2020年11月30日月曜日

20201130 岩波書店刊 宮地正人著「幕末維新変革史」上巻 pp.392-393より抜粋

岩波書店刊 宮地正人著「幕末維新変革史」上巻

pp.392-393より抜粋

ISBN-10 : 4006003919
ISBN-13 : 978-4006003913

 長州藩過激派は江戸において尊王攘夷運動を加速すべく、11月13日、横浜近郊の金沢において外人襲撃計画を企てた。薩藩は生麦にて攘夷の実を挙げた、ととらえていたからである。しかしながら警備が厳重のため実行は断念された。この時は、後述の別勅使(大原勅使と区別するための表現)で長州過激派を熟知している三条実美・姉小路公知両名が滞府しており、右の挙を阻止するため、勅命伝達直前に「横浜斬夷等の挙」ありては、一時に事の敗れと相成る故、「折角の大志暫時猶予」すべしとの書状を急派している。宛先は「久坂殿始」である。また世子毛利定広も行動阻止のため馬で途中まで出向く事態になった。

 この際のメンバーは、久坂・高杉・井上馨・品川弥二郎・大和弥八郎・長嶺内蔵太・寺島忠三郎・有吉熊次郎・白井小助・赤根武人・山尾庸三の11名である。

 この挙の直後、彼らは「百折不撓、夷狄を掃除し、上は叡慮を貫き、下は君意を徹する外他念無之、国家の御楯となるべき覚悟肝要たり」と誓い、御楯組を結成、その後山田顕義・吉田稔麿・野村靖らも加わり、総計25名となった。

 御楯組の面々は、将軍家茂が奉勅攘夷を誓い、両勅使が12月7日江戸を出立した後の12月12日、品川御殿山の英国公使館を焼打ちし、その上で政局の中心地となる京都に上るのである。

202011129【架空の話】・其の50

会計を済ませた丁度のところで携帯電話が鳴った。時刻は既に11:00をまわっており、おそらくはBからであろうと思い確認してみると、果たしてそれはBからであった。

Bは「今そちらに向かっていて信号待ちだけれども、あと10分くらいでホテルに着くから、それじゃ。」と云い、それに私が返事をしようとすると既に通話は切れていた。ともあれ、そこから再度ホテルに戻り、フロントに一声かけてから隣接する駐車場に行き、Bの着くのを待っていると、駐車場スタッフの方に「何番に駐車ですか?」と訊ねられたため事情を説明すると「ああ、聞いてますよ。」と云いメモを見てから確認するように頷かれた。

陽はさしているとはいえ、この時季は動かないでいるとすぐに寒くなってくる。もう少し暖かい服装で来るべきであったかななどと思っていると、昨日見た白の軽バンが通りの向こうから見えてきた。私が少し通りに出てこちらに手招きすると、気が付いたようでスムーズにホテル駐車場の方に入って来た。そして駐車の後、整理券を受け取り、ホテルロビーを通ってT文館の方に向かった。

Bは「いやあ、思ったより早く着いたよ。それで、今日の昼は何を食べようか?」と聞いてきた。私は今朝、専門職大学に行って、ファーストフード店で少し重めの朝食を摂ったことを手短に伝えた。」すると、しばらく黙ってから「そうか、ええと、前こっちに来た時は、どこのラーメン屋さんで食べたの?」と重ねて聞いたきたため「ああ、Y形屋っていうデパートのすぐ近くにある、たしかTって云うお店だったかな。」と返事をすると、すぐに「ああ、あそこは老舗だね。じゃあ、そのすぐ近くにもう一軒Fっていうラーメン屋さんがあって、こっちも美味しいし、普通のラーメンなら、そこまで量も多くないから、そこにしようか?」と聞いてきた。

