2016年3月3日木曜日

20160302 歴史力・予言力と合理性?・・

A「相変わらずブログを続けているようですね。
あと、最近閲覧者数も増えたようで良かったですね(笑)。」


B「・・どうもありがとうございます。
お陰さまで、最近閲覧者が増えましたが、しかし、これはこれでプレッシャーらしきものもありますよ・・(苦笑)。また、求職活動でも相変わらず動いておりまして、昨日も夜半に応募書類を作成し、一番近い24時間空いている郵便局まで行き、発送してきました・・。そういえば、ここ最近数ヶ月は応募書類を発送する際に心の中で「頼むよ神様、こんな人生だったんだ、どうか幸せな夢を見させてください・・」と心のなかでつぶやくようになりました(苦笑)。ともあれ、今後また何か動き、変化がありましたらお知らせいたします。」

A「・・・そうですか、わかりました。
そういえば、これまでBさんが作成した対話形式のブログ記事での登場人物で「これは私のことかな?」と思える人物が出てきますが、あれは何人かそのモデルの方々がいるのですか?」

B「ええ、そうです。私のブログ記事での登場人物は概ねA、Bですが、このうちの片方は私自身がモデルであり、他方には、そのモデルの方が何人かおります。とはいえ、この登場人物キャラクターとは、そのモデル一人一人から抽出したものではなく、毎回それらを適宜複合、合成したものとなっています。まあ、それでも、さきほどのAさんと同様、モデルとなっている方々は読んでいらっしゃれば「これは多分、私のことかもしれない・・。」となっているのではないかと思いますが・・。」

A「はあ、なるほどねえ・・。何だかそうしたキャラクターの表現、書き方とは「記紀」に描かれているスサノオ、オオクニヌシ、ヤマトタケルのようですね・・。それは編纂者から見て類似したような複数の人格を一人の人格にまとめ上げて物語の登場人物とすることです。しかしまあ、こうしたことは、おそらく世界各国の神話、伝承などにおいて類例が少なからずあるのではないかと思いますが・・。」

B「・・なるほど、それはこれまでに気が付きませんでした・・。また、たしかにそういわれてみますと、ほぼ無意識ではあったと思いますが、そうした要素はあるかもしれません。そうしますと、私はそれを知らずに「記紀」あるいは、その他の神話、伝承のような表現方法、書き方を採っていたということになるのですね・・(笑)。それに加えて、こうした経緯の可能性を示唆されると「そのようなことは、ある程度合理的に考えれば、大体共通した方法を採るであろうから、まあ当然といえるのではないか。」と考えるか、あるいは「そうした時間・空間を越えた共通、類似性の間には何らかの原因、あるいは関連性があるのだろうか?」と考えるかにより、その後の考えとは、ずいぶん変わってくるのではないかと思います。そして、一般的な意味における合理性に基づいて考えると、おそらく前者の考えに近いものに落ち着くことが多いのではないでしょうか?」


A「・・うん、まあ多分そうでしょうね(苦笑)。さきほど私も自分の思ったことをいったわけですが、それに対してBさんからそのような反応がくるとは思っていませんでした(笑)。
しかし、多分、おっしゃる通りこうしたことは案外重要ではないかと思います・・。
たしか柳田國男がそうした能力のことをどこかで「予言力」と書いていたように思います・・。「予言」といいますと非科学的であり「怪しい」と思われそうですが、それは過去の歴史に対する様々な深い理解、知識に基づいた、これから起こる出来事への理解および対応の仕方ともいえるのではないかと思います・・。我々日本人のこうしたことに対する認識、理解の仕方については、かねてより多くの研究者、著述家が記しておりますが、全体的な傾向としては、たしかにBさんの仰る通り、まあ、前者つまり合理性に基づいてなされているのではないかと思います・・。とはいえ、この「予言力」とは、前者的な考え方も重要でしょうが、おそらく後者的な考えを思考の熱により煮詰めることによって精製、生成されるのではないでしょうか?」

B「・・はあ柳田國男が「予言力」と記していたのですか・・。また、そうした考えとは、今現在の様々な情報が錯綜して存在している我が国であるからこそ特に重要であるのかもしれません。加えて、さきほどAさんが私のブログ登場人物キャラクターに関して指摘されたことは、一種の「抽象化」であると思います。そして「様々な歴史的出来事に対する抽象化の仕方の傾向」などにおいても国あるいは地域毎に特徴があるのかもしれません・・。」

