直近の記事投稿により総投稿記事数が830に到達しました。
これは特に区切りの良い数値ではありませんが、同時にあと20記事の作成・投稿により、ひとまず年内目標(850記事)到達への目途が立ちます。
そうしますと今後年内はこれまでよりも多少、休息を入れつつ記事作成に取り組むことが出来るものと思われますが、果たして今後その企図のもとコトは上手く運んでくれるのでしょうか・・?
ともあれ、ハナシは変わり、一昨日に続き直近に投稿した記事もまた、思いのほか多くの方々(60以上)に読んで頂けました。
それ故、今回もまた一昨日、昨日と同様、歯科医療業界を題材として記事作成を行います。
おそらく他の医療業界においても同様であると思われますが、歯科医療業界とは多分に知識集約的な業界であると云えます。
これを異言しますと一般的な市街、繁華街などに立地する歯科医院であっても、その院長である歯科医師が何処かの歯学部・歯科大学の非常勤講師などであることは特に稀なことではなく、さらにその歯科医師が学位を取得されていることなどはごく普通のことであり、これは歯科医療業界のみならず医療業界においても同様であると思われますが、こうした現象とは、おそらく他の業界においてはあまり見受けられない特徴的なことではないかと考えます。
このことを約言しますと『市井にて実際に人々と接する方(開業医師・開業歯科医師そして同時に中小企業の事業主であるとも云える)が大学という研究教育機関(医学部・歯学部)と何等かの紐帯・連携関係を保持している業界とは多くない』ということになります。
そして、それら(研究教育機関・開業医)を含めたところにある程度大きな影響力を持っている組織がさまざまな医学・歯学系学会であると云えます。
こうした学会の多くは(学問・研究といった本質的な目的から)大学といった研究教育機関が大きく関与しています。
また、これら学会が認める治療分野毎の認定医・専門医・指導医といった資格とは医院運営・臨床などのさまざまな場面において実際に有効であると聞き及びます。
それ故、研究教育機関と開業医院との紐帯・連携関係が重要であり、またそうした仕組みにより最新の研究による知見が実際の臨床の現場まで速やか且つ広汎に伝播することが出来ているのかもしれません。
これにより国民全体の健康が保たれているのであれば、それら(知識集約的な業界、研究教育機関と開業医院との紐帯・連携)とは特に悪いものではなく、むしろそうした傾向を(柔軟さを保ちつつ)更に推し進める方が良いのではないかとも思われます。
さらに、この傾向を昨今衰退が議論されている工業界においても応用することにより、業界全体の再活性化を図ることが出来るのではないかとも思われます。工業界もまた全体的に知識集約的業種であると思われますので、この取り組みとは方向性としては特に悪いものではないと考えます。
またさらに、さきの傾向(研究教育機関と各種実施機関との紐帯・連携関係の強化)を今後更なる拡充が望まれる介護福祉業界においても医療業種と協同し行っていくことにより、コンピューターの進化発展により社会様相が変化し、減少していくさまざまな職種を補完することが可能な新たな社会の見取り図のようなものを得ることが出来るのではないかとも思われますが、さて如何でしょうか?
