2016年10月18日火曜日

20161018 吸気と呼気のように膨張、収縮する精神・・

A「つい先日作成、投稿したブログ記事により総投稿記事数が450に到達しましたが、現在においてもこれといった内外の変化などは認められず、また、それと同時にかつてほど記事作成に窮するということもありません。

そして、そうした心境、状態にて本日も記事を作成しております。

とはいえ、やはり一日働いておりますと精も根も疲れるようであり、また、それが平日の記事作成の場合、通常の状態ではありますが、そうした疲労感の中で本日もまた記事作成を行っております・・(苦笑)。

しかしながら一連のブログ記事を閲覧しておりますと疲労感の中で作成したものと、そうでないものの間では特に大きな相異とは認められないのではないかと思われますが如何でしょうか・・?

そして、これは作成者の文章作成の才能の乏しさを示しているのか、あるいは、その進歩を示しているのかは、よくわかりません・・願わくは後者であらんことを望む次第ではありますが、こうしたものは自身のみで判定することは多少危険なことではないかと思われます・・(苦笑)。

そして、そうしたことと多少関連があるのではないかと思われますが、以前読み、また、これまでのブログ記事においても幾度か抜粋引用した夏目漱石著「三四郎」内の記述、主人公三四郎と広田先生との会話にて「我々の住む世の中とは、偽善的、露悪的の両思想が主たるものとして、それら交互の変化、交代にて進行していると考えて差支えない。」といったものがありましたが、これを現今の首都圏に当て嵌めて考えてみますと、おそらく後者の色彩が強いのではないかと思われます・・。

そして、これを異言すると、露悪的つまり強者、膨張、男性的な思想、発想が現今の首都圏において優位を占めているのではないかということになるものと思われます。

また、こうしたことは歴史上の事物、遺物について考えてみても、あるいは看取することが出来るのではないかと思われます。

それはたとえば巨大化した銅鐸、銅矛、古墳、そして近現代であれば19世紀末から20世紀前半における大艦巨砲主義などがそうした強者、膨張、男性的思想あるいはそれが優位を占める時代精神を示しているのではないかと思われます。

しかし一方、我々日本人とは「何でも小型化したがる」といった心的傾向を持つなどとも云われておりますが、これにさきのことを加味して考えてみますと、それは時代精神の一面のみにおいて云えることであり、実際のところ、我々の精神とは、時代により、事物により、種々様々な膨張、縮小双方の嗜好を示すのではなかろうかと思われます・・。

あるいはまた、それをさらに視点を変えますと、時代精神における躁、鬱双方の傾向を示すのではないかとも思われますが、さて如何でしょうか・・?

とはいえ、本日のブログ記事にて、こうしたことを主題として記す背景について考えてみますと、その根本とは、作成者の能動性ではありますが、それと同時に本日お話しを伺った歯科医師の方との対話もまた一つのそれ(根本)ではなかろうかとも思われます・・。

そして、そこ(このブログ記事)から本日私が伺ったハナシおよびそこで為された対話の概容を想定してみるということは、現時点においては時間的に近すぎることにより困難であり、おそらくこうしたことは、以前さかんに作成した対話形式のブログ記事のように、ハナシ、対話の後、ある程度時間を経てからでないと、うまく捨象し対話形式の文章と成すことが困難であるののかもしれません・・(笑)。

しかし、そうであるからといって、それ(直近のハナシ、対話)が現在そして未来においても無価値であると断ずるのはナンセンスであることはご理解頂けるのではないかと思われます。

とはいえ、現今首都圏において優位を占めていると思われる強者、膨張、男性的思想に拠ると、そうしたもの(直近のハナシ、対話)などは、無価値に近いものであると判ぜられる傾向があるのではないかとも思われます・・。

そしてこうした傾向とは、一体どこに由来しているのでしょうか?

