2022年5月25日水曜日

20220524 株式会社日本評論社刊 中井久夫著「日本の医者」 pp.44-45より抜粋

株式会社日本評論社刊 中井久夫著「日本の医者」
pp.44-45より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4535804249
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4535804241

医学の近代化が、市民革命と時をおなじうして、いや、ときには、まさに革命のまっただなかでおこることは、きわめて注目にあたいする。疾患の正確な現象的記載から、疾患の実態的把握へとすすんだ近代臨床医学の父シドナムは、講壇からうとんぜられた市井の医者だったばかりでなく、イギリス市民革命に兵士として参加した革命の子であった。医学を理論と実践との結合においてはじめて研究・教授した最初の大学たるオランダのライデン大学は、スペインからの独立戦争がそのまま市民革命であったオランダで、その直後に、理想にもえて建設された。そうしてフランス大革命は、それまで中世的・講壇的医学にとじこもり、ヨーロッパでもっともおくれているといわれ、心あるものは医師にならないとまでいわれた王政時代のフランス医学を、一躍、世界最高の、緻密で体系的なものにする。大学での臨床講義からはじまり、それは、実にいみじくも、「ポリクリニーク」(市民の診療所)と名づけられた。大革命とそれにつづく十数年前、フランス医学は真に世界をリードし、近代的な診断学の基礎をうちたて、また統計学を医学に導入する。

 一言にしていえば、封建領主や宮廷貴族は、庶民とはちがった特別の治療・神秘的な、もったいぶった治療をのぞんだと考えられるのに反し、実利的なブルジョアジーは、みせかけやごまかしを拒否し、端的に病気をなおしてくれることを医学に要求したのだ。

 市民革命が流産したり、抑圧されてしまった国でも、特権的な国家機構としての大学が、世界のあたらしいうごきをくみとり、移植し、発展させることは可能である。医学のような限定された領域での近代化は、いったんその実力が証明されたならば、絶対主義的な権力もまた、それをみずからの装備のひとつにくわえることを歓迎する。オランダのライデン大学に呼応してドイツのゲッチンゲン大学が医学の近代的な研究と教授を開始する。ナポレオン戦争後の反動的な神聖同盟時代に、同盟の根城オーストリア帝国のウィーン大学は、フランス医学の成果をひきついで発展させていった。そうして、これらのドイツやオーストリアで、医学は、科学的な病理学や細菌学の上に立つようになる。一見奇妙なことだが、より成熟した市民社会のイギリスやフランスでは、医学は、過度の臨床実践への密着ゆえにか、この時期には、ドイツ医学にくらべて、はっきり一段階たちおくれを示してしまう。たとえば、フランス医学のカリキュラムは1820年ごろから1960年ごろのドゴール政権による改革まで、ほとんど不変であった。一言にしていえば、超臨床的ともいうべきもので、医学部入学時から病院に出て実習し、学科は午後に選択してとるので、解剖学を知らないで内科を学ぶことすらあるのだ。細菌学の父パストゥールが医者ではなかった事実は象徴的である。

 アメリカ医学は最初から近代医学として出発したが、それが植民地風の医学から脱却して独自の巨大な発展をはじめたのは、じつに20世紀になってからであり、基礎医学をドイツから、臨床医学をイギリス、フランスから輸入してその発展ははじまったのだ。これはわが国医学の近代化と前後しての現象であり、形式もまた似ていなくはない。

2022年5月23日月曜日

20220523 ブログ記事作成時の「圧」への対応から思ったこと【1000記事への到達時と比較して】

今回新規の記事投稿により、総投稿記事が1783に到達します。これは特にキリの良い数値ではありませんが、これにより目標としている1800記事まで、残りあと17記事となり、また、それを、来る6月22日までの日数とで勘案してみますと、特に無理することなく、達成可能であるように思われてきます。

また、ここ最近は、目標への到達が、ある程度見通せるようになってきた反動であるのか、一記事作成する際に感じる「圧」のようなものが強くなっているように感じられ、とりわけ、書籍からの引用記事でなく、当記事のような自身のオリジナル記事の作成時には、何となく肩が重くなってくるといった感じがあります。しかし、そうであっても目標への到達の為には、新たな記事を作成・投稿し続けなければなりません。

