2018年5月16日水曜日

20180516 不図した契機で調べることと知識全般の急激なインフレについて

時折、人と話し、後になって何かしら啓示を受けたかのように、その会話に出てきた『あること』について調べだすことがあります。おそらく、そうした行為態度は以前からあり、また以前の方がより頻繁であったように思われます。

とはいえ、それもインターネットそして、その携帯端末であるスマホが登場することにより、こうした知識に対する渇望は以前に比べかなり減衰してしまったのではないかと思うことがあります・・(苦笑)。【以前に比べ、経時的にある知識に対する渇望が増大することは顕著に少なくなってきたと云えます。これは年齢によるものもあるとは思われますが、それよりも、さきに述べた状況の変化の方がより大きく作用しているのではないかと思われるのです。】。

これら機器が存在しない時代は、手始めに百科事典で調べたり、あるいは、調べるためにわざわざ図書館や書店に出向くといったこともありました。そのように考えてみますと、インターネットの普及前後では、我々が即座に認識できる知識の量が数値的に計測、比較することが困難な程に大きく変わったと云えます。

その結果として知識全般の急激なインフレともいえる状況を我々は認識し、そこに端を発し学問・知識の府である大学そのものに対し、今後の在り方が問われているのが昨今の状況と云えるのではないでしょうか?

くわえて、奇しくも15世紀欧州における活版印刷の普及が当時の教会、大学に及ぼした影響もまた、さきに述べたことと類似する様相があったのではないかと考えます。

さて、そこでハナシは冒頭に戻り、先日頂いたメールから不図、これまであまり接することがなかったスペイン内戦(1936~1939)について少し調べてみようと思い立ちました。これまでに自身がスペイン内戦で知り得ていたことはパブロ・ピカソ作の絵画『ゲルニカ』、ジョージ・オーウェル著『カタロニア賛歌』程度であり、この著作は在鹿時代に読みましたが、その内容は概ね忘れてしまっているため、もう一度本箱から探して読み直してみようと思います。また、さらに古書にてスペイン内戦を扱った概説書を見つけようと、アマゾンのサイトにて関連書籍を物色していますと、今度は1973年のチリのクーデターに関しての書籍がいくつか出てきましたので、商品の説明を読んでみますと、これらもまた、大変興味深いと思われてきましたので、こちらも機会があれば是非読んでみようと思うに至りました。

おそらくこうした歴史についての勘(少なくとも論理的とは云えないことから)らしきものを働かせる行為とは、思いのほかに重要であり、また、ある程度そうした行為を継続していますと、非科学的であり、よく分からないのですが、ともあれ何らかのカタチで洗練、上達していくのではないかとも思われたのですが、さて如何でしょうか・・(笑)。

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

数年前から現在までに日本列島におて生じた、あるいは現在も継続している大規模自然災害によって被害を被った、被っている諸地域のインフラの回復、その後の復興を祈念します。


~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5









2018年5月15日火曜日

20180515 能動性の発露と創造性の方向について:理系と文系

おかげさまで昨日投稿分記事も比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。また、この記事にて述べた各個人の能動性とは、今後の社会において、より重要になってくると思われます。

何故ならば、能動的に活動することなしに自身が持つさまざまな特性・性質を見出すことは困難であると思われるからです。また、かつての我々の社会においては、受動的である方がむしろ美徳とされていたのかもしれませんが、近年のコンピューター技術の進化発展により、我々人間が職務を行うよりも、コンピューターがその職務を行うことの方がより効率的になりますと、以前は美徳であった受動的な態度の多くをコンピューターに肩代わりされることにより、その微妙とも云える価値を多く失い、我々には能動性しか残されなくなるのではないでしょうか?

約言しますと、近現代を通じて大きく進展してきた産業の機械化は一次、二次産業の多くの部分を担うようになり、さらに近年のコンピューター技術の進化発展により、それは人間固有の頭脳による労働が多く含まれるとも云える第三次産業領域にも及び、それにより我々はかつての受動性よりも能動性をより洗練、進化させる時代に立ち至ったということになります。

そしてさらに、この能動性は、多くの場合、創造性と親和力がある、結節し易いと云えるのではないでしょうか?

