2017年7月17日月曜日

20170717 ブログ記事を書き続けていて徐々に変わったことについて・・

A「これまで2年以上継続的にブログ記事作成に取り組んできましたが、ここ最近はどうもやる気が湧いてきません・・(苦笑)。

しかし
、そうした状態であっても、いざ書き始めますと、どうにか、ある程度の文量は毎日書くことが出来るようにはなりましたので、ブログ記事作成の開始当初であった2年前と比較しますと、文章を書く能力の向上は(多少)為されているのではないかとも思われます・・。

また、
当ブログ開始当初の目的が『自身の文章を書けるようになりたい』というものでありましたので、あるいはその目的は既に遂げられているのかもしれません・・。

しかし、それでも、もうしばらくは記事作成を継続しようとは考えておりますが・・(笑)。

具体的には1000記事まで到達すれば良いとは思うのですが、その場合、この調子にて記事作成・投稿を継続し、来年の晩春・初夏あたりに達成となる目算が立ちますが、そこまで考えてみますと、それはかなり先のことのように感じられますので、とりあえず毎日目先の一記事一記事を積み重ねていくことにします・・(苦笑)。

また、それに関連し、ここまでブログ記事作成を継続してはきましたが、ここまで続けることが出来た自身内部での要因とは、いくつか考えられ、そして当初これを始めた理由とは、さきに書いた通りではあるのですが、それは同時に投稿記事数の増加に伴い、徐々に変化していき、最近強く感じることは『読んでくださっている誰かのために書いている』ということであり、おそらく現在では、その思いにて書き続けている部分が少なからずあるといえます・・。

とはいえ、それは特定の誰かというわけでもなく、ただ、投稿された記事に対しての反応を見ておりますと、その中に適切さ・鋭さ・才知の煌めきといったものが感じ取られ、こちらとしても、どうもさらに反応し、書き続けてしまうのです・・(苦笑)。

おそらく、こうした反応を見出すことが出来なければ、これまでのようなカタチでの記事作成は為されなかったものと考えます。

また、その意味において特に最近は『読んでくださっている誰かのために書いている』と評しても良いのではないかと思われるのです。

同時にこのことは、開始当初にはなかった『感じ・考え』でもありますので、その意味でも自身はいくらかは進歩したのではないかとも思われるのです・・(笑)。

しかし、とはいうものの、実際の私とは、それと同時に、以前のブログ記事に書いた通り、さきに応募した公募での結果により、落ち込んでいる部分が未だ少なからずあり、これをどうにか(概ね)克服したいとは考えているのですが、なかなか『次に行こう!』といった元気を取り戻せないでいる状態と云えます。

そのために色々と自分なりに行動し、そして以前にこのことを書いた時に比べれば、またさらに多少は良くはなってきたのですが、それでも、もう少し自分なりに動き続けなければ、これを(概ね)克服し、また次の応募に対して手が付かないように思われます。

それ故、今後もとりあえず活性が上がり、勢いがつくまで動き続ける以外にないとに思われます・・(笑)。
(季節が(活性が上がる)初夏であって本当に良かったです。)

ともあれ、このさき、これまでの経験を生かすことが出来るような大学での職種に本当に就くことが出来るのであろうか・・?

*おかげさまで昨日投稿分の記事も比較的多くの方々(30程度)に読んで頂けました。

昨年より現在に至るまでに生じた一連の地震・大雨・水害といった大規模な自然災害によって被災された地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧および、その後の速やかな復興を祈念しております。』














20170716 地域にて共有される認識と措辞への能動性について・・南北九州の違い

A「7月13・14日投稿分の記事の閲覧者数はその後も伸び続け、併せて150近くとなっております。

また、こうした題材を書いておりますと思い起こされるのが、以前読んだ野上彌生子著の『迷路』であり、この著作内にたびたび描かれている我が国近現代あるいはそれ以前からの歴史と絡めたさまざまな社会の様相およびその変化とは、大変興味深く、また、そうした著者の視点に13日投稿分記事に出た夢野久作の著作とのある種の類似性を考えさせられます。

また、その類似性は、その他のこの地(北部九州)が輩出した多くの研究者・著述家などについても、ある程度共通した何かがあるのかもしれないと考えさせれます。

そのように考えてみますと、北部九州一帯には、古来より歴史などを含めた『何かを物語る・措辞する』ことについて古来より続く何かがあるのかもしれないと考えさせられます。

