2016年10月3日月曜日

20161002 市ヶ谷~岩本町周辺地域にて思ったこと

A「おかげさまで昨日(20161001)のブログ閲覧者数も1000人に到達しました。

読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

また、読んで頂いた反応を見ますと、それもまた大変興味深いものがあり、同時にその反応の秀逸さ、鋭さに慄然とさせられることも度々あります・・(苦笑)。

一体どのような方(方々)が、こうした反応をなされているのか未だ分かりませんが、いずれにしましても、こうした反応により、その都度何と言いますか身が引締まる思いがし、同時に次のブログもまた、その影響の下に記すことが出来ているといって良いと思われます・・。

さて、本日は半分仕事で都心部に出向きました。

気温はそこまで高くならず、そこそこ快適であったと思われます。
とはいえ、日曜日ですと都内の繁華街はやはり大変な混雑であり、首都圏に戻り一年以上経ちますが、やはり時折困惑することがあります・・(苦笑)。

また、私がかつて在住した都市には、それぞれ何といいますかアジ、風情のようなものがありましたが、東京においては、そうした都市に相当する規模を持つ繁華街がいくつも衛星都市的に存在するため、どうも未だにそれら各々のアジ、風情といったものがよく分かっておりません・・(苦笑)。

しかし、繁華街ではありませんが、靖国通り沿いの市ヶ谷~岩本町周辺に関しては、あまり大きく変わらず、現在においても、以前と同様、すぐに慣れることが出来たと思われます・・。

これはやはりかつてと同様、古本屋街が存在することが大きいのではないかと思われます・・(笑)。

また、それに加え、この地域(市ヶ谷~岩本町)とは、日本の近代歯科医学揺籃、発展の地であるといっても良いと思われます。

それは、現在においてもなお、この地域に特に集中し歯科大学、歯学部が存在することから理解できるのではないかと思われます・・(4校が現在なお、この地域内に存在しています)。

もっとも、こうした事情とは何も歯科医学の教育機関においてのみいえることではなく、同様に、数多くの老舗私立大学、医科大学の発祥の地がこの周辺であることから、かねてよりこの地域とは、教育機関が集中するような「何か」があったのではないかと思われます・・。

そして、その「何か」とは、かつてこの地域に存在した江戸幕府の学問所であったり、剣術の道場といったものではないかと思われます・・。

こうした土地に付随する文化、傾向とは、時代の覇権政権が変化しても大きく変化せず、そのまま引き継がれることが多いのではないかと思われます・・。

そして、そうした視点にて様々な遺跡およびその出土物などの意味合いについて考えてみますと、それはそれでなかなか面白い発見もまた、あるのではないでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本を中心に発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。

加えて、現在接近中の台風による九州、奄美、沖縄での被害が出来るだけ軽微であることを同様に祈念します。」







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