2021年12月6日月曜日

20211206【架空の話】・其の71 【モザイクのピースとなるもの】

K大学大学院博士課程に進んで2年目、いくつかの学会にて発表も行い、また、海外発表も経験した頃のある日、S教授に呼ばれ「来週から君の出身校であるK医専大の口腔保健工学科の実習補助に行ってくれんか?」と云われた。その頃は丁度実験も落ち着き、また、既に大分シフトを減らしていた病院での夜間警備員のアルバイトも辞めていた頃でもあったことから、特に断る理由もなく・・否、より本心に沿ったその時の心情は「大変貴重な経験になる」と喜んでいた。

さらに、これは医専大から非常勤講師のアルバイト代も入るとのことで、当時の私としては貴重な経験であると同時に、経済的にも、かなりありがたいものであった・・。

そして翌週の当日、実習は午後からとのことで午前中はK大学の方に顔を出し、次の実験に用いる試料検討のための作業や予備実験などと併行して、渡されていた実習資料に目を通していたが、その内容は、私が在学時に用いたものと殆ど変わりがなかった。

やがて昼近くなり、少し早めに出ようと荷物をまとめ、S教授の研究室に出発の旨を伝えに行った。すると教授は「おお、まあ頑張ってこい!それと火には気い付けいよ、今日の実習ではあの金型にワックス・アップして鋳造するあれがあるからな。」とのことであり、そして最後に「あっちの先生方によろしく伝えてくれい!」と宣っておられた。

医専大へは原付で行ったが、多少到着が早く、大学入口は、昼食のために出入りする学生さん達で混み合っていた。医専大には学生全員を収容できるほどの学食はなく、多くの学生さんは昼食時に、学外の近くにあるK大学の学食や、その周辺にある学生向けの食堂、そして、すぐ近くの*クドナルドなどを利用していた。

ともあれ、その出入りが丁度はげしい頃、私は原付を駐輪場に停めて建物内に入り、二階にある事務室に出勤を伝えると、私が在学していた頃からの方が出てきて「ああ、**君、いや、今日からは**先生だね。ええと、それじゃあ、先ずはお願いしていた非常勤講師関係の提出書類一式をお願いします。ええと、それと・・」と云って青色のストラップが着いたカードホルダーをこちらに手渡し「学内では一応、それを着けておいてください。」と云われた。もとより卒業生である私は、それが「非常勤講師」と記載があるカードが収められていることは知っていたが、今に至るまで自分がそれを着けることになるとは考えていなかった・・。

さらに事務の方から「それと3階の非常勤講師室は看護学科の非常勤講師の先生方が使っているから**君・・いや先生は、口腔保健工学科の研究室で待機していてください」と云われた。私は捺印、記名した必要書類一式と共に、歯科技工士免許証の写しと、何故か求められた修士の学位記の写しも提出して研究室に向かった。

研究室に至るまでの廊下で、実習室の前を通ると、既に電気炉が高温になっていることが分かった。少し前までは、まさに、この実習室で、さまざまな合金の鋳造を行っていたのだが、現在、その前を通ると、不思議なことに感慨のようなものは皆無であり、ただ電気炉内温度を示すデジタルインジケータ―を読み、それにより、その電気炉にて用いる埋没材の種類を判別しようとしたのだが、そうすると途中で、私が経験した同実習の記憶が甦り「ああ、以前私が受けた時と同じ配置の電気炉の設定だ・・そうすると遠心鋳造機とバーナーの並びもあの時と同じかな・・」と、さらにその並びを眺めると、果たしてそうであった。

口腔保健工学科の教員室は、これまでに何度も訪問したことがあるが、それらは悉く学生としてであり、今回のような微妙な立場では一体どのようにすれば良いのか多少躊躇したものの、以前の習慣通り、ドアをノックして「すいません、K大学大学院の**と申します。本日は口腔保健工学科の実習補助として参りましたが入ってよろしいでしょうか?」と意識して少し大きい声で云うと「おお!入って入って。」と私の編入試験時に面接をされていた細身長身のH先生の声が返ってきた。

このH先生は地元の私立進学校からK大学歯学部に入学された方であり、色々とよく分からない才能があったが、特に顕著であったのは、英語がそこまで堪能というわけでもないものの、英語以外を母国語とする、さまざまな国の人々とも、割と精確なコミュニケーションを取れることであり、傍でそれを見聞きしていると、いかにも普通に見えるのだが、あとでよく考えてみると「何故あんなことが出来るのだろう?」と思うような感じであった。