そして、その基盤となるものが、おそらく表立って主張されることは少ないのかもしれませんが『我々こそが古来からの正統な日本人である』といった、いわば『真っ当ともいえる矜持』ではないかと思われます・・。

こうした矜持があってこそ、はじめて現今生じている出来事の価値・意味合いといったものを精確に認識し、歴史上に配置出来るといった一種の能動的な認識に結節することが出来るのではないかと思われます・・。

また、こうした認識とは、往々にして男性的とも称されるのでしょうが、それもまた、当地が古来よりさまざまな海外からの影響・圧力に対して真っ先に対応を迫られた地域であったことに起因しているのではないかと考えられます。

こうしたことを私見を交えて別言しますと
『あなた方中央におられる方々には分からないかもしれないが、我々は古来より外から訪れるものに対し、真っ先に対応してきたからこそ、現在の我が国があるのです。それ故、現在中央にて問題となっている種々案件の多くは、その根源を辿ってみれば、既に我々がどこかで経験し対応してきたことでもあるのです。また、そうした経験を持つ我々の為す判断、述べる意見であるからこそ、そこには少なくとも、ある一定(以上)の価値があるということを認識して頂きたい。』

といった感じになるのではないかと思われますが、こうした地域からの主張とは、時代の状況によって語調強弱のトーンが変化するのでしょうが、何れにせよ、その基層にあるものとは、さきに書いたような地域にて共有化された認識ではないかと思われます・・。

また、そうした(地域特有の)認識がなく、どの地域もこれといった特徴がなく、平均化されてしまった我が国とは本当にツマラナイのではないかと考えます。

しかし他方において、極論ではありますが、こうした認識およびその価値とは、その地域を一つの市場としてか見做していない他の地域・国々にとっては、おそらく、どうでも良いことなのです・・。

ただ、その地域が自らに利益を齎してくれるのであれば・・。

そしてまた、ハナシは戻り、そのことを古来からの歴史およびそこでの経験を通じて強く認識している地域であるからこそ『何かを物語る・措辞することについて』の価値を認め、そうした認識の共有が為されているのではないかとも思われます・・。

とはいえ、こうしたことは南九州および南西諸島においては、多少事情が異なるようであり、また、そうしたことが現在に至るまでの当地域が含まれる領土問題における我が国の対応にも影響を与えているのではないかと思われます・・。

また、その意味で西南戦争とは、やはり少なからぬ影響を今なお、この地域に与えているのではないかと考えます・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現在に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害といった大規模自然災害により被害を被った地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧および、その後の速やかな復興を祈念しています。』



2017年7月16日日曜日

20170715 『わかる』およびその過程について・・

A「時折『君は歴史や文学についてわかっているのか?』といった意味のことを尋ねられることがありますが、このように問われますと『わかっています!』と万全の自信をもって返答することはできません。

しかし、考えてみますと、この『わかっている』というが、いささか、くせ者のようであり、こうしたものとは、各自各様に意見・好みといったものがあり、本質的に理系学問分野におけるような『定量化された要素の相対的な比較』といったものに還元できない性質があると考えます・・。

とはいえ、こうした場合においても、自身の思うことを正直に述べるのが相手に対する礼儀であると考えますので、自身はそのように返答している次第です。

また、他方で、歴史に関連するのかもしれませんが、たとえばある種の雨乞い祭祀、出土した銅鐸、古墳の石室などに描かれている、もしくは刻まれている文様・絵画に関しては、おおまかな時代、地域もしくは意匠の背景に関しては(そこまで)的外れでない見解を述べることが出来るのではないかとも考えます・・。

これは実際の見分・書籍からの情報に基づいておりますが『まあ、大体そのようなものだろう』といった知識の体系を保持していることを自覚しているからであり、現在考えてみますと、そこに至るまでの過程は、それなりに時間を要し、且つ面倒な作業であったと云い得ます。

しかし、そのように考えてみますと、これはさきに書いた雨乞い祭祀・銅鐸・古墳など以外の分野においても、自身がある程度専門的な内容を述べることが出来る背景には、そうした過程があることが、あらためて認識されてきます。

加えて、そうした、ある程度専門的な内容を話す場合においては、適当なことを云いますと、即座にバレてしまうのは、どの分野でも同じではないでしょうか・・?

