2017年7月21日金曜日

20170720 『貴族の階段』・『迷路』・『1984』から思ったこと・・時代精神

昨日投稿分の記事は投稿翌日にしては多くの方々に読んで頂けました。

読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

また、この記事にて取りあげた武田泰淳著『貴族の階段』は本日さきほど読了に至りました。

さて、この著作とは、野上彌生子著『迷路』とほぼ同時代を舞台としたものであり、且つその主人公である菅野省三とは『貴族の階段』の著者である武田泰淳と重なる経験を持っていると云えますので、この両著作の間には共通する何かしらの『感覚』があるのではないかと思われます・・。

そして、その『感覚』とは、もとより私見ではありますが武田泰淳、野上彌生子の両者が共通して経験したであろう、大々的な戦争に突入する前段階ともいえる1930年代における我が国の社会状況・様相への漠然とした不安・怖れではないかと思われます・・。

その後に勃発する大々的な戦争、太平洋戦争に至っては既にこうした状況とは過去のものとなり、またそれはそれで戦時下での経験を基に書かれた書籍・文献等に多く書かれているように苦渋に満ちたものであったのでしょうが、同時にそこでは戦時下という状況が既に所与のもの、動かし難いものであったと云えます・・。

そして、まさにその点(未だ大々的な戦争に至っていない)において冒頭に挙げた両著作に共通する感覚としての不安・怖れが一層鮮明・明確となり、現在を生きる読者たる我々に迫ってくるのではないかと思われます。

その意味において現今の我が国社会とは、果たして時宜的にこれら著作を読むに適しているのか判断は出来かねますが、それでもやはり強く訴えかける、問いかける『何か』があるのではないかと思われます・・。

そして、その『何か』とは、これまた私見ではありますがジョージ・オーウェル著『1984』読了後に強く感じる『ああ、こんな社会はイヤだなあ・・』といった心情ではないかと思われます・・。

その意味で現今の我が国社会とは、幸運なことに、そこからはまだ遠いともいえますが、しかし同時に今後、そうした方向へ社会が変化していく可能性をも(相対的に高く)秘めているのではないかとも思われます・・。

また、そのことと多少関連するのかもしれませんが、昨今『応仁の乱』という書籍が多く読まれているとのことですが、この現象とは、あるいは我が国にて特徴的ともいえる遠回し、間接的な現今の時代精神への興味の発露およびその指摘ではなかろうかとも考えさせられます。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

昨年から現今に至るまでに発生した一連の地震・大雨・水害などの大規模自然災害により被害を被った地域での諸インフラの復旧および、その後の速やかな復興を祈念しています。』







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