A「・・ええ、そういったことは、たしかにあるかもしれませんね。また同じ国、地域などにおいても、時代が変わるとそうした傾向はまた変わってくるのではないかとも思います・・。これはブログの文章を書く際においても同様であるかもしれませんが、どういった深度あるいは高度から事象を眺めるかによって、眺望が異なり、それにより書く文章も変化してくると思いますので、時代、国、地域における「抽象化の仕方の傾向」の相違とは、そうしたことに因っているのではないかと思います。そして、そうした「眺望」が何故、その時代、その場所において成立したかということを考えてみるのもなかなか面白いのではないでしょうか(笑)?」

一連の私のブログ記事を読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。


20160301 「Deus Ex Machina」機械仕掛けの神

A「おかげさまで昨日(20160229)で全期間のブログ閲覧者数が40000人を越えました。
以前20160209で30000人を越えたばかりでしたので、この閲覧者数の増加はなかなか早いのではないかと思います。」

B「・・ええと、たしかAさんは昨年の6月にブログははじめたと聞いていましたので、それは大体8ヶ月程度で30000人そして9ヶ月あたりで40000人ということになりますから、直近10000人の増加とは、たしかにこれまでに比べると早いですね・・。」

A「先日来の風邪もあり、また、その他色々とありまして、ここ最近はブログの更新が多少辛かったです・・(苦笑)。とはいえ、記事を更新しないのもどうも気持ちが悪いので、とりあえず書いておりました・・。そして、これまでに何度か思ったことなのですが、文章の作成とは、当初においては質より量であるとよく聞きますが、私の文章、つまりブログの記事とはこれでいいのかと時折、不図思うことがあります・・。」
B「・・うーん、これまでにAさんのブログが炎上したりしないで、一応順調に閲覧者数が増加しているのですから、そのままの調子で続けて特に問題ないのではないかと思いますけれども・・。私としては、むしろAさんのブログに1日数百人の閲覧者がいること自体が未だに不思議なのですが・・(笑)。それでも時折は面白いと思う記事もありますけれども・・。それ故、閲覧者数といった周囲の状況が多少変わっても、そうしたことをあまり気にしないで、記事を書き続ければいいのではないでしょうか?」
A「・・まあ、それはたしかにそうなのですが、また、このようなことをBさんにいうのは「釈迦に説法」であるとは重々承知しておりますが、それでも自分の書いた文章が1日数百人の方々に読んでいただいているというのは、なかなか緊張するものです・・。あまりウカツなことも書けませんし・・。その点、書籍の抜粋とは、ある程度楽なのですが、そればかりを続けていると今度は自分の文章が書けなくなるのです・・(苦笑)。
ともあれ、そのようなことから時折「もしかしたら私は泳がされているのかもしれない・・」などといった漠然とした不安を覚えることもあります(笑)。
無論、こうした考えとは、自意識過剰の所産ではあるのですが、そのあたりもある意味、原始的な感情と理性との葛藤であるのかもしれませんね・・(笑)。それでも古代ギリシャの劇に出てくる機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)あるいは水戸黄門一行のようなものがこの先突然登場し、一気に状況が変わるといったこともないと思いますので、まあ、とりあえず今現在は記事を書き続けることが大事ではないかと思います・・(苦笑)。」

B「・・まあ、そうでしょうね。しかし、それよりも、今のハナシでギリシャ悲喜劇の機械仕掛けの神と水戸黄門を類似したものとして示したのは、なかなか面白いですね(笑)。
しかしながら、私が思うに、この両者とは、たしかに類似している要素もあるのですが、また同時に相違もあると思います。つまり、ギリシャ悲喜劇における機械仕掛けの神とは大体が劇終盤に突然登場し、大団円の方向に持ってゆくようなものであるのに対して、水戸黄門に象徴されるような我が国の時代劇におけるヒーローの多くとは、物語のはじめから登場しており、それが物語の事態悪化を好転させるということなのですが、これは、さきほどの機械仕掛けの神というよりもむしろ、トリック・スター的な要素の方が強いのではないかと思います。また、我が国のそうした民話、伝承的なヒーローとしてのトリック・スターとは、スサノオそしてヤマトタケルのあたりから連綿と続いているのではないかとも思いますね・・。とはいえ、こうしたトリック・スター的なキャラクターとは海外の神話、物語でも多く見られるとも思いますが・・。」

