2016年2月21日日曜日

20160221 歴史認識と国民性について

A「先日過去に投稿したブログ記事を読んでみますと、あまり面白くないと感じるものも少なからずあり、これらの投稿を削除しようかと不図思いました・・(苦笑)。
しかし、ブログ記事の面白さとは、私が決めることではありません・・。
また、それに加えて、たとえ出来が拙いものであろうと、自身の作成した記事は残しておいた方が良いと思い、削除することを止めました。」

B「・・はあ、そうですか、まあ、たしかに自身が作成したいわゆる「かつてのやっつけ仕事」とは、後になって見てみると、かなり恥ずかしいものであることも多いですね・・(笑)。そして、それらに対して「こんな拙いものを人様に見せるわけにはいかない。」と考え、行動すれば、それらを削除することになるのでしょう・・。
その一方、「こんな拙いものでも自分が作成したものは、たとえ恥ずかしくても明示すべきである。」と考え、行動すれば、それらを残すことになるのでしょう。
そしてAさんは後者を選んだということになりますね。」



A「・・ええ、まあそのようなところですが、しかし、そこまで神妙な考えではなかったと思いますが・・(苦笑)。また、ただ今のBさんの発言から不図思ったのですが、こうした考え、行動とは国、地域などの歴史などに対する態度と何かしら通じる要素があるのではないかと思いましたが・・?」

B「・・ああ、それは特に意図しておりませんでしたが、たしかにそうした要素はあるかもしれません(笑)。そして、そのように考えると、我が国の場合、その主要な原因とは未だわかりませんが、特に近現代史などにおいては前者に近い考え、行動をとることが多いように思います・・。我々日本人の殆どは歴史の多くの時代を水稲耕作民として過ごしてきました。そうした社会とは、播種から収穫までの一連の行程が毎年繰り返され、それが日常生活における基調となるのではないかと思います・・。そしてそれは現代の我々であっても無意識の深い部分にそうしたことは記憶されているのではないでしょうか?
そういえば、英語には「Trait」というコトバがあります・・。
ともあれ、このような日常生活の基調がある社会においては歴史も繰り返し蓄積される類型化、定型化されたものとして認識され、一つ一つの事件、出来事が持つ特殊性などはあまり考慮されることはなかったのではないかと思います・・。
そして、そのような類型化、定型化された歴史観、物語的なものが日常生活における国、地域の通史的なものとして広く認識、定着すると、より俯瞰的、普遍的な視座から述べられる歴史観と反りが合わなくなり、同じ時代のことに関しても解釈が異なってくるのではないかと思います・・。」

A「・・はあ、それはたしかにそうですね・・。
昨今の周辺諸国との歴史認識についての食い違い、領土問題などについても根源には、そうしたことがいえるのではないでしょうか?
しかし、それらの歴史認識の普遍性とは、どのようにして得られるのでしょう?
あるいは、世界規模において共有され得る認識と為すことができるのでしょうか?
基本的にそうしたことは歴史研究者といった専門家の仕事ではあるのでしょうが、我が国の場合、あまり普遍化され得ない特殊、限定的な歴史観が変に時流に合わせて流行するといったような傾向があるのではないかと思います・・。
昨今、いくつかのテレビ番組、雑誌特集記事などを見てみますとそのように感じることが多くあります・・。つまり、我が国においては普遍的な歴史観を日常生活レベルに持ってきて考察するというクセが少ないのではないかと思います・・。
また、それがあったとしても、それはあくまでも経済的な側面のみであることが多いのではないでしょうか?そして、そうしたものの多くは定期的に巷に流布される様々な「陰謀史観」と結びつき易いのではないでしょうか?」


B「・・・ええ、昨今の我が国を巡る幾つかの国際的事案から歴史認識の重要性を国全体として気付いたというような感じも受けるのですが、これもさしずめ一過性のものであり、まあ5年程度経つとキレイに忘れているのではないでしょうか・・(苦笑)?
そして、これは以前に読んだ中井久夫の微分、積分回路についての記述を想起させます・・。そうしますと、つまり何というか、我々日本人とは良い悪い以前の特徴、傾向として、微分回路にのみ特化したような特徴、傾向を有しているのではないかと思います・・。しかし、こうした特徴、傾向とは、おそらく近代以前においては特に顕著に見られないものでした・・。もちろん、それは日本が主に西欧諸国によって編纂される国際的な歴史にあまり参画してこなかったことによるのですが・・。しかし、そうしますと西欧的な基準を採用する歴史に批准しないと、国際社会において通用しない、普遍的な意味での歴史観は得られないということになるのですが、そうしますと、今度はそれはそれで、何らかの事実、真実から離れた恣意性を感じてしまうのですが・・あたかも昨今締結された条約のように。」


A「・・学問における普遍性とは極めて重要な要素であり、特に理系学問分野においては、それが国際性を保持するために欠かせないものであるのですが、一方、文系学問分野における普遍性とは、さきほどの歴史認識の食い違いのように、なかなかスムーズに行かないのではないかと思います・・。そして、そうしたことは国際的な問題であると同時に国内の地域間においてもある程度同様のことがいえることではないかと思います・・。」

B「・・なるほどねえ・・また、それに加えて、様々な歴史的出来事の真相そして深いほうの深層が、学問的な意味での普遍性と、決して安直に結び付くことがないというのが、何とも皮肉なことですね・・。」


A「ええ、そうした意味において過去を扱う学問とは、難しく、また昨今声高にその必要性が叫ばれている情報リテラシーとは、こうしたことに関心を持ち続けることにより、徐々に社会に定着してゆくものではないかと思いますが?」

一連の私のブログ記事を興味を持ち読んでくださっている皆さま、どうもありがとうございます。

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