今回もまた、ここまで読んで頂きましてどうもありがとうございます。
昨年より現在まで列島各地において生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された諸地域のインフラの復旧・回復および復興を祈念しています。
昨今より再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。
2017年12月7日木曜日
2017年12月6日水曜日
20171206 昨日のつづき、転換期にある歯科医療業界について・・
さきの記事においても述べたが現今、我が国の歯科医療業界は大きな転換期にある。
一方、歯科治療を受ける側からの視点となると、社会・時代状況などの影響による新たな、あるいは特殊な症例が増加するといったこともあるのだろうが、基本的には歯科治療を要する多くの症例とは、そこまで大きくは変化していないと云えるだろう。
もとい、そうであっても治療を要する患者さん口腔内の様相・形態とは個人により異なり、そのことから、さまざまな補綴物を作製する際に、一つ一つ手作業にて、まさにオーダーメイドにて作製されてきた。
これをさらに異言すると、工業的な同一形状の大量生産品によって充てることが不可能といった事情から、これまで当ブログにて幾度か扱ってきた合金の鋳造、陶材の成形・焼成といった淵源を辿ると我々人類がはるか古代より用いてきた手法と原理的に同一のものにて口腔内補綴物の作製が歯科医師および歯科技工士の手により為されてきたと云うことになる。
さて、我が国にて歯科治療を行う場合、口腔内の治療行為およびその治療計画を立てることが出来るのは歯科医師のみであるが、この歯科医師が立てた治療計画に基づき患者さん口腔内の虫歯(う蝕)部位を除去および必要な処置をし、そして金歯・銀歯あるいは(固定式)部分入れ歯などが装着し易いように形成し、その状態の口腔内様相・形態を記録するために印象採得が行われる。
そして、この印象採得にて治療部位の形成が為された口腔内の陰型が得られるのであるが、次にこの陰型に石膏を流し込み、硬化させ、そこではじめて口腔内様相・形態を再現した石膏模型として移し替えることが出来るのである。
さらにここから、得られた模型に基づき金歯・銀歯・(固定式)部分入れ歯などの設計が為され、主に鋳造操作により所望の補綴物形態を得ることになるのだが、この間にわずかな操作ミスが一つでもあれば、それはまた最初から行わなければならない。
つまり、こうした一連の補綴物作製から患者さん口腔内への装着に至るまでの過程とは、アナログであり複雑且つ専門的な技工作業によりはじめて成立し得るものである(あった)と云える。
しかしながら昨今、かねてよりのパソコンの進化発展・普及によるデジタル化の進行により、補綴物の作製工程もまたデジタル化されつつあり、現在我が国の歯科医療機関とは、このデジタル化への対応を余儀なくされているといって良いと思われる。
とはいえ、聞くところによると、こうした技術の転換期の直面およびその対応とは歯科医療業界のみならず、さまざまな業界においてもまた同様とのことであり、ここで、効果的な成長戦略を見出すことが出来るか否かとは、かなり大きな分水嶺となるのではないかと考えられ、自身としては今後も引き続きその動向・推移を見守り続けたいと考える。
ともあれ今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年から現在までに列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された諸地域のインフラの復旧・回復および復興を祈念しています。
昨今より再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。
一方、歯科治療を受ける側からの視点となると、社会・時代状況などの影響による新たな、あるいは特殊な症例が増加するといったこともあるのだろうが、基本的には歯科治療を要する多くの症例とは、そこまで大きくは変化していないと云えるだろう。
もとい、そうであっても治療を要する患者さん口腔内の様相・形態とは個人により異なり、そのことから、さまざまな補綴物を作製する際に、一つ一つ手作業にて、まさにオーダーメイドにて作製されてきた。
これをさらに異言すると、工業的な同一形状の大量生産品によって充てることが不可能といった事情から、これまで当ブログにて幾度か扱ってきた合金の鋳造、陶材の成形・焼成といった淵源を辿ると我々人類がはるか古代より用いてきた手法と原理的に同一のものにて口腔内補綴物の作製が歯科医師および歯科技工士の手により為されてきたと云うことになる。
さて、我が国にて歯科治療を行う場合、口腔内の治療行為およびその治療計画を立てることが出来るのは歯科医師のみであるが、この歯科医師が立てた治療計画に基づき患者さん口腔内の虫歯(う蝕)部位を除去および必要な処置をし、そして金歯・銀歯あるいは(固定式)部分入れ歯などが装着し易いように形成し、その状態の口腔内様相・形態を記録するために印象採得が行われる。
そして、この印象採得にて治療部位の形成が為された口腔内の陰型が得られるのであるが、次にこの陰型に石膏を流し込み、硬化させ、そこではじめて口腔内様相・形態を再現した石膏模型として移し替えることが出来るのである。
さらにここから、得られた模型に基づき金歯・銀歯・(固定式)部分入れ歯などの設計が為され、主に鋳造操作により所望の補綴物形態を得ることになるのだが、この間にわずかな操作ミスが一つでもあれば、それはまた最初から行わなければならない。
つまり、こうした一連の補綴物作製から患者さん口腔内への装着に至るまでの過程とは、アナログであり複雑且つ専門的な技工作業によりはじめて成立し得るものである(あった)と云える。
しかしながら昨今、かねてよりのパソコンの進化発展・普及によるデジタル化の進行により、補綴物の作製工程もまたデジタル化されつつあり、現在我が国の歯科医療機関とは、このデジタル化への対応を余儀なくされているといって良いと思われる。
とはいえ、聞くところによると、こうした技術の転換期の直面およびその対応とは歯科医療業界のみならず、さまざまな業界においてもまた同様とのことであり、ここで、効果的な成長戦略を見出すことが出来るか否かとは、かなり大きな分水嶺となるのではないかと考えられ、自身としては今後も引き続きその動向・推移を見守り続けたいと考える。
ともあれ今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
昨年から現在までに列島各地にて発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された諸地域のインフラの復旧・回復および復興を祈念しています。