とはいえ、創造性とは云っても、当初からのその行使であっては持続可能性・発展持続性が乏しいと云え、やはり、その基礎においては、さまざまな学習が必要であると云えます。

また、おそらく現在の我々の社会においては、若い頃に学習をして、その後は学習にて培ったものを実地に運用していくといった傾向があり、これは特に自然科学系学問分野において顕著であると云えます。

一方、人文社会科学系分野においては、自然科学系学問分野ほどにこの傾向は顕著ではなく、あるいは何かしら別種の世界観・価値観といったものがあるように思われます。

このことをもう少し考えてみますと、自然科学系の方々は法則、公式そして客観的事実とされることなどを絶対的に普遍のものと考えている方々が多いのではないかと思われます。それ故、古今のどの書籍にてそれらを知ったとしても、その法則、公式そして事実に変わりはないと考えるといった傾向があるように思われます。

それに対して人文社会科学系の方々は、どのような知識であれ、それを得るに至る文脈・系譜といったものを極めて大事にすると云えます。むしろ、その文脈の流れをを精確に把握すること、背景の歴史を知ることにこそ、その神髄があると考えているフシがあるように思われます。

そして、無論双方共に重要ではあるのでしょうが、我々日本人は、後者の考え方が苦手であるといった(割合顕著な)特徴があるように思われます。それ故、今後我々の能動性の発露がこちらの分野においても、より多く為されることが期待されますが、そのための具体的な施策は、先ずはじめに人文社会科学系分野の学生数を多少減らし、より緊密な講義形態を採ることであると思われますが、さて如何でしょうか?

今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

ここ数年前より現在までに日本列島において発生した、あるいは現在も継続して発生している大規模自然災害により被害を被った、現在も被っている地域の諸インフラの回復および、その後の復興を祈念します。


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2018年5月14日月曜日

20180514 昨日の続き さまざまな作業の外部化と個々人の能動性の方向について・・

昨日は休日ということもあってか、かなり久し振りに1日の閲覧者数が1000人にまで達しました。また、昨日投稿分記事も比較的多くの方々に読んで頂けました。これらを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

さて、そこで昨日投稿分記事内容についてあらためて考えてみますと、現在の社会の傾向として、常時必要でないものに関しては出来るだけ外部化・外注して済まそうといった傾向があると思われます。また、たしかにそうしておけば、必要な時にのみ、手軽に所望の知識・サービスなどが入手出来ますので、スッキリしてスマートであるとも云えます。

こうしたスマートさを追求するのは、決して悪いことではないと考えますが、他方、我々の性質とは、常時何らかの情報の往来・処理などによって活性を保っており、そうしたいわば外部からの刺激(往来・処理)がなくなってしまうと、自然と活性が鈍り、機能が低下もしくは退化いくといった性質を持っているのではないかとも思われるのです。

とはいうものの、実際問題として、出来ることならば面倒なことには関わり合いたくない、やりたくないというのが、我々の偽らざる本音であるとも云えます・・。そうしますと、そこで極めて重要である思われることは、我々各個人が持つ性質・志向もしくは能動性の方向であると思われるのです。

この能動性を駆動させることが出来る業務・職務であれば、多少の面倒があっても我々はそれを成し遂げることが出来る蓋然性が高いと云えます。そして、そうした業務・職務とは当然、各自それぞれの性質により異なります。

私は学生時代に体育会の運動部に所属していましたが、残念ながら、その運動競技に対してのセンスがあると感じられたことはありませんでした・・(苦笑)。また、そうした時に自身に対して感じる不甲斐なさ、無力さはなかなかこたえるものでありましたが、それも現在思い返してみますとあながち悪いことばかりでもなかったようにも思われます・・。

