2023年7月2日日曜日

20230701 中央公論新社刊 米原謙著「徳富蘇峰―日本ナショナリズムの軌跡」pp.118‐121より抜粋

中央公論新社刊 米原謙著「徳富蘇峰―日本ナショナリズムの軌跡」pp.118‐121より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121017110
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121017116

一般に、人間は自分の存在を世界のなかに位置づけ、それに意味を与えることなしに生きていくことはできない。それは自分が何者であるかを社会的に確定することである。カナダの政治理論家チャールズ・テイラー(Charles Taylor1931‐)は、アイデンティティの根拠が社会との関わりによって自己の存在の意味を確認することによって形成されると指摘している。テイラーは個人のレヴェルを想定しているが、集団の場合も同じことがいえるだろう。個人にせよ、国家にせよ、自分にとって重要な他者から十分に認められることが、何より肝要なのである。個人も国家も、自分が他者から認知されていることを確認することによってのみ、自己の存在を意義づけることができる。

 日本にとって重要な他者とは欧米である。子供が両親から、生徒が先生から認められることを切望するように、後進国の知識人は自国が欧米諸国から敬意のある認知を受けることを切望する。この時期の最大の思想家といってよい福澤諭吉は、この点でも第一級だった。かれは欧米からのまなざしをつねに意識し、どのようにすれば欧米からの評価を高めることができるかに腐心した。たとえば明治十七年の論説「宗教もまた西洋風に従わざるを得ず」では、欧米からの差別的なまなざしを避けるために、動植物の保護色のように「文明の色相」を身につけるべきだと説いている。風俗や宗教が違えば「外道国」とみなされる現状がある以上、欧米と同じ「色相」をまとうことで疎外の原因を絶たねばならないと考えたのである。「脱亜流論」などの論説で、アジア諸国との差異を強調し、日本は十分西欧化していると主張しているのも、「尋常東洋の一列国」とみなされることを恐れたものである。いかにも卑屈な態度だが、中国と朝鮮と同一視されることは、日本の国際的地位の上昇にとって決定的にマイナスだと考えられた。ここに福澤の冷徹な合理主義を読みとることができる。

 蘇峰も他者のまなざしをつねに意識した言論人だった。多くの知識人が日清戦争を欧米からの認知を獲得する絶好のチャンスと捉えたが、蘇峰はそれをみごとに表現している。「大日本膨張論」に収録された論説をいくつかとりあげてみよう。日清戦争勃発直前に書かれた「好機」では、イタリアの政治家カブール(Camillo Benso conte di Cavour 1810‐61)を例に挙げる。カブールは「狂気の沙汰」と非難されながらクリミア戦争に参戦し、それによってイタリアは「欧州列国に識認」され、国家の「利益と光栄と拡充」した、と。「世界における日本の位地」では、日本人は欧米を知りすぎるほど知っているのに、日本は欧米からまともに評価されていないと嘆いている。日本は「美人国」、もっと率直にいえば「売淫国」として紹介されているにすぎない。日本人は「否」といわない「軽快にして与しやすき伴侶」とみなされている(100年後に「ノーと言える日本」という本が話題になったことを想起せよ)。欧米人は日本を自分たちと対等とみなしていないばかりか、清国とすら対等と考えていない。こうした状況下で迎えた日清戦争が、日本にとって名誉回復の絶好のチャンスと意識されたのは当然だった。それは汚辱にまみれた評価を書き換える決戦だった。「吾人は暗室に格闘するにあらずして、世界の前に立って、決戦することを忘るべからず」。

 日本軍が旅順口の占領に成功して、事実上、勝利が確定したとき、蘇峰はこの戦争の意味を問い直して、「国家自衛」と「国民雄飛」のためのステップだったと答えている。このふたつの目的を達成するには、維新以前の汚辱に満ちた歴史的経験を払拭せねばならなかった。「吉田松陰」で語られたことは、もっと激しい言葉で表現される。「開国は正理なり、しかれども我の外国の強迫によりて、開国せしめられたるは、屈辱なり。容易に拭うべからざる、我が国史の汚点なり。而して今日に至るまで、世界諸強国と対立して、我が膝の直からざるは、この汚点のためなり。例せば、合意の結婚は、人の大倫なり。しかれども不合意の結婚は、むしろ強姦に近しといわざるを得ず」。

 ペリーによる強制的開国を堪えがたい屈辱とする考えは、当時広くみられた。儒学者大橋訥庵(1816‐62)は、その屈辱を、他人の屋敷に無断で入り「樹木を折り庭石を動かし(後略)」と形容している。幕末のナショナリズムには、それに対する雪辱の意味が込められていた(佐藤誠三郎「死の跳躍」を越えて」を参照)。蘇峰が使った「強姦」は最上級の比喩だが、読者の側にも、開国を「強姦」と感じる自意識があったと想定して誤りない。

 ペリー来航以後の政治過程は屈辱に満ちたものであり、不平等条約の改正は困難をきわめた。日清開戦の直前に、治外法権廃止を規定した日英通商航海条約がやっと調印されたばかりである。蘇峰はその怨念をつぎのような言葉に吐き出している。日本は人類として正当な待遇を受けておらず、まるで猿にもっとも近い人類か、人類にもっとも近い猿のように、「一種の風変りなる」見せ物として遇されてきた、と。戦勝はこうした偏見を打ち破り、欧米に対して否応なく正当な認知を迫るものだった。「吾人は清国に勝つと同時に、世界にも打ち勝てり。吾人は知られたり。ゆえに敬せられたりゆえに畏れられたり、ゆえに適当の待遇を享けんとしつつあるなり」。戦勝は文字どおり溜飲を下げるものだった。それは清国に対するものではなく、むしろ欧米の偏見に対するものだった。戦争は朝鮮の支配権の獲得だけではなく、何よりも欧米に対する雪辱と名誉回復をめざしたものだったのである。

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