とはいえ、であるからといって、私はそれら分野を『わかっている』とは考えていません。

そして、それに関してもまた、医歯薬理工系を専攻とされる(た)方々とて同様ではないかと考えますが、如何でしょうか?

ともあれ、その『わかった』について今しばらく考えて、思い返してみますと、ある程度の経験・知識が集積された後、一度そこから『離れる』ことが、さらに一段階先の『わかる』うえで重要なのではないかと思われます・・。

これは未だ感覚的なことではありますが、そちらの方が、忘却とも昇華・消化?ともつかない状態、新たな気持ちにて、その対象に接することになり、さらには、さきの無意識化された経験・知識によって進捗も早くなり、結果的に一段階先の『わかる』に達することが出来るのではないかと思われます。

また、
こうしたことを『たとえ』を用いて表現しますと『砂場の砂山遊びにて、その高さを高くするためには一度頂上を叩き、平坦にする必要があること』あるいは歌の歌詞にあった『三歩進んで二歩下がる』といったようなことではないかと思われます・・(笑)。

これは効率的には良くはないのかもしれませんが、同時に人間の生理的には、こちらの方が無理がなく、適しているのではないかとも思われますが、さて如何でしょうか・・?

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございました。

*昨日投稿分の記事も比較的多くの閲覧者数を得ることができました(50近く)。

昨年より昨今に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害といった自然災害により被害を被った地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の速やかな復興を祈念しています。』












2017年7月15日土曜日

20170714 地域毎に見受けられるある種の特徴について・・団体精神・昨日の続き

驚いたことに、昨日投稿分の記事の閲覧者数は、これまでの中でもかなり伸びました(60近い)。

これまでに自身はあまり表立って政治的なことは書かず、どちらかというと過去の歴史からの言及といった(間接的な)カタチを採り、そしてそれは昨日投稿分の記事においても同様であるはずなのですが、そうしたなか、冒頭に書いたような現象を見ますと『あるいは現在こうしたことを内心にて考えている方々が多いのかもしれない・・』とも考えさせられるのです・・。

また、それはすなわち『現在における本当・正統な保守とは一体何であるのか?』といった疑問につながるのではないかと考えますが、如何でしょうか・・?

たかだか百数十年間の我が国の近現代においても、その(本当・正統な保守)系譜とは錯綜しており、特に都市部・首都圏におけるそれは著しく、まさに『一概には云えない状態』と評しても差支えないと考えます。

一方、そうした視座を以って地方都市での状況を観察してみますと、もちろん、それはそれで複雑であり、錯綜しているのでしょうが、それでもさきの首都圏もしくは(近現代の)権力の貸し座敷におけるほどの無秩序とも見受けられる勢力積層の様相は見受けられず、数年程度在住し、同時に当該地方都市に関しての書籍・文献をある程度読むことにより、その概要らしきものとは、どうにか(ボンヤリと)見えてくるのではないかと考えます。

以前にもブログ記事にて書きましたが、その点において鹿児島とは西南戦争という近代以降の我が国において最大規模の内乱が勃発した地域であることからか、あるいはそれ以前からの歴史によるものか、やはり特徴的ともいえる地域性を有しており、私の在住期間においても少なからず、その御先祖が維新回天期・西南戦争に従軍、そして下獄された経験を持つ方々と見知る機会がありました。

そして、こうした方々は総じて、御先祖が罪人として獄に繋がれたことを恥じる様子は全くなく、逆にそれを誇っているようにも見えました。

自身としては、そうした御先祖に対する態度とは極めて健全なものであり、また、古代より数多く中央に対しての反乱を起こしてきた隼人の面目を躍如するものであると、感心を通り越し羨ましく思う次第です。

とはいえ、その一方において、現在の鹿児島では、そうした背景を持つ方々の多くが、おそらく地域における手堅い保守層に属しているのではないかと思われます・・。

そしてまた、このことは昨日投稿分のブログ記事に書いた筑前・福岡の旧黒田藩家臣団を基軸とした玄洋社が当時の明治藩閥政府・有司専制に対する、ある種の圧力組織・監視機関として自らを任じたのに対し、鹿児島においては、あるいは西南戦争での地域勢力の敗北により、地域勢力内部構成に地殻変動らしきものが生じ、さらにその後の太平洋戦争の敗北によっても同様の現象が生じた結果として、さきに書いたような状況になっているとも云えますが、その経緯については、大変興味深い題材ではあるものの、調べていきますと、かなり大がかりなものとなるのと思われますので、ここでは触れません・・。

