とはいえ、やはり、それは、あまり良い変化ではないと思われますので、このコロナ禍が以前よりも深刻なものとして考えられなくなりつつある現在においては、そうした、いわば不活性となってしまった状態を脱するべく、また何かしら動き始めた方が良いものと考えています。
しかしまた、そのように考えてみますと、私の場合、2013年からは、生きるために、それまであまり経験しなかった不慣れなことをすることが多く、おそらく、それらの活動は、経験としては悪いものではなかったのだと思われますが、しかし同時に、自分としては、必要性に迫られたいわば外発的なものであり、そして、その意味で、多少過活動気味であったのではないかとも思われるのです・・。
あるいはまた、ある程度の年齢となり、それまで経験がなかった業界、分野などで活動することを求められることは、私にっては多少荷が重く、それが、このコロナ禍で活動の自粛を求められたことにより、それまでに無理をしてきたものが「自粛への適応」というカタチで現れたとも云えるのかもしれません・・。
視点を変えますと、そうした変化は「自粛への適応」よりも、端的に「不活性化」してしまったと思われ、また、私の自覚としても、以前はそれなりに活動していたという自覚があることから、これは外的な要因(コロナ禍による自粛の要求)によるものであったとしても相対的に「不活性化」してしまったことは間違いではないように思われます。
また、この「不活性化」のさらに深いところには、さきに述べた、それまでの反動や、いくつかの挫折といった要因があるのではないかと思われますが、私の場合、これまでの人生で挫折はいくつもあり、また、それらはどうにか乗り越えてきたと自覚はしていますが、今回のものに関しては、多少深刻であると云え、また、そうした事態をどうにか客体化し、乗り越えるためにも、当ブログは大変有効な手段であると考えています。
2015年に当ブログを始めた時点においては、そのようなことは全く考えていませんでしたが、最近になり思うことは、これまでの期間において、いくつかの挫折があり、またそれ以前から抱えてきた葛藤などを、このブログにて、カタチを変えて発信し続けてきたことから、どうにか私は生きてこれたのではないかということです。
あるいは約言しますと、そうした、いわば、自分との折り合いが付いていない状態を抱えたままで生きるためには、こうしたある種の工夫のようなものが必要であるのかもしれません・・。
しかしまた、世間一般においては、そのような個人の内面とも云えることは、あまり考慮されないと思われますので、ここでは世間からのプレッシャーなどを勝手に想定して焦ったりせずに、当ブログを続け、そしてまた過活動にならない程度に徐々に再活性化を図りたいと思います。挫折や何かしらの空虚感による過活動の後には、やはり虚脱のような状態が生じるというのは間違っていないと思いますし、あるいはまた、ここまで作成していて思ったことは、それは戦後から現在にまで至るまでの我が国にもまた、そうした見方が出来るのではないかと云うことですが、さて、如何でしょうか?
*少し寝てからのブログ記事作成もまた(記事の出来、不出来は別として)、悪くはないことがここで再発見されました。機会があればまた行いたいと思います。
ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5
*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。
連絡先につきましては以下の通りとなっています。
メールアドレス: clinic@tsuruki.org
電話番号:047-334-0030
どうぞよろしくお願い申し上げます。
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