2015年12月1日火曜日

20151129

A「欧米のメディアが先日のパリでの自爆テロを「KAMIKAZE」と報道した様ですね・・何だか我々日本人とすれば複雑な心境です・・。」

B「ああ、それは私も聞きました。欧米の方々から見れば捨身の自爆テロは一般名詞としてそうなるのかもしれません・・これに特に悪意はないと思います。
しかし一方において、少し前のベストセラー小説映画化されたものの中で、日本人の登場人物が神風特別攻撃隊のことを自爆テロと評価しており、それを主人公が強く否定していた場面がありましたので、そういった流れで考えてみますと、やはり違和感が残るのかもしれません。」

A「そうだね。日本人がこの欧米での報道に対して違和感を覚えるか覚えないかは、おそらく太平洋戦争への評価によって変ってくるのではないかもしれませんね・・。
そして、そうでなければ英和辞書にも出てくる「TSUNAMI」と日本語の津波も同じ様なものとして、まあ特に違和感を覚えることもなく納得できるのではないでしょうか?」

B「ええ、たしかに仰る通りですね。
この問題にはおそらく、太平洋戦争、第二次世界大戦における立場の違いが根底にあるのではないかと思います。
また、もし日本がいまだ旧連合国を主とする現在の欧米諸国に対して敵意、反感を持っているとするならば、むしろこの報道の仕方に対し、違和感を覚えることなく、むしろ「そうだ!その通りだ!思い知ったか!」となっても良いかもしれません。
しかし、さすがにそういった意見、傾向は国内で皆無あるいはかなりの少数派ではないかと思います。
また、それと同時にアメリカの原爆投下に対する日本側の謝罪の要求と、それを決して受け入れないアメリカなどにおいてもこれと似た様な構図があるのかもしれません。
何れにしましても、自らの視座を定めた近現代史に対し払ってきた価値が、こういったことの遠因となっているのではないでしょうか?
そしてそれが、先程の欧米における「KAMIKAZE」報道に対する我が国のはっきりとしないモヤモヤとした違和感となるのではないかと思います・・。
まあ、しかしそう考えますと、これは国内においても同様のことがいえまして、たとえば沖縄問題などについても、様々な方々が、その歴史的経緯において損な役を負わされた続けた沖縄のまさしく歴史的経緯を認識し、対応するべきであると論じていますが、こういった意見はあまり主流派となることはありません。
そしてこれは日本の国際間の対応においても同様の傾向があるようにも思われます・・。
しかし一方において、近代以降の特に明治期の日本などにおいては、決して当初からそういった傾向を持つ人々が主流派であったようにも思えません・・。
つまり、何といいますか、明治維新から敗戦に至るまでの日本とは、当初相手の立場に立つ義侠心と自身の利益が混在、葛藤していたものから徐々に後者つまり利益一辺倒の態度にシフトしていった結果、敗戦に至り、それが現在まで続いているのではないかと思います。
しかしまあ、このあたりのことはおそらく司馬遼太郎著の「坂の上の雲」あたりを通読してみれば大体わかるようなことではないかと思いますが・・。
そういえば「坂の上の雲」は英訳が出版されたそうですが、Aさん御存知でしたか?」

A「うん、君のいう近代日本の社会全体、あるいは少なくとも国策、外交の意思決定を行ってきた社会上層部の漸進的なパラダイムシフト、あるいはそのハビトゥスの変化とは、竹山道雄などが様々なところで説いているけれど、それは私も概ね賛成できますね・・。
あと、こういったことは戦前の国粋主義団体などの発足から太平洋戦争に至るまでの歴史を見てみてもなかなか面白いと思うよ・・。
あと「坂の上の雲」の英訳本の存在は知りませんでしたね。
しかし、それはなかなか面白そうですが、あの作品の海外での評価はどうなのでしょうか?
少なくとも、そういった近代日本の勃興期を主題として扱った小説は海外ではあまり知られていないと思うから、それはそれで面白いと思いますね。
また、それと併行し、同時代ものとして夏目漱石の「三四郎」、「現代日本の開化」の英訳あたりを読んでみたら近代日本の複雑さをもう少し理解してもらえそうな気もしないではないね()
あと、そういえば、こういったことは小林秀雄もどこかで書いていたね・・。」

B「はあ、なるほど・。それは面白い趣向ですね・・()
あ!それで話はもとの「KAMIKAZE」に戻りますが、かつての神風特攻隊隊員の残された遺書で、大変考えさせられ、胸につまるものがあるのですが、これが岩波文庫の「きけわだつみのこえ」に載っているのですが、そこに隊員の方が自分のことを「彼らのいうとおり自殺者」と書かれているのですが、やはり当時においても「KAMIKAZE」とは、欧米側からすれば、初めての経験であったかもしれませんが、自爆攻撃のことを指すものであったのではないかと思います・・。」

A「ああ、その「きけわだつみのこえ」は私も読みました・・。
あれは実に悲痛な内容の文章でした・・。
ああいった当時の学徒兵の書いた文章が英訳にてもっと世界に認知されていたら前の「KAMIKAZE」の報道もまた別のものになっていたかもしれないね・・。」

B「ええ「きけわだつみのこえ」は2000年に「Listen to the Voices from the Sea」として英訳出版されています。私も未だ読んではいませんが、それでもこういったものを教材として用いれば、ある程度効果的な平和教育になるのではないかと思いますが・・。」

A「うん、それは個人的には大変良いアイデアであると思いますが、そういったものは果たして国内では受け入れられますかね・・?」

B「内容が重過ぎるのかもしれませんが、歴史教育、特に日本の近現代史などは多少重過ぎても仕方ないのではないかと思います・・。
また、それを避けて利益一辺倒、あるいは臭いものに蓋をする不自然な歴史教育を行うよりかはいくらかはマシであるような気もします・・。
また、三島由紀夫が日本の将来について抱いていた危惧も今考えてみますと、そういったところにあったように思えます・・。」

A「うーん、たしかにそうなのだけれどねえ。
果たしてそれが受容されたとしてもその後上手くいくかどうかもまた難しいような気がしますねえ・・。
そうすると今度はオルテガのあの著作を私は思い出してしまうのです・・。」


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