ISBN-10 : 4120034917
ISBN-13 : 978-4120034916
陰謀論の背景は錯綜しているのだが、ここで大まかな整理を試みてみたい。まず、アラブ世界の場合には固有の歴史的経緯からもたらされた一つのパターンがある。重要なのはアラブ近現代史において情報の発信地として有力なエジプトでの展開である。エジプトがナセル大統領の指導のもと、民族主義を旗印にアラブ世界全体をイデオロギー的に主導した時代(1950~60年代)、しばしば政権の失政を外部勢力の陰謀に帰する形で責任を外部に転嫁する議論が国家の側から流された。このことが現在に至る陰謀論による国際政治解釈の一つの根源となっていると見られる。陰謀説が有効に機能する背景には、実際にある種の「陰謀」による脅威をアラブ世界が受けてきたことがある。1956年の第二次中東戦争でイギリス・フランス・イスラエルが共謀してエジプトを侵略した。これは「外部の陰謀勢力に迫害されるエジプト」という心境を醸成し定着させた(しかしその時、侵略行為を激しく非難して撤退に追い込んだのはアメリカだった)。
現在のムバーラク政権(1981年ー)になってからはプラグマティックな政治手法が重視され、国家の側が積極的に陰謀論を主張することは少ない。むしろ社会から自発的に陰謀論が産出される場合が多い。陰謀論が宗教的な終末論やオカルト思想と合体するのも、この時期から始まった現象である。
しかし社会の側からの陰謀論の発生は、国家によるメディア統制によって間接的に支えられているともいえよう。エジプトを含め大部分のアラブ諸国では新聞やテレビは検閲や厳しい規制の対象となり、国民に伝えられる政治情報は限定されている。そこから情報の伝達は透明なものではなく、なんらかの意図がその背後にある、と考える心性が国民に根強く定着している。「嘘の情報の背後から真実を読み取る」ことがごく当たり前の習慣になっているのである。しかし限られた情報を限られた視野から解釈してその裏を探る以上、常に真実に到達できるとは限らない。むしろ願望や固定観念によって一面的な解釈をしてしまいがちである、
そして、自国の批判が許されないがゆえに、「外部」勢力を「敵」として特定する類の陰謀慧遠のみが表出を許されることになる。陰謀論が外部勢力に責を帰している限りにおいて、国家の側は意に介さない。国家によって用意された情報環境の中で、特定の種類の陰謀論が野放しにされて増殖を果たすというメカニズムがある。
しかし陰謀論はアラブ世界に限られたものではない。アメリカのポピュラー・カルチャーは多くの陰謀論の発祥の地であり、西欧は反ユダヤ主義的陰謀論を生み出しただけでなく、最近では反米的な陰謀論も現れている。
アメリカの場合、冷戦状況が陰謀論の流布を促進したと見られよう。ソ連との間の軍拡競争、特に核・ミサイル開発や航空宇宙技術の競争は、常に敵と味方の双方に対する疑心暗鬼を生んだ。冷戦期の軍拡競争というのは、兵器の実際の使用ではなく、兵器の性能と配備状況に関する情報によって一進一退を繰り返す神経戦である。「相手はより進んでいるのでは」という恐怖は常に拭い去ることができず、「少なくとも同等以上の開発を」という焦りがつきまとう。
開発の進み具合を誇示して相手を威嚇する一方で、開発していながら隠匿することも、敵に先んじるための有効な手段となる。すると「相手は隠している」ことを前提として、よりいっそうの開発が急がれるだけでなく、自分の側も隠す必要が感じられてくる。アメリカ国民にとってソ連の脅威だけでなく、自国政府に対しても不信感を抱く素地がここにある。また肥大化した官僚機構への不信、近代的国家機構に対するカフカ的な恐怖心が軍・諜報機関に向けられるという事情もある。
ここから「CIA」や「軍中枢部」の「陰謀」を措定する心性が胚胎したといえよう。「自国政府は何かを隠しているのではないか」という発想は、極端な例では「UFO」「宇宙人」が到来したにもかかわらず「軍がそれを隠蔽している」というオカルト的陰謀論に結実している。
ISBN-13 : 978-4120034916