A「・・なるほど突然登場して事態を展開に至らしめる機械仕掛けの神に対して、当初から登場はしているが事態の要求により、突然別の側面を露わにして物語を展開に至らしめるトリック・スターということですか・・。たしかにそうであるかもしれませんね・・。
そして、そうしますと、どうも夏目漱石の「夢十夜」の第三夜を思い出しますね。
これはトリック・スターとはいえませんが、主題的には概ね、さきほどの筋に沿っているのではないかと思います・・。そうしますと、我々日本人とは、既知でありながらも、ほぼ無意識化されていたものが、何かの契機により突然姿を現し、物語を展開させる、あるいは何か重要なことを気付かせるといった主題が、それこそ無意識的ではあるのかもしれませんが、嗜好するような傾向があるのかもしれませんね・・まあ、あくまでも思いつきですが(笑)。」
B「・・ううむ、それはなかなか面白いかもしれませんね・・。あるいはそうしたことは、我が国の様々な文化、事象などにおいて、何か深い意味があるのかもしれません・・。
また、そうしますと日本人が歴史などの記憶を忘却の彼方に追いやるといったよく聞く傾向に対してもまた、異なった視点で見ることが出来るかもしれませんね・・。」

A「・・ええ、我が国の公的な近代以降の歴史の叙述とは、結局のところ欧米的な方法論によるものであると思います。無論、それはそれで大変重要、大事であるとは思います。
しかし、一方において、そうでない在来の方法論にて述べられた歴史もまたあるのではないかと思います。そして、それを理解しようと試みると、また異なった我が国あるいは他の国の歴史、文化に対する視座が出来て、それはそれで面白いのではないでしょうか(笑)?」

「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。」

2016年2月29日月曜日

20160229 メガネはファッションか道具か両方か・・

A「一時期メガネにあこがれた時期がありましたが、最近はどうも黒縁のゴツめのメガネが流行しているようですね・・。
私もああいうのをかけると多少はカッコ良く見えるのでしょうか?」

B・・いや、それはないと思いますよ(苦笑)。
私などは必要に迫られてメガネを用いていますが、それでも何というかファッション・アイテムとしては選んでいないと思いますから、そういったことはあまり気にしなくてもいいのではないですか?
それに加えて我々日本人とは何でも自然本来の持ち味を大事にするという美質を持っていると思いますので、特に必要でなければそういったものは用いる必要はないと思いますが・・。」

A「・・はあ、そうですか・・。
しかしBさんのメガネもこうして見ますと、なかなか様になっていますね・・。
またメガネといえば、どちらかといえば理系っぽいイメージがあります。
そして理系の方々のメガネとは、たしかにファッション・アイテムというよりも、道具としての意味合いが強いように思えます。
そして、それが私にとってカッコ良いものと映るのかもしれません・・(笑)。」

B「ずいぶん大人気ない意見にも聞こえますね・・(笑)。
ともあれ、私は理系ではないですが、それでも出来ればメガネなどあまり使わない方が便利であると思いますので、Aさんのさきほどの意見は「隣の芝生は青い」に類するものではないでしょうか?
ですから、理系のメガネを用いている方々の多くも、私に近い意見を持っているのではないかとも思いますが・・。
その一方で、たしかに私も理系といえば、メガネに白衣といった印象があることもまた事実ですね(笑)。」

A「・・白衣ですか・・それは分野によるのではないかと思います。
たとえば同じ理系学問分野であっても工学部などは白衣よりも作業ジャンパーの様なものがユニフォームとなっています。
教授から学生さんまで、そうした姿が多く見られる工学部近くの学食などはそれはそれでスゴイと思います。
その点、文系とは、そうしたユニフォームらしきものがありませんが、まあ、それは学問分野の性質上、自然、当然であるのかもしれません・・。」

B「ええ、それはたしかにそうかもしれませんが、文系も文系でよく見てみますと、何かしらそういった洋服の着方などにおいて特徴があるのではないかと思うこともありますね・・。」

A「・・ああ、たしかに洋服の着方などに関しては、大学あるいは学部、学科毎でそうした流行などを含めた何かしらの傾向はあるかもしれませんね。
それで私が不図思ったのは文系、理系を問わずですが、大学教員、研究者の方々は年齢層にあまり関係なく、ジーンズにシャツ、セーターといった格好を好まれるような感じを受けます・・。
これは一般的に見ると、あまり年相応でないのかもしれませんが、彼等が着ているのを見ると、どうもカッコ良く見えてしまうようなところがあるのです・・。
しかし、そうした洋服などの着方のカッコ良さ、センスとは、究極のところ、そういったところに真髄があるのではないかと思うのです・・(笑)。
そして、その究極を何も身に着けない実在としての肉体と見做すか、あるいは何か観念的、精神的なものと見做すかで、また考えが変わってくると思います。
私のこれまでの経験から、その究極とは多分、後者に本質があるのではないかと考えています。
しかし、同時に私自身がその本質を全て精確に判断できているとは思いませんが・・(苦笑)。
とはいえ、やはりBさんも含めて大学教員、研究者の方々の多くは、うまく言葉ではいえませんが、緊張感のようなものがあり、それはさきほどのような格好をされていても、何かしら伝わってくるものがあるのではないかと思います。」

