2021年6月14日月曜日

20210614 文章作成時の意識の相の継続によって生じる感覚・・人文社会科学分野の重要性

 以前にも書きましたが、ここ最近はスランプ気味であり、そのためもあり、書籍からの引用部を多く記事として投稿してきましたが、それでも、この状況は、あまり変わることはありません。

くわえて、つい先日、1550記事に到達したことから「しばらく記事作成を休止しても良いのでは・・」とも思いましたが、現在の私の場合、ここで記事作成を休みますと、再開が面倒になり、そのままブログから離れていく可能性もないとは云えず、また、スランプからの速やかな脱出とは、そうした状態において、なおも記事作成を続けることにより、達せられるとも思われたため、本日もまた、こうして作成しています・・(苦笑)。

しかし、面白いことであるのか、作成開始後しばらく経ちますと、多少はその作業に集中するようになり、この集中に至るまでの割合短い時間にて、私の精神に生じている変化とは、未だ意識・言語化することは出来ませんが、同時にそれは、これまで6年近くの記事作成の継続により、あらわれるようになったものとも云え、あるいは私にとっては貴重なものと云えるのかもしれません・・。

この「文章作成時の意識の相」のようなものは、おそらく誰であれ、ある程度の期間の鍛錬によって、強化され、それが機に応じて発揮・顕現されるようになるとは思われるのですが、この「ある程度の期間の鍛錬」こそが、思いのほかに面倒であり、基本的にその行為が「好き」であるか「興味がある」でないと、継続することが困難であるように思われます。

もちろん、そこには所謂「文才」もあるとは思われますが、しかし、期間当初の頃における「文才」などは、多分に「行為を継続する面倒臭さ」をいくらか緩和させる程度のものであり、そしてまた、そこまで稀有なものではないように思われます。

それよりも、その行為を継続することにより、少しずつではあれ、自分なりに、作成する文章が研ぎ澄まされてく中で、言葉と、その意味が持つ、深さ、そして面白さのようなものが、これも自分なりに、感じ取ることが出来るようになっていくのではないかと思われるのです。

また、これは文章を扱う研究分野全般においても共通して云えることであるとも思われます。さらにまた、こうしたことは「記述された歴史の流れ全般」においても、少なからず関連するものがあり、それ故に、何と云いますか「歴史」というものには「この時代に、こうした出来事があった」の集積、および、それらの関連性だけでは済まされない「何か」があるのではないかと思われるのです。そしてまた、その感覚は、視覚によるものとは異なり、ある種、文字の修練を要する、まさに人間独自の感覚であり、また同時に、その民族、集団が辿ってきた「歴史」を精確に反映するものであるようにも思われるのです。

それ故、何度も繰り返し述べるようではありますが、人文社会科学分野を、実地に役立たないものとして軽んずることは控えた方が良いと思われるのです。おそらく、現在の我が国の苦境全般とは、太平洋戦争後の民主主義治下において根付いてきた、文脈を意識しない、いわば近視眼的な合理主義の結果であるとも思われますので、そこには何かしらの関連性があるように思われるのですが、さて如何でしょうか。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


日本赤十字看護大学 さいたま看護学部 



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ISBN978-4-263-46420-5

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