2022年10月3日月曜日

20221003 感慨や感興を伴わない変化の実感について(創造性や持続可能性との関係?)

どうしたわけか、昨日の投稿記事は、思いのほか多くの方々に読んで頂けました。まずは、こちらを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。また、このブログなどの文章を作成するための内面での凝集力については、未だ、そのメカニズムは不明であり、とりあえず、現時点にて、私自身について、ある程度妥当であろうと思われることは、文章を作成したいと思っている時に作成すれば、大抵はある程度までは書くことが出来るということと、そのように思っていなくとも、とりあえず、何かしら文章の作成を始めると、次第に興に乗って来て、スムーズな文章作成が出来ることがあると云うことです。対して、疲労が蓄積している状態や、体調が悪い状態であると、やはり、記事作成に苦労するようで、これらの場合、多くは上手くいくことなく「骨折り損のくたびれ儲け」ということになります。以前、1000記事への到達を目指していた頃であれば、たとえ、そうした状態であっても、多くは記事作成を行っていたと記憶していますが、現在となっては、さらなる疲労を避けるためにも、そのような試みを、敢えてしょうとは思いません。

それでも、現在まで(どうにか)継続しており、また、私としては、もうしばらく2000記事までは続けてみたいと考えています。これまでの総投稿記事数は1858であり、残り3カ月近くある年内までに40数記事新規にて作成することは、そこまで困難ではなく、具体的な年内の目標としては1910・1920記事程度まで投稿出来れば、来年になって2000記事への到達も、より速やかに、本格的な春に至る前に為されるのではないかとも思われるのです。

ともあれ2000記事は、私にとって未だ未知の領域であり、以前の1000記事到達後の時とは、また異なるのでしょうか?しかし、1000記事への到達の際は、あまり感慨・感興はなかったと記憶していますので、先回りして、おそらく今回もまた、その時に実感としての感慨や感興といったものはないのではないかと思われます・・。

そうしますと「では感慨や感興といった実感はなくとも(ブログは)継続することは出来るのか?」と疑問視される方もいらっしゃるかもしれませんが、これもまた、ブログなどの継続的な文章の作成においては重要なことであると思われ、私の記憶からしますと、感慨や感興はなくとも、自身の変化を実感することは度々あり、どうしたものか、この感覚は、いつも少し間を置いてからやってくるのです・・。そしてまた、この感覚は感慨や感興のような直接的なものではなく、実感としては少し感知し難いものであるように思われるのです・・。しかし、この直接的とは云えない感覚を知覚出来るようにすることが、実は付加価値を生み出す創造性や持続可能性を励起させるのではないかとも思われるのですが、さて、こちらもまた、実際のところはどうなのでしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部


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