一方、こうしたもの(時代精神)とは、時代が生む多くの文物に対し影響力を持ち、そしてそれらが現今の我々よりも賢明且つ客観的であるかもしれない後世の人々により鑑定、評価されることを忘れてはいけないのかもしれません・・(笑)。

ここでは「近視眼的」というコトバがキーワードになるのかもしれません・・。

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本にて発生した大地震により被災された地域における諸インフラの今後の出来るだけ早期の復旧およびその後の復興を祈念しております。」

20161017 2009年3月末~4月初頭のこと

おかげさまで450記事目の投稿となる昨日、1日の閲覧者が1000人に到達しました。

また、ここ最近、2回にわたり記した鹿児島についての記事は思いのほか閲覧者数が伸びましたので、いかなる要因であったか分かりませんが、少なくとも全くツマラナイものではなかったのかもしれません・・(笑)。

それ故、今後も折を見て、こうした形式にて、この周辺のことを少しづつ記してみようと思います。

しかしながら、さきの鹿児島での記憶を題材とした2記事は、これまでのブログ記事とは多少文体が異なり、不思議なことに、あの時期(2009~2013)の出来事を記す場合、あの少し硬質ともいえる文体にて記述する方がスムーズに文章が湧いてくる感じがするのです・・(笑)。

こうしたことは案外、単なる迷信や笑い事でもなく、実のところそれ(文章が湧き出すための心の構え?)が文体なるものを構成する極めて大事な要素ではないかとも思われるのです。そして、それを念頭に置き早速もう少しこの時期のことを以下に記してみようと思います。

「歯科技工学校を卒業し、鹿児島に移り住んだのは2009年の3月末であった。正直なところ、この進学とは、あまり周囲に喜ばれるものではなく、ただ、当時臨床研修医であった兄、そして松山に在住していた叔父がこれに賛成してくれていた。また私の方も叔父に出発前に「機会がありましたら鹿児島からそちらに遊びに行きますので、その時はどうぞよろしくお願いします。」といったアイサツを電話口にていささか興奮気味にしていた・・(笑)。兄の方は技工学校以前の和歌山在住時より何度か訪ねてきてくれていた。その際、自動車にて紀伊半島の古墳を2日かけて廻ったこともあった。
ちなみに兄の古代、就中、古墳時代に対する興味および、その材料となった諸書籍を薦めていたのは概ね私であり、また、そのように考えてみると割合子供の時分から私は書籍に関しては兄の案内人のようなものであったともいえる・・。
ハナシを戻し2009年の3月末に鹿児島に向け発った私は鹿児島着後当初数日は入居予定のアパートが契約日程の都合にて入れず、仕方がなく市内のビジネスホテルにて宿泊するうちに4月となった・・。入居したアパートは大学の近くではあったが、大学の立地自体が周辺市街地と多少隔たった丘の上であったため、何らかの移動手段は今後必要になるであろうと感じた。そして当初必要な家財道具等を近くのホームセンター(しもんそマルヒラ)にて購入し、それらを抱え昼過ぎ頃バスにてアパートに帰る際、不図、何ともいえない強烈な郷愁をおぼえたことを思い出す。しかし、そうした感傷的な心情は一時的なものであり、家電の設置、到着荷物の荷ほどき、整理などに追われ、それが一段落する頃には夕刻となっていた。当時はそれまで首都圏に在住していた為か、そのままアパートにて大人しく過ごすという考えに至らず、再度バスにて市街地に下り、市電に乗り鹿児島中央駅(西駅)まで出かけた。4月はじめの鹿児島市街は同時期の首都圏に比べると明らかに温暖であった。私は鹿児島中央駅周辺をひとしきり散策し、駅ビル上階の映画館にて当時上映されていた1944年のヒトラー暗殺計画を映画化した「ワルキューレ」という作品をレイトショーにて鑑賞した。しかし、よくよく考えてみると鹿児島着数日目に観た映画が「ワルキューレ」であったことは、その語源である北欧神話の女神の役割について考えてみると、多少こじつけ気味ではあるが、なかなか感慨深いものがあるともいえる・・(笑)。そして、その翌日は初めて大学に顔を出す予定の日であった。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そして、その後の復興を祈念しております。





2016年10月16日日曜日

20161016 450記事到達、および先日のノーベル文学賞に関連して思ったこと

A「本日の記事投稿により投稿記事数が450となります。

これは一つの区切りとなるのではないかと思われますが、しかし同時にこれは次の500記事への一区切りといった認識の方が適切ではないかと思われます・・。

そして、このようなことを記しますと、否応なく500記事までは記事を書き続けなければならないという認識(強迫観念?)が生じてきます(苦笑)が、これを異なった視点より考えてみますと500記事を全体として考えた場合、現在450記事にて、残りの50記事とは、これまでのブログ記事作成に費やした労力の9分の1程度にて到達可能であるということになります。

その場合、これを継続し500記事まで到達した方が自身の内心、精神にとっては良いとも思われますので、これまで以上にあまり無理をせず、途中休みも設けつつ継続するのが上策ではないかと思われます。

