2020年5月14日木曜日

20200514 1300記事の到達 嗅いで視る動く車の三つの外・・

おかげさまで、昨日の記事投稿により総投稿記事数が1300に到達しました。かねてより、今月内での1300記事への到達を目指していましたが、これは思いのほかに早く達成できました。次は来月、6月22日まで、ある程度のペースを保持して記事作成を継続したいと考えています。これにより当ブログの継続期間が丁度、丸5年になります。

聞いたハナシによりますと、ブログは5年間続けると大爆発が生じるとのことですが、当ブログにそのようなことは生じるのでしょうか?ともあれ、何れにせよ、今しばらく、具体的には1500記事あたりまでは、記事作成を継続したいと考えています。しかし、これは、おそらく年内での到達は困難であると考え、来年、当ブログの継続期間が6年を迎えるまでに、どうにか達成出来ればと考えています。【丸6年で1500記事の到達】

また、昨日まで書き続けていました【架空の話】ですが、おかげさまで、思いのほか多くの方々に読んで頂き、くわえて、登場人物のモデルとさせて頂いた複数の方々から、この期間内にコンタクトがありました。これは偶然としては出来過ぎであるように思われ、そこには当ブログの【架空の話】と何らかの関連性があったのではないかと思われます。ともあれ、今後も、さらに書き進めて行きたいと考えています。今後ともどうぞよろしくお願いします。

しかし、正直なところ、ここに来て自分が【架空の話】を作成するとは、少し以前までは全く考えていませんでしたので、これは明確に、転居と、現在なおも続く新型コロナウィルス感染症による外出自粛が、自身に及ぼした影響であると云えます。また、これは、進化とは云わないまでも、何かしらの変化とは云えると考えます。【こうした変化は思いもかけぬことを契機として生じることが多い。】

そのように考えてみますと、現今の外出自粛も、悪い事ばかりでなく、捉えようであるのかもしれませんが、しかしながら、やはり、こうした半ば強いられたとも云える外出の規制はストレスが溜まるものであり、早くに自粛期間が終わり、さまざまなところに出かけたいと考えています。そして、その時に、これまでに作成した【架空の話】の続きが、どのような影響を受けるのかは、自身としては興味深い実験であると云えます。具体的には、外出の刺激よって、さまざまな着想が湧き、これまで以上に充実した書きぶりの続編となるのか、あるいは、これまでの溜めたストレスを作成のエネルギーとしていた分、続編を作成すること自体が困難になってしまうのか、ということですが、自身としては前者であることを願う次第です。

ともあれ、今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。



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20200513【架空の話】・其の13

【架空の話】 「案の定、この講義室は、さきほどのK101号室の半分程度の広さであり、普段使用している机・椅子は端に片付けられていたが、そのうち3つの机と椅子が私の前に並び、それぞれに面接者が座り、こちらを見ていた。ともあれ、そこで面白いと思ったことは、彼等全員が白衣を着ていることであり、私はこれまで、こうした面接の場に立ったことがなかったため、そうした光景が著しく新鮮であったのだと思う・・。

さて、こうして3対1の面接が始まったわけであるが、先ず私が受験番号と氏名を名乗り、先方からの許可を得て、着席した。すると、私から見て左側に座っている細身で背の高い教員(H先生)が「**さんですね。試験の出来はどうでしたか?」と割に気軽な感じで訊ねてきたため「はい、あまり自信はありませんが、出来る限りは頑張りました。」と当り障りのない返事をした。

すると同じ方が「ええと、君の履歴書を見てみると、現在、A大学大学院のヨーロッパ文化専攻の修士課程に在籍しているとのことですね・・。それで、そこの院は無事修了できそうなのですか?」とさらに訊ねてきたことから「ええ、この分野は自分の好きな分野であるため、研究自体は面倒なところもありますが、全体的には楽しいと云えますので、特に問題なく修士論文は通ると思います。また、他の履修科目については、すでに所定の単位数は満たしていますので、おそらく大丈夫であると思います。」といった事実を述べた。

すると、真中に座った恰幅が良くて、目の大きな教員(M先生)が「・・しかしねえ、それであれば、そのままの専攻分野の博士課程にでも進めば良いのに何故、わざわざ、この大学の編入試験を受けようと思ったのですか?」と本質的とも云える質問をしてきた。