昨今より再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。
2017年12月5日火曜日
20171205 年内に850記事に到達が出来たら・・近年歯科医療に生じている変化について
本日の首都圏は昨日に比べ、陽がかげってからが特に寒くなったように感じられました。
こうして更に冬が深まっていくのでしょうが、そこから考えてみますと、今年も余すところ二十日あまりとなっていました。
また、目標としている年内の850記事への到達は、おそらく現在の調子を保持し作成することにより、どうにか達成することが出来るのではないかと思われます。
そして年内に850記事へ無事に到達しましたら、そこからしばらくは(おそらく数日程度)記事作成を休もうと考えています。
振り返ってみますと2015年6月に当ブログ記事の作成を開始しましたので、概ね2.5年にて850記事を作成したことになります。
そしてこれを均しますとこの間、大体10日のうち9日程度はブログ記事の作成を行ってきたことになりますので、自身としては年内までで850記事の投稿が出来るのであれば、まあ多少は努力してきたと云えるのではないかと思われます・・。
とはいうものの、やはり850という数字とはそこまで区切りが良いとも思われませんので、無事に達成出来たならば、次は888記事を経由し900記事まではとりあえず作成してみたいとも考えています・・(笑)。
くわえて昨今面白いと思われたことは、歯科材料学に関する題材にて記事を作成した場合、通常の文系的な題材に比べ、若干その閲覧者数は落ちるのですが、同時にそれは当初予測したほどではなく、自身の感覚としては、かなり多くの方々に読んで頂いているのではないかと思われるのです(無論、記事による偏差も大きいですが、それも均してみますと)。
それ故、今後も出来るだけ機会を設け、歯科材料に関する記事もまた作成していこうと考えています。
また、こうしたことを書き始めましたので、もうしばらく続けさせて頂きますと、近年は歯科医療においてかなり大きな変革が生じていると云えます。
おそらくそれは他の多くの業界においても同様であるのかもしれませんが、それはデジタル化の流れです。
さらに歯科医療においてはこのデジタル化にくわえ3Ⅾプリンター、CAD/CAM(コンピューターを用いたデザイン、切削加工技術)などが歯科医療にも応用され、それにより、さまざまな補綴物(金歯・銀歯・義歯など)の製作手段が大きく移り変わりつつあるのが現状であると云えます。
これは患者さんとして歯科医療に接している限りにおいてはなかなか気が付くことではありませんが、おそらく既存の業界全体およびそれに関与する専門職(特に歯科技工士)の養成教育課程において、少なからぬ影響を及ぼすのではないかと思われます。
一方で、近年は歯科技工士の四年制大学もまたいくつか設置され、さらにその卒業生が修士課程を経て博士課程にまで進まれているといったハナシも聞き及んでおりますので、そういった方々の今後のご活躍を期待したいと思います。
ともあれ、今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在までに日本列島にて生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域のインフラの復旧・回復および復興を祈念しています。
昨今より再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。
こうして更に冬が深まっていくのでしょうが、そこから考えてみますと、今年も余すところ二十日あまりとなっていました。
また、目標としている年内の850記事への到達は、おそらく現在の調子を保持し作成することにより、どうにか達成することが出来るのではないかと思われます。
そして年内に850記事へ無事に到達しましたら、そこからしばらくは(おそらく数日程度)記事作成を休もうと考えています。
振り返ってみますと2015年6月に当ブログ記事の作成を開始しましたので、概ね2.5年にて850記事を作成したことになります。
そしてこれを均しますとこの間、大体10日のうち9日程度はブログ記事の作成を行ってきたことになりますので、自身としては年内までで850記事の投稿が出来るのであれば、まあ多少は努力してきたと云えるのではないかと思われます・・。
とはいうものの、やはり850という数字とはそこまで区切りが良いとも思われませんので、無事に達成出来たならば、次は888記事を経由し900記事まではとりあえず作成してみたいとも考えています・・(笑)。
くわえて昨今面白いと思われたことは、歯科材料学に関する題材にて記事を作成した場合、通常の文系的な題材に比べ、若干その閲覧者数は落ちるのですが、同時にそれは当初予測したほどではなく、自身の感覚としては、かなり多くの方々に読んで頂いているのではないかと思われるのです(無論、記事による偏差も大きいですが、それも均してみますと)。
それ故、今後も出来るだけ機会を設け、歯科材料に関する記事もまた作成していこうと考えています。
また、こうしたことを書き始めましたので、もうしばらく続けさせて頂きますと、近年は歯科医療においてかなり大きな変革が生じていると云えます。
おそらくそれは他の多くの業界においても同様であるのかもしれませんが、それはデジタル化の流れです。
さらに歯科医療においてはこのデジタル化にくわえ3Ⅾプリンター、CAD/CAM(コンピューターを用いたデザイン、切削加工技術)などが歯科医療にも応用され、それにより、さまざまな補綴物(金歯・銀歯・義歯など)の製作手段が大きく移り変わりつつあるのが現状であると云えます。
これは患者さんとして歯科医療に接している限りにおいてはなかなか気が付くことではありませんが、おそらく既存の業界全体およびそれに関与する専門職(特に歯科技工士)の養成教育課程において、少なからぬ影響を及ぼすのではないかと思われます。
一方で、近年は歯科技工士の四年制大学もまたいくつか設置され、さらにその卒業生が修士課程を経て博士課程にまで進まれているといったハナシも聞き及んでおりますので、そういった方々の今後のご活躍を期待したいと思います。
ともあれ、今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年から現在までに日本列島にて生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った地域のインフラの復旧・回復および復興を祈念しています。
昨今より再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。