そして具体的には年内に500記事に到達すれば、とりあえず良いということにします・・(笑)。

しかし一方において面白いと思うことは、ブログ記事作成とは継続して行うことにより、それこそ継続することが出来ているのではないかということです。

これはよく分からない禅問答のようですが、おそらく実際に文字通りの意味です。

つまり、何か文章の主題となるものを胸中に持っているのであれば、即座にそれを適当な形式にて文章化することが出来るというわけではなく、むしろ我々とは一般的に、常時そうした主題をどのようなものであれ持っており、それを発信、発表する形式の方に関しての方がむしろ不慣れであり、そのため、常時ともいえる、ある程度の発信、発表の練習、修練の方が「より」必要ではないかということです・・。

そして、その一つの方法、形式がブログであるといえます。

少なくとも、現在の私の場合はそうであると考えております。

また、それに加え、ブログという不特定多数に対する発信、発表により、当初思っていた以上の閲覧してくださる方々がいることにより一層トルクが強まり、記事数増加(新たな記事作成)の推進力が増したものとも考えております。

人間のこうした精神、心情とは単純且つなかなか面白いものであり、もしこれ(ある程度の閲覧者数およびその経時的増加)がなければ、記事作成の継続を途中にて断念していたものと考えます。

それ故、450記事という一応区切りでありますので、これまで興味を持って読んでくださっていただいる皆様、どうもありとうございます。おかげさまで、450記事まで到達することが出来ました。

また、ここまで記していして不図思い起こしたことは、先日のノーベル文学賞の受賞者発表にてアメリカ合衆国のミュージシャンの方が受賞されたことです。

ちなみにこの方の有名な一曲は、以前(約半年前)、私のブログにてその演奏動画(モノクロ)が共有されておりました・・(笑)。

またミュージシャンが文学賞を受賞されるのは特に問題ではなく、それでしたら、たしかイギリスの高名な政治家が同じ賞を受賞されておりました。

これは当時のイギリスでは面白いハナシのネタになっていたそうです。

その内容は「この政治家がノーベル平和賞ではなくて文学賞を受賞したということはなかなかアジなことをする。」といった感じではなかったかと思われます・・。

とはいえ、ハナシを戻し、さきに示した楽曲の歌詞とは、もしかすると、私のこれまでのブログ記事作成においても多少は類似した要素があるのではないかと思われました・・。

ちなみに、この楽曲とは、大分前に観た映画「フォレスト・ガンプ」にて知り、また師匠(歯科理工学)が好んでいたものでもあります。

たしか学会にどこか(東京であったように思われる)へ出向いた際、師匠が私を含め弟子共数人と昼食にて学会場近くのレストランに入った折、どのような経緯であったか忘れてしまいましたが、この音楽家のハナシとなり、突然、師匠がこの楽曲の一節を英語にて歌い出されたことが大変印象的であり憶えております。

そして、このことを記しますと、今度は福岡在住時、地下鉄博多駅のホームにて電車待ちの際、その時話していた大学院生(留学生)の方がハナシの流れにて出てきた日本のある楽曲(童謡)を突然歌い出されたことをも思い起こされます・・。

おそらく場合にもよると思われますが、それらの場合に関して、私は特に不自然、不愉快なものであるとはまったく感じませんでした。

ハナシの流れ次第では、こうしたこともまた、あるのではないかということです・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本を中心として発生した地震によって被災された地域での諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」