B「・・ううむ、それは単なるAさんの思い込みではないでしょうか?
私も一応そういった方々を多少見知っていると思いますが、そうした緊張感はあまり感じたことはありませせん・・。
・・あ!それでも確かに、昔お世話になった先生方には独特の雰囲気というか風格らしきものがある方が割合多くいたようにも思います・・。」

A「・・それでしたら、私も年齢の近い教員、研究者に対しては、さきほどのような感覚を覚えることはあまりありません・・。
それ故、多分こうした感覚とは、一般的に自身よりも年長の異なる世代文化に属する方に対して持つようなものではないでしょうか?」

B「・・はあ、なるほど・・。
しかし、そうした感覚を年少の方々に対して感じることが出来るようになりましたら、それはそれで面白くなるかもしれませんね・・(笑)。」

A「・・ええ、それはあまり多くありませんが、私も時折感じることがあります。
しかし、私などはそうしたことは、もっと多く感じるはずなのですが(苦笑)。
とはいえ、そう感じた原因、つまり何をスゴイと感じたのかは、さきほどの年長者に対するものと同様に未だによくわかりません・・。
また、そうではあるのですが、そうした感覚とは結構明瞭なものでして、今後その感覚を明瞭に言語化してみたいとは思いますが・・。」

B「ええ、メガネなどの小道具に頼るよりも、そうした感覚を磨いた方が色々と面白いと思いますよ(笑)。」

A「メガネ型の「戦力測定装置」のようなものがあれば、それはそれで面白いかもしれませんが、とりあえずは自身の感覚について考えてみます(笑)。」


「本日(2/29)全期間のページ・ビュー(PV)が40000を越えました。
一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。
また、現在公募、求人等に応募しております。
現在大変困難な状況でありますので、この状況から助けていただきたく思います。
どうぞよろしくお願いします。」

2016年2月28日日曜日

20160228 山登りとD2病・・

A「精確に数えたわけではありませんが、前回投稿した記事で自身の作成した記事のみで100記事となります。最近は風邪をひいたこともあり、あまりそうしたことを考えずに記事作成をしてきましたが、まあ、これはこれで一つの良い区切りとなりました・・。」

B「ほお、自作の記事のみで100を越えましたか・・。
たしかAさんの1記事の文字数は文量から大体2000字程度であると思いますから、これで概ね200000字程度書いたことになるのですか・・。それは中々の量になりましたね(笑)。
また、それはそうと閲覧者数は、その後どうなっていますか?」

A「ええ、そちらは特に大きな変動もなく、今現在1日大体300~500人程度で落ち着いております。とはいえ、これもわずか1ヵ月前と比べますと2倍以上に増えました。
国内外を問わず、どのような方々が私のブログを読んでくださっているのかわかりませんが、何れにせよ私としては大変ありがたいです・・。
そうした方々の存在がなければ、おそらく私は現在の求職活動のどこかで心が折れ、挫けていたのではないかと思います・・。また、つい先日も2件の不採用通知が相次いで届き、それなりにショックを受け、落ち込みましたが、ブログの記事を作成することによって、落ち込みはある程度軽減され、どうにか正気を保つことが出来ているのだと思います・・。
また、思い返してみますと、これは鹿児島在住時の週末の日課であった散歩においても同様のことがいえたのではないかと思います・・。この散歩は以前もブログにて記しましたが四季を通じ続けていましたが、そのはじまりを考えてみますと、当時のお師匠が山登りが趣味であり、よく弟子共数人でお供をして山に登っていたことではないかと思います・・。そして山に登った後は近場の温泉に行くのがお決まりのコースでしたが、この行動パターンは多少の変形はありましたが私の鹿児島在住時を通じ継続され、当時の私に根付いていたのではないかと思います。」

B「・・ああ、そういえばAさんが鹿児島在住時の帰郷の際に東急東横線の**駅近くのレストランにて会った時に見せてもらった山々の風景写真とは、そうした時に撮影したものだったのですね・・。その中で特に私が憶えているのは、たしか真中にすすきが生えていて左手に大隅半島の海岸線、右手に薩摩半島の海岸線そしてその奥の方にうっすらと開聞岳が見えているものでしたが、あれは桜島が入っていないことから、大隅半島でも鹿屋よりの場所から撮影したものでしょうね・・。」

A「・・ええ、よく憶えておいでですね・・。あの写真は仰る通り大隅半島でも鹿屋に近い山の中腹から撮影したものです。また、たしか学会発表のはじめにその写真を用いましたので、自分でもなかなか気に入っていて、それでBさんにもお見せしたのではないかと思います(笑)。」