水木しげるが、ある妖怪について同じ主旨の見解を述べていたことが思い出されるが、たしかにこのH先生には、そういったよく分からない才能があった・・。くわえて、のちに、このH先生は海外の大学に留学されることになり、その時には私も少し影響が及んだと云えるのだが、それについはまた別の機会に述べたいと思う。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
順天堂大学保健医療学部

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2021年12月5日日曜日

20211204【架空の話】・其の70 【モザイクのピースとなるもの】

大抵の医科系学科の実習時には、白衣やケーシーやスクラブを着用するが、医専大の口腔保健工学科すなわち歯科技工士養成課程では、実習時に薄青色の一般的な白衣状のものを制服のように着用していた。

これは特にカッコ良いと思えるものではなかったが「そのようなものであろう」と、特に気にしたことはなかった。しかし、医専大在学の最後の頃、すなわち歯科技工士国家試験においては、実技試験として90分以内での上下顎総義歯の人工歯排列および削合があり、その際には皆、この「制服」を着用して臨み、それは実技試験会場に集まっていた九州地域内各校においても同様であり、そこで、歯科技工学科全般において、特に統一して定められた「制服」のようなものはないことを知った・・。

さて、現今、Kでの歯科技工士養成校は医専大のみであるが、以前は地域の歯科医師会立の専門学校が天文館にあったと聞いている。これは、以前に少し触れた国策による大幅な医療介護系職種増員計画によって、各地域に専門職大学が新設される際、同専門学校の歯科衛生士学科と共に、新設の専門職大学に吸収された。歯科衛生士養成校については、以前は地域内にさきの歯科医師会立を含めて3校存在していたが、それらもまとめて専門職大学に一括吸収された。

そうした経緯もあり、当初の口腔保健学科(歯科衛生士養成課程)の入学定員は40名であったが、年を経る毎に増員し、私がK大学大学院に進んだ頃は55名となり、さらに私がD2になった頃は65名となっており、さらに同時期にはK大学歯学部にも口腔保健学科新設の噂があり、実際、研究棟のあまり使われていない最上階に口腔保健学科を置くという提案が学内で出されたとのことであったが、その後の進展等ついては、現在に至るまで耳にしたことがない。

また、北隣の熊本県における歯科衛生士養成校の事情はKよりもさらに込み入っていた。それは、かねてより口腔保健学科が設置されていた県北部の医療系大学では当初、入学定員が50名であったのが、これまた年を経る毎に増員し、さきに述べた、私がD2になった頃は80名となっていた。さらにK同様、専門職大学も熊本市内に新設されていたが、こちらもK同様、県内複数の歯科衛生士専門学校を統廃合、吸収したものであったのだが、この新設専門職大学が、さきに述べた古株の医療系大学とが何かと競い合うようになり、その定員も当初の40人から増加し、古株の医療系大学での学科定員が80名になった頃には70名となっていた。

また、以前の口腔保健学科は、そこまで人気のある学科ではなかったが、近年の社会全体の高齢化により、口腔機能の重要性が医療分野全体から見直されるようになり、くわえて、歯科衛生士が臨床現場のみならず、さまざまな研究、あるいは企業活動分野などにおいて専門家として参画するようになってくると、自然、社会での認知度も高まり、さらに、昨今は管理栄養士とのダブル・ライセンスの方も増えてきているとも聞き及んでいる。これは、高齢化という社会全体の潮流としては決して好ましいものとは云えないが、ともあれ、そうした情勢の後押しを受け、これまで、あまり陽の目を見ることがなかった地味とも云える歯科衛生士をはじめとする医療介護系職種全般(歯科技工士を除く)の人気が高まったのだと云える。他方で、人文社会科学系の法律や会計などの専門職系以外の学科は、軒並み人気が著しく下がり、また、人文社会科学系を主軸とした小規模大学の学生募集停止や閉校のハナシは度々聞いた。

おそらく、その背後にはインターネットをはじめとする情報通信技術の、ここ30年ほどでの大幅な進歩があると思われるが、それを受けて、最後のアナログとも云える人体を扱う医療系分野の人気が上がってきたということは、我が国の性質の一面を端的に示しているのではないかと思われた。