Blowing in the wind



2016年10月15日土曜日

20161015 はじめての鹿児島訪問2008

「2008年夏過ぎに院試のために鹿児島を訪れた私は、修士課程での友人であり、実家が鹿児島であるBとも久しぶりに会うことになった。
Bは地元の企業に就職し、当時はたしか国分、隼人方面に住んでいたにも関わらずわざわざ出向いて来てくれた。
当日の昼過ぎ頃には既に院試を終えていた為、その時は特に緊張する要素はなかった。
待ち合わせの場所は天文館の電停交差点であり、この時は多少私が早く着いていた。
市電が電停に着きBが下車してくるのが見えたので、声をかけ、手を振ったところ、Bの方もすぐに気づいた。
Bと会うのはさきのAと同様、修士課程修了後以来であるので、かれこれ1年半ぶりであった。
そして天文館にある霧島方面にて本店を構える地元で有名な焼き鳥屋(関東のそれとはニュアンスが異なる、どちらかというと鶏肉に特化した焼肉屋と考えた方が良い。)に入り、美味しい鳥を十分に御馳走になった。
Bは食べながらさかんに「どうです、美味しいでしょう?」と聞いてきたが実際、それは大変美味しいものであり、且つ面白いことに、このお店の霧島にある本店にはその後何度も足を運ぶことになり、後に鹿児島に訪れたAを案内したのもこの霧島のお店であった。
それらの起因とは、このはじめての鹿児島訪問時にあったことをこれを記していて気付いた。
その後、同じく天文館にある鹿児島名物「白くま」を食べさせてくれるお店に入り、これもBから御馳走になった。
この本家本元の「白くま」とは具材(主にフルーツ)のたくさん入った巨大なかき氷のようなものであり、たしかに夏場にこれを食べれば涼しくなること請け合いであろうと思われる。
また具材が種々入っていることより、比較的量が多かったにもかかわらず最後まで飽きが来ないで完食することが出来た。
とはいえ、食後のデザートとしてはかなりの量であったことをも思い出される。
あるいは通常これはカップルが二人して食べるようなものではないだろうか・・?
ともあれ、このお店には閉店までいて、ここでも色々と近況や思ったことを駄弁っていた・・。
久しぶりに知人に会い話すことになると、私はどうも勢いに任せて色々と語ってしまう傾向があるように思われる。
しかし、それはおそらく何も私のみならず、さきに出たAなどは、私などよりかなりいい線を行っているのではないかと思われるのだが・・。
そして夜半過ぎにBと別れ翌日帰郷した。
その後の技工学校では相変わらず講義、実習に追われる毎日であり、且つ秋を過ぎると国家試験の準備などで更に忙しくなっていった。
とはいえ、この当時は分からないことがあると周囲の歯科関係者に容易に聞くことが出来たため、環境的にはかなり恵まれていたのではないかと思われる。
修士院生の頃は分からないことの調べ方も分からず、またインターネットからの情報をあまり信用せず、専ら実地調査、図書館、書店などに拠って、分からないことの意味を泥縄式に調べていた・・。
しかし、この分からないことを足を使い、体を動かし調べるといったことが案外大事であったのではないかと現在になっては思われる。
とはいえ、それはある明確な調べたい目標の情報を直線的に得るといった性質のものではなく、得られた情報が当初企図していた意味、傾向を持っていなくとも、それが「確からしい」ということにより、その次の思考段階に移行してゆくといった計画性が立てにくい性質のものであり、おそらく総じて科学とは、本質的には、そういったものではないかと思われる。

たとえ最終的には大きな企図する目標があったとしても・・・。

その意味において現在世間に流布している様々な事物、利器とは、こうした科学の成果に基づいたものが多いと思われる一方、さきに記した「自らの足を使い、体を動かし調べる」といった要素が昨今の情報機器の進化発展によって、その本来の価値、意味が軽視せられているのではないかとも思われる。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本を中心として発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」



2016年10月12日水曜日

20161012 2008での出来事を思い起こして・・

これまで仕事にて何人もの歯科医師の先生からお話しを伺っておりますと、時折それらをベースとして不図「何かモノガタリでも書いてみようか・・」と思うことがあります・・。

私はこれまでに創作部分が多いモノガタリ的なものを作成したことがないため、特に自信といったものはありませんが、一方、伺ったお話し、自身が経験したことを統合、整理することにより、何かしらモノガタリに近いものは創作することが出来るのではないかとも思います・・。

そして、モノガタリの題材とは基本的に2009~2013の自身の経験が適当であるのではないかと思われます・・。

「2008年4月、私は**歯科技工専門学校の2年生に進級していた。
そして同月の後半、大学院博士課程(経済学)に進学し、同じく2年生となっていたAが学会にて東京に訪れたことを電話にて知らされ***で約1年ぶりで会うことになった。

その日は幸いなことに実習が比較的早く終わり、急ぎ待ち合わせをしていた***駅に向かった。

***駅に着くとAは既に待ち合わせ場所に到着しており、連れ立って近くの喫茶店に入った。

Aと会って話をするのは修士課程修了以来はじめてのことであり、現在彼が行っている研究、勉強、読んでいる書籍のことなどで大分ハナシが盛り上がった。

この時、修士院生当時と変わらずに手振りを交え話していたAの手がテーブルの上に置かれていた水の入ったコップにあたり、水がテーブル一杯に広がるほどにこぼれたが、Aは途切れることなく話し続け、また私もそのことに特に気を向けることなく話しを聞き続けていた・・・。

