2024年1月11日木曜日

20240110 株式会社新潮社刊 新潮選書 高坂正尭著「歴史としての二十世紀」pp.125-127より抜粋

株式会社新潮社刊 新潮選書 高坂正尭著「歴史としての二十世紀」pp.125-127より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4106039044
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4106039041

「コカ・コロナイゼーション」

ここで知っておくべきことは、こんな高度な物質文明がすでに一九二〇年代にはアメリカに存在した事実でしょう。そして、ネビンソンのような冷めた見方をするイギリス人もいました。日本人は戦後にアメリカの豊かな文明を体験して、その差に驚嘆したのですが、その四半世紀前に同じことがあり、かつ、びっくりするより反感を持った人もいたというのが面白いところです。

 同様の違和感はイギリス人のみらなず大陸側のヨーロッパにもあったようです。たとえば、フランスの場合、第一次大戦も第二次大戦もアメリカに助けてもらい、やっとのことで勝ったわけで、イギリス以上に屈折しています。米軍のおかげでナチスから解放されたわけで、感謝するのが普通の感情でしょう。だが、気位が高ければ、その事実がますます忌々しく、「アメリカ糞くらえ!」という思いになることは、十分考えられます。

「コカ・コーラ」と「コロナイゼーション(植民地化)」をくっつけた、「コカ・コロナイゼーション」という造語は、それをうまく表現しています。直訳すれば「コカ・コーラによる植民地化」でしょうか。「コカ・コーラを飲むのが進歩かね、これはアメリカ文明に対する隷属だ」という気持ちを、この言葉に託したわけです。フランス人にしてみれば、自分たちのワインが世界一で、甘ったるいコカ・コーラを飲む連中はどっちみちクズだと思ったのかもしれません。

ラジオと自動車という文明の利器

 しかし、鬱屈した対米感情は、フランスでも長続きしませんでした。その理由は一九二〇年代から三〇年代にアメリカの一般家庭に入っていた工業製品が、第二次大戦後、ヨーロッパにあふれかえってしまったことです。発明された順番は諸説ありますが、普及した順ではラジオと自動車と電気製品、これらが重要です。現代人の生活はラジオを含めマス・コミュニケーションを離れては考えられません。さらに自動車を抜きにした生活もありえない。これは綿製品が安くできるとか、広い家がいいということとは違い、社会生活を根本から変える効果、さらにいえば、人々を虜にする麻薬的なところも持っていた。マス・コミュニケーションという大がかりな伝達手段がなければ、一つの国民が同時に同じニュースを聞いて、同じものに惹かれて、同じことを考えることはないはずです。これまでは、一つの国でも中心から遠い地方では情報が分離・隔絶されていました。ところが、ラジオ、続いてテレビに代表される大衆伝達は広い国でも全土を同時にカバーできます。それまで存在しなかった「国民社会」が、マスメディアによって形成されたことは間違いないでしょう。

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