2021年5月31日月曜日

20210531 株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー②「私の中の日本軍」pp.149‐150より抜粋

 株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー②「私の中の日本軍」pp.149‐150より抜粋

ISBN-10 : 4163646205
ISBN-13 : 978-4163646206

 三人は無言で待っていた。この時間は異常に長く感じられたが、せいぜい20分ぐらいで、それ以上のはずはない。遠くで何か笛の音がした。聞いたことのない音であった。私は窓からその方をながめた。青い戦闘服の一将校が、駆け足でこちらへ向かってくる。その周辺を5、6人のフィリピン人が、跳ねるような踊るような足つきで、同じように駈けて来る。一団はずんずん近づき、笑いさざめく声がきこえる。その将校は手に水牛の角で作った手製らしい角笛をもち、面白そうにそれをプーッと吹く。間の抜けたような音がし、周囲のフィリピン人はキャッキャッと笑っていた。一同は窓の下で止まった。将校は皆を制し、手に水牛の角笛をもったまま、一人の日本兵をつれて、身軽に梯子を駆けあがり、ずかずかと部屋に入ると、いきなり私の前の椅子にかけ、傍らの村長をどかせて日本兵を座らせた。この日本兵は三井アパリ造船所の社員で、現地召集され、旅団司令部にいたIさんで、英語がうまかった。以前から知っていたが、人相が変わり果てていたのでわからなかった。彼も私がわからなかったらしい。

 すべては一切の儀礼なしに、全く事務的にテキパキと進められた。「私は軍医だ」と彼は自己紹介し、いきなり「歩けない病人と負傷者は何名いるか」と言った。私には返事ができない。地区隊が全員で何名かも知らないのに、歩行不能者の数などわかるわけがない。「50名ぐらいだと思う」、出まかせを言った。「米軍の戦車道の端までその50名を担送するのに何日かかるか」「約二週間」「では九月十日正午までに担送を終えるように。そこからは米軍の水陸両用兵員輸送車で運ぶ」「わかった」「歩行不能者の兵器弾薬も同時にそこに運ぶように。絶対フィリピン人に交付したり放置したりしないように」「わかった」「東海岸へ行った者と連絡はとれないか」「とれない」「方法はないか」「ない」「よろしい、では観測機でビラをまく、何名ぐらいそこにいるか」「生存者は皆無と思う」「よろしい、では歩ける者は、担送の終わり次第、九月十日二時までに、このダラヤに集結するように」「わかった」「では・・」と言って彼は立ち上がった。私も立ち上がって敬礼をした。彼は答礼をするとすぐ梯子を下り、また面白そうに水牛の角笛をふくと、半ば駆け足で去って行った。言葉つきは軍隊的で事務的だが、非常に落ち着いた温厚な感じの人であった。これが戦後、私がはじめて目にしたアメリカ人であった。

 私はしばらく茫然と腰を下していた。一切の緊張感が一気に去って、全身の力が抜けて行くような気がした。村長の姿はいつの間にか消えていた。A上等兵も黙然と座っている。「これが負けたということか・・行こう」私は立ち上がって彼をうながした。完全武装で決死の覚悟で私たちは来た。一方彼は、全くの丸腰でただ一人、笛をふきながらやって来た。その対照はあまりにはげしかった。二人は逃げるようにダラヤを離れ、後も見ずに歩度を速めた。しかし、少し離れると、異常な疲労感と脱力感が二人を襲い、目がたえずくらくらして歩けなくなった。極端な弛緩と紫外線の中毒だったのだろう。しかし雨季はもう目前に迫り、夕方のスコールも次第に早く、また長くなっており、空はすでに雲が出はじめていた。二人は全く無言で、雨の降りだす前に分哨までつこうと、ただそれだけを考えて、足をひきずるようにして歩きつづけた。もう何も考えず、何も用心せず、何も目に入らなかった。「戦場の定め」も「ジャングルの常識」も、かき消すように私たちから消えて行った。

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