そこから、当記事においては、まさに、そうした事情を題材としようと思い立ち、先ほどから記事作成を開始したわけですが、思いのほかに、ここまでは比較的スムーズに作成出来ているようにも感じられます。

さて、以前にも述べたことがありますが、ブログ記事の作成においては、その出だしが重要であり、そこでの文章の展開が、ある程度スムーズに進めば、その記事作成は、少なくとも失敗ではなかったと云えると考えています。

その意味において、当記事もこの程度まで書き進めることが出来たのであれば、とりあえずは及第であると云え、また折角であるのだから、この先の文章に関しては、さきに述べました新たな記事作成を困難にする「圧」のようなものを、どのようすれば、軽減あるいは除去出来るのかと検討していこうと思います。

しかし、こうした公表を前提とする文章を作成する際に感じる「圧」のようなものは、これまでブログ記事の作成を続ける中で度々、感じて来たことではありますが、以前の私はそうした「圧」をあまり感じることなく目標到達が出来る様、敢えて目標を、もう少しだけ先に設定していたようです。

去る2018年の5月今時分に1000記事に到達していましたが、そこでは目標を、ブログ開始丸3年となる同年6月22日迄の継続に置き、1000記事への到達については、そこまでの感興はないといったことを述べていましたが、現在になり、その到達時の態度を眺めてみますと「よく器用にそうしたモチベーションを保持出来ていたものだ」と少し驚かされます・・。

現在の私は、そこまでの気概のようなものは乏しいと云え、しかしまた、そうしたものは、いずれ自然に内面から湧いてくるものとも思いつつ、どうにか続けている次第と云えますが、そうしたことを述べていますと、いつのまにか文量は、ある程度にまで至っておりました・・。いずれにせよ、作成を始めてしばらく経ってきますと、次第に文章作成に集中してくるようであり、そこから、やはり「とにかく始めてみること」が重要であると、思い知らされるのですが、今回に関しても、冒頭にて述べた記事作成時の際の「圧」から始まり、この程度まで文章を連ねることが出来たことは、少なくとも、そこまで疲れて、意気消沈していないとは云えることから、今後も、来る6月22日のブログ開始丸7年迄は、たとえ1800記事を少し超えることになろうとも、記事作成を続けたいと考えています。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部


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2022年5月21日土曜日

20220521 岩波書店刊 近藤義郎著 「前方後円墳の時代」pp.150‐153より抜粋

岩波書店刊 近藤義郎著 「前方後円墳の時代」
pp.150‐153より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003812824
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003812822

この奈良盆地の諸集落のすべてが、かつての盆地内の二、三の前期初頭集落からの分岐集団であったか、あるいはその一部は周辺地域からの移住によるものであったかは、必ずしも明らかでないが、中・後期の土器は共通の大和としての地域色をそなえているといわれるので、集団移住が中南河内など盆地外からもおこなわれたとしても、親縁な部族的結合にあった氏族からのそれであろう。すなわち盆地内諸集団のほとんどは、かつての少数の集団が示す氏族から分岐したものか、あるいは部族的結合にあった中南河内の諸集団などの分岐・移住がそれに加わったかのいずれかであろう。その分岐の過程で部族もまた分岐し、それぞれのうちにいくつかの氏族を包括していったと考えられる。これをさらに広く畿内全般について推していくと、摂津・北河内・山城を含む北部畿内と、中南河内・和泉・大和から成る南部畿内との関係、その共通性と相違性は、この地方における弥生社会誕生の時点において存在あるいは形成されていた、南北二者の部族あるいは部族群が、その後の農業生産の発達➡人口増大➡集団分岐をへて形成されていったものであり、全体として畿内的共通性をもつとともに、北と南の違い、さらに各々における小地域の特色を現象させたということになる。