そういえば、ここまで書いており不図思い出されたことは、かつて竹山道雄がその著書『昭和の精神史』において軍人の団体精神について一項を設けておりましたが、我が国はもとより他の国々においても、時代が変革期に差し掛かると、こうした男性的とも云える団体精神の活性化が生じるのではないかと思われました・・。

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から今日に至るまでに生じた一連の地震・大雨・水害といった自然災害によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧および、その後の速やかな復興を祈念しています。








2017年7月13日木曜日

20170713 結社の地域性 自由民権運動および玄洋社から思ったこと

少し前に夢野久作著「犬神博士」を読んだことから、その著者である夢野久作こと杉山直樹について少し調べるにつれ、その著作(「犬神博士」)内での描写が(やけに)生々しいことに納得がいきました・・。

つまり、それらは著者御自身が実際に見聞き・体験した出来事を主たる題材として、この著作は書かれているのです。

そうしますと、自然、著作内に度々登場する当地筑前・福岡を基盤とした結社『玄洋社』に対しても興味が生じることになります・・。

とはいえ、この『玄洋社』とは、これまでに自身はまったく知らなかったわけでもなく、この結社あるいはその構成員とは、日本近現代史に関しての著作をある程度読んでおりますと、概ね登場してくるといっても良いといえます。

その上で、何故、この『犬神博士』を読了後に『玄洋社』に対しての興味が湧いたかといいますと、それは、これまでに自身が近現代史に関しての著作を通じて抱いていた『玄洋社』に対してのイメージと大きく異なるからであるといえます。

いささか通俗的な印象ではありますが、自身はそれまでに『玄洋社』とは、発祥の地、筑前・福岡(黒田藩)の地縁に基づいて結成された右翼・国粋主義的な結社であり、それはかつての大日本帝国の海外進出の先兵的な活動を表裏内外にて行い、また国内においては大資本、政党等の実行組織として、さまざまな国民に対する抑圧行為に加担したというような決して好ましくない印象を持っておりました。

また、それは現在においても、この結社とは、世間一般でいう『右翼団体の始祖的な存在』というのが通説といったところになっているのではないでしょうか?

しかし、その成立の経緯および活動などについて、未だわずかではありますが、関連書籍をあたってみますと『そればかりではないのではないか?』あるいは『なぜこうした変遷が為されたのであろうか?』といった、さきに書いた『イメージと異なる』ことから生じる違和感そしてそこから興味が惹起されたといえます・・。

加えて、その成立の経緯について考えてみますと、これまたいささか通俗的・通史的な解釈となりますが、西南戦争での西郷軍の敗北により、武力による明治政府の打倒が不可能であることが一般的な認識とされると『では、議会を開設し言論を通じて政府に対しての影響力を行使して行こう。』と考えたことから高まりを見せたのが土佐・高知を主たる基盤とした『自由民権運動』であるといえます。

そして、それと同様の時代精神の反応によって筑前・福岡にて結成された結社が、さきの『玄洋社』ではないかとも考えられるのです。

こうしたもの(反応の仕方)にもおそらく地域性があるのではないかと思われます。

ともあれ、この『玄洋社』の社則とは「皇室を敬戴すべし」・「本国を愛重すべし」・「人民の権利を固守すべし」といったものであり、私見ではありますが、これらは現在においても十分に価値を持つ理念であると考えます・・。

とはいえ
、二番目の『本国』とは一体どういった意味であろうか?とは考えさせられ、これもまた古来より異文化摂取の窓口とされた地域が持つ一種独特な地域特性の発露ではないかとも思われます・・。


また、この『玄洋社』とは、西南戦争にて敗れた西郷隆盛の遺志を継ぐといった側面もまたあり、これがおそらく西欧的な思想をその背景に据えたさきの自由民権運動と大きく異なるところではないかと考えます。

さらに西郷隆盛にて思い出されたのですが、来年の大河ドラマにおいては西郷隆盛が主人公とのことですが、現在のテレビドラマにて、この人物を史実に忠実に描くことは、かなり無理がある、困難ではないかと思われます・・。

そして、以前にもブログ記事にて書きましたが、それよりも西南戦争前後の土佐の自由民権運動、筑前の玄洋社などでの群像をドラマ化した方が、あまり無理はなく、且つ現在のさまざまな思想を持つ方々に対し広範に受け入れられる可能性が高いのではないかと思われますが、如何でしょうか?

