2022年4月19日火曜日

20220419 株式会社新潮社刊 新潮選書 池内恵著【中東大混迷を解く】「シーア派とスンニ派」pp.37‐39より抜粋

株式会社新潮社刊 新潮選書 池内恵著【中東大混迷を解く】「シーア派とスンニ派」pp.37‐39より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4106038250
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4106038259

英語圏の書籍出版の状況を見ていると、何か顕著な現象が起きた時の「初動」だけであれば、日本の方がかなり早いことが多い。つまり、戦争とか革命といった大変動が起きた時に、日本で最短で三カ月もすれば、その問題に関する専門家(あるいは専門家を称する人)たちを焚きつけて、どうにかこうにか、分析したり、解説したり、背景を説明したりする本が市場に出てくる。もちろんそれらは玉石混淆である。その対象を以前かた見ていた著者が、ちょうどその問題について論文を書いていたりする場合、それを元にした本を出せば、それなりの水準になることがある。しかし自薦・自称の「専門家」による急ごしらえの本は、多くの場合は、長くはもたない、ほんの数カ月で賞味期限が切れてしまう程度の深みと正確さのものとなる。

 それに対して、英語圏では、専門家の本はそう簡単に出ない。ある問題について、行き届いた専門書が出るには、通常は、ほぼ十年はかかるものである。つまり、例えば、1989年に冷戦構造が崩壊するという予想外の大事件が生じた。これを受けて、ねぜこの年に冷戦が崩壊したのか、そこから翻って冷戦という事象は何だったのか、という課題について、英語圏で専門的な本が出てくるのは、1990年代も末になってから、あるいは2000年を過ぎてからが本番、ということになる。当然、専門的な本が出る頃には、冷戦崩壊という事象はとっくに過去のものとなっており、人々の一般的な関心は薄れてしまっている。しかし、世間の関心の浮き沈みとはほとんど無関係に、大学世界の内部で営々と研究が積み重ねられ、毎年の学会で議論され、部分的に論文として発表され、学術出版社でまずは著者と出版契約が結ばれ、原稿が出てから別の専門家の目に触れさせて、幾度もの改稿を経て、ようやく完成し、市場に出る、そこまでの時間と手順を経て世に出た本は、そう簡単には古くならない。英語圏の学術書の信頼性は、そこまで時間をかけることのできる制度が整っており、それを許容する社会があるからである。学術書が、世間・読者の「消費者」としての関心という、いわば「需要」にはあまり左右されず、書き手とその背後にある大学を中心とした学術共同体の「供給」の論理にもっぱら従って生産されているから、そも言うことができよう。ただしこれには当然弊害もある。既に述べたように、専門的・学術的な本が出た時には、対象となる事件や事象は遠い昔となっており、今まさに人々が関心を持っている問題には、即座に専門的な書物が提供されないことがある。

 日本のように、商業出版社が学術的な出版の一部分をかなり積極的に担い、しばしば編集者が読者の需要を察知して、それを専門家に依頼し、いわば「需要」に引っ張られて多くの学術的な著作が刊行される。というのは、諸外国を見渡してもそれほど多くの類例を見ない。それによって、何か大きな事件を起きた時に、「初動」はかなり早い。編集者が注目の分野に目配りを利かせて、専門家にあらかじめ原稿を依頼していた時などは、世界的に見ても早期に、高水準の専門的著作が世に出ることがある。当然これにも弊害はあり、専門家が世間の関心に合わせて急いで著作を書き上げなければならず、話題になると繰り返し同じようなテーマで本を書き続けなければならないため、一冊一冊の水準が十分に高くならず、深みも足りないものとなりかねない。

 このように、少し脱線して、英語圏の学術的・専門的な著作の出版を、日本の場合と対比させてきたのだが、この英語圏の学術出版にも、近年に変化が見られる。英語圏の学術書・専門書でも、やや日本型に近い、即応性の高いタイプの本が出るようになっているのである。

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