2017年6月22日木曜日

20170622 【ブログ開始2周年!】自分を制御するものとは・・「記憶」・「力」?

昨日投稿の記事は投稿翌日ではあるものの多くの方々に読んで頂けました。さて、この記事にて面白く読んで頂けたのは前半部・後半部の何れでしょうか・・?

そして、その要因が主に後半部にあるとしてハナシを先に進めます・・。

さて、昨日の投稿記事にて鉢巻が出てきましたが、この鉢巻とは、それ以前に別の文系院時代の知人が所持したものであり私を含め計3名が学位審査の際に所持していたことになります。

また、この先もそれが上手い具合に誰かの手に渡れば良いとは考えておりますが、さて、それは果たして何時のことになるのでしょうか・・(苦笑)?

加えて、このことを書いておりますと、今後しばらく経ちましたら、こうした経験を経た時期(2012~2013年)のことを、おそらくブログ記事であるとは思われますが、何らかのカタチで書いてみたいとも考えるようになります・・(笑)。

とはいえ、どの時期においてもそうなのですが、世間というものの中で関与する方々とは、全てが全て、文章作成者にとって良い人間ばかりであるとは限らないことから、こうしたものはどうも書き難く感じてしまうのです・・(苦笑)。

その一方で、こうしたことを『筆誅だ!』とばかりに勢い込んで書くのもあまり思慮深い行為であるとは思えませんので、まあ落ち着いた、抑えた筆致で自然に書くことが出来るようになるまで、さきに書いたように、もうしばらく待つのが良いと思われます・・。

しかし、思い返してみますと2012・13年の時期とは、本当に周囲の方々の助けがなければ、どうなっていたか分かりませんし、またそれはとても怖くて想像することも出来ません・・。

あるいはまた2012年のよく分からない多忙さがなければ、さきの想像も出来ない方向に転んでいたのではないかとも思えます・・。

そして、その意味で、やはり私は一つ一つの組織などは別としても、当時在住していた鹿児島の地域社会あるいは大学自体に対しては(大いに)感謝すべきと考えるのです・・。

また、そこで頂いた・埋め込まれた自身でも未だよく分からない『力』により、今現在ブログ記事の作成を継続出来ていたり、仕事になるか分からないことに対してあれこれ動いたり、また決して容易とは云えない大学職種への公募へも応募し続けることが出来ているのではないかと思われるのです・・。

あるいはそれは、一つの地域内にて過ごし、そして、それと同時に(表層的な)合理性にくわえ、他地域およびその文化に対しての優越感を育んでこられた方々には本質的にあまり理解して頂ける心情ではないものと思われます・・。

しかし、であるからといって、非合理的な心情および他地域に対しての意味不明の屈辱感らしきものを感じている方が優れているわけでもないのでしょうが、それでも、たかだかそれだけのこと(そうした地域に住んでいること、その文化を我が物としていると信じていること)で他地域に対しての優越感を覚えている文化全般の浅薄さとは、正直なところ、どうしても感じざるを得ないことがあります・・(苦笑)。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年、
熊本、山陰東部、福島県周辺において発生した地震によえい被災された地域の出来るだけ早い諸インフラの復旧そして、その後の速やかな復興を祈念しております。














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