また、その一方で私は、こうした文章を書き続けること、および、おそらく多くのヒトが面倒に思い、あまり積極的には読もうとはしない幾つかの分野の書籍などを読み進めることなどは割合出来るようであり、これもまたさきと同様に自身固有の性質・志向であると云えます。

しかしながら、こうした性質・志向に関しては、おそらく20年程前であれば、一般的にはあまり受け入れられず、逆に『好きなことを仕事にしてはいけない!』といった社会風潮が強かったのではないかと記憶しています・・。おそらく当時はまだ我が国の景気が良かった時代の名残で、むしろそちらの方が社会全体としてはまわっていたのかもしれませんが、現在の我々の社会の様相、あるいは景気が良かった時期から現在に至るまでの変化の経緯とは、一つには、社会全体がこうしたことを考慮することを面倒に思い、そしてそうした意見を述べる人間・勢力を排除・圧迫し続けることにより生じてきたのではないかとも思われるのです・・(それも一種スッキリしていてスマートなのでしょうが・・(苦笑))。

また、そのように考えてみますと、我々の社会とは、古くから否応なく改革に迫られた際は、かなり大規模・大胆な改革を行いはするのですが、その後どうにか社会が安定しますと、そうした改革自体を面倒に思うようになるのか、更新作業を徐々に行わなくなり形骸化し、そして何かしら起源が不明な儀式のようなものとして遺るといったところがあるように思われるのです(それは保守ではなくて、ただの因循姑息ではないでしょうか・・。)。

ともあれ、これからの時代において、より重要になると思われることは、我々各自が持つ性質・志向もしくは能動性の方向を認識し、出来るだけ多くの人々がそれを追求していくことにより生じる自然な社会の変化の蓄積であるように思われるのですが、さて如何でしょうか? 

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

ここ数年前から現在に至るまでに日本列島において発生した、現在も発生している大規模自然災害により被害を被り、あるいは現在も被っている諸地域のインフラの回復そしてその後の復興を祈念します。


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2018年5月13日日曜日

20180513 自身に組み込まれた知識・技能とそうでないもの・・変化・教育の意味

 ここ数日続いた一連の専門職大学に関する記事は、それぞれ比較的多くの方々に読んで頂けました。
読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。また、このことから高等教育機関に関することが更なる興味・関心を集めることは、少なくとも無意味ではないように思われましたので、今後も機会を見つけ、こうした主題にて記事作成を行いますので、どうぞよろしくお願いします。

さて、これら一連の記事をも含め、自身は随時関心のある題材にて記事作成を行い、そしてどうにか現在まで継続することが出来ているのですが、これがある特定の題材のみにて記事作成を行うのであったならば、1年はおろか1ヶ月も継続することは出来なかったと思われます・・(苦笑)。

こうした事情から、概ね我々は、何らかの自由裁量・フリーハンドの権限らしきものを与えられ、その行う業務・作業を全うし、さらに新たな創造も生じ、進化発展にもつなげることが出来るのでしょうが、他方で、近年のコンピューターに関連する各種機器の進化、性能の発展により、我々は本質的には自身に組み込まれていない知識・技能などをあたかも自身のものであるかのように扱う、用いることが出来るようになったと云えます・・。

 また、実際『そのように扱う、用いることが恒常的に出来るのであれば、それはもう『自身のもの』と認識しても良いのではないか?』といった考えが半ば無意識のうちから一般化されてくる風潮も生じるのではないかと思われます・・。

 昨今の言説の劣化・表層化の主たる原因はそこではないでしょうか?:論理的な意味での真実はトートロジーであって、おそらく、そこには深い意味のようなものはない:理系と文系の違い?