陰謀論の背景は錯綜しているのだが、ここで大まかな整理を試みてみたい。まず、アラブ世界の場合には固有の歴史的経緯からもたらされた一つのパターンがある。重要なのはアラブ近現代史において情報の発信地として有力なエジプトでの展開である。エジプトがナセル大統領の指導のもと、民族主義を旗印にアラブ世界全体をイデオロギー的に主導した時代(1950~60年代)、しばしば政権の失政を外部勢力の陰謀に帰する形で責任を外部に転嫁する議論が国家の側から流された。このことが現在に至る陰謀論による国際政治解釈の一つの根源となっていると見られる。陰謀説が有効に機能する背景には、実際にある種の「陰謀」による脅威をアラブ世界が受けてきたことがある。1956年の第二次中東戦争でイギリス・フランス・イスラエルが共謀してエジプトを侵略した。これは「外部の陰謀勢力に迫害されるエジプト」という心境を醸成し定着させた(しかしその時、侵略行為を激しく非難して撤退に追い込んだのはアメリカだった)。
現在のムバーラク政権(1981年ー)になってからはプラグマティックな政治手法が重視され、国家の側が積極的に陰謀論を主張することは少ない。むしろ社会から自発的に陰謀論が産出される場合が多い。陰謀論が宗教的な終末論やオカルト思想と合体するのも、この時期から始まった現象である。
しかし社会の側からの陰謀論の発生は、国家によるメディア統制によって間接的に支えられているともいえよう。エジプトを含め大部分のアラブ諸国では新聞やテレビは検閲や厳しい規制の対象となり、国民に伝えられる政治情報は限定されている。そこから情報の伝達は透明なものではなく、なんらかの意図がその背後にある、と考える心性が国民に根強く定着している。「嘘の情報の背後から真実を読み取る」ことがごく当たり前の習慣になっているのである。しかし限られた情報を限られた視野から解釈してその裏を探る以上、常に真実に到達できるとは限らない。むしろ願望や固定観念によって一面的な解釈をしてしまいがちである、
そして、自国の批判が許されないがゆえに、「外部」勢力を「敵」として特定する類の陰謀慧遠のみが表出を許されることになる。陰謀論が外部勢力に責を帰している限りにおいて、国家の側は意に介さない。国家によって用意された情報環境の中で、特定の種類の陰謀論が野放しにされて増殖を果たすというメカニズムがある。
しかし陰謀論はアラブ世界に限られたものではない。アメリカのポピュラー・カルチャーは多くの陰謀論の発祥の地であり、西欧は反ユダヤ主義的陰謀論を生み出しただけでなく、最近では反米的な陰謀論も現れている。
アメリカの場合、冷戦状況が陰謀論の流布を促進したと見られよう。ソ連との間の軍拡競争、特に核・ミサイル開発や航空宇宙技術の競争は、常に敵と味方の双方に対する疑心暗鬼を生んだ。冷戦期の軍拡競争というのは、兵器の実際の使用ではなく、兵器の性能と配備状況に関する情報によって一進一退を繰り返す神経戦である。「相手はより進んでいるのでは」という恐怖は常に拭い去ることができず、「少なくとも同等以上の開発を」という焦りがつきまとう。
開発の進み具合を誇示して相手を威嚇する一方で、開発していながら隠匿することも、敵に先んじるための有効な手段となる。すると「相手は隠している」ことを前提として、よりいっそうの開発が急がれるだけでなく、自分の側も隠す必要が感じられてくる。アメリカ国民にとってソ連の脅威だけでなく、自国政府に対しても不信感を抱く素地がここにある。また肥大化した官僚機構への不信、近代的国家機構に対するカフカ的な恐怖心が軍・諜報機関に向けられるという事情もある。
ここから「CIA」や「軍中枢部」の「陰謀」を措定する心性が胚胎したといえよう。「自国政府は何かを隠しているのではないか」という発想は、極端な例では「UFO」「宇宙人」が到来したにもかかわらず「軍がそれを隠蔽している」というオカルト的陰謀論に結実している。
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