特に異論はないためすかさず同意すると「じゃ、そこに行こうか。」と云い、そのまま歩き続けた。そして、さきのお茶屋さんも過ぎ、さらに市電が曲がるところもそのままアーケードに沿って歩き、一つ目の電停とも接続している横断歩道を渡り、そこからさらに市電沿いに歩いていると、その横にはBが内定した銀行のかなり大きな支店か本店営業部らしい趣の建物があったため、歩きながら聞いてみると「ああ、本店ではないかれど、ここには営業統括部があるんだ。それと、近いうちにこちらに本店が移転するとも聞いているよ。」とのことであった。

やがてその建物を過ぎたすぐの角を右側に曲がりしばらく行くと、以前のラーメン屋さんとは感じが異なるが、これまた味のある佇まいのお店が見えて来た。開店後あまり時間は経っていないようだが、店内にはお客さんが少なからずいて、見たところ、こちらも地元客が多いように思われた。暖簾をくぐり店内に入りメニューを見てみると「ラーメン専門」と謳っているだけありラーメンと大盛とライスのみの構成であった。

Bと一緒にラーメンを注文すると、すぐに暖かいお茶と、かなりの量と云える大根の浅漬けが出て来た。この浅漬けの量はさすがに驚いたが、Bにそれを聞いたところ「まあ二人分だからね。」とのことであってが、これには私の質問の意図が上手く伝わっていないように感じられ少し歯がゆかった・・。やがてラーメンがやってきたが、その見た目はさきのTと似ているように感じられた。そして味の方も系統としては似ているが、こちらの方がスープが澄んではいるものの、その味にパンチがあり、少し脂が勝っているように感じられた。また全体的にはTと甲乙つけがたいくらいに美味しく、さらに大きな発見であったのは、同じ九州といっても、Kのラーメンは、北部の福岡や久留米や熊本のそれと比べ、スープが澄んで淡く、あまり強い「豚骨」感がないということであった。

これと近いものとして思いつくのは「沖縄そば」と云える。しかし、それとは麺が大きく異なり、共通する要素と云えるのは「澄んで淡泊な豚骨スープと」いったところであろうか・・。

また、そのようなことを考えていて、不図思い出したのは、以前に台湾からの留学生と都内町場にある中華料理店に行った時に漢族系本省人と云っていた彼が「日本の中華料理は美味しいけれども全部しょっぱい、塩辛いね。」と云っていたことである・・。考えてみると沖縄はKの先であり、さらに台湾は沖縄の先とも云えることから、それらには通底、共通する味覚に対する嗜好のようなものがあるのかもしれない・・。そして、さらには昨日Bが云っていた鳥刺しなどの生食文化についての見解とも関係があるのではないかと思われた・・。

こうしたことはBには云わず、黙って食べたが、あまりそればかりに傾き過ぎるのもどうかと思われるが、やはり、地域の食文化は大変面白いものであると感じられた。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!



ISBN978-4-263-46420-5

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2020年11月29日日曜日

20201128 【架空の話】を49話まで続けて思ったこと・状況の整理

 去る4月末から断続的にではあれ、現在に至るまで書き続けている【架空の話】もおかげさまで49話まで書き進めることが出来ました。しかしながら、そのモデルとなっている自身の経験全てから考えてみますと、これまでの文量は、その全体の10%にも至っておりません。それ故、今後、当【架空の話】を書き進めるに当たり、その書き進め方については、今しばらく検討する必要があるのではないかと考えています。

具体的には、物語の進行の速度であり、これまで夏頃から物語が始まり、そして現在翌年の1月末頃を描いていることから、期間的には半年程度を49回に分け、さらにその焦点を当てている時期は編入試験とWへの旅行およびその後の時期であり、出来れば、今後2話程後にはKでの新生活が始まるようにしたいと考えてますが、こういったものを書いていて面白いと感じることは、書いているうちに、その物語の筋を即興にて変えることがあるのですが、その筋にて書いていると、再度興に乗り、ある時期・場所の描写を念入りに書いてしまうことであり、これが続くと当初の漠然としたものであれ、予定と噛み合うことが困難になり、本格的に「脱線」していくことになります。たしかにそれはそれで、その時書いていて面白いとは感じているのですが、他方でやはり、さきに述べた「全体の筋・予定」も同様に重要であると思われることから、今回このような文章を作成して、自身としても状況の整理を促し、また今後の物語進行の方向性を大まかなものであれ、読んで頂いている皆様に対し提示することにより、その路線にて書き進める必要性が生じると思われますので、これはこれで意味があると自身としては考える次第です。