そこで「はい、たしかに博士課程に進むのも良いと考えていましたが、同時に、かねてより何か手に職を着けたいとも考えていました。そうした時に偶然、D先生の診療を受けまして、こちらの大学のことを紹介して頂き、興味を持ち、今回の学士編入試験を受験させて頂いている次第です。」と、これまでの経緯を述べた。すると、右側に座っているこの中で一番若手に見え、おそらく、私とあまり年齢が変わらないであろう立派な頤をした教員(E先生)がしばし履歴書を注視してから「ああ、君はK出身者ではなくて、首都圏の出身ですか?」と何やら気が付いたように訊ねてきた。すると、さきほどの目の大きな教員が、この若手教員に向かい、持参資料の一部分を示した。すると、この若手教員は、自分の資料を見てから二、三回小さく頷き真中の教員の方を見た。そして、さらに「うん、君の**という姓は、こちらの特徴的な姓なので、元々はこちらの出身で、大学だけ首都圏の方に行った人だと思いました。・・それでもお父さんか御祖父さんはやはりこちらのご出身なのですか?」と、なおも訊ねてきた。

そこで「はい、私の高祖父がこのK出身でして、それ以降は代々、首都圏の方に住んでいます。こちらにも遠い親戚がいるとは聞いていますが、随分と遠い親戚であり、実際にお目に掛かったことはありませんが・・。」と返事をした。すると3名とも、少し顔を見合わせて、左側にいる長身の教員が「ふうん、まあ事情は分かりましたが、もしも、この編入試験に合格出来たら、本当に入学しますか?」と、これまたフランクな調子で訊ねてきたため「ええ、おそらく学費などの費用については大丈夫だと思いますが、生活費に関しては、おそらくアルバイトをすることになると思います・・。それと出来れば、無利子の奨学金を頂ければとも思っています。」と正直に答えた。すると「そうですか。分かりました。では、逆に君の方から、こちらに何か聞いておきたいことはありますか。」と訊ねてきたため、少し考えてから「すみません。私は根っからの文系人間であると思っているのですが、このような私でも歯科技工士にはなることが出来るのでしょうか?」と、これまで一番不安に思っていたことを訊ねてみた。

すると真中の目の大きな教員が「・・うーん、たしかに一般的に歯科技工士は、理系的な職種だと思われているかれども、正直なところあまり関係ないと思うね・・。もちろん、今後は更に色々な機会や材料が進化して、それに対応するために多くの知識が必要になってくるとは思うけれども、本質的な部分は大きく変わりはしないと思うよ。」とのことであった。また、右の若手教員からは「うん、そういったこともあって、この後には実技試験があるのだが、これは、そこまで器用でなくとも多分、大丈夫だよ。」と卑近且つ現実的な返事が来た。

左側の教員からは「まあ、学士編入だから全学科で見ると色々な人が受験しに来てはいるけれど、君みたいな文系の院生が受けに来ているケースはこれまででも多分初めてかもしれないな・・。でも口腔保健工学科の講義や実習も、これまでの勉強や研究と同じように取組めば大丈夫だと思うよ。それとD先生には是非よろしく伝えてください。それでは面接はこれで終了です。次は実技試験で消しゴムをナイフでカービングしてもらうのだけれど、指を切らないように気を付けて、頑張ってください。」と云って他の教員と顔を見合わせ、二人が無言の同意をするのを見てから私は「今回はどうもありがとうございました。」と最後に言ってお辞儀をして席を立った。

そして廊下に置いてある荷物を持って、次の実技試験会場まで再度、大学スタッフに案内してもらった。今度の会場は実習に用いる講義室であり、部屋の壁に設置された収納棚には、歯科技工に用いると思しき器具、実習時の見本となる、さまざまな模型が置かれていた。私の方は、そういった器具や模型の方に対して興味を持ったが、気を取り直して、机上に作業マットが敷かれた指定の席に座り、次の指示を待った。とはいえ、そこで不図、気が付いたことは、現段階で、口腔保健工学科の私以外の受験者が見当たらないということである・・。そして「もしかすると、今回の当学科の学士編入志願者は私一人かもしれない・・。」と、この時思った。

さて、実技試験であるが、これはさきほどの説明にもあったように技工用ナイフを用いて消しゴムをカービングしてオベリスクの先端部を作るようなものであり、どちらかと云えば器用な私は、特に問題ないものを作成することが出来たのではないかと思われる。ともあれ、この実技試験も終えて大学を後にしたのは14:30過ぎであり、試験結果は一週間以内に郵送されるとのことであった。とはいえ、このようにして、思ったよりも少し早く試験は終わったのだが、帰りの飛行機が20:00少し前発であることから、再度、昨日見て回ったK中央駅とTの街並みを見ておこうと思い。市電に乗りK中央駅まで出て、そこからは昨日同様、徒歩にてTまで行った。この時はあまり街の人出は多くなく、近在の旧藩主を祀った神社の参道沿いにある全国展開のコーヒー店に16:30頃入り、その二階席でコーヒーを飲みつつしばらく休んだ。編入試験も無事に終えたことから多少安心したようで、少し眠くなってきたが、18:00にはそこを出て、バスに乗り空港に向かった。空港の待ち時間では家に連絡し、試験は無事に終え、本日の帰宅は遅くなることを伝えた。そして、その日帰宅したのは24:00少し前であり、飛行機やバスや市電での移動やはじめての編入試験で疲れたのか、この日もストンと寝付くことが出来た。」