B「うん、私もそうした地理の説明をAさんから聞かなければ、その写真の地理的な構成はわかりませんから、多分その時に説明を聞いたのだと思います。」

A「・・たしかに地元の人でなければ、そうした地理的な構成を予め示しておかないと、それがどこの景色であるかは分かりにくいと思いますので、やはりその時にBさんに御説明したのではないかと思います。とはいえ、あの当時の私はそうした写真を嬉々としてBさんに示していたのですか・・(苦笑)。そうしますと、やはり現在と比べますと、多少勢いがあったといいますか、まあD2病であったのだと思います・・(苦笑)。」

B「嬉々として説明していたかは憶えていませんが、あの当時の方が現在に比べて元気があったと思いますよ・・。また、そのD2病というのは何ですか・・?」

A「ああ・・D2病といいますのは、私も人から聞いたものですが、まあ巷でいわれている中2病の博士課程版でして、いうなれば一種の自意識過剰ですね・・。ちなみにM2病という修士課程版もありまして、症状は類似したものであるということです・・(笑)。」

B「・・ははあ、たしかにそういったのはあるかもしれないですね(笑)。
それで現在AさんはそのD2病は完治、寛解したのですか?」

A「・・いえ、それはよくわかりません・・。また、よくわかりませんので現在ブログ記事を書いているのかもしれません・・。あるいはブログを書いていると、何かしらわかるのではないかと思い、書き続けているのではないかとも思います・・(笑)。何れにしても、何かしら書き続けるということは、現今求職活動中の私にとって様々な意味において重要なのではないかと思います・・。」

B「ええ、さきほども、そう仰っていましたので、とにかく心が折れないように何かしら記事を書き続けてください。そして、今後Aさんに合った良い職を得られるといいですね・・。」

A「そうであることを願うばかりですが、こうしたことはまったく予想がつかないので何ともいえません・・。まあ、何かしら書き続けようと思いますので、今回のこの会話も個人特定の要素を除いてブログの記事にしてもいいですか?」
B「・・それはかまいませんが、まだ若干寒い日が続きますし、またAさんは病み上がりでもありますので、あまり無理をしないで続けてください。」

A「ええ、どうもありがとうございます。」

当ブログ記事を興味を持って読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。




2016年2月27日土曜日

20160227 ブログ記事を書く「意味」「意義」について

A「ここ最近は多少陽も長くなってきましたけれど、それでもやはりまだ寒いですね・・それで最近何か変わったことはありましたか?」

B「・・ええ、これといって大きな動きはありません。
また何かありましたら御連絡いたします。あとは、私のブログの閲覧者数は200記事を越えてから増えたのですが、それもここ最近300~500程度で落ち着いてきました。
しかし、ほんの少し前までは1日の閲覧者数が100~200程度でしたので、まあ大幅に増えたといっていいと思います・・。とはいえ、記事の内容も大きく変化しているとは思えませんし、また先日来の風邪のためか、あまりプレッシャーを感じることも今のところありません・・。そして、このように考えてみますと、実際に文筆、著述業にて生きている方々とは、かなり大きなプレッシャーを背負っているのではないかと思います・・。
その意味で、現在の様々なことをネット上で書くことが出来る社会、仕組みとは、なかなか怖い側面もまたあるのではないかと思います・・。」



A「ふうむ、舌禍、筆禍というようなことですね・・。口語であれ、文語であれ、言葉とは、なかなか難しいところがありますからね。ですからBさんの一連のブログにおいても、とらえ方によっては筆禍につながりかねない部分もまたあるのではないかと思います・・。とはいえ、今までのところ、私が見る限りにおいては、Bさんのブログにはそこまできわどいことは特に書いていないと思います・・。しかし一方、方広寺の釣鐘の碑文から天皇機関説にいたるまでの揚げ足取り的、あるいは別件逮捕的な「すり替え」「見立てる」というような性質とは、昨今のネット社会の進化発展に伴い、外国においてもリアルタイムに、ことのはじまりから経緯、終息まで把握、認識できるようになったのではないかと思います。そこで外国の方々は、そうした我々の社会での出来事を一体どのように見ているのでしょうか?また、こうした出来事に対する観察、指摘とは、日本滞在の長い外国の方々が著した記録などにおいても、時折見受けることができると思います。しかし、我が国はそうした記録を過去のものとして忘却の彼方に追いやり、また同様の行動をとっているということは、ノモンハン事件におけるソ連側の、そして太平洋戦争時の南太平洋戦線におけるアメリカ軍側の日本軍に対する観察内容と見事に符合するのではないかと思うことがあります・・(苦笑)。」