また、これまでの経緯からしますと、蛇足気味にはなりますが、当【架空の話】をしばらく継続して作成し、その他については書籍からの抜粋引用文を記事としていますと、他のこれまでに作成してきたような記事を書く”コツ”のようなものを忘れてしまったような感覚を覚えるのです。そして、そうした状態にて作成することが出来る、自身オリジナルの記事とは、こうした【架空の話】にまつわるものであり、自身としても多少驚くところです。

とはいえ、それ以外にて記事作成が出来ないというわけではなく、おそらく自身内部の異なる記憶の相には、これまである程度の期間、継続的に作成してきた雑文記事のような文章を作成するための「記憶の相」が存在するはずであると思われ、また感じられることから、もし、それを強く望むのであれば、しばらく時間を必要とするとは思われますが、再度、そうした雑文系の記事を書き続けることは出来るのではないかと思われます・・。あるいは、そうしたところは、もっと疑問視すべきところであるのかもしれませんが・・。

ともあれ、現在の私はそうした状況であり、そして次回からは【架空の話】の先を作成して行こうと考えています。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!



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2020年11月26日木曜日

202011126【架空の話】・其の49

その後、ホテルに戻ったのは9:50頃であり、無事にチェックアウトも終えた。とはいえ、Bが着くまではまだ少し時間があることから、腹ごなしも兼ねて、また少しT文館を散策しようと思い立った。

そこで、財布など貴重品以外の荷物をフロントに預け、再度街に出てみると、週末ということもあり、人通りは朝よりも大分増えていた。してみると、さきほど覗いた専門職大学は国家試験が集中する期間ということもあってか、週末にも直前の講義を行っていたのだろう・・。

ともあれ、私の方は再びT文館の電停を挟む交差点から、今度は名君と謳われた旧藩主を祀った神社の方に出向いてみた。この神社は特に古い由緒を持つわけではないが、社叢はキレイに整備され、また社殿は時代を感じさせるものではないものの「丁寧且つ重厚に造られた」といった感じを受けた。こうしたところは、以前兄と参拝したW市に鎮座する国造家が代々神主を務めるあの神社とは、異なった印象を受けたが、こちらの方が南国ということもあってか、大胆な豪壮さが目立ち、対してW市の神社は、社叢などでも出来るだけ「自然のまま」を大事にした、詫び・寂びにも通じる感覚があるように思われた。

あるいは、こうしたところにも地域性は発露するのであろうかと思いつつ、これからお世話になるKの神社に参拝をして今度はその表参道を通り、再びT文館に戻ることにした。表参道とは云っても東京のそれとは感じが異なり、その神社側奥の景色には、Wとはまた異なった様相の山なみが控えていた。また参道左手には大きな公園があり、既に家族連れなどで賑わいつつあったが、そこを過ぎて交差点を渡ると、再びアーケード街に入った。このあたりは映画館やアウトドア・ショップ、また比較的大きな遊戯施設などが並んでおり、街並みは参道ということもあってかキレイに整備されていた。そして、そのあたりを過ぎて再び市電が走る通りに出るあたりに、味のある構えのお店が目に入ってきた。なおもお店に近づくと、日本茶の薫りがしてきて、また、店内には一休み出来るように野点の茶会に用いる緋毛氈をかけた床几台も置かれていた。日本茶のお店であったが、その薫りは首都圏でのそれと若干異なるように感じられたことから、店内の方を少し気にしつつ歩いていると、店内から「どうぞ一服されてみてはいかがでしょうか?」と声を掛けられた。おそらく50代くらいの、これまた元気な感じの女性であったが、促されるまま店内に入ると店内に置いてあるお茶の説明をしてくれ、さらに小さな丼のような形の煎茶茶碗に注がれたお茶を出して頂いた。「あの歌」でも分かるとおり、この時期はお茶の旬の季節ではないが、ここ南国ともいえるKでは、もうじき四月初旬には新茶が出回るので、その時も是非飲んでみて欲しいとのことであった。ともあれ、そこで飲んだお茶は淹れ方も良かったのだろうが、これまでに飲んだお茶の中で最も味や薫りが濃厚に感じられた。お茶も作物・植物であることから蜜柑などの柑橘と同様、産地によって味が異なるということが、ここで初めて体感として理解できた。とはいえ、お店の方はあまりそうしたことに頓着しない様子で、商品の説明を続けられていたが、その中でスティック状の小袋に入った粉末状のお茶が手軽で良さそうであると思い。「すいません、あのスティック状の袋に入ったお茶を少し頂けますか?」と訊ねてみると、気安く応じて頂いた。その味や薫りもさきと同様であり、尚且つ手軽であると思われたことから、実家やD先生や指導教員へのお土産に良いと思い10本入りのものを三つ購入させて頂いた。