20171205 『Sapiens: A Brief History of Humankind』pp.68~69 Written by Yuval Noah Harari
『Sapiens: A Brief History of Humankind』pp.68~69
Written by Yuval Noah Harari
ISBN-10: 0099590085
『If the
larger picture of ancient forager life is hard to reconstruct, particular
events are largely irretrievable.
When a sapiens band first entered valley
inhabited by Neanderthals, the following years might have witnessed a
breathtaking historical drama.
Unfortunately, nothing would have survived from
such an encounter except, at best, a few fossilized bones and a handful of
stone tools that remain mute under the most intense scholarly inquisitions.
We
may extract from them information about human anatomy, human technology, human
diet, and perhaps even human social structure.
But they reveal nothing about
the ivory beads secretly given to the local witch doctor in order to secure the
blessing of the spirits.
This curtain of silence shrouds tens of
thousands of years of history.
These long millennia may well witnessed wars and
revolutions, ecstatic religious movements, profound philosophical theories,
incomparable artistic masterpieces.
The foragers may have had their
all-conquering Napoleons, who ruled empires half the size of Luxembourg; gifted
Beethoven who lacked symphony orchestras but brought people to tears with the
sound of their bamboo flutes; and charismatic prophets who revealed the words
of a local oak tree rather than those of a universal creator god.
But these are
all mere guesses.
The curtain of silence is so thick that we cannot even be
sure such things occurred -let alone describe them in detail.
Scholars tend to ask only those questions that
they can reasonably expect to answer.
Without the discovery of as yet
unavailable research tools, we will probably never know what the ancient
foragers believed or what political dramas they experienced.
Yet it is vital to
ask questions for which no answers are available, otherwise we might be tempted
to dismiss 60000 of 70000 years of human history with the excuse that the
people who lived back then did nothing of importance’.
The truth is that they did a lot of important
things.
In particular, they shaped the world around us to a much larger degree
than most people realize.
Trekkers visiting the Siberian tundra, the deserts of
central Australia and the Amazonian rainforest believe that they have entered
pristine landscapes, virtually untouched by human hands.
But that’s an illusion.
he foragers were there before us and they brought about dramatic changes even
in the densest jungles and the most desolate wilderness.
The next chapter
explains how the foragers completely reshaped the ecology of our planet long
before the first agricultural village was built. The wandering bands of
storytelling sapiens were the most important and most destructive force the
animal kingdom had ever produced. 』
2017年12月4日月曜日
20171204 西欧を手本にした近代化と教育との関係→歴史的感覚への影響?