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2021年12月4日土曜日

20211203【架空の話】・其の69 【モザイクのピースとなるもの】

以前にも述べたようなS教授の性格もあってか、研究室には企業、開業医など、さまざまな方々の訪問があった。また、複数の開業歯科医師、歯科技工所などとも並行して共同研究を行っており、そこでの試料作成や実験データの作成などが、下請けのように、大学院入りたての私のところに来たが、こうしたことについては、研究室の他の先生方や医専大勤務のE先生などが丁寧に教えてくださり、また、そのおかげもあって、さまざまな機器・分析機器の使用方法も習得することが出来た。

医専大時代からお世話になっているE先生は、週に一回はこちらにも顔を出すことから、私と顔を会わせることは度々あり、夕刻過ぎに帰る時などは、よく私を食事に誘ってくださった。その態度は、医専大の頃よりも打ち解けていたが、そこで私の方も打ち解けてしまうのは如何なものかと思い、以前と同様に接していたのだが、この地では案外それで良かったのかもしれない・・。

E先生はK市内に御実家があるものの、勤務先である医専大の近隣にアパートを借りて一人暮らしをされていた。そうした経緯もあり、外での夕食が多かったものと思われるが、私としては、E先生との夕食によって研究室や地域のさまざまな事情を知ることが出来、また、懐かしい東京の話題で盛り上がることも出来たことから、これは大変ありがたかったと云えよう。

E先生と行ったのは大抵、外食チェーン店であったが、とりわけハンバーガーの*クドナルドをE先生は好み、かつて私が医専大の学士編入試験の際に立ち寄った医専大近くの店舗には度々足を運んだ。また、そうした折の会話にて、E先生は「いや、本当は「て*や」の天丼が食べたいのだが、あれは九州では福岡まで行かないとないんだよなあ・・」と宣っておられたが、たしかに、その当時、ここKには「て*や」はなかったことから、私も「ああ、そうですね。あそこの夏限定のたれ付けした穴子の天ぷらがのった天丼がまた食べたいですね・・。」と返答したところ、E先生はフライド・ポテトをケチャップに浸けつつ頷いておられた。

また、この*クドナルドでは、私が初めての海外での学会発表前の予演をE先生に深夜に聴いて頂いた時のことが印象深い、この時、E先生は、横に赤の三本線が入った青いナイロンパンツの上にスウェットパーカを着用して髪の毛はボサボサであり、なんとなく映画「ファイト・クラブ」の登場人物を彷彿とさせた。

深夜ではあったものの、周囲にはK大学の学生さんらしい方々が散見され、こちらも見た目としてはそこまで変わりはないことから、特に浮いてはいなかったと思われる。しかし、二度目の予演を終えて、その講評を聞いていると不図、店の入り口を見たE先生が突然、パーカのフードを被り、私の方に小声で「・・今、店に入ってきたのは、うちの看護学科のR先生だ・・。あの人は高校時代の同級生でもあるんだけれど、ここで、こんな時間に、この格好で遭うのはちょっと・・」と云って、入って来たR先生に顔を見られないように座席を移動してから「じゃあ、大体は大丈夫だと思うから、それと、あのスライド7枚目のフィグを説明するところをもう少し強調した方が良いと思うよ・・。」と言い残し、既に席に着いていたR先生に気が付かれないようにパーカのフードを被ったまま、まさに脱兎の如く店から出て行ったことがあったが、おそらく、そこには、何らかの事情があったのだと思われる・・。

そういえば、この医専大については、その後、私もS教授からの依頼で実習補助に出向くことになったのだが、そのことについては、また、別の機会に記してみたいと思う。

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2021年12月3日金曜日

20211202【架空の話】・其の68 【モザイクのピースとなるもの】

学士編入を経て入学した医専大を卒業後、K大学 大学院 医歯学総合研究科 歯科生体材料学専攻の博士課程に進んだたわけであるが、この際に実家との間で一悶着があり、これは当地にて開業医をされている遠い親戚にあたる***先生の仲介と説得により、どうにか了解を得て進学することが出来た。

そういえば***先生のところへは、医専大在学中から定期的に足を運び、また、天文館にある行きつけのお店から電話をかけてこられて呼び出されることも時々あったが、おそらくは当時、息子さんが北九州の方にある医科大学に進学しており忙しく、なかなか帰郷出来ないことから、手軽な若い話し相手として、私を呼んでいたのではないかと思われる。ともあれ、私としては、そのおかげで多少、天文館界隈には詳しくなり、後に研究室の打ち上げ
(飲み(ん)方)などのセッティングを任された時などには、この経験が役立ったものと云える。