昨日の鶏の肝刺と云い、このお茶と云い、やはり異なった地域には、異なった種類の美味しさがあるものだと実感しつつ、会計を済ませた丁度のところで携帯電話が鳴った。時刻は既に11:00をまわっており、おそらくはBからであろうと確認すると、果たしてそれはBからであった。

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2020年11月25日水曜日

202011125【架空の話】・其の48

ちなみにE先生は、年齢がこの時29歳であり、比較的私とも近く、その後、色々とお世話になることも多かった。

その後、ブラブラとT文館を一巡し、途中でペットボトルの暖かいお茶も購入して、ホテルに帰着したのは22:30頃であった。部屋に戻ると、テレビを点けてから、バスタブにお湯を溜めつつ、ベッドに座っていると、僅かに外の繁華街の喧騒が聞こえてきたが、それもまた何故だか、異郷にいることを感じさせた。

やがて、バスタブに湯も溜まり、決して広くはないトイレと一体になったユニットバス内で器用にシャワーで身体を流してから、バスタブに浸かった。気のせいであるかもしれないが、どうも水が首都圏よりも柔らかいように感じられた。しかし、その後、幾つかの地域にて風呂に浸かる経験を経てきたが、この時の感覚は間違いとは思えず、たとえ水道水であろうと、地域による相違はあるのではないかと、現在に至るまで考えている。

さて、風呂から上がり少しのぼせ気味の中、テレビをボーっと観ていると、時刻は24:00近くになっていた。翌日は特に早起きする必要はないものの、少し早く出て、またT文館を歩いてみようと思ったが、そこで不図、ホテルのチェック・アウト時刻が10:00であり、また明日Bがやって来るのが昼前であることを思い出した。そして、Bがやってくる頃には既に宿泊客ではなくなっている私に駐車場を貸してもらえるかが心配になってきた・・。そこで、フロントに内線電話をかけようとしたが、こうしたことは面と向かって言った方が良いと思い、タオルで頭をもう一度拭いてから、客室備え付けの寝間着を着てフロントに向かった。冬季だけに室外は多少冷えたが、我慢できないほどではなかった。やがてフロント前に着くと、若い男性が何やらPCの入力作業のようなことを行っていてが、私の姿を認めると「何か御用でしょうか?」と訊ねてきた。そこで「明日、昼頃から14:00過ぎあたりまで駐車場を使わせてもらうことは可能か?」という主旨の質問をすると、すぐに一端バック・ヤードに下がり、そしたまたすぐに戻ってきてPCの画面を確認してから「ええ、明日の昼は大きな宴会も入っておりませんし、また、自動車でお越しになる早めのチェック・イン予定の方はいらっしゃいませんので、大丈夫です。ええと、何処のお部屋にお泊りでしょうか?」と訊ねてきたことから「はい、7階の7**号室の**と申します。」と返事をすると、ペンで何かを記入して「はい、承知しました。では、その旨、明日勤務の者にも申し伝えておきます。」とのことで、無事に駐車場を使用させて貰えることになった。