この時話していた内容とは、彼の専攻としている経済学者についての新しい発見、知見のタネとなりそうなことであり、また、同時にそれはAの修士院生当時の研究からの継続、発展したものであったため、ほぼ1年振りであったにもかかわらず、特に理解できないということはなかった。

また、私の方も修士課程修了後も継続的に文系学問の著作を読んでいたことによってか、どうにかAの話しについてゆくことが出来たのかもしれない・・。

とはいえ、この時、Aの研究内容の話しよりも、私が大きく興味を示したのは、現在Aが在籍している大学院博士課程での具体的な研究生活のことであり、これは当時歯科技工学校にて手を用いるさまざまな実習に明け暮れていた私にとって、かなり好奇心を抱くに値するものであり、別れ際に近い頃、私はAに向かい「私は現在歯科技工学校に通っていますけれども、ここを出たらいずれ博士課程に行きます!」と宣言したことを覚えている・・。

今回もまた、ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。


さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。

2016年10月11日火曜日

20161011 言語、語彙体系の相異から感じること・・

A「本日も比較的長距離を歩いて移動したと思います・・。

また気温もこれまでに比べ若干涼しくなり、日中の気温も以前の夏日(30℃超え)ほどはこたえなくなりました。

さて、本日投稿分のブログ記事に関しましても、これまで通り今現在に至るまで、特に主題、テーマを定めておりません・・(苦笑)。

そういえば、昨日投稿の記事において北杜夫著「楡家の人びと」に関して少し記しましたが、その後調べてみますと、この著作に関しては英訳版が存在するようです。

これは原書(日本語)を読了の後、機会があれば是非読んでみたいと思います。

とはいえ、北杜夫といえば個人的な見解として以前もブログ記事にて記しましたが「どくとるマンボウ」シリーズを英訳にて刊行してみましたら、なかなか破天荒な試みであり、面白いのではないかと思われます・・(笑)。

ただし、それに対し(ある程度多くの)読者がいるかどうかはまた少しハナシが異なってくるのかもしれません・・(苦笑)。

その点やはり「楡家の人びと」とは、様々な視点から英訳版を刊行するのに相応しい著作(文学作品)であったようです。

また、英訳版の文学作品といえば、先日より大岡昇平著の「俘虜記」を読んでおりますが、それら(主に英論文)を比較的多く読んでいた時期と比べますと、やはり読むスピード、読解力が落ちていることが明らかに感じられます・・(苦笑)。

とはいえ、この著作もある程度時間をかけても、どうにか読了に至りたいものです・・。

また、英語にて書かれた小説で私が面白く感じた著作の一つとしてジョージ・オーウェル著の「パリ・ロンドン放浪記」が挙げられます。

これは岩波文庫から邦訳が刊行されておりますが、双方共に大変面白く、且つ読み易いと思われます。

加えて、この著作の内容とは、どちらかというと若い時分に読むのに適しているとも思われますので、これにより少しでも興味を持たれた方々、もしよろしければ、一度書店にて手に取り読んでみてはいかがでしょうか?

また、個人的なハナシではありますが、英語にて書かれた小説に関してここ最近思うことは、こうした著作を読んでいる間とは、不思議なことに、あまり日本語の文章が浮かんでこないということです・・。

あるいはこうしたことは、私の能力の現時点のある面での限界を示しているのかもしれません・・(笑)。

こうしたことも、今後継続的に訓練(どのような訓練であろうか?)を行うことにより、徐徐に改善されていくのでしょうか・・?

これに関しては若干興味があり、また今後行ってみる価値があるのではないかと思われます・・。

しかし、考えてみますと、こうしたことは実は言語間(日本語、英語)においてのみ見られる傾向といったものではなく、学問分野間においてもまた存在するのかもしれません・・。

このことに関しては、先日投稿のブログ記事での荒俣宏著「理科系の文学誌」の抜粋引用部から不図思うに至りました・・。

また、それと関連して我が国における様々な学問分野の進化発展に伴う分化により生じるセクショナリズム、ガラパゴス、タコツボ化などは、あるいはこうしたこととも関連があるのではないかとも考えさせられます・・。