 銅鐸に示される共同体祭祀の範囲については、その機能とともになお不明な点が多いが、その実際の保有主体は部族内の特定氏族にあったとしても、その祭祀はこのようにして形成された部族を単位としておこなわれたものと思われる。田中琢は、銅鐸祭祀集団の範囲を大和・河内・和泉において指摘し、その集団範囲の不均等性を農業生産力の差に基づく集団差に帰している。この指摘を参考にして紀伊中部の銅鐸出土を検討してみると、山または海に画され、小河川が貫流する狭小な平野を単位に、二ないし四の銅鐸出土が知られている。これらの狭小な地域は、のちに前方後円墳が築造されなかったほどの地域であることが多いが、それらの地域における銅鐸出土地点の分散傾向は、各地域が一個の氏族というより、いくつかの氏族から成っていたことを想定させる。同じことは、徳島県における銅鐸分布状況からも想像できる。しかしすべての氏族がこれを保有していたわけでないらしいことは、畿内の銅鐸発見状況から推定できるのであって、部族内の特定氏族による保有ないし保管の下にあったと考えてよいであろう。

20220520 当ブログを始めた一つの契機について思い出したこと

以前にも何度か当ブログにて述べたことではありますが、ある程度の期間、(どうにか)ブログ記事の作成を継続していますと、不思議なことに、時折、世の中で生じている出来事と、私の作成したブログ記事との内容が、何かしら関連しているように感じられることがあります。

また、このことを文章とする際に想起されたのが、2012年の公開作品「桐島、部活やめるってよ」のラストシーン近く、スポーツ万能でイケメンの同級生から「何で映画を撮るの?」と聞かれ、オタクキャラで映画部員の高校生が「時々、自分たちが作っている映画と、好きな映画とが、どこかでつながっていると感じることがあるんだ。」と返事をするシーンであり、果たして、このシーンと、冒頭の私の経験との間に、ある程度、普遍的に通じるものがあるのかと考えてみますと、その科学的な証明は困難であると思われるものの、他方で、感覚的には「全くないとは云い切れない。」といった感じをも受けます・・。

そして、この映画作品「桐島、部活やめるってよ」が思い出されますと、それに次いで、DVD化された当作品を観た頃の記憶が想起されてきますが、それは鹿児島在住の最後の時期であり、また、精神的に滅入っていた時期でもあります・・。しかし、そうした時期であっても、週末の天文館から宇宿までの散歩は行い、また、しばしば映画作品をDVDでレンタルして視聴していました。それでも、あの時期に、そうした「気晴らし」のようなものがなければ、おそらく更に大変であったのではないかとも思われます・・。

ともあれ、この「桐島、部活やめるってよ」は、滅入っていた当時の私に何故だか響いたようで、これを観て以来、また徐々に色々と動くようになり、そして、どうにか学位審査にまで辿り着く出来ました・・。いや、しかし、この滅入っていた時期のことを思い出しますと、それ以外にも思い出される出来事がいくつかあり、具体的なそれらは、2012年の秋から2013年の春くらいまでの期間でのことであり、また、そのうちの一つは、当時の自分としては、それなりに衝撃的な出来事であったのですが、しかし、ここまで文章を連ねてきて、あらためて思い出されたことは、これまで(どうにか)継続している当ブログの出発点の一つは、この出来事にあったのではないかということです・・。

そう、去る2015年頃に相次いで周囲の方々から「何か書いてみてはどうか?」と勧められても、何かしらの文章を作成するためには「どこに対して書くか」といった、いわば、文章作成の「視座」が前提として必要であると云えますが、私の場合、その「視座」となるものの原型が見出されたのが、さきに述べた衝撃的な出来事からであると云えるのですが、しかし同時に、そうした出来事とは、客体化した文章として著すのが著しく困難であるように思われるのです。とはいえ、ここまで文章として作成することが出来たこともまた、以前と比べますと、それなりの進歩ではあると云えることから、今後もまた、機会を見つけては、これを主題としてブログ記事の作成を行いたいと思います。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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2022年5月17日火曜日

20220517 岩波書店刊行 ロバート・ウェストール著 金原瑞人訳 宮崎駿編+タインマスへの旅 「ブラッカムの爆撃機ーチャス・マッギルの幽霊/ぼくを作ったもの」pp.196‐199より抜粋

岩波書店刊行 ロバート・ウェストール著 金原瑞人訳 宮崎駿編+タインマスへの旅
「ブラッカムの爆撃機ーチャス・マッギルの幽霊/ぼくを作ったもの」
pp.196‐199より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4000246321
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4000246323