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2020年5月12日火曜日

20200512【架空の話】・其の12

【架空の話】
「翌朝は昨晩目覚ましをセットした時刻に起床し、身支度を整えて、朝8:00にはホテルをチェック・アウトした。このまま現地に向かえば、おそらく8:30頃には到着するが、現地での集合時刻は9:30であることから、かなり時間が余ることが予想された。そこで昨日見つけた大学近くのファーストフード店で少し待てば良いと考え、そのまま大学に向かった。案の定、現地には8:20過ぎには到着し、大学の様子を覗うと、編入試験の案内看板は掲げられていたものの、それらしき人の気配は見受けられなかった。

 そこで試験会場入りは今少し早いと判断し、さきのファーストフード店に入った。店内は混雑とまでは云わないが、大学生と思しき若い客が大半であり、活気があった。また、元来私はファーストフードであるならば、立ち食い蕎麦を好むものの、この時は何故だか、こちらの方が都合が良いと思った。そこで、ホットコーヒーが含まれる定番朝食プレートを注文し、出来るだけ大学が見える側の席に座った。時刻は8:30少し前であった。

 周りの客は、やはり地元の大学生らしく見え、何か計算式が書かれたノートと書籍とを見比べながら、さらにノートへ書き記しているような方もいれば、元気な声で周囲と会話している方もいた。おそらく、彼等は皆、近くのK大学の学生さんであったと思われる。

 私の方も、そうした若者らしい活気に期せずして遭遇し、それに反応するような形で、昨日の英論文を取り出し、読み始めてみたものの、内心が緊張しているのか、その内容は殆ど頭に入ってこなかった・・。とはいえ、時間は割に早く過ぎてすぐに9:10頃になっていた。また、大学の方で人の動きがチラホラと見えるようになってきたことから「これならもう大丈夫だろう。」手と顔を洗い準備を整え、店を出た。

 大学正門前に着くと、腕章を着けた大学スタッフが案内係として立っており、私の様子を認めると「本日の編入試験の方ですか?」と尋ねてきたため「はい、そうです。本日9:30に集合との通知を受けていました。」と返答し、受験票など関係書類一式が入ったクリアファイルをスタッフに示した。すると、それを見て「ああ、**さんですね。受験生の皆さんは一先ず、K101講義室で受験番号が書かれた席で待機して頂き、そこで筆記試験を受けて、午後は面接試験をそれぞれの学科毎に行いますので、またK101号室の自分の席で待機していてください。」といった指示を受けた。

 K101号講義室は割合広く、おそらく、最も人数が多い看護学科の一学年全体が入ることを想定した造りであったと思われる。私が入った時、講義室で既に待機していた方々は20名程いて、概ね私同様スーツを着用していたが、中には私服の方も2~3名程いたと記憶している。編入試験は9:30から様々な事前説明を受け、その後、10:00から筆記試験(英語・小論文)が行われ、昼に休憩を少し挟んで面接そして、口腔保健工学科については実技試験があり、待ち時間なども含めると、大体15:00頃には終わるとのことであった。

 筆記試験については、あらためて思い出してみると、英語に関しては、全体的にはイマイチよくわからない内容であったものの、出題部位については、そこまで大きな間違いはなく、それなりに訳すことが出来たように記憶している。少なくとも、使い慣れた重い辞書をわざわざ持参してきた甲斐はあったように思われた。小論文は、こうした大学らしい出題であり、その題名は「今後の医療と介護のあるべき姿について論じよ。」であったが、これは先生からの耳学問が役に立ち、まあ、専門違いの人文社会科学系の院生が書いたものとすれば、マシな出来であったのではないかと思われる・・。

 ともあれ、正午に筆記試験を終え、緊張のため昼食を食べずK101号室の自分の受験番号が貼られた席に座っていると、そこでようやく周囲の様子が掴めてきた。この講義室にいる方々は全学科の編入試験受験者であり、また、その大半は看護学科の志願者であるように思われ、受験者の7~8割は女性であった。