近代化を目指す明治日本は多くの担い手を必要としていた。
そのため官立の文科、理科の諸学校を各地に設立しその学生に対し能率的な教育を施した。
そしてその結果とは、曲がりなりにも名実ともに近代化を成し遂げた20世紀初頭の我が国の諸様相に顕れていたとも云える。
また、司馬遼太郎の長編小説『坂の上の雲』は、一つのそうした具体的な側面を描いた作品であるとも評し得る。
ともあれ、こうした国家が必要とする近代化の担い手を育成し、組織化する我が国(特有)の仕組みとは明治維新以降、各種学校が設立されて以来、太平洋戦争の敗戦(終戦)に至るまで概ね一貫していたと云える。
つまり我が国の近代化とは、端的に表現すると、おかみ(国家)からの指令に基づくものであり、市民層の台頭、権利の要求などにより古来からの身分制度が打破され変革が生じた結果によるものではなかったと云える。
そして、この我が国における明治維新の解釈とは込み入ったものであると聞いているが、いずれにせよ、この時代の波を上手く乗り切った人々とは、主に、こうした変革に対して柔軟に上手く対応出来た人々であったのだろう。
それは一つあるいはそれ以上の優れた資質ではあると考えるが、しかし同時にその資質とは、必ずしも国の文化発展、あるいはその文化自体に関心を寄せる、寄与するものではなかったとも云える。
これをさらに具体的に述べると、西欧を手本とする近代化を早急に目指す国の造船技師が西洋音楽を聴く必要が何処にあるのか?小説・詩歌を論ずる必要が何処にあるのか?といった、あくまでもその本分・職分(のみ)を守るといった、閉鎖的、タコツボ的とも云える(我が国において見られるとされる)文化の醸成の方に大きく寄与したのではないかと思われる。
ともあれ、そのようにして西欧諸学問を背景としたさまざまな職業の専門化が進むのと随伴し、自国の文化に対する関心とは、度々の発作的な反動を経験しながらも徐々にそして確実に薄れていき、また一方において、新たに生活の中に入ってきた西欧文化(もしくはそれらしきもの)には、そこに自らが実際に感じ取れる歴史的な厚みといったものがなかったと云える・・。
こうした職業、生活の場における変化により生じた自国文化に対する否応なき無関心いや無自覚化さとは、そのまま歴史的感覚の鈍さにも結節する。
そして、当然ではあるが、そのあらゆる自国文化とは、深く歴史的なものである・・。
さて、ここまで書いて思い出したことを以下に記します。
昨日の投稿記事は驚いたことに投稿翌日にして、これまでにないほど多くの閲覧者数(99)を得ることが出来ました。
おそらくこれはこれまでにブログ記事を投稿して以来、最高ではないかと思われます。
これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
それ故、本日は何かしら歯科材料(合金)について書こうと考えておりましたが、急遽予定を変え、また新たに文系的な主題にて記事を作成しました。
閲覧者数が大きく増加する記事を作成した時とは(少なくとも今現在においては)予感も何も出来るものではなく、ただ後になって驚くといったところです・・(笑)。
とはいえ、それでもこうした記事をどうにか書くことが出来たこと自体が喜ぶべきことであり、そして今後も多少は読んでくださる方々が増加することを願いつつ今しばらく書き続けます。
そして今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年より現在までに日本列島において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された地域のインフラの復旧・回復そして復興を祈念しています。
昨今より再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。
そのため官立の文科、理科の諸学校を各地に設立しその学生に対し能率的な教育を施した。
そしてその結果とは、曲がりなりにも名実ともに近代化を成し遂げた20世紀初頭の我が国の諸様相に顕れていたとも云える。
また、司馬遼太郎の長編小説『坂の上の雲』は、一つのそうした具体的な側面を描いた作品であるとも評し得る。
ともあれ、こうした国家が必要とする近代化の担い手を育成し、組織化する我が国(特有)の仕組みとは明治維新以降、各種学校が設立されて以来、太平洋戦争の敗戦(終戦)に至るまで概ね一貫していたと云える。
つまり我が国の近代化とは、端的に表現すると、おかみ(国家)からの指令に基づくものであり、市民層の台頭、権利の要求などにより古来からの身分制度が打破され変革が生じた結果によるものではなかったと云える。
そして、この我が国における明治維新の解釈とは込み入ったものであると聞いているが、いずれにせよ、この時代の波を上手く乗り切った人々とは、主に、こうした変革に対して柔軟に上手く対応出来た人々であったのだろう。
それは一つあるいはそれ以上の優れた資質ではあると考えるが、しかし同時にその資質とは、必ずしも国の文化発展、あるいはその文化自体に関心を寄せる、寄与するものではなかったとも云える。
