ISBN-10 : 4833421674
ISBN-13 : 978-4833421676
イギリスの約束は三つあった。第一は1915年のマクマホン=フセイン書簡のかたちをとった、アラブ人に対するものだ。これはイギリスの在エジプト高等弁務官サー・ヘンリー・マクマホンからのハシミテ家のフセイン王へのかなり迎合的な一連の書簡である。フセインは、預言者ムハンマドの直系を自任する家柄に属する、あごひげを生やした老いた名士だった。両者間の書簡の内容の大筋は、イギリス政府は、パレスチナからイラク、そしてペルシャとの境界までを擁する新しい大アラブ国家を全面的に支持する。そしてその国の王座にはフセインと彼の一族が就くというものだった。イギリスの望みは、この約束によってアラブ人に、当時ドイツと同盟関係にあったトルコへの反抗をけしかけることだった。実際に反トルコ暴動が起こったという意味では、これらの書簡には効果があった。映画「アラビアのロレンス」で伝説化され、その重要性がむやみに誇張された出来事だが、戦略的としては無意味に等しかった。
第二の約束は、西部戦線でおびただしい数の犠牲者に苦しんでいたフランスに対するものだった。これは、戦争が終わった暁にフランスが手にするであろう栄光の土地をニンジンとしてぶらさげるという作戦だった。こうして1916年の密約、サイクス・ピコ協定に基づき、フランスはシリアからイラク北部まで伸び、バグダッドを含む地域を勢力圏として得ることになった。ついでながら、この細長い地域は2014年、イラクとシリアのイスラム国(ISIS)の狂信者が宣言したカリフが統治する帝国とも多少重なるところがある。フランスに対するこの秘密の約束がアラブ人に対するより公の約束とどうやって折り合いをつけたのかはまったくはっきりしない。率直に言えば、そもそも折り合いがついたのかどうかもわからない。
第三の、そして最も悲喜劇的で支離滅裂な約束が、いわゆるバルフォア宣言である。これは実際には、外相A・J・バルフォアからのユダヤ系貴族院議員ロスチャイルド卿宛ての1917年11月2日付の書簡で、次のような官僚的技巧を駆使した傑作ともいえるくだりを含んでいる。
バルフォアはより実利的な考えに動かされていたのかもしれない。第一次世界大戦中、ユダヤ人の心情はドイツに傾きかねないという不安が強かった。戦争前のロシアにおける反ユダヤ主義に報復するにはそれが一番効果的だったからだ。チャーチルがのちに認めたように、バルフォア宣言には部分的にはユダヤ人、とくにアメリカのユダヤ人の支援を得ようとする意図もあった。その一方で、イギリス帝国部隊が大きく依存していた数百万人のイスラム教徒(とくにインドの)をつなぎとめておくという、矛盾した狙いがあり、この宣言の明白な混乱はそこから引き起こされたのである。
これら三つの約束を同時に目てみると明らかなことがある。イギリスは一頭のラクダを三度売ったのだ。
これこそチャーチルが処理しなければならない混乱だった。そして1921年3月、彼は重要な関係者全員をカイロの豪華ホテル、セミラミスに呼び寄せた。ここももちろん当時の大英帝国の非公式な一部だった。