しかし、当初の頃はやはり、慣れていない夜の歓楽街は「おっかなびっくり」であり、特に夏の夜の文化通りの風情には、ある種の妖しい異文化、異国情緒のようなものすら感じられた。

***先生の行きつけのお店は天文館にいくつかあったが、どれも、席数は20に満たない小規模な個人経営のものであったが、同時に落ち着いた雰囲気であり、客層も比較的良かったのではないかと思われる。

また、私が呼び出しを受けるのは大抵週末であり、特に喫緊の用事がない場合は、出来るだけ行くようにしていたが、その際は市電を用いず、原付で県道20号線まで出て、そこから北上して紫原団地入口のところで左方向に入り、またしばらく進むと、天文館周辺へと至るルートを用いて行っていた。

帰路は大抵の場合、少しではあっても飲酒を伴っていたことから、原付は駐輪場に置いたままにして(お店によっては駐輪スペースもあったが)先生がお願いした運転代行サービスの自動車に同乗し、宇宿の自宅アパートまで送って頂いていたが、この降車の際、私が財布を取り出し、その代金の折半を申し出ると、酔って多少陽気になっていた***先生は、大仰な様子で、財布を出そうとする私の手を押し留めようとするのであった・・。こうしたやり取りはその後も何度かあり、さらに、K大院の研究室での打ち上げ(飲み(ん)方)後の帰路、同じ方面の方々でまとめてタクシーに同乗した際、一人が何処かで降車する際にも、こうした酔った上での陽気なやりとりが繰り広げられ、長い時には、それで数分経過することもあったが、あれはあれで面白く、また、その際に不図、車内ミラー越しに運転手さんの顔を覗いてみると、俯きつつも笑いを堪えているといった様子であったことが思い出される・・。そしてハナシは戻り、その時の様子は、さきの***先生とよく似ていると思われたことから、あるいは、こうしたところからも、地域性の一面のようなものは看取することが出来るのかもしれない・・。

ともあれ、斯様な経緯にて原付を天文館に駐車することになると、その翌日、大体は夕刻過ぎに市電にて天文館に出向いて原付を取りに行かなければならず、くわえて、打ち上げ(飲み(ん)方)翌日ということもあり頭も体も重く、多少、面倒に感じられたものであった・・。

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2021年12月1日水曜日

20211130 1660記事の到達、昂揚を伴わない精神の励起から【架空の話】の背景にあるものについて・・

本日もまた、若干帰宅が遅くなったことから「無理に記事作成をしなくても良いのでは・・」と考えていましたが、他方、どうしたわけか、ここ最近数日間で「ブログたまに読んでいるよ。」と云われることが何回かありました。これまでに、そうしたことを云われることは極めて少なかったことから、その背景には何かがあるのではないかと思われ、また、そのことを題材とすれば、一記事作成出来るようにも思われて、冒頭の考えをあらため、本日もまた作成することにしました・・。

そういえば、本日の記事投稿により総投稿記事数が1660に達します。それは現在目標としている1700記事まで、あと40記事の投稿を要するということになりますが、現在の投稿頻度にて進めますと、来年の1月中には、どうにか達成出来るのではないかと思われます。

1700記事の到達とは云っても、私が勝手に行っていることであるから、決して褒められることではありませんが、それでも、現在に至るまで6年以上にわたり、ブログ記事の作成を続け、どうにか、ある程度の区切りとなる記事数まで到達出来ることは、ここに至ってはおそらく、あまり大きな感興とはならないものの、やはり「嬉しい」ことであることには違いありません。

いや、あるいは、その「嬉しさ」は、感覚的な昂揚などには結びつくことはないものの、それ以外の内的な要素を励起させるといった作用があるのかもしれません・・。そして、それがあるからこそ、時にはイヤイヤではありながらも、どうにか継続することが出来ているのではないかとも思われます・・。

そこから、これも以前に述べたことがありますが「こうしたブログは記事作成を続けることによって継続することで出来ている」のではないかとも思われるのです・・。

そしてまた記事作成・投稿の頻度を更に上げることにより、一層、精神が励起されるのであれば、また以前のように(ほぼ)毎日1記事の投稿頻度に戻すことにも意味があるようにも思われます。

