2020年12月24日木曜日

20201223 10000時間の法則と文体獲得に至るまでについて思ったこと・・

 これまでどうにか1400記事以上作成してきたから、こうした文章を作成するのが楽になってくるというわけでもなく、自身の記憶と感覚に基づきますと、それは波があると云えます。

また、継続して作成している記事の様式があれば、それに則り、そこまで労せずに記事作成が出来るとは云えますが、そこでもまた別種の波のようなものがあるように思われます。

これまでの【架空の話】は、概ね自身の記憶に基づいて作成していますが、その作成に際しても「そういえばこんなことがあった・・。」といった記憶が、書いているうちに沸々と湧いてくる時と、そうでない時があり、後者である場合は、何故だかとても眠たくなってきます。そうした時は、まさに寝落ちしそうになりながら作成しています。対して前者である場合は、調子が良いと、本当にスルッと1時間も経たずに、ある程度キリが良く、そしてまた適当な文量になっています。

しかしながら、こうした日は決して多くはなく、大半は後者に近いのが現状と云えます。こうした違いが何により生じているのかを明らかにすれば、もう少し効率的な記事の作成に繋がるように思われますが、しかし、それを明らかにする前に次の記事作成を行っていると云えることから、未だにそれは改善されていません・・(苦笑)。

おそらくそれは、今後首尾よく1500記事に到達して1カ月程、新規の記事作成を休止している時に何か良いアイデアが浮かんでくるのではないかと捕らぬ狸のなんとやらを行っています・・(苦笑)。

また、昨今よく聞くハナシで10000時間の法則というものがあるとのことで、何かの技芸の上達のためには、それを10000時間継続する必要があるとのことです。その伝で考えてみますと、1記事の作成に2時間を要する場合、5000記事の投稿が必要であり、3時間であれば3333記事程となります。

そうしますと、所用作成時間が2・3時間の何れの場合であれ、未だ現在半分にも至っていないこととなり、途方に暮れてしまいます・・(苦笑)。しかし他方で、もしも、当ブログ記事作成を始める以前の、さまざまな文章作成に費やした時間をも加算することが妥当であるのならば、感覚的にではありますが「半分以上までには至っているのではないか?」とも思われてきます・・。

とはいえ、そうしたものは、何かの拍子にパッと気付くものであるのか、あるいは加齢の様に、気が付かないうちに、徐々に進行していくものか分かりませんが、そうしたことが起きるのをボンヤリと期待し、気に留めつつ、その都度の記事作成を続けるのが、最も堅い進め方ではあるように思われます・・。

そして、もしもそのようになったら、一体自身の文体はどのようなものになるのでしょうか・・?あるいは「何でも文章で表現できる!」といった自信にでもなるのでしょうか?そして、さらに、それは何に生かすことが出来るのだろうか?

馬鹿らしいかもしれませんが、そうした期待のようなものは思いのほかに大事ではないかと考えますが、さて、如何でしょうか?

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!






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