2016年11月2日水曜日

20161101 創造的な仮説の構築、手作業による認識、明瞭化

A「11月に入り、気温も徐徐に下がりつつあることが実感され、特に朝、起床時におけるこれからの季節とはなかなか辛いものがあります・・(苦笑)。

また、それと別件にはなりますが、本日は若干帰宅が遅かったこともあり、ブログ記事更新は無理をせずに止めておこうかと考えましたが「とりあえず」といった感じにて記しはじめましたところ、この程度まではスムーズに記すことが出来ましたので「さて、この後、どの程度まで行くことが出来るだろうか・・?」といった感じにて現在記しております・・(笑)。

そういえば、昨日投稿しました記事もまた、思いのほか、多くの方々に閲覧して頂きました。

そして、昨日のようなことを文章の主題としますと、特に近代以降においては、一つの時代、国における映像文化(主に映画、テレビ)と文字文化(小説、その他文章等)とは大きく関連し、おそらく双方文化において共通し、主流となる傾向そして流行の推移、変化の仕方などは、その時代精神を示しているものであるといえます。

こうしたことの認識とは、どうしても主観的なものに陥りがちではありますが、一方において、数値によるデータに基づく資料の検討、考察などから当初入りますと、またさきの「主観的」とは違った意味での変な方向に進んでしまうことが往々にしてあるため、これら創造的ともいえる仮説の構築と数値データの作成そしてそれに基づく検討、考察とは、ある程度関連させながら、あるいは双方の間を揺れ動きながら、進めていくのが単純に面白く、自然であり、それに加え柔軟性、持続可能性がある方法ではないかと思われるのです・・。

そして私の場合、こうしたことは試料の作製、実験、そしてそこからのデータの抽出といった手作業の一方、類似した先行研究の論文等を読むことにより、何といいますか、自身の行っている一連の実験作業の置かれた位置らしきものが認識され、それに伴い、今後の課題そして行うべき次の作業、実験といったことが浮かび上がってくるように思われます。

そして、主に理系の実験を扱う研究とは、概ね、こうした手法を通じ、ある一つの疑問、課題に対し、光を当て徐徐にピントを絞り、その像を明瞭化してしてゆく一連の作業ではないかと思われます・・。

また、こういした方法とは、よくよく考えてみますと、通常、手作業を用いることのない、文系においてもまた、同様の過程らしきものを経て、一つの認識およびその明瞭化に至るのではないかとも思われます。

とはいえ、この手作業を用いるか用いないかということが、おそらく特に若い、発展途上の感性に対して大きな相違といったものを生じさせるのではないかと自身の経験に基づき考えております・・。

そして、その一方において理系分野における文系的な創造的な仮説の構築に至るまでの綿密な関連文献の捕集といったこともまた重要な意味を意味を持つのではないかとも考えております。

また、ここまで記していて、何故だか不図、以前ある国際学会での発表の直前、次演者にて座っている際、上下の歯が当たり、カチカチと鳴るほど緊張していたことを思い起こしました・・(苦笑)。

しかし、このようなことを記している自身とは、実際のところ、当時より成長しているのでしょうか?
こうしたことは、イマイチよく分からないものです・・(笑)。

とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本での地震、昨今の山陰東部での大地震における被災された地域の今後出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして復興を祈念しております。」





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