安心して、部屋に戻るとルームキーを室内に置いたまま出て来たことに気が付き、閉ざされたオート・ロックのドアの前で少し困惑したが、ここは速やかに再度フロントに行くべきと判断し、またフロントに戻った。フロントのスタッフの方も前と一緒であり、またこちらを認めると何か言い出しそうであったが、私が先に「すいません・・。ルームキーを室内に置いたままで出てきてしまいまして・・」と頭を掻きながら話しかけると「ああ、そうですか、では今ご一緒に伺います。7**号室の**様ですね。」と云い、バック・ヤードに一声掛けてから、しゃがんでキーケースの中にあると思しきマスター・キーを手に持ち、エレベーターに乗り解錠のために同行してくれた。

そこで少し雑談をしたが、こうしたことは度々生じるそうで、特に恥ずかしいことではないとのことであったが、しかし、それでもやはり恥ずかしいには違いないだろう・・。

そうして、どうにか再び室内で落ち着くことが出来たのは、24:00過ぎであり、早々に洗面や歯磨きなどをしてから、就寝した。この日も色々と初めての経験があったことから多少の気疲れもあったようで、すぐに寝付くことが出来た。

翌朝目を覚ましたのは7:30頃であり、特に用事もないことからテレビを点け、そのままベッドの中から観ていると、徐々に目が覚めてきて、ベッドから出て洗面、歯磨きなどを行い、着替えてから概ね荷物をまとめ終えたのが、大体8:15頃であった。チェック・アウトまではまだ大分時間があることから、どこかへ行ってみようと考えたところ、昨夜、偶然会った面接官(E先生)のことから思い出したのか、もう一度大学を見に行こうと思い付いた。そうと決めると動きは速やかになり、外出の準備を済ませて外に出た。今度はルーム・キーは持参したままである。

電停までは徒歩5分もかからずに、やがて来た中央駅方面への市電に乗り、目指す市民病院前駅に着いたのは8:50過ぎであり、思いのほかに早く着いた。そこから大学まではまた徒歩で1、2分程度であり、大学の前に立つと、どうやらこの時期は医療系資格の国家試験が集中しているようで、何だか全体にピリピリした雰囲気が漂っていた。こうした雰囲気は人文社会科学系の大学キャンパスではあまり感じられないものであり、これに関しては今に至るまで、どうも慣れることが出来ない・・。

ともあれ、そうした事情から、折角訪れたキャンパスではあるが、何やら邪魔をするようで悪いと感じ、また時刻も悪くないことから、編入試験の際も利用したファーストフード店に入ると、この時も以前と同様少なくない学生さんと思しき方々がいたが、混雑とまでは行かず、すぐに席も確保出来た。そして、ソーセージエッグマフィンセットを注文し、比較的時間をかけて食べ、食後も一休みしていると、時刻は9:30に近くなっていたことから、ホテルに戻るべく立ち上がり、そして「今日の昼食はあまり食べられないな・・」と不図思った。その後、ホテルに着いたのは9:50頃であり、無事にチェックアウトも終えた。とはいえ、Bが着くまではまだ少し時間があることから、腹ごなしも兼ねて、また少しT文館を散策しようと思い立った。

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20201125 株式会社講談社刊 村上春樹著「羊をめぐる冒険」上巻pp.19-22より抜粋

株式会社講談社刊 村上春樹著「羊をめぐる冒険」上巻pp.19-22より抜粋

ISBN-10 : 4062749122
ISBN-13 : 978-406274912

 1970年11月25日のあの奇妙な午後を、僕は今でもはっきりと覚えている。強い雨に叩き落された銀杏の葉が、雑木林にはさまれた小径を干上がった川のように黄色く染めていた。僕と彼女はポケットに両手をつっこんだまま、そんな道をぐるぐると歩きまわった。落ち葉を踏む二人のの靴音と鋭い鳥の声の他に何もなかった。

