2017年6月20日火曜日

20170619 白村江の戦いとクリミア戦争・バラクラヴァの戦いから思ったこと・・

A「先日来より読み進めている書籍にて、ようやく7世紀半ば過ぎの『白村江の戦い』の項まで至りました。

そして、この『白村江の戦い』の項を読んでおりますと、どうしたわけか以前に観た19世紀半ば頃の『クリミア戦争』を舞台とした『遥かなる戦場』(原題「The Charge of  the Light Brigade」)という映画が思い出されました。

この映画の題名は、同じ戦争・戦闘を題材としたテニスンによる、どちらかといえば勇壮な同名のに基づいており、この映画においては、さきほどの詩の印象(勇壮)とは異なり、平時・戦時における当時の軍上層部の腐敗、無能ぶり、そしてそこから必然的に生じる犠牲のバカバカしさについて特に力点を置いて描かれていたように記憶しています。

この映画が制作された時代背景が多少気になるところではありますが、ともあれ、このクリミア戦争はイギリス・フランス・トルコ側が勝利し、その結果、特に前二国の国際的な力が強まり、後に続く19世紀後半の帝国主義全盛期が齎されたとも云えます。

そしてまた丁度この時期とは、我が国においてもペリー来航により、幕末動乱期(維新回天期)に入ろうとする時期でもありましたので、この19世紀半ばとは、世界史、日本史的に見ても共通して一つの大きな時代の変革期であったのではないかと思われます・・。

またそれはさきに書いた『白村江の戦い』においても同様であり、この戦争での惨敗を機に、そこから惹起される外圧意識により我が国(倭国)は内乱等を経て本格的な中央集権体制へと移行したと考えられています。

それ故、当然ではあるのでしょうが、我が国も直接、間接を問わず国際間にて生じる出来事から多大なる影響に受けており、それは現在もまた同様であると云えます。

その意味で、現在の東アジアの状況とは、今後、如何なる状況への進展に結び付くのかとはやはり多少気になるところです・・。

とはいえ、そこまでハナシが大きくなりますと、あまり具体的なことは分かりませんので書きませんが、しかし少なくとも現在およびその(少し)先の未来とは、おそらく我が国の前世紀後半に見られたような、さまざまな事物の社会での急激な増加、浸透といった時代ではなく、何においても量から質への転換が図られる時代になるのではないかと思われます。

多くの事物において、その『量』とは、それぞれ測定、数値化され、比較検討すること、ひいては一般化することが容易ではあるのですが一方、その『質』となると、なかなかそのようには行かないのではないかと思われるのです・・。

さまざまな事物がその質においても、同様の手法にて、それぞれ何らかの要素による測定、数値化が為され、比較され、その大小によって良し悪しが判断、決定されるようになりますと、それはこれまでもそうであったように、無意識ながら次第に人間それ自身にまでもおよび、結果的に人間のみが持つとされる特質である創造性が壊死してしまうおそれも少なからずあるのではないでしょうか・・?

あるいは、そこで創造性を担保、保持するため、他に対する嗜虐性を強化することもまたあるのではないかとも考えます・・(これは案外新しい意見かもしれない・人身御供の起源?)。

とはいえ、そうした状況において、それぞれの民族、国民が持つ歴史、文化によって、その反応が変わってくるのではないかと思われます・・。

そのことから、やはり歴史、思想などもまた重要であるものと考えるのです・・。

今回もまた、ここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

去る2016年、
熊本、山陰東部、福島県周辺にて生じた地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、その後の速やかな復興を祈念しております。」









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