B「ああ、そうした記録は私もこれまでにいくつか読みました・・。また、それと同時に、たしか山本七平がどこかで書いていたと思うのですが、我々日本人とは臨在感を重視する傾向が極めて強く、これが「場の空気」の絶対的な支配を生み出すのではないかと指摘していましたが、その意味においてはおそらく古来より現在に至るまであまり変化していないのではないかと思います。また、それに加えて海外の観察者の多くもまた、そうしたことは先刻承知であるのかもしれません・・。また、そのような視点、視座から見ますと、現在の我が国における様々な出来事、事象も「相も変わらず同じようなことを繰り広げているなあ・・。」と認識されているのではないだろうか?といった感じも受けますね・・。しかし、それだからといって、どのようにすればそうした性質、傾向を良い方向に変化することが出来るのだろうか?と考えても、それは「情報リテラシーの向上」であるとか「教養教育の拡充」といってみたところで、実際そうしたことを行う段階になって、どうもさきほどの「すり替え」「見立てる」といった感じに本質から離れた方向にスライドしてゆき、結果的にどうも当初の目的とは違ったものとなってしまうのではないかと思います。あたかもホラー映画の「フランケンシュタイン」などのように・・。」

A「・・まあ、仰りたいことは概ね理解できます・・。その意味で我々日本人とは、何といいますか観念的、形而上的な発想をすることが極めて苦手な人々であると思います・・。
しかし一方、直接感覚的な事柄に対する感覚は極めて鋭敏であり、それこそが我が国の他の国々に引けをとらない美質であると考えます。そしてこれら観念的、形而上的な発想と直接感覚的な鋭敏さが両立しえないと直覚的に考えてしまうところに先ず大きな落とし穴があるのではないかとも思います・・。」

B「・・はあ、たしかにそれら二つの要素が両立し得ないものであると断言することはできません。しかしながら、そうしたことを考える際の材料となるものが、さきに示したノモンハン事件、太平洋戦争時におけるような様々な歴史的事柄であり、それらを持って類推してみると、どうも難しいのではないかと考えてしまうのです。」

A「まあ、それはそうだけれども、そこで悲観的になってしまうのもまた、どうかと思いますので、そこで様々な形で情報を発信して、より多くの人達と、そうしたことを一緒に考えてゆく姿勢が重要になってくるのではないでしょうか?」

B「・・それは建前的には非のつけどころがない、実に立派なものであると思うのですが、その結果が現在の我が国の状況であると思いますので「少なくとも楽観視することは出来ないのではないだろうか?」というのが正直なところですが・・。」

A「・・まあそうなりますと、考えている思想云々よりもスタンス的なことになりますので、また話が多少ややこしくなってくると思うのですが・・。しかし何れにせよ、そうしたことをBさんが現在書いているブログのようにして発信し続けることには何かしら意味があるのではないかと思いますが・・。」


B「・・ええ、それはたしかにそうであると思いますが、実際のところどうなのでしょうか・・(苦笑)。そうしたことの「意味」「意義」については時折よくわからなくなることがあります・・・。」

「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。皆様のお陰でとりあえずここまで書き続けることが出来ております。」

2016年2月26日金曜日

20160226

A「先日来の風邪のため、ここ数日ほとんど書籍を読んでおりませんが、それによって不図思ったのですが、ある程度の期間、書籍を読んでいないと、自身の読書を含めた、言語により整理、制御されている様々な記憶の中に入ってゆくことがスムーズに行かなくなるのではないかと思いました・・。
そして、それは私としてはなかなか面白い発見であったと思います(笑)。」


B「・・ええ、ひとことで記憶といいますと、何だか物理的な実在を占めるものを想像してしまいますが、そうではないですね・・。
とはいうものの学問、勉強などをして得られた情報とは、一体どのようにストックされているのでしょうかね?
また、それと関連して、何か大きな心理的ショックを受けると記憶が無くなると聞きますが、おそらくあれは記憶そのものがなくなるのではなくて、記憶にアクセスするための「何か」が機能しなくなるということではないかと思います。」


A「ええ、私も以前そのようなことを聞いたことがあります。
またそれと類似したことを異なる視点で描いたものが夏目漱石の「夢十夜」の第三夜ではないかと思います・・。
しかし、あの物語の視点にて「記憶」なるものをとらえてみますと「我々が古くからの記憶を蓄積していないことは幸せなことであるかもしれない。」とも考えさせますね・・。
また、その意味において、歴史を知る、学ぶということは、心の自然現象の一つの側面である「忘却」に敢えて抵抗する行為であるのかもしれません・・。
そしてそれ故、古来より歴史といった学問が主に男性のものであるとされてきた原因であるのかもしれません・・。」