「あなたはいったい何を抱え込んでいるの?」と彼女が突然僕に訊ねた。

「たいしたことじゃないよ」と僕は言った。

彼女は少し先に進んでから道ばたに腰を下し、煙草をふかした。僕もその隣りに並んで腰を下した。

「いつも嫌な夢を見るの?」

「よく嫌な夢を見るよ。大抵は自動販売機の釣り銭が出てこない夢だけどね」

彼女は笑って僕の膝に手のひらを置き、それからひっこめた。

「きっとあまりしゃべりたくないのね?」

「きっとうまくしゃべれないことなんだ」

彼女は半分吸った煙草を地面に捨てて、丁寧に踏み消した。「本当にしゃべりたいことは、うまくしゃべれないものなのね。そう思わない。」

「わからないな」と僕は言った。

ばたばたという音を立てて地面から二羽の鳥がとびたち、雲ひとつない空に吸い込まれるように消えていった。我々はしばらく鳥の消えたあたりを黙って眺めていた。それから彼女は枯れた小枝で地面にわけのわからない図形を幾つか描いた。

「あなたと一緒に寝ていると、時々とても悲しくなっちゃうの」

「済まないと思うよ」と僕は言った。

「あなたのせいじゃないわ。それにあなたが私を抱いている時に別の女の子のことを考えているせいでもないのよ。そんなのはどうでもいいの。私が」彼女はそこで突然口を閉ざしてゆっくりと地面に三本平行線を引いた。「わかんないわ」

「べつに心を閉ざしているつもりはないんだ」と僕は少し間をおいて言った。「何が起こったのか自分でもまだうまくつかめないだけなんだよ。僕はいろんなことをできるだけ公平につかみたいと思っている。必要以上に誇張したり、必要以上に現実的になったりしたくない。でもそれには時間がかかるんだ」

「どれくらいの時間?」

僕は首を振った。「わからないよ。一年で済むかもしれないし、十年かかるかもしれない」

 彼女は小枝を地面に捨て、立ち上がってコートについた枯草を払った。「ねえ、十年って永遠みたいだと思わない?」

「そうだね」と僕は言った。

 我々は林を抜けてICUのキャンパスまで歩き、いつものようにラウンジで座ってホットドッグをかじった。午後の二時で、ラウンジのテレビには三島由紀夫の姿が何度も何度も繰り返し映し出されていた。ヴォリュームが故障したせいで、音声は殆ど聞きとれなかったが、どちらにしてもそれは我々にとってはどうでもいいことだった。我々はホットドッグを食べてしまうと、もう一杯ずつコーヒーを飲んだ。一人の学生が椅子に乗ってヴォリュームのつまみをしばらくいじっていたが、あきらめて椅子から下りるとどこかに消えた。

「君が欲しいな」と僕は言った。

「いいわよ」と彼女は言って微笑んだ。

我々はコートのポケットに手を突っ込んだままアパートまでゆっくり歩いた。


2020年11月24日火曜日

20201124 河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21Lessonsー21世紀の人類のための21の思考」 pp.17-19より抜粋

河出書房新社刊 ユヴァル・ノア・ハラリ著 柴田裕之訳 「21Lessonsー21世紀の人類のための21の思考」

ISBN:978-4-309-22788-7

pp.17-19より抜粋

人間は、事実や数値や方程式ではなく物語の形で物事を考える。そして、その物語は単純であればあるほど良い。どんな人も集団も、独自の物語や神話を持っている。だが20世紀には、ニューヨーク、ロンドン、ベルリン、モスクワのグローバルなエリート層が、過去をそっくり説明するとともに全世界の将来を予言するという触れ込みの、三つの壮大な物語を考え出した。ファシズムの物語と、共産主義の物語と、自由主義の物語だ。