とはいえ、学問がより進化、専門化していくことにより、こうしたセクショナリズム、ガラパゴス、タコツボ化が生じることは、実際問題として、ある程度は仕方がないことであるとは思います・・。

そうしますと、その一方においてセクショナリズム、ガラパゴス、タコツボ化が進行するのと同時に、それを包括する考えを随時考案、検討していくことが必要になるのではないかと思われます。

そして、感覚的ではありますが、おそらく我が国とは、この作業に関して、これまでのところあまりその価値を見出せずにいるのではないかと思われます・・。

さて、これを読まれた皆様はどのようにお考えになるでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本周辺にて発生した大地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念します。」


2016年10月10日月曜日

20161010 立ち読みにて思ったこと・・

A「ここ最近はどうしたわけか、あまりブログ記事の題材が思うように浮かんできません・・。

とはいえ、毎日、何かしら記しておかないと、どうも落ち着かないため、ほぼ惰性のような感じにて、記事を書き、書籍からの抜粋引用等を行っております・・。

このうち書籍からの抜粋引用に関しては、常時何かしらの書籍を読んでいるため、特に題材に困るといったことはないのですが、書籍からの抜粋引用を行った場合と、たとえ惰性であったとしても自身の文章にて記事を作成した場合では、後者の方が何といいますか、より多くの達成感らしきものがあり、そこからまた次に繋がる力、意欲といったものになるのではないかと思われます・・。

それ故、本日の記事投稿とは、ここ最近比較的多かった書籍からの抜粋引用を以って充てようと考えたのですが、とりあえず何かしら自身の文章にて記しておいた方が、次に訪れる「文章が湧く時期の波」にスムーズに入れるのではないかと考え、こうして記している次第です(こうした考えとは案外普遍的ではなかろうか・・?)。

本日は特にどこかへ出かけるということもなく、おとなしく過ごし、近くの書店に行く程度でした。

そして行った先の書店にて先日作成したブログ記事にて記しました北杜夫著「楡家の人びと」を見つけ、しばし立ち読みしましたが、大変読み易く、おそらく次に読む長編小説は、この著作になるのではないかと思います・・(笑)。

そういえば、以前は長編小説などをたて続けに数作品読んでいた時期もありましたが、現在では年齢、あるいは環境のためか、あまりそうした無理(?)がきかないようになりました・・(苦笑)。

しかし同時に、現在は、こうした長編小説をはじめ様々な著作を読むにあたり、以前よりも精読をすることが出来るようにはなったのではないかと思われます・・。

そして、そのお蔭で何かの契機により、それら著作での記述、内容をほぼ無意識に思い起こす、取り出すことが出来るようになったのではないかと思われます・・。

また、現在このように書いておりますが、もう少し若い頃とは、こうした頭の回路が現在ほど発達していなかったのではないかと思われます(無論現在でも発展途上ですが・・(苦笑))。

そして『何時頃』こうした回路による思考(?)を行うようになった、あるいは、明瞭にそのような思考を言語化、文章化するようになったかと考えてみますと、おそらくそれは、和歌山在住時の頃ではないかと思われます・・。

また、この時期がおそらくそれまでの私の人生において最も書籍、文献を読み、多くの議論を交わした時期であると思われます・・。

そして、この時期がなければおそらく、その次に在住した鹿児島において、果たしてどうなっていたか分かりません・・。

また、和歌山以前より、ある程度学術的な書籍(分野は特定されますが)などは読むことが出来、また、そうしたことを好んでいたとは思います。

つまり、この和歌山在住時での経験がなければ、何といいますか、読んだ複数書籍内容を統合、あるいはそれらを比較した内容を言語化して人に説明し、そしてその内容を(異なる研究分野の方々に)理解、納得してもらうといった作業とは、出来なかったのではないかと考えます。

そして、この時の経験が、現在このようにブログ記事という形にて何とか継続的な発信が出来る基礎になっているともいえます・・。

また、現在継続的に作成している一連のブログ記事に関しては特に、それらを読んで頂いている方々により支えられておりますので、いわば、これは必然といえば必然、偶然といえば偶然の積み重ねにより成り立っているものといえます。

今回もまた興味を持って読んで頂いている皆様、どうもありがとうございます。

そして、今後どの程度まで継続するか分かりませんが、今後ともどうぞよろしくお願いします。

さる四月に熊本を中心として発生した大地震によって被災された地域の今後における諸インフラの出来るだけ早急な復旧そしてその後の復興を祈念しております。」