これをさらに具体的に述べると、西欧を手本とする近代化を早急に目指す国の造船技師が西洋音楽を聴く必要が何処にあるのか?小説・詩歌を論ずる必要が何処にあるのか?といった、あくまでもその本分・職分(のみ)を守るといった、閉鎖的、タコツボ的とも云える(我が国において見られるとされる)文化の醸成の方に大きく寄与したのではないかと思われる。
ともあれ、そのようにして西欧諸学問を背景としたさまざまな職業の専門化が進むのと随伴し、自国の文化に対する関心とは、度々の発作的な反動を経験しながらも徐々にそして確実に薄れていき、また一方において、新たに生活の中に入ってきた西欧文化(もしくはそれらしきもの)には、そこに自らが実際に感じ取れる歴史的な厚みといったものがなかったと云える・・。
こうした職業、生活の場における変化により生じた自国文化に対する否応なき無関心いや無自覚化さとは、そのまま歴史的感覚の鈍さにも結節する。
そして、当然ではあるが、そのあらゆる自国文化とは、深く歴史的なものである・・。
さて、ここまで書いて思い出したことを以下に記します。
昨日の投稿記事は驚いたことに投稿翌日にして、これまでにないほど多くの閲覧者数(99)を得ることが出来ました。
おそらくこれはこれまでにブログ記事を投稿して以来、最高ではないかと思われます。
これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。
それ故、本日は何かしら歯科材料(合金)について書こうと考えておりましたが、急遽予定を変え、また新たに文系的な主題にて記事を作成しました。
閲覧者数が大きく増加する記事を作成した時とは(少なくとも今現在においては)予感も何も出来るものではなく、ただ後になって驚くといったところです・・(笑)。
とはいえ、それでもこうした記事をどうにか書くことが出来たこと自体が喜ぶべきことであり、そして今後も多少は読んでくださる方々が増加することを願いつつ今しばらく書き続けます。
そして今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年より現在までに日本列島において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害により被災された地域のインフラの復旧・回復そして復興を祈念しています。
昨今より再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。
2017年12月3日日曜日
20171203 国民性の由来・・歴史が重視される理由?
大筋における歴史の解釈において我が国、日本とは有機的な発展段階を経ずに、急激に新たな時代に入り、それに伴う、新たな精神の形態をも、あまりにも不用意に受け入れなければならなかったと云うことが出来る。
ここに大きな混乱、不整合が生じることは自然であるが、それと同時にこの場面において多くの国民の活力を注ぐべき大きく有意義な目標(近代化・西欧化・富国強兵・・)もまた存在していた。
そして、その目標がある程度達成されたと広汎に実感された後から、徐々に我が国とは新たな悲境への道を知らずに歩んでいったように思われる。
また、そこに見られる歴史の流れの図式、概要とは、太平洋戦争後の現在に至るまでの我が国社会においても、ある程度類似したものを見出すことが出来るのではないかと考える。
何故ならば、国のあり方が変わっても、人はなかなか変わらないものであると考えるからだ。
かつて飛行機に爆弾を積み、敵艦船に捨身の攻撃を行った性質とは、戦後に至り、モーレツに働くサラリーマンへと転化し、そしてそれは昨今においてはブラック企業的とされる諸要素、性質とも決して偶然とはいえない親和性いや連続性を見出すことが出来るのではないかと思われる・・。
こうしたことを考えてみると、不意に『では一体我々はどのような人間なのであろうか?』といった疑問が生じ、また同時に『個性のある人間は、その生涯のあいだに、よく似た体験をくりかえす』というコトバがあるが、その意味から『では我々は如何なる個性を持ち、どのような体験を繰り返すのであろうか?』といった疑問へとさらに深化していく・・。
どの国の人々においても、それを最大公約数化したような性質があることを私は疑わない。
しかしながら同時に、こうした国民性といったものは、往々にして人間において普遍的なものとも交錯しており、そこに固有、特殊なものとの見分けをすることは困難であると云える。
では、何故そうでありながらも、国民性といったものが比較的広汎に認識され得るのか、そして、それは一体何処から顕れ出ているのかといった疑問へと至るのであるが、それは宗教、風土、経済的状況などといったさまざまな要素が複合的に作用し、顕現しているのであろうが、何れにせよそこには固定化し得る、容易に図式化可能な論理、公式といったものはないように思われる。