 ファシズムの物語は、異なる国家間の闘争として歴史を説明し、他のあらゆる人間の集団を力づくで征服する一つの集団によって支配される世界を思い描いた。共産主義の物語は、異なる階級間の闘争として歴史を説明し、たとえ自由を犠牲にしても平等を確保する。中央集権化された社会制度によって、あらゆる集団が統一される世界を思い描いた。自由主義の物語は、自由と圧制との闘争として歴史を説明し、あらゆる人が自由に平和的に協力し、たとえ平等はある程度犠牲にしても中央の統制を最小限にとどめる世界を思い描いた。

 これら三つの物語の間の争いは、第二次世界大戦で最初の山場を迎え、この戦争によってファシズムが打ち負かされた。1940年代後期から80年代後期にかけて、世界は共産主義と自由主義という、残る二つの物語の間の戦場と化した。やがて共産主義の物語が破綻し、自由主義の物語が、人間の過去への主要なガイド兼、世界の将来への不可欠の手引きとして後に残されたーいや、グローバルなエリート層にはそう思えた。

 自由主義の物語は自由の価値と力を賛美し、次のように語る。人類は何千年にもわたって暴虐な政治体制の下で暮らしてきた。そうした体制は、政治的な権利や経済的な機会や個人の自由を人々にほとんど許さず、個人やアイデアや財の移動を厳しく制限した。だが人々は自由のために戦い、自由は着実に地歩を固めていった。民主的な政治体制が独裁政権を押しのけた。自由企業制が経済的制約に打ち勝った。人々は、偏狭な聖職者や旧弊な伝統にやみくもに従う代わりに、自分で考え、自らの心に従うことを学んだ。公道や頑丈な橋や活気に満ちた空港が、壁や堀や有刺鉄線のついた柵に取って代わった。

 自由主義の物語は、世の中では万事が順調であるわけではないことや、まだ乗り越えなければならない障害が多々あることを認める。地球上の多くが圧制者に支配されており、非常に自由主義的な国々でも、多くの国民が貧困や暴力や迫害に苦しんでいる。だが少なくとも、これらの問題を克服するために何をする必要があるかはわかっている。より多くの自由を人々に与えればいいのだ。私たちは人権を擁護し、全員に選挙権を与え、自由市場を確立し、個人やアイデアや財が世界中をできるだけ容易に移動できるようにする必要がある。この自由主義的な万能の解決法【わずかな違いこそあれ、ジョージ・W・ブッシュもバラク・オバマも受け容れている)によれば、私たちの政治制度と経済制度を自由主義化・グローバル化し続けさえすれば、万人のために平和と繁栄を生み出せるという。

 とどまる所を知らないこの進歩の大行進に加わる国々は、より早く平和と繁栄で報われる。この必然的な展開に逆らおうとする国々は、苦しむ羽目になるー彼等も目を覚まし、国境を開放し、社会と政治と市場を自由主義化するまでは。時間はかかるかもしれないが、北朝鮮やイラクやエルサルバドルさえもが、デンマークあるいはアイオワ州のように見えるようになるだろう。

 1990年代と2000年代には、この物語は繰り返し語られるグローバルな信条になった。ブラジルからインドまで多くの国の政府が、容赦ないこの歴史の進展に加わろうとして、自由主義の処方箋を採用した。そうしそこなった国は、太古の化石のように見えた。1997年、アメリカのビル・クリントン大統領は、中国が政治を自由主義化するのを拒めば、「歴史の流れに逆行する」ことになると、自信たっぷりに中国政府を批判した。

 ところが、2008年のグローバルな金融危機以来、世界中の人々が自由主義の物語にしだいに幻滅するようになった。壁やファイアウォールの人気が回復した。移民や貿易協定への抵抗が強まっている。表向きは民主主義の政府が、司法制度の独立性を損なったり、報道の自由を制限したり、いかなる反政府運動も叛逆呼ばわりしたりしている。トルコやロシアのような国の独裁者は、新しい種類の非自由主義的民主主義やあからさまな独裁制を試している。今日、中国共産党が歴史の流れに逆行していると自信を持って言い切れる人はほとんどいないだろう。