そういえば、かつて司馬遼太郎が生前、その著作『坂の上の雲』のテレビドラマ・映画化を禁止していたのは、その内容から戦争賛美および社会の右傾化が惹起される危惧であったからであったと読んだ記憶がありましたが、この著者の危惧とは単なる杞憂であったのでしょうか・・?

とはいえ、その一方で、やはり昨今のアジア情勢とは多少混乱はしてはいるのでしょうが・・。

昨年から現在に至るまでに生じた一連の地震・大雨といった自然災害によって亡くなられた方々のご冥福を祈り、また被災された地域の早期の諸インフラの復旧に加え、その後の速やかな復興を祈念しています。

2017年7月12日水曜日

20170712 ブログ記事の面白さを決めるもの・創造・創造力とは・・

昨日投稿分の記事は思いのほかに多くの方々(31)に読んで頂いておりました。

これまでほぼ毎日ブログ記事を作成、投稿しておりますが、やはり読んでみて面白いと感じられる記事は、より多くの読者を得ることが出来ているのかもしれません。

とはいえ、作成している本人からすれば、一体どのような記事が面白いのかとは、今現在に至るまであまりよく分かっておりません(苦笑)。

それでも、ある程度実証的であり、且つ新しいと思われる知見を平明な文章にて書き得たと自身でも感じられる記事とは、やはり、それなりに多くの方々に、そして継続的に読んで頂けている傾向があるように見受けられます。

しかし、そうした記事を読み返してみますと、不思議なことに『どのようにして、その記事内容を着想し得たのか?』がよく分からないことが多いのです・・(苦笑)。

それらは、おそらく当初、どちらかというと漫然と書いていたのでしょうが、興が乗るにつれて徐々に考え・思い付きが増幅していき、面白い先の展開の着想に至ったのではないかと思われます。

そして、こうした状態に至った自身とは、やはりそれなりに文章作成に没頭しており、以前のブログ記事にも書いたとおり『自身の客観視を許さない状況』にあるのではないかと考えます・・(笑)。

言い回し・表現によれば、こうした状態とは『自分になりきっている』・『忘我』・『集中している』などと称されるのかもしれませんが、しかし、こうした状態とは『他者の視線を気にしていない』という意味では、決して良いものとは評し難く、何かしら動物的、原初的と評しても良い状態ではないかと考えます・・(苦笑)。

また、そのようなことを考えてみますとニーチェがその著書『悲劇の誕生』にて述べている創造の源泉たる原初的な混沌の要素(ディオニュソス的)とそれに秩序を与える理知的な要素(アポロン的)との葛藤のことを思い起こさせます。

また、そこから次いで『創造的要素・創造力が疲弊・枯渇した社会とは、一見全てのものが衆目に適い、こぎれいになったともいえる社会なのではないだろうか?』とも考えさせられるのですが、しかし、実はこうしたことは現在の主に都市において理想的とも云える要素が兼ね備えられた状態をも示しているのではないかとも思われるのです・・。

おそらくこうした状態とは、さまざまな人間の為す行動・行事が形式化され、外見としては華やかでもあり、あるいは立派であるのかもしれませんが、徐々にそれらの背景・基層にある理念・思想といったものが忘却・形骸化され、そして、それに伴い『文明そのものの力』もまた経時的に損なわれていくのではないかと思われるのです・・。

また、それは昨今の科学技術の進化発展により、より多く見出すことが出来るようになった定量化による相対化といった一見科学的ともいえる視座を軸としてもまた、生じ得るのではないかと考えます。

それ故、特に現代の我が国においては、原初的と評されようが、衆目に適わなくとも、外見的なスマートさなどをあまり重要視しない創造に適した『場』が自然に発生するような社会全般における鷹揚さ・寛容さを取り戻した方が良いのではないかとも思われます・・。

そしてまた、こうしたことには社会における男性的要素と女性的要素の葛藤といったものが少なからず影響しているのではないかと考えますが如何でしょうか・・?