 私が受験する口腔保健工学科はどうであろうと、周囲を少し見まわして考えてみたものの、それらしき人を見つけることは出来なかった・・。また、午後は13:00過ぎに面接が始まるとのことであり、私はおそらく14:00くらいからだろうと予想していたが、それぞれの学科毎に面接が始まる13:00過ぎ、一番初めに「口腔保健工学科、受験番号**の方、面接会場に案内します。荷物を持ってこちらに来てください。」との呼び出しを受け、私は少し緊張しつつ、荷物を持ち講義室を出て、大学スタッフの後をついて行った。

 案内された講義室は、外から見たところ、さきほどのK101号室の半分程度の広さであり、そこから、この教室は口腔系学科の共通教室であろうと思われたが、すぐにスタッフの方から講義室前廊下に置いてある椅子に座るよう促され、そこでしばし待った。面接を行う講義室の中から何人かの声が聞こえてきたが、その話している内容までは理解することが出来なかった。やがて、講義室の方から「では、**番の方お入りください。」との声がはっきり聞こえたため、私はに荷物を椅子の横に置いて立ち上がり「はい、失礼します。」と緊張しつつも出来るだけ元気な声を出して講義室のスライドドアに手を掛け、入室した。

 案の定、この講義室は、さきほどのK101号室の半分程度の広さであり、普段使っている机・椅子は端に片付けられていたが、そのうち3つが私の前に並び、それぞれに面接者が座り、こちらを見ていた。さて、そこで面白いと思ったことは、彼等全員が白衣を着ていることであり、私はこれまで、こうした面接の場に立ったことがなかったため、そうした光景が著しく新鮮であったのだと思う・・。

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2020年5月11日月曜日

20200510 架空の話・其の11

【架空の話】
「ともあれ、私は川沿いに建つ銅像に近づき、その説明文を読んでみた。説明文は左側に日本語、中央に日本語で書かれた年譜、そして右側は英語にて記されていたが、この左右の説明文章を比べながら読んでいると、さきほどまで英論文を読んでいた影響からか、何やらブツブツと口に出していることに気が付き、我に返った。しかし、そこで興味深いと感じたことは、説明文の最後に、この方の死を当時、ロンドン・タイムスが報じていたことを記している点である。