B「・・うーん、そういったことは多分、国、地域などの文化によって大分偏差があるとは思いますが・・。
とはいえ、そうしたことを近現代史で考えてみますと19世紀あたりから列強と呼ばれ、そして現在もなお先進国とされる国々においては、やはり自国の歴史に対し何といいますか確固たるものを持っているように思えます。
たとえ何度か大きな敗戦を味わったとしても・・。
その意味において我が国は太平洋戦争に敗れはしましたが、歴史などにおいてはそうしたことを過度に引きずる必要はないと思うこともあるのですが・・。
あるいはまた、これは過度に敗戦を引きずっているのではなく、さきほど述べました太平洋戦争の敗戦という大きなショックによって国全体が過去の記憶にアクセスする「何か」が機能していない状態であるのかもしれません。
そして、この「何か」とは、おそらく戦後までは時代を通じ割合自然に社会に継承され続けたものであったと思うのですが、現在に近づくにつれ、急速に失われていったのではないかと思います・・。
またそれは、様々な科学技術の進化発展とも何かしらの関係があるのではないかと考えます・・。
まあ、そうであれば、これはある意味普遍的、世界的な現象であるのかもしれませんが・・。
ともあれ、そのような意見を述べると、アナクロニズム、反動復古主義者であるとかのレッテルを貼られるのが通例であるのですが、現在の様々な状況を見てみますと、どうもそれだけでは済まされないような感じを受けます・・。
また、たとえ少数ではあっても、そのような主張をする人間がいても良いのではないかと思います・・まあ、それも一種の多様性ではないでしょうか(笑)?」


A「・・戦後日本社会とは、ショックによる記憶喪失状態ということですか・・。
そうした意見は三島由紀夫、会田雄次あるいは岸田秀あたりが書いていたように思いますが、今現在そういわれてみますと、分かるような気がしますね・・。
また敗戦により失われた歴史の記憶を代替するものが戦後日本社会において興隆し、今現在世界的な文化となったともいえる漫画、アニメであるのかもしれませんね・・。
そうしますと、これは名誉なことであるのか、皮肉なことであるのかイマイチ判然としませんね・・(笑)。」


B「ああ、戦後日本の漫画、アニメに対するそうした考えは、以前私のブログに少し書いたことがありましたが、当時はたしか「現代の神話」と表現していたのではないかと思います・・。
しかし、今のAさんの表現の方がわかりやすく、的確であるかもしれません・・。
そうしますと我々戦後の日本人とは、実際にあった歴史に対し代替となる異なった文化を創造し、それが海外にも受けているということになるのですが、それもまた我が国においてよく見られる「換骨奪胎」「見立て」に通じるものがあるのかもしれません・・。
しかし、そのように考えてみますと、この根っことは思いの他に深く、近代以前にさかのぼるかもしれませんね・・。」


A「ええ、そのようなヒット・ポイントをずらして、ショック、ダメージなどを最小限にしようとする試みとは、長年に渡る文化的な営みの結果として形成されたのだと思います。それは、そうですね・・万葉集やそれ以前の歌垣の際の相聞歌などに淵源があるのかもしれません・・(笑)。
しかし残念なことは、そうした自身が属する文化の持つ特徴、特性に関しての歴史、文化的な背景を日常会話に近いレベルにて能動的に活発に本音で話し合う機会が少ないということです・・。
そして、そのようなことから、さきほどのBさんの発言が出てきたのではないかと思います・・。
あるいはこうしたことは「議論文化の成熟」といったことに因るものなのでしょうか?
まあ何れにしましても言語、コトバの問題ではあるのですが・・。」

「一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている方々、どうもありがとうございます。」

2016年2月25日木曜日

20160225 2・26事件について

A「最近投稿したブログ記事の内容を見てみますとどうも、自身のブログのことを題材にしたものが多いように思いました。これは、最近閲覧者数が増えたことに対しての私なりの無意識的な反応であるのかもしれません・・。
しかし、こうした記事内容とは以前の記事に比べてみると、どうも現実的過ぎて、あまり面白くないのではないかと思いました・・(苦笑)。」


B「はあ、そういわれてみますとたしかに最近はそうした記事内容が多いかもしれませんね。
しかし、それはそれで良いのではないでしょうか?
それよりもそうした変化によって閲覧者数などは変化したのですか?」


A「・・いえ、今のところ明瞭な変化はありませんが、私の作成したブログの面白い点とは、作成している私からすれば歴史、思想ネタなどがあることによるのではないかと考えます。それ故、現在のこのブログ記事内容の傾向とは、多少変化させた方が良いのではないかと思った次第です・・。」