ともあれ、こうしたブログをある程度まで継続されている方々には何らかの共通する要素といったものはあるのか?また、その中でも、さきに述べた精神が励起されるメカニズムの有無や強弱といったものは、どのようになっているのかが気になるところです。

また、ここまで書いていて不図思ったことですが、以前、我が国では平成17年(2005)に四年制大学での歯科技工士の養成が始まったと述べましたが、そこから順調に進むと2009年に四年制学部卒の歯科技工士が誕生したことになり、その後、さらに修士、博士へと進んだ場合、修士は2011年、そして博士は2014あるいは2015年に、それぞれの課程を修了するのが最短となりますが、ここを私の場合、人文系にて修士課程までを経ていたことから、2013年に博士課程を修了することが出来ました。

そこから思ったのですが、あるいは私は日本で課程博士を修了した最初の歯科技工士であるのかもしれません・・。

とはいえ、これは、たとえ実際にそうであったとしても、たいしたことではないと思われますが、しかし、私自身は半ば無意識ながらも、そのことに拘っていることから、当ブログにて、しばらくの期間投稿した一連の【架空の話】では、その主人公の背景が人文系の修士を修了した歯科技工学科(口腔保健工学)の学生という設定になっているのだと思われます。

また、主人公が、その後、さらに博士課程に進学することも自身の経験と被るのですが、【架空の話】での、その期間の物語の運びについては未だ考えておらず、今後もモザイクのピース状に点々と【架空の話】の作成を続けていこうと考えています。

そして、そこで思い出されたことは、こちらに登場する【架空の】高等教育機関である、国内各地域にそれぞれ複数設置された公設民営の医療専門職大学についての記述がある【架空の話】などでの閲覧者数が、何故か、伸びていたことであり、あるいは「こうした高等教育機関が今後、もっとあっても良いのではないか。」と考えている方々が多いのではないかと希望的観測ながら思われたのですが、さて、実際のところはどうなのでしょうか・・?

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2021年11月30日火曜日

20211129 一昨日の引用記事を巡り思い出されたこと

本日は帰宅が若干遅かったことから、記事作成を止め、早めに休もうと考えていましたが、 一昨日投稿のロバート・グレーヴスによる 「さらば古きものよ」からの引用記事が、思いのほかに多くの方々に読んで頂いていたことから、時刻が多少押しているものの、たとえ多少短いものであっても記事作成をした方が良いと考えをあらため、つい先ほど記事作成を始めました。

この「さらば古きものよ」は、以前にも何度か当ブログにて挙げた前出ロバート・グレーヴスによる作品ですが、これをはじめて読んだのは同著者による「この私クラウディウス」を読み終え、しばらく経った2004年であったと記憶しています。丁度当時は、南紀白浜から東京へ転勤となり、本格的に大学院への進学のための活動を始めた頃であり、出席させて頂いた大学院進学説明会にも持参して移動時に読んでいた記憶があります。移動時とは云っても、電車内のみならず、当時は活字に飢えていたこともあってか、現在の歩きスマホ、あるいは二宮金次郎のように、駅構内での徒歩移動の際にも読んでいました。

また、当著作を読了後またしばらく経ち、再度、和歌山県の今度は和歌山市に住むことになりましたが、この在住時には「この私クラウディウス」そしてロバート・グレーヴスを知るきっかけを与えてくださった文系師匠が何度かこちらまで足を運んでこられました。そして、その滞在中の会話で「さらば古きものよ」も出てきましたが、どうしたわけか師匠はこの作品は名前は知っているものの読んだことはないとのことであり、この時の会話にて当著作に大変興味を持たれたようでした。

それからまたしばらく経ち、私が鹿児島にて(どうにか)学位を取得し、実家に戻り警備員のアルバイトをしながら求職活動を行い、あるいは当ブログを始める少し前の頃、師匠にお目に掛かった折に師匠の方から「さらば古きものよ」についての話題が出ました。その内容は当時刊行されたエヴェレスト初登頂を目指す英国登山隊を題材とした翻訳作品に師匠が関与され、そして、その作品の背景や文脈を理解するためにロバート・グレーヴスの「さらば古きものよ」は大変役に立ち「これは以前、君がこの作品を教えてくれたからだ。」といったものでした。