一方、こうしたことは、さまざまな地方においては、また多少事情が異なっているのかもしれませんが・・。

ともあれ、今回もまたここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年より現在までに生じた一連の地震・大雨といった自然災害により被災された地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧および、その後の速やかな復興を祈念しています。










2017年7月11日火曜日

20170711 観察された事実・知識の集積からより大きな思想へ至る方法とは・・?【書籍からの抜粋引用あり】

当たり前のことであるのかもしれませんが、我々日本人と欧米あるいは中東などの所謂一神教を奉じる人々との間の『宗教』あるいは『神』に対しての概念とは大きく異なるといえます。

我々日本人は古来より草木から川、山、動物、人間に至るまで、何かしら人々に畏れを抱かせるような働きを持つ事物に対して『迦微・神』(カミ)の字をあててきました。

地方に行きますと御神体が山であったり瀧であったりすることは割合一般的であることは周知のことと思います。

そして、現代の我々もまた、あまりそうした状況を不思議に思うことなく受け入れて過ごしていると云えます。

こうした神に対する考え方とは『汎霊説』(Animism)と称されるものであり、平たく云えば『すべてのものは神(霊)である』といったものであり、さらにこれを我が国特有の言い回しにしますと『八百万の神』となります。

そして、この『八百万の神』とは、冒頭に書いた『何かしら人々に畏れを抱かせるような働きを持つ事物』とも結び付くのですが、こうした神々に対する観念とは、欧米人に云わせると『原始的な宗教ともいえる自然崇拝に近い』となるのでしょうが、原始的であるかどうかはさておき(原始的なものが同時に(時代を通じ)普遍的であれば、それは決して原始的ばかりとはいえない)たしかに自然崇拝に近い感情を我々日本人は今なお保持しているといえます。

そして、そうした感情に基づいた思想とは決して閉鎖的ではなく、外来の事物の摂取に対して積極的でさえあるといえます。

また、おそらく我々はそうした(外来の事物の摂取)対象の一環として12月25日の神の御子の生誕祭もまた、ほぼ無意識ながら受け取っているのではないかとも思われます。

それが、起源の地でのそれとは異なる思想背景となっても、それはあまり考慮すべきことではなく、大事なことは、ただ『その神の御子の生誕を祝っている』といった『感情』あるいは『行い』そのものといったことになるのではないでしょうか・・?

しかし、であるからといって、それは決して否定されるべきものではなく、良い悪いを抜きにして、単に『そうした性質も持っている』ということであると考えます。

また、そうした文化土壌において培った性質とは(極めて)高度な観察力を要する視覚的・即物的な学問・研究においては有効であり、それが『理系立国としての我が国の近現代の基礎となる性質』であると云えるのではないでしょうか・・?

そして、そうしたことを念頭に置きつつ、あるいは応用しつつ、観察現象に対して精確にコトバを当て嵌めていき、何かしら普遍的な思想・考えといったものの構築を試みれば価値があるのではないかと考えるところなのですが、自身も含めて我々日本人とは、この段階がどうも苦手なのではないかと考えさせられます・・(苦笑)。

そして、ここまで書いていて不図思い起こされた書籍の記述を以下に抜粋引用しようと思います・・。

岩波書店刊 J.S ミル著 竹内一誠訳 『大学教育について』ISBN-10: 4003910117
ISBN-13: 978-4003910115

『科学教育の価値は、人間本来の仕事に知性を適用させるための訓練あるいは鍛錬過程にあると理解する方がはるかに重要なのです。

事実はわれわれの知識の素材であり、他方、精神は知識を作り上げる道具です。

そして事実を集積する方が、事実から何が証明されるかを、あるいは、すでに知っている事実から知りたいと思う事実に達するにはどうしたらいいのかを判断するよりずっと簡単なのです。

一生を通じて人間の知性がもっとも活発に働き続けるのは、真理を探究するときです。

われわれは、絶えず、あるなんらかの事柄について何が本当に真実であるかを知る必要があります。

われわれと同世代の人々すべてにとってだけではなく、今後の世代の人々にとっても光明となるような偉大な普遍的真理の発見は、もとよりわれわれすべてのなしうることではありません。

しかし、一般教養教育が改善されれば、そのような発見をなしうる人の数は現在よりはるかに増大することでしょう。

とにかく、われわれすべては、重要な真理として提示されていて相対立する見解について正しい判断を下せる能力を身につけなければなりません。』

昨年から現在に至るまでに発生した一連の地震、大雨といった自然災害によって被害を被った地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧、そして、その後の速やかな復興を祈念しています。