それから銅像を離れ、川を渡り、なおも先に進むと、さきほどの観覧車と、それを載せた建物が近くなってきた。信号を幾つか渡り、いよいよ建物に近づくと、これはJR線のK中央駅(かつての西駅)の駅ビルであることが分かった。こうしたビルと観覧車の組み合わせは、これまで、あまり見たことがなかったことから、これにも少し驚かされた。また、この駅ビルには、全国的展開の衣料量販店が多数入っており、それらのディスプレイから地域の特徴などを考えることは、古着屋でアルバイトをしている自分にとってはそれなりに面白いものであった。
ビルの上階に行ってみると、さきほどの観覧車の乗り口が設けられていたが、そこには若いカップルが何組か並んでいたため「ああ、この観覧車はそういう方向けなのだ。」と一人合点し、その場を離れた。ちなみに後日、私がこのKに在住してから「あの観覧車に乗るカップルは別れるってジンクスがあるんだ。」と、若干ワイルドな感じの地元御出身の方(E先生)から教えられたが、その時に不図、こうしたものは「I公園のボートにカップルで乗ると別れる。」というジンクスの当地版なのだと悟った。おそらく、こうしたジンクス(都市伝説とも云う)は国内どの地域に行っても類似したものがあるのではないかと思われる。
このようにK中央駅駅ビル内を徘徊していると、夕刻過ぎとなり、あたりも薄暗くなってきたため、夕食を摂ろうと、さきほどBに教えてもらった店に向かった。駅ビルを出てから中央郵便局前の道をしばらく歩き、交差点を左手に曲がるとJR線の踏切の近くにその店はあった。時刻も丁度、夕食時であり店内は比較的賑やかであった。客層は、背広を着た方々や予備校生と思しき若者が客の大半を占めていた。おそらく、かつてBもこうした予備校生の一人であったのだろうと不図思ったが、早々にカウンター席に着きメニューを開き、あまり考えることなく「とりあえず餃子を・・。」と思ったが、ここでまた不図我に返り「いや、明日は編入試験だぞ・・そこでは面接もあることだから餃子は避けておいた方が無難だろう・・。」と考え直し、結局、注文したのは麻婆丼と野菜炒めであった・・。これらの味の方は、この店の共通する特徴で「少なくともハズレではない・・。」といったものあったが、麻婆丼を食べている時に先生とCさんのことが頭をよぎり、そして「そういえば、CさんもK出身だと聞いていたが、市内なのだろうか・・。帰ったら聞いてみよう。」と、あまり意識せずに思い至った・・。ともあれ、この店の料理は、量は充分過ぎるほどであり、食べ終えた時には少し苦しいくらいに満腹といった状態であり、店を出る際に「もう少し散歩をしてからホテルに帰ろう・・。」と思った。
とはいうものの、店を出て、どの方面に散歩しようかと思案していると「明日の試験場を見ておいた良いのではないか。」と、これまた不図閃き、スマホを取り出して大学の場所をグーグルマップにて検索すると、どうやら歩いて行けない距離でもないことが分かり、とりあえずを食後の散歩も兼ね、大学まで歩いていくことにした。そして、再度、K中央駅前を通り、市電沿いに歩いた。横に市電が走っていたことから「帰りはこれに乗って近くの停留所(電停)で降りればいいか・・。」などと、歩きつつ少し汗ばんできた頃に思ったが、そこからは意外なほど早くに大学に着いた。その立地は、研修の利便性も兼ねてか、市立病院の向かいにあり、また、地元K大学のキャンパスもほど近く、どうやらこの辺りは、昔からの文教地区であることが見て取れた。
また、この大学は大学と云っても、私のイメージする大学とは若干異なり、どちらかと云うと、都会にあるサテライトキャンパスや都市部の専門学校をイメージさせた。後でわかったことだが、この大学には占有するグラウンドはなく、部活動などは、近くにあるK大学のそれを間借りをして行っていた。
それでも、建物自体は新しく、また軽薄な感じもなく、茶色を基調とした全体的に重厚なものであったと云える。また、大学の正門近くの看板に、大学名と学科名が各々記されていたが、そこから、私が編入試験を受ける口腔保健工学科と、Cさんが卒業した口腔保健学科、そして看護学科、作業療法学科、理学療法学科、管理栄養学科の6学科さらに大学院修士課程が設置されていることが分かった。こうしたことは事前に送付された大学資料やネットのHPを見れば分かることではあるのだが、実際に大学まで来て確認してみることにより、明晰に記憶されるものなのだと云えよう。
そして、大学の周囲をグルリと回り、すぐ近くにある停車場(電停)で市電に乗り、K中央駅で乗り換え、Tの外れにあるホテルに戻った。ホテルに着いた時刻は21:00少し前であり、自分としては適度な運動をした感もあり、また、満腹気味であったお腹も丁度良い感じにこなれていた。部屋に戻ると、早速風呂に入って汗を流してから、報道番組を見つつ明日に備えて持参の英論文を読んでいたが23:00を過ぎた頃には徐々に眠たくなってきていることに気が付き、スマホと部屋の電話双方で起床時刻をセットし、歯みがきをしつつ、なおも漫然とテレビ番組を眺めていたが、時刻が深夜0:00になる頃には、大分眠たくなり、口を濯いでから予め用意していた湯冷ましを数口飲んでから床に就いた。この一日は初めての経験が多くあり、多少芯が疲れていたのか、ストンと寝入ることが出来たようだ。
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2020年5月10日日曜日

20200509 架空の話・其の10

【架空の話】
「時刻は13:00を少し回った頃であり、さきほど空港では、体調不良のためコーヒーを少しだけ飲み、昼食を食べていなかったことが、ここに来て思い起こされた。

そこで、食事を摂る場所を探すべく、Tのアーケード街を歩いていると、早速、いくつかの全国チェーンの飲食店が目に入ってきたが「初めての土地で、どこでも食べられるものを食べても・・」と「明日編入試験なのだから、ここは大人しく食べ慣れたものを・・」という二つ考えの葛藤が生じ、とりあえず、このまま、何かに出くわすまで歩いてみようと、そのまま歩き続けていると、Yという百貨店の近くでTというラーメン屋さんを見つけた。

その店の佇まいは、首都圏ではなかなかお目に掛かることの出来ない、まさに「昔ながらの」といったものであり「こうした店は味も確かに違いない」と決めこみ、早速、そのお店に入った。店内に掲示されているメニューを見ると「ラーメン」と「特大ラーメン」と「めし」のみであり、そこからも店主の一徹なこだわりが見て取れ、好感を持てた。
時刻は既に昼過ぎ時であり、店内は混雑はしていなかったものの、他のお客さんは疎らにいて、一人客の私はカウンター席に案内され、すぐに「ラーメン一つください。」と注文した。すると、すぐに熱いお茶と大根の浅漬けが運ばれてきたが、ラーメンと漬物を一緒に食べる文化は、これまで知らなかったことから「これはどうするのだろう?」と周りの様子を見ると、お茶を飲みながら食べているのが多かったことから、おそらく、これは先付けや突き出しのようなものなのだろうと思い、私も昔ながらの湯呑に注がれたお茶を飲みつつ、この漬物を一切れ食べてみたところ、味が薄いと感じられた。そこで卓上に置かれた醤油を少し垂らして「これで味が整った」と思ったわけだが、ここでまた、それ以上に驚いたのは、その垂らした醤油についてである。それは私が知る醤油とは見た目はあまり変わらないものの、味が滅法甘いのである。「これは本当に醤油だろうか?」と、容器を手に取り確認してみたが、やはり醤油であった。このことは、私がKに降り立ってから初めて体験した大きなカルチャーショックであったと云える。ともあれ、この甘い醤油には、その後もお世話になったのであるが、他方で、最後の最後まで「私の知る醤油とは異なるものだ。」という認識を完全には拭い去ることは出来なかった。それ故、味覚というものは、なかなか根が深いものであると云える。とはいえ、であるからといって、決してこの醤油が不味いという意味ではなく、後に食べた当地域の郷土料理と云える鶏肉の刺身などは、この甘い醤油でないと、どうも、その本来の美味しさは分からないと思う。
おそらく、こうした絶妙の組み合わせといったものは、こうした味覚のみならず、他の文化事物においても同様であると思うのだが、如何であろうか?

