2022年2月24日木曜日

20220223 作成記事の書きぶりにより、体力消耗の様相が異なることから思ったこと

ここ数日間のブログへの投稿は、書籍からの引用としましたが、おかげさまで、どれも比較的多くの方々に読んで頂けました。くわえて、直近投稿の「【架空の話】・其の83」も自身作成の記事としては多い閲覧者数となっていました。これらを読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

また、本日に関しても、さきほどまでは書籍からの引用にて記事作成を行うつもりでしたが、考えをあらためて、自分の文章での作成としました。とはいえ、その主題は未だ決めておらず、見切り発車的に記事作成を始めたわけですが、こうして何やら作成していますと、それまでの印象的な出来事や書籍の記述などが思い出され「ああ、ここから、この展開で書き進めれば、またそれなりの文量を作成することが出来るかもしれない・・。」といった感じになることが多いのですが、スランプ状態にある場合では、この主題・テーマの飛び移りが上手く行かないといった感じがあると云えます。

あるいは、記事作成時の主題・テーマの飛び移りの際が、体力を多く消耗すると云えることから、端的にスランプ状態とは、何らかの理由により、体力が消耗している状態であるとも云えるのかもしれません・・。

また、それに加えて興味深く思われたことは【架空の話】の作成に際しては、その最中に主題・テーマの飛び移りをする必要はあまりなく、ある種、頭の中にあるストーリーを文章へと変換しているといった感があるのですが、このストーリーに関しては、大きな流れは既にありますが、その中の個々の話の展開については、ストーリーを文章へと変換をしているさ中に、作成した記述から、それに関連する記憶が想起されて、さらに先に繋がっていくといった感があると云えます。そして【架空の話】の作成においては、さきに述べた主題・テーマの飛び移りに際しての体力の消耗は少ないものの、一方で、記憶が励起され想起に至るまでの文章の作成において、体力が消耗するように思われるのです。

つまり、独白形式であれ【架空の話】であれ、作成時の体力の消耗の様相は若干異なるものの、消耗自体は少なからずあると云え、あるいは、それらにどうにか対応出来るようになったことも、私としては進化と評し得るのかもしれません・・。

また、であるからと云って、ここで更なる効率的な文章作成技術の向上を願うのではなく、多少緩慢ではあっても、ともかくも、何かしらの文章を作成し続けることの方が重要であるように思われるのです。

そして、ここで想起されたのは、以前投稿のブログ記事にて引用したゲーテ著「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」内以下の記述です。

「小説でも戯曲でも、われわれが見るのは、人間の性質と行為とである。両者の差別は単に外形にあるのではない。即ち一方では、人物が話をし、他方では、通常その人物について語られるというような点に、差別があるのではない。だが、情けないかな、多くの戯曲は対話体の小説に過ぎない。これでは、戯曲を書簡体で書くこともできないことはない。小説では特に心情と事件とが現されねばならない。戯曲では性格と行為とが現されねばならない。小説は徐徐に進行し、主人公の心情が、どんな方法によるにせよ、全体の急速な進展を引き止めるのでなければならない。戯曲は急ぐべきもので、主人公の性格は終局に向かってまっしぐらに進むべきであって、ただそれが食い止められているのでなければならない。小説の主人公は受動的であるべく、少なくとも甚だしく能動的であってはならない。戯曲の主人公には活動と行為とが望ましい。小説では偶然の働きを許すことはできるが、それは常に人物の心情によって導かれねばならない。これに反し、人間の関与をまたず、独立した外的の事情によって不測の破局へ人間を駆って行く運命は戯曲にのみ存在する。偶然というものは愁嘆場をひき起こしはするが、悲劇的な情態を作り出すことはできない。これに反し、運命は常に恐ろしいものでなければならない。そして、罪のある、あるいは罪のない、互いに独立した行為を、不幸に結びつけるような場合には、運命は最も高い意味で悲劇的となる。こういう考察は再び、あの驚嘆すべきハムレットと、この作品の特性との考察にもどった。みんなは次のように言った。この主人公は元来心情を持つだけである。また彼に起こって来るものは事件だけである。したがってこの戯曲には小説のように間ののびたところがある。しかし全体の結構は運命の描くところであり、全曲は恐ろしい行為から出発している。また主人公はたえず恐ろしい行為に向かって駆り立てられている。したがってこの戯曲は最高の意味で悲劇的であり悲劇的結末に終わるほかないのである。」

さて、以上を読み思ったことは、小説と戯曲の間にある相違について、それは書きぶりのなかで小説は心情と事件に重点を置き、それに対して戯曲は性格と行為に重きを置くと述べていますが、これは、さきに述べた当ブログでの独白形式と【架空の話】それぞれの、記事作成時における体力消耗の様相とも何かしら関連があるように思われたということです。そしてまた、今後作成する【架空の話】の書きぶりについては、以上の点をもう少し踏まえて検討してみたいと思います。というのは、ここ最近作成した【架空の話】から、その書きぶりが当初の頃と比べ、随分変化したと感じられたからですが、こうした変化の基層には、何らかの法則やパターンそして普遍的な要素といったものはあるのでしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部


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