とはいえ、そうでありながらも、国々によっては歴史が(外交問題に関係なく)重要視される大きな要因とは、こうした断片としての過去の要素を忘れないように保持し、更なる検討を加えること、あるいはそれらの中から新たな発見が為され、現在の自国あるいは他国の何かとの関連性などを見出すことが出来るかもしれないということは、タイムマシンなどで未来・過去に対しての知見を即物的に得るよりも、少なくともそれに関心を持ち続ける当事者達からすれば、大きな価値を持つ【と信じられている】ところにあるのではないかと思われる。
とはいえ今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年より現在までに列島各地にて生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復そして力強い復興を祈念しています。
昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。
ここに大きな混乱、不整合が生じることは自然であるが、それと同時にこの場面において多くの国民の活力を注ぐべき大きく有意義な目標(近代化・西欧化・富国強兵・・)もまた存在していた。
そして、その目標がある程度達成されたと広汎に実感された後から、徐々に我が国とは新たな悲境への道を知らずに歩んでいったように思われる。
また、そこに見られる歴史の流れの図式、概要とは、太平洋戦争後の現在に至るまでの我が国社会においても、ある程度類似したものを見出すことが出来るのではないかと考える。
何故ならば、国のあり方が変わっても、人はなかなか変わらないものであると考えるからだ。
かつて飛行機に爆弾を積み、敵艦船に捨身の攻撃を行った性質とは、戦後に至り、モーレツに働くサラリーマンへと転化し、そしてそれは昨今においてはブラック企業的とされる諸要素、性質とも決して偶然とはいえない親和性いや連続性を見出すことが出来るのではないかと思われる・・。
こうしたことを考えてみると、不意に『では一体我々はどのような人間なのであろうか?』といった疑問が生じ、また同時に『個性のある人間は、その生涯のあいだに、よく似た体験をくりかえす』というコトバがあるが、その意味から『では我々は如何なる個性を持ち、どのような体験を繰り返すのであろうか?』といった疑問へとさらに深化していく・・。
どの国の人々においても、それを最大公約数化したような性質があることを私は疑わない。
しかしながら同時に、こうした国民性といったものは、往々にして人間において普遍的なものとも交錯しており、そこに固有、特殊なものとの見分けをすることは困難であると云える。
では、何故そうでありながらも、国民性といったものが比較的広汎に認識され得るのか、そして、それは一体何処から顕れ出ているのかといった疑問へと至るのであるが、それは宗教、風土、経済的状況などといったさまざまな要素が複合的に作用し、顕現しているのであろうが、何れにせよそこには固定化し得る、容易に図式化可能な論理、公式といったものはないように思われる。
とはいえ、そうでありながらも、国々によっては歴史が(外交問題に関係なく)重要視される大きな要因とは、こうした断片としての過去の要素を忘れないように保持し、更なる検討を加えること、あるいはそれらの中から新たな発見が為され、現在の自国あるいは他国の何かとの関連性などを見出すことが出来るかもしれないということは、タイムマシンなどで未来・過去に対しての知見を即物的に得るよりも、少なくともそれに関心を持ち続ける当事者達からすれば、大きな価値を持つ【と信じられている】ところにあるのではないかと思われる。
とはいえ今回もまたここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年より現在までに列島各地にて生じた一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被害を被った諸地域のインフラの復旧・回復そして力強い復興を祈念しています。
昨今再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。
2017年12月2日土曜日
20171202 兵器の射程距離の延伸がもたらすことについて
昨今の極東情勢においても多少関与することであるかもしれないが、軍事技術の進化もしくは端的に兵器の進化とは『その射程距離の延伸』と評しても不可ではないと考える。
実際にそれら兵器を扱う人間に対して『その射程距離の延伸』が如何なる効果を及ぼすのかと考えた場合、一つにそれは全ての兵器の『目的』とも云える『人を殺す』という行為に対する認識の希薄化、あるいはこれを別言すると『人を殺す』行為の際に(おそらく自然に生じる)心理的な葛藤・迷い・躊躇いなどの著しい減少ではないかと考える。
太古、我々の先祖が石製の斧あるいは槍などを持ち戦闘に参加した場合、それら兵器を用いた接近戦にて敵を殺害する際に否応なくその感覚を認識・実感しなければならない。
おそらくそれは、料理にて魚を捌いたり、肉を切る行為と明確に異なる感覚ではないかと思われる。
また、そうした感覚が太古より我々人類の精神に存在していたことから、後世に至りさまざまな宗教における基本的な道徳律にて『人を殺してはいけない』といった文言が記されたのではないかと考える。