 そして再度ハナシは先日以来の教育に戻るのですが、本質的に教育とは、ヒトが何か新たな知識・技能を持つことにより、そのヒト自体が変化することを目的としています。また、その究極的な目的は、各個人により異なるのでしょうが、ともあれ多くの人々が教育により変化することが増大し、最終的には我々人類全体、あるいは地球全体が、より良い方向へ変化することではないかと考えます。とはいえ、こうした考えは、あまりも漠然としており個人レベルでは、ただ単に『面白いから』であると云えます・・(笑)。

 また、実際のところ、そこに何らかの個人レベルにて実感し得る面白さ・快楽のようなものがなければ、時代を通じて継続することは困難であったと云えます。それは我々人類がこれまで存続することが出来たのと同じように・・(笑)。

 そして、このことは当ブログにおいてもいくらかは云えることでもあり、さまざまな他の心情・思いはあるにせよ、本質的に自身は文章を書くことが好きであり、また書籍からの抜粋引用も時にはありますが、基本的には、自身のコトバ・文章にて表出し続けることにより、何かしらのそれ特有の面白さ・快楽を味わうことが出来ているのです。
おそらくそれは他者を借り物の理屈・論理にて遣り込めることなどよりもはるかに大きな面白さ・快楽であると考えます・・。

 また、それ故に教育においては原始的・肉体的なレベルからの知識・技能の習得つまり血肉化・インカーネーションといったものが為される必要があるように思われるのですが、さて如何でしょうか?

 ともあれ、今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

 ここ数年前から現在に至るまでに日本列島にて発生した、あるいは現在も継続して発生している大規模自然災害によって被害を被った、被っている地域の諸インフラの回復および、その後の復興を祈念します。


*ChatGPTによる加筆後の文章☟
ここ数日間にわたり投稿した専門職大学に関する記事は、多くの方々に読んでいただきました。お読みくださった皆さま、誠にありがとうございます。


このことから、高等教育機関に対する関心が一定の広がりを持っていると感じました。そこで、今後も機会を見つけて、このテーマに関する記事を継続的に発信していきたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

さて、これまでの記事を含め、私は興味のあるテーマについて自由に記事を書き続けてきました。そのおかげで、現在まで継続することができています。しかし、もし特定のテーマに限定していたとしたら、1年どころか1ヶ月も続かなかったかもしれません。

人はある程度の自由裁量を持つことで、業務や創作活動を進め、新たなアイデアを生み出し、成長することができるのだと思います。一方で、近年のコンピューター技術の発展により、私たちは本来持ち合わせていない知識や技能を、あたかも自分のもののように扱えるようになりました。

さらに、「継続的に活用できるのであれば、それはすでに自分の知識・技能と言えるのではないか」という考え方が、無意識のうちに一般化してきているのかもしれません。このような風潮が、近年の言説の表面的な傾向を生み出している要因ではないでしょうか。

ここで再び、教育について考えてみます。教育の本質とは、新たな知識や技能を獲得することで、個人が変化し成長することにあります。その究極的な目的は人それぞれ異なりますが、結果的に多くの人々が教育を通じて成長し、社会全体がより良い方向へと進むことが理想とされるでしょう。しかし、この考えはやや抽象的すぎるかもしれません。個人レベルでは、「ただ単に面白いから学ぶ」というシンプルな動機が、最も本質的なものなのではないでしょうか。

実際、何かを学ぶことに楽しさや喜びを感じられなければ、それを持続することは難しいでしょう。人類が長い歴史を通じて知識を積み重ね、発展してきたのも、学ぶことが単なる義務ではなく、興味や好奇心を満たすものであったからだと思います。

この考えは、私がブログを続けている理由とも重なります。書くことが好きだからこそ続けられ、書くことで得られる楽しさや満足感は、単に他者の理論を借りて議論に勝つことよりも、はるかに充実したものです。

教育においても、知識や技能を単に表面的に取り入れるのではなく、それを自分の血肉とする過程が重要です。本当の学びとは、単なる知識の蓄積ではなく、それを自らの中に根付かせ、実践できるようになることなのではないでしょうか。

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20180512 一昨日・昨日からの続き、専門職大学に期待すること・・