さて、漬物と醤油のハナシはこのくらいにして、次に、運ばれてきたラーメンについて述べる。その見た目は、これまた昔ながらのラーメンといった趣であり、上の具材は、チャーシューとネギともやしのみであり、そのスープは澄んでいた。また、味の方も、見た目から想像される通りあっさりしていたが、同時にその中に味わいがあり、これは必ずしも若い人受けを狙ったものではなく、老若男女の広い層に食べてもらうことを前提にしているのではないかと思われた。

ラーメンを食べ終え店を出て、宿泊先のホテルにチェックインをしようと、再びTのアーケード街を歩いていると、所々、道の端々などに火山灰らしきものが堆積していることが見て取れた。そこから「ああ、ここでは本当に火山灰が降るのだなあ。」と実感した。予約したホテルも同じT地域内にあったが、さきのラーメン屋さんからは少し離れ、更に南西気味に行ったところの、いわばT地域の端に位置していた。また、面白いと感じたのは、歩いていると、横の道路に自動車と路面電車の両方が走っている風景であり、それまで、日常生活において、こうした風景を目にすることがなかったため、先刻K空港に降り立った際に感じた「何だか懐かしい」という感覚とも相俟り、不思議なエキゾチック(異国情緒)ともノスタルジック(懐旧的な)とも云えるような感覚が湧いてきた。この時の経験が根本にあるのか、私は現在もなお、路面電車の走る街並みが好きである。いや、よく考えてみると、これには別の理由もあると云えるのだが、それについては、また別の機会に述べたいと思う・・。

そうこうして、予約したホテルに着いてみると、丁度、清掃等の準備を終え、部屋に入ることが出来る時刻になっていた。そして、案内された部屋に入ったところ、思いのほかにベッドも部屋も広く、明るく、安心してくつろぐことが出来そうであると感じたものの、今回、Kに来た目的は、あくまでも編入試験であることを思い出し、うがいをして手と顔を洗い、持参した英論文と辞書を取り出して机に向かった。しかしながら、どうも意識が散漫として集中は出来ずに、結局のところ17:00前には、テレビを点けながら、何やら勉強らしきことをやっているという状態になっていた・・。

17:00頃とはいえ、この時季のK市街地は充分に明るく、また同時に、夕食を食べに出る時刻には少し早かったため、スマホでBに「こちらで安く夕食を摂れる良い店はないか?」とメールを送ったところ、しばらく経ってから「その周辺であればK中央駅近くに全国チェーンの中華料理店のK県版のお店があり、そこは安くて味は悪くないと思う。」との返事であり、最後に「ナマ物は食べない方が良い。試験頑張れ。」とのことであった。そこで、あらためてスマホで調べてみると、たしかにそのお店はあり、また値段もそこまで高くないことから、そのお店に行くことにした。また、夕食に適当な時刻までは時間があることから、もう少し街を歩いてみようと、再度、顔と手を洗ってから出かけた。

宿泊ホテルから、さらに南西方向に歩いて行くと、さきほどまでのTの繁華街的な賑やかさは薄まり、徐々にオフィス街らしく大人しい街並みになってきたが、その歩く道の先にはビルの上に設置されたと思しき観覧車が見えることから、そこにも何かしら繁華街があるのではないかと思い、そこを目指して歩き続けた。すると、道路と川が交差する川沿いに建つ、維新回天期、そして明治新国家建設に活躍した、K出身者の洋装の銅像が目に入ってきた。もう一人の、K出身者で維新回天期に活躍し、そして後の西南戦争で斃れた方の銅像は、東京の上野に建っているが、これは和装で犬を連れている姿であることから「この対称性(洋装・和装)には何かしら意味があるのかもしれない。」と考えてみたものの、此処Kには、西南戦争で斃れた方の洋装での銅像が別に建っていることを後になって知った。

