2020年7月26日日曜日

20200726 株式会社文藝春秋刊 山本七平著「日本教徒」pp.255‐256

「日本の歴史や現況などを調べていて、私などが何より困るのは、この「虚構は虚構として尊ぶ」という徳川期の商人の行き方の現代版である。もう20年近い昔のことだが、その半生を日本で送ったさるアメリカ人は、「日本人とは何ぞや?一言にしていえば「勧進帳」である」という、まことに面白い言葉を述べた。けだし名言である。

 たとえば総理大臣ベンケイ氏が、霞が関と隣合せたアタカの関という国会で、野党トガシ党の前で、施政方針演説という「勧進帳」を読む。そして不磨の大典という六法を踏んで、大見得を切って赤ジュウタンの花道を引き揚げて行く。「かぶき」は元来町人のもの、従って「昭和元禄の田舎芝居」とやらも確かに虚構であっていい。だが、この芝居はただそれだけではなく、この主人公ベンケイ氏は、虚構の従者義経の家臣だから、虚構のなかの虚構の主人、読んでいる「勧進帳」は実は虚構で古い手紙、しかも聞き手のトガシ野党がだまされているのが、これまた虚構・・・となると、実に、虚構の舞台で虚構の主人公が、虚構の従者のため虚構の文書を読むと、相手が虚構に信ずる、という形になるという虚構が演じられていることになるので、一体全体「勧進帳」における「真実とは何か」少々気になる。さらに税金という入場料を払って国会座という立派な劇場でのこの演出を見ている観客やカンジン元の大町人たちは、この劇の中に何を見ているのだろうか、となると、だれでも少々わけがわからなくなるであろう。

 では一体「勧進帳」における真実とは何かと質問すると、たちまち「いやああれは、君臣父子夫婦を基本とする徳川封建制下の道徳を基礎にした・・」といった説明が出てくるのだが、よく聞いていると、どうもこの説明自体が「勧進帳」で、その人が聞いているのも反古に等しい古い手紙らしいのである。虚構の説明をまた虚構でやられるのでは、ただただ混乱はますばかり、では一体どうすればよいのであろう。」
株式会社文藝春秋刊 山本七平著「日本教徒」
ISBN-10: 4163647406ISBN-13: 978-4163647401

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