昨日投稿分記事もまた投稿翌日にしては多くの方々に読んで頂けました。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。また、当記事の作成後に思ったことですが、来年度の専門職大学の開設が順調に為されることにより、これまで地方自治体あるいは地域医師会・歯科医師会などが運営母体であった各種医療系専門学校が単独あるいは複数合併し、新たな専門職大学が設立されることもあるのではないかと思われました。

そして、そうした流れが生じることにより、既存の人文社会科学系学問を志望する学生さんは今後さらに減少していくことが見込まれます。しかし、実際のところ、人文社会科学系を本気で志す方々は、減少した後の人数程度が適正であり、これまで我々が所与のものとしていた大学学部・学科における人数の配分とは、あくまでも、戦後社会に適応させるための便宜的なものであると云えます。

また、それによりマスプロ教育を行うようになった(余儀なくされた?)大学側に対して学生の不満が爆発したものが、1960年代末の学生運動であるとも云えます。

こうした背景・文脈から考えてみますと、新設される専門職大学は、実業各界との連携を強めた職業ベースの教育が為されるとのことであり、それは教育が本質的に人間対人間といった、ある種プリミティブな要素により為されることを加味しますと、少なくとも、さきに述べた1960年代における状況と比べれば、かなり改善されているのではないかと思われるのです(『数十年前と比較するな!』と思われるかもしれませんが、この時に定着してしまったマスプロ教育が現在に至っても大きく変わっていない大学・学部・学科は決して珍しくないと思われます。)。

さらに、その包括する学部・学科には医療・介護系といった技術を要するものが多いことから、実業各界との連携を強めた職業ベースの教育が為されることは、時宜に適っていると思われます。それに加え、今後は実業各界における組織に対するいわゆるIR活動が適正に為されることが職業ベースであれ『大学教育』を行う上で重要であると考えます。

ともあれ、こうした状況を鑑み、そして今後来るべき時代の潮流を読み、特に文系学部を主体とする比較的小規模な大学は、近隣の医療・介護系大学および専門学校との連携もしくは合併などを模索・検討されるのが良いのではないかと思われます・・。

また、専門職大学の一般化により人文社会科学系学問を志す学生が減少することは、さきにも述べたように、そこまで憂慮すべきことではなく、むしろ『それでも、その学問をやりたい!』といったコアな学生さんの率が増加することにより、そのアウトプットもより優れたものになることが期待されます。

これに関連して、自身のことは未だ断定は出来ませんが、おそらく文系ベースの人間であり、また、そうであることから、こうしたブログ記事作成の継続などが出来ているのではないかと思われるのですが、それも本質的には自分でもよく分かりません・・。しかし同時に書き続けていることにより、以前よりかは多少分かるようにはなっているようにも思われるのです・・(笑)。


ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

数年前より現在に至るまで日本列島各地にて発生し、現在も継続して発生している、さまざまな大規模自然災害によって被害を被った地域の諸インフラの復旧および復興を祈念します。
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2018年5月12日土曜日

20180511 新たな種類の高等教育機関の出現により・・昨日の続き

おかげさまで昨日投稿分記事もまた、多くの方々に読んで頂けました。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。専門職大学につきましては、今後、少なくとも、これまで以上には一般化すると思われますので、既存の諸大学と如何なるカタチにて併存していくのかが興味を持たれるところです。

あるいは既存のある程度伝統・知名度を有する大学が、これまでの学部・学科編成に加えて専門職大学をも擁するといった事態が生じる可能性もまた、あるのではないかとも思われます。

くわえて、現在のところ来年度新設予定の専門職大学の運営母体は私立のみですが、今後、こうした流れに国公立大学も何らかのカタチにて参入してくるといった事態が生じるのではないかとも思われます。

思うに『少子化が進行しているこのご時勢において、何故、新たな種類の高等教育機関が設立されるのか?』と考えてみますと、それは産業・実業界側からの要請もあるとは思われますが、それと同時に、これまであまり競争に曝されてこなかった、ある程度の伝統・知名度を有する大学に対しての強力な競争相手として、この新たな高等教育機関の創設が企図されたようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?