ともあれ、私は川沿いに建つ銅像に近づき、その説明文を読んでみた。説明文は左側に日本語、中央に日本語で書かれた年譜、そして右側は英語にて記されていたが、この左右の説明文章を比べながら読んでいると、さきほどまで英論文を読んでいた影響からか、何やらブツブツと口に出していることに気が付いて、我に返った。しかし、そこで興味深いと感じたことは、説明文の最後に、この方の死を当時、ロンドンタイムスが報じていたことを記している点である。」
*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

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2020年5月9日土曜日

20200508 架空の話・其の9

【架空の話】
「さて、いざk空港に降り立ってみると、その土地の大気というのだろうか、そうしたものが五感に迫ってきて、はじめて、違う地域に来たという実感を与えてくれた。ともあれ、このK県で私が初めに得たそうした感覚は、これまでの経緯からすると、若干ベタな表現となってしまうが「何だか懐かしい」といったものであった。

しかし、飛行機を降りてしばらくしても、耳奥の痛みと体のフラフラした感じは残り、しばらくの間、空港ロビーにあるコーヒー店にて休息をとった。とはいえ、これらは飛行機に乗ったことによる一時的な不調であったことから、他の乗物同様、しばらく休むと随分落着き、そして次第に周囲の様子にも関心を向けられるまでに回復したため、先ずは市街地行きのバスチケットを購入した。

K空港から県内中心地であるK市までは、公共交通機関としてはバスの路線が走っており、所要時間はおよそ40~50分程度であり、また、運賃は当時で1100円くらいであったと記憶している。この金額設定は電車をはじめとする公共交通機関に慣れている私からすると、若干高額であるように感じられたが、その後、幾度か乗るうちに「まあ、そのようなものか・・。」と思うようになった。つまりは、空港から市街地へ出るための他の公共交通機関がないため、それに慣れるしかないというわけだ・・。

ともあれ、私がこの時に乗ったK空港からK市街地までのルートは、途中から高速道路に乗るものであり、高速道路走行時に周囲の景色を眺めると、やはり首都圏とは大きく異なり、とりわけ、漢字の「山」のようなカタチをした山があることに驚き、そして、植生やバスの中からでも感じ取ることの出来る、大気の違いから「異郷に来た感」をいよいよ強めた。さらに、走行するバス左側にK湾に浮かんだS島が見えてきたが、はじめて目にする本物のS島は、普段、生活の中で「大自然」と接する機会を持たない私からすると、人工的に造られた街並みが、大自然の産物であるS島と解け合って共存しているように見え、これに多少の違和感を覚えた。その理由として、当時の私は、人工的な街と活火山が地域の中で共存しているということが、単純に想像出来なかったからであると思う。くわえて、おそらく、こうした感覚は、首都圏在住の人々が、はるか西に見える富士山に対して持つ感覚とは異なったものであるように思われる。

そこから、Kという地域は、身近に活火山という「巨大な生き物」のような存在があることから、我が国古来の「八百万の神」に代表されるパンティズム(汎神論)が、今なお地域の人々の中に自然なカタチで息づいていると云えるのかもしれない・・。

などとボンヤリ考えていると、走行するバスの振動も手伝ってか若干眠たくなってきた頃、皮肉なことに、どうやらバスは市街地に入ったようであり、様々な看板や全国チェーンの飲食店などが目に入るようになってきた。私はTという停留所にて降車予定であり、それが、車内前方設置のテレビ画面に表示されると、上の棚に置いたビジネスバッグを信号での停車時に急いで下して、到着に備えた。

さて、いよいよT停留所に着くと、同じ停留所で私の他にも何人か降車される方々がいたようで、運転手さんも降り、バス下部に積んだ大きな旅行鞄の取り出しを手伝っていた。私は大きな荷物がないため、他の降車客が全て降りた後で、チケットを運転手席横の回収箱に入れ、ステップを下り、はじめてK市街に降り立った。

この時季のK市は既に30℃を超えており、その湿気を多く含んだ暑い街の大気は、すぐに鼻の奥にまで達した。また、さきほどまで快適なエアコンが効いたバス車内にいたことから、このギャップには少したじろいだが「異郷の地に行くということは、そうしたことも全て折込み済である。」と思い、バッグを持つ手に少し力を込めて、Tのアーケード街を歩きはじめた。時刻は13:00を少し回った頃であり、さきほど空港では、体調不良のためコーヒーを少しだけ飲み、昼食を食べていなかったことが、ここに来て思い起こされた。」

