2024年1月1日月曜日

20240101 東京大学出版会刊 池内 恵・宇山 智彦・川島 真・小泉 悠・鈴木 一人・鶴岡 路人 ・森 聡 著「ウクライナ戦争と世界のゆくえ」pp.112‐113より抜粋

東京大学出版会刊 池内 恵・宇山 智彦・川島 真・小泉 悠・鈴木 一人・鶴岡 路人 ・森 聡 著「ウクライナ戦争と世界のゆくえ」pp.112‐113より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4130333054
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4130333054

イスラエル

 イスラエルはユダヤ人による民族主義(シオニズム)に基づく建国の当時から、米国といわゆる「特別な関係」にあり、公式の同盟関係にはないものの、事実上は米国の最有力・最重要の同盟国の一つとみなされている。外交や安全保障政策における密接な関係や、最先端の米国製兵器の他に優先した供与や、兵器の共同開発などで、米国との関係は深く、トランプ政権期に顕著だったように、相互の国内政治はしばしば複雑に相互影響する。そのようなイスラエルであるが、ロシア・ウクライナ戦争に際しては、米国の対露制裁に加わらず、ロシアとウクライナ、米国とロシアの間で、中立の立場を維持しようとしてきた。防空システムのアイアン・ドームやドローン等のイスラエル製兵器や、イスラエルの技術が入って共同開発した兵器の、ウクライナへの供与を拒否するなど、政治的・軍事的に反露姿勢を取ることを最大限回避し続けた。イスラエルはウクライナ支援に際し「ウクライナの人々」に対する「人道支援」に厳しく限定し、大きく国際的に広報を行った。侵攻から間もない三月五日に、野戦病院の設立のため医師チームを派遣すると発表し、翌週にはこれを実施し、六週間にわたり活動して四月末には撤収させている。

 イスラエルは建国当時から東欧・旧ロシア帝国・旧ソ連からのユダヤ人の移民を国家の根幹としてきた。ソ連邦崩壊の際にはウクライナとロシアを中心としる旧ソ連圏からの大規模な移民の波を受け入れ、その後もロシアやウクライナのユダヤ人との民族的な人的ネットワークを外交にも生かしている。ロシアとウクライナへの戦争の勃発は、ユダヤ系人口の拡大・維持を国家存立の最重要課題とするイスラエル政府にとって、新たなユダヤ人移民の波をもたらす可能性のある好機とも言える。ゼレンスキー大統領自身がユダヤ人であることや、プーチン政権に近いオリガルヒの中にユダヤ人が多いことも、イスラエルとウクライナとロシアとの間に、人的ネットワークを成長させてきた。また、イスラエルは労働力不足に悩み、スーダンやエリトリアなどアフリカ諸国からの非ユダヤ人の移民の不正入国や不正就労を、制度上はともかく経済的な実情としては、事実上、一定数受け入れている事情がある。ウクライナからの避難民は、より文化的な摩擦の少ない、教育水準の高い経済移民としても歓迎され得る経済的実績がある。

 イスラエルの連立政権の交代制の首相だったナフタリ・ベネットは三月五日にロシアを訪問し、モスクワでプーチン大統領と会談した。これがユダヤ教の安息日の土曜日であり、宗教的には、生き死にに関わる事柄でなければ労働が許されてないにもかかわらず訪問を行ったことも、話題を呼んだ。ベネット首相のモスクワ訪問は、二月二四日の衝撃的なウクライナ侵攻によって国際的な孤立に陥りかけていたプーチン大統領に、「西側」の外国首脳として異例の速さで手を差し伸べる形となった。同時期にベネット首相はウクライナのゼレンスキー大統領と頻繁に電話会談を行い、プーチン大統領との仲介を図った。ベネット首相の姿勢はしばしばロシア寄りとみなされた。三月八日の電話会談でベネット首相がゼレンスキー大統領にロシアの要求を呑んで降伏するよう要請したとの情報がウクライナ側から一時期流れ、のち否定される一幕もあった。三月一二日にウクライナのキーウで行った記者会見で、ゼレンスキー大統領は、プーチン大統領との協議の場をエルサレムで設けるようにベネット首相に依頼していると語った。ヤイル・ラビド外相が往々にして親米・親西欧的な、リベラルな国際秩序の護持の姿勢を示すのに反して、あるいは役割を分担して、活発にウクライナ問題をめぐる外交を繰り広げた。

 ゼレンスキー大統領は三月二〇日にイスラエルの国会(クネセト)でビデオ演説を行ったが、これは英国(三月八日)、カナダ(三月一五日)、米国(三月一六日)、ドイツ(三月一七日)に次ぐ五番目であり、ゼレンスキーの一連の演説の中で非欧米圏では最初に行われた国となった(日本は三月二三日で六番目)。

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