2017年6月14日水曜日

20170614 昨日投稿の記事から、輿論形成の『凝集力』について・・

昨日投稿分の記事は思いのほか多く読まれており、そのことから、さきほど少し加筆修正、また関連すると思しき他記事の共有を行いました。

とはいえ、白状しますとこの昨日投稿分の記事とは、かなり眠気を感じながら作成したものであり、現在となっては一体何故、あるいはどのような経緯にてこの主題で記事を作成したのかとはよく分からないのです・・(苦笑)。

そして、
そのような状態にて作成した記事が比較的多くの方々に読まれていたことは自身としては多少不思議に思うところであり、且つ、それこそがブログ記事作成を行っていて感じる面白いところではないかと思われます・・(笑)。

また
、それと果たして関連するものか分かりませんが、本日は帰宅途中にある割合大型の書店に立ち寄り、文庫、新書コーナーを徘徊しておりますと、我が国古代の外交に関しての著作が目に留まり、これを立ち読みしてみますと大変興味深いことが書かれていたため思わず購入してしまいました(笑)。

この行為を現在になり振り返って考えてみますと、そういえば私は気温が上昇すると、思想系の著作より歴史系、就中我が国古代史関連の著作を読みたくなる傾向があることが思い出しました・・(笑)。

そこから敷衍して、こうした読書の傾向らしきものとは、地域、国毎においても存在するのではないかと思われ、こうした傾向が地域、国の輿論形成における何かしらの『凝集力』として働いているのではないかとも思われました・・。

また、それは今現在の段階においては非科学的と見做されるのかもしれませんが、しかしながら現在科学的とされるさまざまな考えもまた、それが一定の支持を集める見解に至るまでは、やはり非科学的なものとされていたことは明記しておいても良いことではないかと思います・・。

それはアルフレート・ヴェーゲナー大陸移動説のように・・。

無論、文系、理系と多少学問的背景は異なるのではありましょうが、やはり何かしら考え続け、述べ続け、論証され続けることにより、後世の社会、学問の進化発展に寄与する新たな見解、説とは今後まだまだ出てくる可能性があるのではないかと考えます。

たとえどんなに小さなことであれ・・。


そして、そこから見て反対に本当に恐ろしい社会とは、極端に云いますと『新たな見解、説はもういらなくて、現在ある知見で事足りるような社会の価値観を定め、それを固定化してしまおう。』といった考えが定着してしまった社会ではないかと思われます・・。【断捨離も良し悪し・・?】

また、それは本当の意味での保守、伝統主義とは大きく異なる単なる『因循姑息』と評して良いものであると考えます。

のことは、古来より受動的な立場に拠りがちな我が国においては、より深く考える価値のあることではないかと思われるのですが、如何でしょうか?

さらにまた、このことは昨日、一昨日に投稿したブログ記事内容とも少なからず関与することではないかと思われます。

ともあれ今回もまた、ここまで興味を持って読んでくださり、どうもありがとうございます。

去る2016
年に熊本、山陰東部、福島県周辺において生じた地震により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の速やかな復興を祈念しております。」










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