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
日本福祉大学
祝新版発行決定!
ISBN978-4-263-46420-5

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2020年5月7日木曜日

20200507 古くからの人文社会科学系の持つ意味合い・価値について

今回の投稿記事により、総投稿記事数が1295に至り、また、当面の目標としていた1300記事まで残り5記事となります。今回のGW期間中に投稿した「架空の話」数記事は、以前にも書きましたが、GWであるにも関わらず新型コロナウィルス感染症対策のための外出自粛によって外に出ることが出来ないことから、気を紛らす目的もあり書いたものでしたが、思いのほか多くの方々に読んで頂きました。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。また、本日の投稿記事についても「架空の話」の続きを書こうと考えていましたが、こうした、かねてよりの独白形式の記事を間に入れた方が、ブログ全体としてはハナシが広がるのではないかと考え、今回の投稿記事は、そのようにすることにしました。

さて、以前にも書きましたが、ここ1カ月は、集中して新たな書籍を読むことが出来ず、さらにまた、気軽に書店に行くことも出来なかったため、自身としてはかなり悶々として、仕方なく既読書籍をあらためて読んだりして過ごしてきましたが、やはり、何かしら新たな面白い書籍を能動的に見つけるという行為が出来ないでいると、GWと外出自粛によって読書に充てる時間は増えたものの、徒に悶々とする時間が増え、かえって困る事態となってしまいます・・(苦笑)。その中でやはり大きいのは、現在の、新たな書籍を読むことが困難であると云う自身の精神状態の方であり、これを回復することが出来れば、外出自粛などは特に気に病む必要もなくなるのかもしれません・・。

しかし他方で、良い兆候もあり、こちらに戻ってきた当初と比べ、現在は身を入れて読書が出来るようになってきた感じもあります。そして、この感じがさらに大きくなっていけば、以前の調子、あるいはそれ以上まで持って行くことも出来るのではないかと思われます。ともあれ、この精神状態なるものを司っている要因が何であるのかが分かれば、もっと自分自身を御することも容易に出来るようになるのではないかと思われます。

また、そうしたことを考えてみますと、ブログ記事の作成に関しては、開始当初の2015年と比較しますと、多少は自身の精神状態を(いくら容易に)御することが出来るようになったのではないかとも思われます。あるいは異言しますと、この継続期間の間に少しずつ、自身の中に「ブログ記事を作成する自分」というものが成長していったようにも思われるということになります。もちろん、それは1日や1週間、いや1カ月程度で、目に見えて変化するようなものではなく、それ以上の一定期間、人によって異なるのでしょうが、継続することにより、何と言いますか、ブログであれ、文章を作成する精神の状態に安定して自身の精神を置き易くなるのではないかと思われるのです。また、小林秀雄がたしか「間(ま)に乗らないと、どんなプロでも決して文章は書けるものではない。」と、どこかで述べていましたが、それと深い関係があるのではないかと私は考えています。さらに小林秀雄が出たついでに書きますと、歴史など、古くからの人文社会科学系学問などについても、そうした経験の蓄積が必要であると述べていましたが、おそらく、こうした認識、そして、そこに依拠する見識といったものが、我が国を含め、全世界的に著しく劣化・衰退しているのが現代であると考えます。また、こうしたことは、政治社会学的な視点に立ちますと、昨今の世界規模でのポピュリズムの隆盛とも深い関係があると思われます。しかしながら同時に、こうした長い時間の蓄積による、ある精神状態の発見や、そこから考え得る考えや意見といったものは、それらが喫緊の生死に関わるものでない限り、通常の会話の延長として、身を入れて聞くことは困難であるのが「普通」であると考えます。そして、それが人の喫緊・直接的な生死に深く関与せざるを得ない医師をはじめとする医療専門職と、人文社会科学系を専門とする方々との社会における評価の根源的な差異になっていると思われるのです。さらに、ポピュリズムが広く根付いた社会において、人文社会科学系学問とは、自らその重要性を訴えても、あまり効果はなく、むしろ憫笑を誘うのがオチであり、極言しますと、世間一般にて優れていると評価されている方々が「こうしたもの(人文社会科学系)は、長い目で見ると医療と同様、人々の命を救うか、その興廃を決めるとても重要なものなのだ。」と訴え続けない限りは、いや、訴え続けても劣化・衰退は、そう簡単には止まらないのではないかと思われます。そしてまた、ニーチェやオルテガや三島由紀夫が主張したかったことの一つは、そういったことであったのではないかと私は思います。くわえて、こうしたことを書いていますと、どうしても洗礼者ヨハネのことを思い出してしまうのは悲観的な傾向なのでしょうか?

*今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
日本福祉大学




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