習に用いる講義室であり、部屋の壁に設置された収納棚には、歯科技工に用いると思しき器具、実習時の見本となる、さまざまな模型が置かれていた。私の方は、そういった器具や模型の方に対して興味を持ったが、気を取り直して、机上に作業マットが敷かれた指定の席に座り、次の指示を待った。とはいえ、そこで不図、気が付いたことは、現段階で、口腔保健工学科の私以外の受験者が見当たらないということである・・。そして「もしかすると、今回の当学科の学士編入志願者は私一人かもしれない・・。」と、この時思った。

さて、実技試験であるが、これはさきほどの説明にもあったように技工用ナイフを用いて消しゴムをカービングしてオベリスクの先端部を作るようなものであり、どちらかと云えば器用な私は、特に問題ないものを作成することが出来たのではないかと思われる。ともあれ、この実技試験も終えて大学を後にしたのは14:30過ぎであり、試験結果は一週間以内に郵送されるとのことであった。とはいえ、このようにして、思ったよりも少し早く試験は終わったのだが、帰りの飛行機が20:00少し前発であることから、再度、昨日見て回ったK中央駅とTの街並みを見ておこうと思い。市電に乗りK中央駅まで出て、そこからは昨日同様、徒歩にてTまで行った。この時はあまり街の人出は多くなく、近在の旧藩主を祀った神社の参道沿いにある全国展開のコーヒー店に16:30頃入り、その二階席でコーヒーを飲みつつしばらく休んだ。編入試験も無事に終えたことから多少安心したようで、少し眠くなってきたが、18:00にはそこを出て、バスに乗り空港に向かった。空港の待ち時間では家に連絡し、試験は無事に終え、本日の帰宅は遅くなることを伝えた。そして、その日帰宅したのは24:00少し前であり、飛行機やバスや市電での移動やはじめての編入試験で疲れたのか、この日もストンと寝付くことが出来た。」

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!




日本福祉大学
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

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