2018年5月13日日曜日

20180513 自身に組み込まれた知識・技能とそうでないもの・・変化・教育の意味

ここ数日続いた一連の専門職大学に関する記事は、それぞれ比較的多くの方々に読んで頂けました。
読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。また、このことから高等教育機関に関することが更なる興味・関心を集めることは、少なくとも無意味ではないように思われましたので、今後も機会を見つけ、こうした主題にて記事作成を行いますので、どうぞよろしくお願いします。

さて、これら一連の記事をも含め、自身は随時関心のある題材にて記事作成を行い、そしてどうにか現在まで継続することが出来ているのですが、これがある特定の題材のみにて記事作成を行うのであったならば、1年はおろか1ヶ月も継続することは出来なかったと思われます・・(苦笑)。

こうした事情から、概ね我々は、何らかの自由裁量・フリーハンドの権限らしきものを与えられ、その行う業務・作業を全うし、さらに新たな創造も生じ、進化発展にもつなげることが出来るのでしょうが、他方で、近年のコンピューターに関連する各種機器の進化、性能の発展により、我々は本質的には自身に組み込まれていない知識・技能などをあたかも自身のものであるかのように扱う、用いることが出来るようになったと云えます・・。

また、実際『そのように扱う、用いることが恒常的に出来るのであれば、それはもう『自身のもの』と認識しても良いのではないか?』といった考えが半ば無意識のうちから一般化されてくる風潮も生じるのではないかと思われます・・。

昨今の言説の劣化・表層化の主たる原因はそこではないでしょうか?:論理的な意味での真実はトートロジーであって、おそらく、そこには深い意味のようなものはない:理系と文系の違い?

そして再度ハナシは先日以来の教育に戻るのですが、本質的に教育とは、ヒトが何か新たな知識・技能を持つことにより、そのヒト自体が変化することを目的としています。また、その究極的な目的は、各個人により異なるのでしょうが、ともあれ多くの人々が教育により変化することが増大し、最終的には我々人類全体、あるいは地球全体が、より良い方向へ変化することではないかと考えます。とはいえ、こうした考えは、あまりも漠然としており個人レベルでは、ただ単に『面白いから』であると云えます・・(笑)。

また、実際のところ、そこに何らかの個人レベルにて実感し得る面白さ・快楽のようなものがなければ、時代を通じて継続することは困難であったと云えます。それは我々人類がこれまで存続することが出来たのと同じように・・(笑)。

そして、このことは当ブログにおいてもいくらかは云えることでもあり、さまざまな他の心情・思いはあるにせよ、本質的に自身は文章を書くことが好きであり、また書籍からの抜粋引用も時にはありますが、基本的には、自身のコトバ・文章にて表出し続けることにより、何かしらのそれ特有の面白さ・快楽を味わうことが出来ているのです。
おそらくそれは他者を借り物の理屈・論理にて遣り込めることなどよりもはるかに大きな面白さ・快楽であると考えます・・。

また、それ故に教育においては原始的・肉体的なレベルからの知識・技能の習得つまり血肉化・インカーネーションといったものが為される必要があるように思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

ここ数年前から現在に至るまでに日本列島にて発生した、あるいは現在も継続して発生している大規模自然災害によって被害を被った、被っている地域の諸インフラの回復および、その後の復興を祈念します。


~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック
ISBN978-4-263-46420-5