しかしながら、私は同著者による「この私クラウディウス」は師匠が送ってくださった冊子や書籍から知るに至り、そこから同著者による他作品にも興味を持ち「さらば古きものよ」を手にして読んだと云えますので、その源流を辿りますと、師匠に返るとも云えそうです・・。

しかし、それでも5年前の投稿記事「もう一人の師匠について P51 兵器開発 武器貸与法」にて書かれている前世紀末頃の私と比べますと、あるいは多少進歩したとは云えるのかもしれません・・(笑)。

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2021年11月28日日曜日

20211127 株式会社岩波書店刊 ロバート・グレーヴス著 工藤 政司訳 「さらば古きものよ」上巻 pp.15-17より抜粋

株式会社岩波書店刊 ロバート・グレーヴス著 工藤 政司訳
「さらば古きものよ」上巻 pp.15-17より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003228618
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003228616

 パスポートの国籍欄には「イギリス国民」と書かれている。ここで私は、「黄金の書」の冒頭にローマ皇帝にふさわしい美徳を授かった先祖や親戚の名前を挙げたマルクス・アウレリウス王にならい、私がローマ皇帝はおろか、ときどきを除いてイギリス紳士でさえない理由を説明したいと思う。母の父方は苗字をフォン・ランケといい、代々ザクセン地方の牧師で、家柄の旧い貴族ではない。貴族を示す「フォン」がつくようになったのは最初の現代史家だった大伯父、レオポルド・フォン・ランケからで、私はある程度彼のおかげを被っている。彼は、「私はキリスト教徒であるまえに歴史家である。要するに私の目的はものごとが実際どのようにして起こったかを発見することに尽きる」と述べて同時代の歴史家の顰蹙を買った。彼らを怒らせたのはそれだけではない。フランスの歴史家ミシュレを論じたさいに、「彼は真実が語れない文体で歴史を書いた」と言ったこともそれに油を注いだ。トーマス・カーライルが彼を「無味乾燥」だと非難したのは決して不名誉なことではなかった。不体裁なまでに大柄な私の体、我慢強さ、エネルギー、生真面目さ、それにふさふさした髪、などは祖父のハインリッヒ・フォン・ランケ譲りである。彼は若い時分には反抗的で、無神論者でさえあった。プロイセンの大学で医学生であった彼は、大逆罪に問われたカール・マルクスを支持して学生デモが行われた1848年には反政府活動に参加した。マルクス同様、彼らは国外退去を余儀なくされた。祖父はロンドンに逃れ、そこで医学の修行を終えた。1854年、彼はイギリス陸軍の連隊所属軍医としてクリミア戦争に従軍した。祖父に関するこうした知識は、子供のころにたまたま彼が言った言葉に端を発していれる。彼はそのとき、「大男が丈夫だとはかぎらないものだよ。セバストポールの塹壕では、小さな工兵が平気な顔をしているのに雲を衝くような体をしたイギリス軍の近衛師団兵がやられて死んでいく、こういうのを何十人も見たもんじゃ」と言った。しかし、堂々として押し出しのいい祖父は長生きした。

 彼はロンドンで祖母と結婚した。祖母はシュレスヴィヒ生まれのデンマーク人でグリニッジ天文台の天文学者だったティアルクスの娘で、信心深く、おどおどした小柄な女だった。彼女の父親が天文学を専攻するまえには、ティアルクス一族はデンマークの田舎の習慣に従って父親と息子が交互に別の職業に就いた。偶数の世代は板金職になり、奇数世代は牧師になったわけだが、これはあながち悪い習慣ではない。穏やかな私の性格は祖母から受け継いだものだ。彼女には十人の子供がいたが、一番上の母はロンドンで生まれている。祖父の無神論と急進主義は年を経るにつれ穏健なものになった。彼は結局ドイツに帰ってミュンヘンで有名な小児科医になったが、子供の患者に新鮮な牛乳を飲ませるべきだと主張したヨーロッパで最初の医師はおそらく彼である。通常の手段では新鮮な牛乳を病院に確保することはできない、とみた祖父は模範的な酪農場を自ら開いた。彼の不可知論はルターの敬虔な信奉者だった祖母を悲しませた。彼女は祖父のために祈ることを決してやめなかった。けれども、彼女の祈りはとりわけ子供たちの魂の救済に注がれた。祖父は考え方をまったく改めずにこの世を去ったのではなかった。