ぼくは気が遠くなった。母はよく、ぼくが生まれた夜のことを話してくれたけれど(大変な難産で、母はあやうく命を落とすところだったらしい)、それだって十分に不思議な気がした。それなのに、父が生まれた晩だなんて・・・そんな昔のこと、信じろといわれても、まるでファラオがピラミッドを造らせていたときの話みたいな気がしてしょうがなかった。

 気がつくと、ぼくたちはすっかりうち解けていた。どのがらくたにも物語があった。死者があった。死者がよみがえって、ふたたび歩き出した。大戦で活躍したジェリコ提督、アフリカ中部のハルツームで活躍したキッチナー伯爵・・・ドイツ帝国最後の皇帝ウィルヘルム、喜劇女優のマリー・ロイド、大戦のときの首相ロイド・ジョージ、連続殺人事件の切り裂きジャック・・。次から次に、祖父の口からよみがえってきた。ノースシールズで最初に映画を映した映写機からも、こんなふうにいろんなものが現れてきたんだろうか。

 ただ一度だけ、祖父は口をつぐんだ。さやに入った大きなナイフの番がきたときだ。祖父はナイフを手に取ると、押し黙ったまま、それを箱の中にもどした。ぼくにもぴんときた。オーストリア兵を突き殺した銃剣だったんだ。祖父の顔が青ざめ、遠くをみるよな目になった。銃剣が憎くてたまらないけど、捨てることもできない。あの帽章もそうなんだろう。

「塹壕で何をしてたの?戦いじゃないとき」

「よくきいてくれたな」祖父は錆だらけの鉄のヘルメットを取り出した。「てっぺんに小さな穴が開いているだろう?」

「弾の跡?」

祖父が笑った。本当に笑ったんだ。

「いやいや、ねじ穴だ。そこのねじを抜いて、裏から釘を突っこんで、ろうそくを差す。そして火をつけて、その光の下でトランプをやるんだ。ほら、溶けたろうがいまでも少し残っている。わしはトランプがうまかった。そうそう、手札三枚でやるブラッグというゲームがあって、これはすぐに勝負がつくから、途中で戦闘が始まっても困らない。わしは連戦連勝、大もうけだった。仲間はおおぜい、いまでもわしに借りがある。が、みんな死んでしまった。それで、代わりに連中の持ち物をちょっといただいておいたんだ。形見ってやつだな。ほら」祖父は手をのばして、流しの上から洗面用具を取った。

「こいつはゲリー・ヘンリーのひげそりブラシ、こいつはマニー・ウェバーの洗面器、こいつはトミー・モールボンの鏡。どいつもこいつも、いいやつばかりだった」

 それからふたりとも黙りこんでしまった。けど、ちっとも気にならなくなった。ぼくにもよくわかっていた。いまこの沈黙の中にだれがいるのか。そう、どいつもこいつも、いいやつばかりだ。

 先に口を開いたのは祖父だった。「わしが子どもの頃に、シールズではやったジョークがあった。こんなやつだ。

青年は燃える甲板の上

足はひどい火ぶくれだ

親父はガスリーの酒場のなか

ひげはビールでびしょぬれだ。

わしらは、しょっちゅう口にした。そう、戦場でな。そしてしょっちゅう笑い転げていた」祖父は笑った。ぼくも笑った。仲間と笑うっていいものなんだな、そんな気がした。

 父と母が病院からもどってきたときには、その晩の出来事はもうお開きになっていた。ぼくはぼろ切れを細かく裂いて編んだ敷物の上で、いろんなものを、ああでもない、こうでもないと、大切に並べていたし、祖父は椅子でかすかな寝息を立てていた。

 だけど、祖父はしっかり種をまいていった。あらゆるものには物語があるし、あらゆるもののあらゆる傷にも物語がある。祖父はぼくにそれを教えてくれた。一週間もしないうちに、ぼくは町中の古道具屋をのぞきこむようになっていた。なかでも寒そうに手をすり合わせているみすぼらしい小柄なおじさんたちが、あらゆる不思議な物語をしっている「時の支配者」のように思えた。

 そのあとは博物館めぐり。いま、ぼくがすわっているのも博物館の中だ。

 あのころは、30年前の蛇口の傷をみてわくわくしていた。そしていまは、4000年前のファラオの顔の傷をみてわくわくしている。ぼくの冒険はいつも時をさかのぼっていく。世の中はいつも先へ先へと進んで、麻薬だの暴力だの賭け事だのにおぼれていく。ぼくは昔へ昔へとさかのぼって、本当に自由になれるところまでいく。