しかしながら、こうした道徳律とは、あくまでも自身の属する共同体内において相応しい行為態度であり、敵に対する戦闘の場面においては、むしろ積極的に敵を殺害する行為態度の方が共同体(の勝利)に貢献するものとして賞賛された。
それら双方の行為態度をさまざまな場面において(心底から)適宜使い分けることが可能であるならば特に問題はないのかもしれない。
しかし一方において、我々人間の精神とは、おそらく自身が(価値のあるものとして)受容した道徳律をも含む何らかの価値観をその精神内部において普遍化する(したがる)傾向があるのではないかと考える。
そして、それ故に葛藤が精神内部において生じ、さまざまな思索が為され思想・哲学といったものが生じるのではないかと考える。
また、そのようにして進化発展を遂げた思想・哲学において培った『思考という力』が同時にさまざまな科学技術の進化発展の原動力ともなったと云える(おそらく我が国の場合、この経緯の詳細が若干西欧文化と異なるのではないかと考える)。
そして、それら共同の精神的土壌にあるものとは『実証の精神』ではないかと考える。
とはいえ、そのようにして進化発展を遂げた科学技術に随伴するものが兵器の進化でもあるのだが、その進化の方向とは『自己兵力が出来る限り損害を被らず、より多くの敵兵力に対し損害を与える』ことに(当然であるのかもしれないが)重点が置かれ、そして結果的に冒頭に述べた『人を殺す』という行為に対する認識の希薄化もまた生じたのではないかと思われる。
おそらくこれはジレンマと評しても良いのではないかと考えるが如何であろうか・・?
ともあれ、今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年より現在に至るまでに日本列島において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された地域のインフラの復旧・回復そして復興を祈念しています。
昨今より再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。
実際にそれら兵器を扱う人間に対して『その射程距離の延伸』が如何なる効果を及ぼすのかと考えた場合、一つにそれは全ての兵器の『目的』とも云える『人を殺す』という行為に対する認識の希薄化、あるいはこれを別言すると『人を殺す』行為の際に(おそらく自然に生じる)心理的な葛藤・迷い・躊躇いなどの著しい減少ではないかと考える。
太古、我々の先祖が石製の斧あるいは槍などを持ち戦闘に参加した場合、それら兵器を用いた接近戦にて敵を殺害する際に否応なくその感覚を認識・実感しなければならない。
おそらくそれは、料理にて魚を捌いたり、肉を切る行為と明確に異なる感覚ではないかと思われる。
また、そうした感覚が太古より我々人類の精神に存在していたことから、後世に至りさまざまな宗教における基本的な道徳律にて『人を殺してはいけない』といった文言が記されたのではないかと考える。
しかしながら、こうした道徳律とは、あくまでも自身の属する共同体内において相応しい行為態度であり、敵に対する戦闘の場面においては、むしろ積極的に敵を殺害する行為態度の方が共同体(の勝利)に貢献するものとして賞賛された。
それら双方の行為態度をさまざまな場面において(心底から)適宜使い分けることが可能であるならば特に問題はないのかもしれない。
しかし一方において、我々人間の精神とは、おそらく自身が(価値のあるものとして)受容した道徳律をも含む何らかの価値観をその精神内部において普遍化する(したがる)傾向があるのではないかと考える。
そして、それ故に葛藤が精神内部において生じ、さまざまな思索が為され思想・哲学といったものが生じるのではないかと考える。
また、そのようにして進化発展を遂げた思想・哲学において培った『思考という力』が同時にさまざまな科学技術の進化発展の原動力ともなったと云える(おそらく我が国の場合、この経緯の詳細が若干西欧文化と異なるのではないかと考える)。
そして、それら共同の精神的土壌にあるものとは『実証の精神』ではないかと考える。
とはいえ、そのようにして進化発展を遂げた科学技術に随伴するものが兵器の進化でもあるのだが、その進化の方向とは『自己兵力が出来る限り損害を被らず、より多くの敵兵力に対し損害を与える』ことに(当然であるのかもしれないが)重点が置かれ、そして結果的に冒頭に述べた『人を殺す』という行為に対する認識の希薄化もまた生じたのではないかと思われる。
おそらくこれはジレンマと評しても良いのではないかと考えるが如何であろうか・・?
ともあれ、今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございます。
昨年より現在に至るまでに日本列島において発生した一連の地震・大雨・水害等の大規模自然災害によって被災された地域のインフラの復旧・回復そして復興を祈念しています。
昨今より再び噴火をはじめた新燃岳周辺の方々の御無事をも祈念しています。
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