B「まあ、それはあくまでもAさんが決めることですから、変化させるのであれば、それはそれでいいのではないかと思いますが・・(笑)。」


A「・・そうですか、それでしたら今後少しブログ記事内容を変化させてみようと思います・・。それで先日求職活動の帰りに書店に立ち寄り、まだ多少頭痛の残る状態にて特集されている書籍を見てみましたら2・26事件に参加し処刑された磯部浅一の獄中日記が並んでおり、そこから「そういえばもうすぐ2・26事件の日だ。」と思い出しました。とはいえ、この獄中日記は私から見るとかなり過激な内容であり、これまであまり広く刊行されていなかったのではないかと思います・・。そして、そうした書籍が文庫にて刊行され普通に書店に並んでいることに多少驚きを禁じ得ませんでした・・。」


B「ああ、たしかにもうすぐ2・26事件から丁度80年ですね・・。あの事件のことについて書かれた書籍は私もこれまでに何冊か読みましたが、最近はあまり取上げられることも少ないかもしれないですね。とはいえ2・26事件が発生した時代背景などを考えてみますと、現在のこの時代とは、なかなか興味深く映るかもしれませんね・・。そういえば、これまでに2・26事件は何度か映画化されていますね・・。そうしたことから、多分あの事件とは、太平洋戦争に至るまでの戦間期における一つの大きな出来事であり、また同時に我が国の歴史における分水嶺であったのではないかと思います・・。しかし戦後直ぐの極東軍事裁判においてはあまり重要なものとして取上げられなかったようですが・・。それでも当時の社会においてはかなり衝撃的な事件であったのではないかと思います・・。」


A「ええ、私が2・26事件のことを知ったのは事件当時女学生であった祖母から聞いた話であり、その後「何故、国を護るはずの軍隊が叛乱を起したのだろう?」という疑問が生じ、当時家にあった近現代史の書籍を読み、また、同じく当時刊行された叛乱軍に参加された士官の書かれた「生きている2・26」を購入し、あまり分からないながらも熱心に読んでいた記憶があります・・。そのように、私の歴史に対する興味の中においても2・26事件とは、比較的早くから興味をおぼえたものであり、また同時に、その当時から2・26事件と西南戦争との間に漠然とした類似性を感じていたのではないかと思います・・。その後、様々な近現代史に関する書籍を読むうちに、そうした感情的な「思い」とは徐々に静的な公式のようなものに落ち着いてゆこうとするのですが、その一方で実際に歴史に参画した方々の生の声に近いものを書籍などで読みますと、また静的におさまっていたものがザワザワと動き出してくるのです・・。しかし、そのように考えてみますと、歴史上の事件、出来事とは大抵そういったものではないでしょうか?とはいえ、当時の生の声のみでも歴史とはいえませんし、また同時に反省的な視点に立った鳥瞰、俯瞰的な歴史のみでもそれは歴史とはいえないと思いますので、それら視点のバランスが案外と難しいところではないかと思います・・。」


B「・・ええ、歴史上の登場人物における感情などの要素がなければ、学問としての歴史の面白さはかなり少なくなると思います・・。とはいえ、そういったもののみで描かれる歴史というのも、あまり深みがあるようには思えません・・。
しかし、私が最近面白いと思ったことは、日本の長編アニメ的なものにおいては、フィクションとして、そうした両方の視点が設定されてあることなのですが、それらが、どうもどこか世界史にあった(らしい)価値観、世界観から流用しているのではないかということです・・。そして、さらにそうしたアニメ世界の価値観、世界観をオリジナルのものとして認識している年代、層もまた少なからず存在し、またそれが日本のアニメブームにより世界に拡散されているというのは、面白いといえば面白いのですが、同時に「果たしてそれでいいのだろうか・・?」と多少深刻に考えてしまうこともあるのです・・(笑)。」


A「・・そうしたアニメの世界観における何といいますか文化的借景現象らしきものはあまり珍しいものではないと思いますが・・。それは江戸時代の歌舞伎においても事情は多少違うかもしれませんが類似のことはあったのではないかと思います。ですから、私が最近思うことは、それらアニメの世界観そのものよりも、その内容、物語の意図を考えることではないかと思います・・。また、そのように考えると、色々と見えてくることもあるのではないかと思います。
しかし、その見えてくるものの内容を明言することを出来るだけ避けようとするのがどうも我が国の社会の特徴なのではないでしょうか?そこには古来より我が国の文化的な伝統である「すり替え」「見立てる」といったものがあるように私は考えます・・。」

B「・・換骨奪胎ですか。何だか遠藤周作の「沈黙」の最後の章で書かれている棄教した神父の発言を彷彿とさせますが、しかし一方、見方によれば換骨奪胎そのものが、新たなものへの新陳代謝であるとも認識できますから、無限の再生は続くのでしょうが、確固たる伝統のようなものを築くことはなかなか難しくなるのかもしれません・・。ふうむ、そうすると今度は何だか会田雄次や山本七平の発言を想起させますね・・(苦笑)。」