 祖父はずいぶんまえに、かつての兵隊仲間のところへいってしまったが、いまでもぼくといっしょにいる。書き物をする机の上には祖父の写真が置いてある。ソンム川で毒ガスにやられる前のものだ。祖母がいっていた。結婚した頃のおじいちゃんは、澄んだ青い目がすてきでね、シールズ一の美男子だったんだよ。写真の祖父は、いまのぼくよりずっと若い。

 年々、ぼくは記憶にある祖父に似てくるようだ。思いきり濃い眉、小鼻のあたりにむかって伸びているもみあげ。笑うと、祖父の笑い声が聞こえてくる。ぼくも時々、朝ぜいぜいいっていることがある。ソンム川の戦いで毒ガスにやられたわけじゃないけれど。

 時は流れる。それもあらゆる方向へ。そう、祖父がぼくを作ったんだ。

20220516 現在の東欧での戦争への興味関心の経緯から思ったこと

やはり、ここ最近は寝不足であったと見えて、昨夜は比較的長く睡眠時間をとったためか、本日は普段に比べ、少し調子が良かったように感じられます。他方で、当ブログの方は、もう数記事作成することにより、1780記事に到達します。また、来る6月22日の当ブログ開始から丸7年となる日までに、さらにあと20数記事作成すれば、当面の目標としている1800記事にも到達することができますので、現時点にて多少の余裕はあっても、今後も記事を作成出来る時は作成していこうと思います。

さて、最近不図、気が付いたことになりますが、去る2月末、東欧にて勃発した戦争は現在に至るまで続き、また今後も、予断を許さない状況がしばらく続くと思われますが、この戦争について、私は開戦前の何時頃から「これは戦争になるのでは・・?」と考えていたのかと思い返したところ、昨年7月後半に、ロシアの軍事戦略について扱った新書を購入し、それまで、ほぼ白紙状態であったと云える当分野での書籍を読んでいました。

これは、それまでの私ではあまりない書籍の選択であったと云える為、その背景には、何かしら、その著作を手に取り購入に至るまでの過程に「特異」な点があったものと思われますが、それについては、興味深い動画チャンネルの視聴があったことが思い出されました。

しかし、こうした動画サイト内チャンネルの動画内容に興味を持ち、そこで紹介されていた新書を購入し、その内容が、後の開戦と報道によって世界規模で明らかになったり、あるいはまた、更なる検証の必要性が生じたりしたということは、自分としては、なかなか新鮮且つ印象的な出来事であり、くわえてそれは、真剣な当事者意識とまでは行かないものの、内発的な興味関心を維持するには十分なものであり、そうした事情から、去る2月末の侵攻開始から現在に至るまで動画サイトにて海外テレビ局の報道動画を視聴するようになりましたが、これにも大変興味深いものがあり、視聴し始めの頃は、殆ど意味が分かりませんでしたが、しばらくしますと、断片的に意味が分かるようになり、あるいは概ね意味が分かるということも度々生じるようになりました。とはいえ、かつて博士課程院生の頃は、勉強の為に英語のオーディオブックを始終流しつつ実験をしていましたので、こうした経験自体は初めてではありませんが、しかし、久しぶりに経験してみますと、やはり新鮮なものであり、また、同時に空白の期間があり、慣れない行為となってしまったことにより、多少頭が疲れますが、こちらもブログと同様、もうしばらく継続してみようと考えています。

ともあれ、この東欧での戦争について、私は昨年夏頃より、不穏な情勢は何となく認識していたと云え、またそれは実際に時の経過と共に増大し、夏が過ぎ、秋も過ぎ、初冬の同年12月8日に江東区の書店兼喫茶店にて開催された退役自衛官(予備一等陸佐)であり現軍事研究家の方によるトークショーに参加させて頂いた際、最後の質問の時間にて、私がロシアによるウクライナ侵攻の可能性について質問させて頂いたところ、当軍事研究家の方は「さあ、明確なことはまだ分かりませんが、しかし、この恒例のロシア軍を主としたウクライナ国境付近での大軍事演習のためと称して、これまでにないほどの地上兵力が動員されていると云うことは既に周知の事実であり、また、この動員規模から考えますと、やはり、何かが起きるということは覚悟しておいた方が良いのではないかと考えています・・。」といった返答をされましたが、これは少なくとも間違いではなく、また同時に詭弁的な返答でもなかったと云えます。

