2023年12月12日火曜日

20231212 中央公論新社刊 藤野裕子著 「民衆暴力」― 一揆・暴動・虐殺の日本近代 pp.24‐26より抜粋

中央公論新社刊 藤野裕子著 「民衆暴力」― 一揆・暴動・虐殺の日本近代 pp.24‐26より抜粋
ISBN-10 : 4121026055
ISBN-13 : 978-4121026057

興味深いのは、村の遊び日を研究した古川も、通俗道徳を論じた安丸も、遊興に流れる民衆の解放願望が、幕末のええじゃないかや世直し一揆につながると言及している点である。

 ええじゃないかは、幕末期に東海地方から近畿地方にかけて幅広く見られた、民衆が乱舞する現象である。暴力的な一揆が起らなかったとされる畿内でも、この現象が起きている点は興味深い。日本近世史家の西垣晴次は、ええじゃないかの共通点を次のようにまとめている(「ええじゃないか」)。

 ええじゃないかが始まるきっかけは、神社のお札が降ってきたことによる。降ってきたお札が祀られ、その後数日間にわたって祝宴が開かれるようになる。その宴から、ええじゃないかと歌いながら多くの人が踊り始めた。

 つまり、お札という異世界の要素が生活世界に持ち込まれたことをきっかけに、熱狂的な乱舞が始まったのである。歌は地域によってさまざまであるが、次のようなものもあった(同前)。

御陰でヨイジャナイカ 何ンデモ ヨイジャナイカ ヨイジャナイカ ヨイジャナイカ おまこ紙張れ へげたら又はれ ヨイジャナイカ

 このように、ええじゃないかでは性的な要素を含んだ歌が歌われた。女性は男装し、男性は女装するといった異性装も見られた。乱舞するなかで、人びとは勢いにまかせて、豪農の家へと押し寄せて、酒肴を強要することもあった。また、年貢の減免を要求したケースもあった(安丸「日本の近代化と民衆思想」)。

 ええじゃないかとは、現実とは異なる幻想的な世界を求める、世直し的な要素を持った踊りであり、集団的な熱狂の力を借りて、人びとは日常では不可能な要求を行ったのである。

 古川は、村の遊び日や若者組の祭礼行動の「極限的な到達点」が、一八六七年(慶応元)のええじゃないかであると述べている。願い遊び日のうち、かなりの部分が、ええじゃないかであったともいう。

幕末特有の社会不安、すなわち、この世がユートピア的な世界になるか、あるいはたたりのような災厄が訪れるのかわからない不安が、ええじゃないかという現象の根底にあった。そして、同様の衝動や願望が、世直し一揆における打ちこわしというかたちでの爆発的な暴力行使にもつながったのだと安丸はいう。

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