2022年10月8日土曜日

20201007 歴史への理解の経緯と、もののあはれ?

連携させるブログ記事やツイートなどを変えて投稿したためか、昨日の引用記事は投稿翌日としては多くの方々に読んで頂けました。こちらを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

また、その内容については7年前に投稿した引用記事である「20151030 竹山道雄著「昭和の精神史」講談社刊pp.113-119より抜粋」内に「特攻隊や「七つボタン」は真に悲劇だった。あれがナチスのような人間奴隷視から生まれたのなら、まだしも救いはあるが、日本の場合はそうではなかった。絶体絶命の窮余の戦術だった。その責任者の大西中将は自刃した。そして、あのくわしい日記「戦藻録」をつづった宇垣纏海軍中将は、みずから八月十五日に「まだ停戦命令がでてゐないから」とて、沖縄に特攻突入した。そのときのことを、この日記のあとがきにつぎのように記してある。・・」と、同じ場景の記述があり、それぞれの書きぶりから、現在の我々では理知的には理解し難く、しかし同時に現在の我々の感性とも全く無関係とは云えない、通底する、ある種の悲劇性や悲壮感が感じられ、手のひらで額と両目を覆いたくなります・・。

そしてまた、こうした悲劇性や悲壮感に思いを巡らしますと「では、何故、当時の我が国はこうした局面に至るまで戦争を継続したのか?いや、それ以前に、何故、そして誰が、このような戦争をはじめたのか?」と考えが至るのですが、その歴史的経緯については、以前より、そうした、やるせない思いから生じる疑問を抱くことが度々あったことから、その理解が深まるであろうと考えられる著作をいくらか読んできました。

そして、そうした著作ついても、過日投稿の記事にて述べた、自分なりの人間交際(じんかんこうさい)から得た情報に基づいて入手してきました。

しかし、以前の投稿記事においても述べましたが、それ以前から私は、太平洋戦争・第二次世界大戦を含む近現代史が好きであり、関連する著作や映像資料はそれなりに目を通してきたつもりですが、若い時分は、我が国からの視座から生じる、さきの悲劇性や悲壮感といったものは、どうしたわけか、あまり感じることはありませんでした。

これは、現在考えてみますと、おそらく、実人生での経験が乏しく、著作や映像資料にて扱っている歴史的経緯や各々の場面に対して、内発的な興味や、それに伴う知識などは、ある程度あるものの、それらに対する血の通った情感を伴う理解、あるいは古いコトバで云うところの「もののあはれ」と近しいものであるかもしれませんが、そうした、ある種の感覚が発達していなかったことに因るのではないかと考えられます・・。

しかし他方で、当時は、こうした感覚が発達していなかったからこそ、悲劇性や悲壮感といった、ネガティブな痛みを伴う感情をおぼえることなく、興味の赴くままに書籍や映像資料に目を通し、より多くの知識を得ることが出来たのではないかとも思われるのです。

そこから、こうした時期も、播種と云う意味においては、きわめて重要であり、ここで得られた、さまざまな知識が後になり発展し、そして変転や変態を遂げて、自分なりの考えとして結実するのではないかと思われます。

そしてまた、こうした結実に至る現象自体は、人文社会科学・自然科学系といった分野を問わず、知識の集積と実人生での経験の化合により結実する、ある程度体系的な考えと云う意味において、共通しているのではないかとも思われますが、どうも我が国においては傾向として、おそらくは相当古くから「情感を伴う内発的な興味を抱きつつ、歴史的経緯を事実から類推する」といったことが、かなり苦手であり、また、おそらくはそれに因り、当記事冒頭にある悲劇的な場景へと至ってしまったのではないかとも思われるのです・・。こうした堂々巡りもまた、それなりに苦しいものではありますが、しかし、昨今の我が国での出来事を見聞きしていましても、どうも、この堂々巡りから脱するような気配や出来事といったものが無いように見受けられますが、こちらも実際のところはどうなのでしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

順天堂大学保健医療学部


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