おそらく、この新たなタイプの大学の出現により、少なからずの大学は、その学部・学科編成から運営方針に至るまで、変革を余儀なくされることになると思われますが、それは旧弊墨守とも云える状態から抜け出し、新たな段階への発展のために有意義且つ不可欠な経験にもなるとも考えられます(これも既成事実への屈服ではありますが、否定ばかりもしていらません・・)。

しかし一方で、専門職大学の出現により、就職後に焦点を当てた教育を施す一方で、保持した方が良いと思うことは、各学生が能動的に興味を持ち学び続けることが出来るような教養系学問を大事にすることであると考えます。

このことは(本当に)一見無駄であるように思われますが、この時に掴むことが出来た能動的な駆動力は10年、20年後になって効いてくると思われるのです・・。おそらく我が国の徹底した此岸性への志向は、このことをどうしても軽んじてしまうのかもしれません・・。また、これまた以前に述べたことではありますが、それは、近代以降の我が国政体の耐用年数がおよそ70~80年程度であることとも何かしらの関連性があるようにも思われるのですが、さて如何でしょうか?

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

ここ数年間、現在までに日本列島において発生した、現在も継続して発生している、さまざまな大規模自然災害によって被害を被った、あるいは今現在も被害を被っている地域の諸インフラの回復そしてその後の復興を祈念します。


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2018年5月11日金曜日

20180510 新たに創設される専門職大学について思ったこと

来年、平成31年度より国内各地にて専門職大学という新たな種類の高等教育機関が創設されるとのことです。
それら専門職大学のHPを見ますと、圧倒的に医療・福祉関連領域のものが多いことから、既存の同領域大学・学部・学科と比べて何処が異なるのかと思い、文科省のHPを見てみますと、以下のことが記されていました。

『従来の大学は、専門教育と教養教育や学術研究を併せて行うという機関の性格から、比較的、学問的色彩の強い教育が行われる傾向にあります。 専門職大学は、特定職種における業務遂行能力の育成に加え、特に、企業での長期実習や関連の職業分野に関する教育等を通じ、高度な「実践力」や豊かな「創造性」を培う教育に重点を置く点で特色があります。また、長期の企業内実習などを含め、教育課程の開発等を産業界と連携して行う、より実践的な教育を行う仕組みとなっています。』

つまり、専門職大学は、既存の大学におけるような、どちらかと云えば閉鎖的な学究ベースの教育とは異なり、より実業各界との連携を強めた実践的な職業ベースの教育を行う高等教育機関であると云えます。とはいえ、特に医療・福祉分野においては、これまでも概ね後者(
職業ベースの教育)に近い教育が行われていると思われ、それは多くの大学病院と医学部・歯学部・看護学部などの立地を見ても理解することが出来るのではないでしょうか?

また、こうしたことを考えてみますと、新たに創設される専門職大学が主に医療・福祉関連領域であることが自然に理解され、さらに今後、他分野の専門職大学が創設される場合、医療・福祉分野のそれがモデルとされることが予測されます(すべての分野で上手くいくとは思われませんが、いくつかの分野ではそれなりに成功するのではないかと思われます(特に自然科学系))。

さらに、ここまで書いて想起したのは、先日読了した吉見俊哉著『大学とは何か』pp.13‐14の以下の記述です。


『19世紀以降、大学は国民国家の、そして帝国の知的資源の主要な供給源に位置付けられ、人材育成と研究開発の両面で国家の支援を受けながら総合的な高等教育研究機関として華々しい再生を遂げるのである。その嚆矢がフンボルト理念に基づくプロイセンのベルリン大学であったことは余りにも有名だが、ベルリン大学誕生は、フンボルト一人の天才によるのではなく、カント、シラー、フィヒテ、シェリングといった18世紀末から19世紀初頭にかけての疾風怒濤の時代のドイツ啓蒙主義者たちの知的潮流と不可分の関係をなしていた。
この近代の大学再生の原点に位置するカントは、大学を成り立たせる主要学部のうち、神学部、法学部、医学部の三つを『上級学部』、哲学部を『下級学部』と名付け、下級学部が理性と真理だけに従い、『みずからの教説に関して政府の命令から独立であり、命令を出す自由はもたないが、すべての命令を判定する自由を持つ』ことを擁護した。カントによれば、神学や法学、医学などは大学が国家にとって有用なものであるために必要であり、哲学は理性のために、つまり真理そのもののために必要である。大学が大学であるためには、両者の間に緊張感ある対抗関係が存在しなくてはならず、どちらか一方があればいいというものではない。』