私も含めて誰もが、未来に生じる出来事を予見することは困難と云えますが、しかし同時に、そのある程度の方向性の範囲などについては、ネット上での動画の視聴や読書などを通じて知覚することが出来るのではないかとも思われました。そしてまた、それが民俗学者の柳田國男が述べていた「予言力」に通じるものであるようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2022年5月15日日曜日

20220514 不活性状態を脱するための一つの手段としてのブログ・・

本日は、変則的に予め少し寝てから、ブログ記事の作成に取組みます。以前には、こうした試みをごく普通に行ってきましたが、ここ最近は、あまりそうしたことを行わなくなりました。これは、2020年からのコロナ禍により求められたこともあり、積極的に外に向い、何かしら活動をしようという性質が弱くなってしまったからであるとも思われますが、しかし、これは私自身に限らず、我が国の社会が、全体的に、そのような方向に進んでいるようにも感じられます。

とはいえ、やはり、それは、あまり良い変化ではないと思われますので、このコロナ禍が以前よりも深刻なものとして考えられなくなりつつある現在においては、そうした、いわば不活性となってしまった状態を脱するべく、また何かしら動き始めた方が良いものと考えています。

しかしまた、そのように考えてみますと、私の場合、2013年からは、生きるために、それまであまり経験しなかった不慣れなことをすることが多く、おそらく、それらの活動は、経験としては悪いものではなかったのだと思われますが、しかし同時に、自分としては、必要性に迫られたいわば外発的なものであり、そして、その意味で、多少過活動気味であったのではないかとも思われるのです・・。

あるいはまた、ある程度の年齢となり、それまで経験がなかった業界、分野などで活動することを求められることは、私にっては多少荷が重く、それが、このコロナ禍で活動の自粛を求められたことにより、それまでに無理をしてきたものが「自粛への適応」というカタチで現れたとも云えるのかもしれません・・。

視点を変えますと、そうした変化は「自粛への適応」よりも、端的に「不活性化」してしまったと思われ、また、私の自覚としても、以前はそれなりに活動していたという自覚があることから、これは外的な要因(コロナ禍による自粛の要求)によるものであったとしても相対的に「不活性化」してしまったことは間違いではないように思われます。

また、この「不活性化」のさらに深いところには、さきに述べた、それまでの反動や、いくつかの挫折といった要因があるのではないかと思われますが、私の場合、これまでの人生で挫折はいくつもあり、また、それらはどうにか乗り越えてきたと自覚はしていますが、今回のものに関しては、多少深刻であると云え、また、そうした事態をどうにか客体化し、乗り越えるためにも、当ブログは大変有効な手段であると考えています。

2015年に当ブログを始めた時点においては、そのようなことは全く考えていませんでしたが、最近になり思うことは、これまでの期間において、いくつかの挫折があり、またそれ以前から抱えてきた葛藤などを、このブログにて、カタチを変えて発信し続けてきたことから、どうにか私は生きてこれたのではないかということです。

あるいは約言しますと、そうした、いわば、自分との折り合いが付いていない状態を抱えたままで生きるためには、こうしたある種の工夫のようなものが必要であるのかもしれません・・。

しかしまた、世間一般においては、そのような個人の内面とも云えることは、あまり考慮されないと思われますので、ここでは世間からのプレッシャーなどを勝手に想定して焦ったりせずに、当ブログを続け、そしてまた過活動にならない程度に徐々に再活性化を図りたいと思います。挫折や何かしらの空虚感による過活動の後には、やはり虚脱のような状態が生じるというのは間違っていないと思いますし、あるいはまた、ここまで作成していて思ったことは、それは戦後から現在にまで至るまでの我が国にもまた、そうした見方が出来るのではないかと云うことですが、さて、如何でしょうか?

*少し寝てからのブログ記事作成もまた(記事の出来、不出来は別として)、悪くはないことがここで再発見されました。機会があればまた行いたいと思います。

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
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