我が国は実質的に無宗教であり、欧米諸大学におけるほどの神学部の重要性は認められないと思われますが、他の上級二学部(法学部・医学部)に関しては、たしかに、その扱う領域が、半ば国家とは独立していると云えます。とりわけ医学は、それが実社会での実践・探求によって洗練され、より大きな重要性を持つに至った領域であると云えることから、(各種情報・知識の入手が容易になった)現在、この領域での実践的な職業ベースの教育を行う新たな高等教育機関が創設されることは、時宜に叶っていると思われます。

しかし一方で、抜粋引用文中にて述べられていた哲学部の役割(すべての命令を判定する自由を持つ)を我が国既存の人文社会科学系大学・学部・学科が今後も担い続けることが出来るのであろうかとは、いささか疑問に思われるところです・・。

そしてまた、そうしたことを書いていますと、これまた以前に抜粋引用した司馬遼太郎と江崎玲於奈による以下の対談が想起されます。

『江崎 試験の話に戻りますと、日本の試験制度はたしかに創造的にものを考える人間には不向きだと思います。しかし、それは日本が創造性を必要としない社会だからでしょう。考えようによっては、これで日本人がクリエイティビティをもったらとんでもないことになるし、あんまり繁栄し過ぎるんじゃないですか。(笑)

司馬 国立がみな同じ入試形態でやっているのはおかしいですね。つまり東京大学はそうだけれども、京都大学は違う方法でやる。数学が出来るやつは全部入れちゃうとか、数学ができなくても、おまえはこういう方面の才能が伸ばせるような席だけは与えてやるとかいうことがないでしょう。全部画一です。どういう民族をつくるつもりでそうするのか、よくわからない。いま、一番の秀才の集まるのは医学部だそうですね。医学進学コースは平均七〇点ぐらいとらなきゃ入れない。医者が重んぜられる社会は無目的社会といえませんか。医者になるというのは、生活の安定を望むというだけが目的の場合が多いから、それだけエネルギッシュな秀才少年たちの志としたら、どうしようもない。ところがいま優秀な少年の志がまさにそれでしょう。

江崎 全国画一の試験が実施できる国だということは、逆にいえばメリットの一つでしょう。日本は創造性をあまり必要としない国であってよいのかもしれません。金をため込むことが目的だったら、金をため込むこと自体に快感を感じればいいわけです。だけど金色夜叉みたいになってしまう・・・(笑)。

司馬 知能の限り傾けて金をためる。一種の復讐かな。(笑)

江崎 戦争に負けた復讐かもしれませんよ(笑)。日本は戦争に負けて、もうだめになるかもしれないと思われたのに、経済を復興させたうえ、経済進出を三十年かけて成し遂げた。その実績から言えば、日本人は今後もかなりの難問題でも、実行能力にものを言わせて何とか切り抜けるでしょう。しかしそのような行き方には限界がありますね。戦争という形ではカタストロフィーは起こらないでしょうけれども、抽象的な意味で日本沈没が起こる可能性はなきにしもあらずではないでしょうか。それはどういうことかといいますと、カタストロフィーに向かったときにブレーキをかける社会的な力が弱いということです。』

今回もまた、ここまで読んで頂きどうもありがとうございます。

ここ数年来より現在に至るまで日本列島各地において生じた、現在も継続し生じている、さまざまな大規模自然災害によって被害を被った地域の諸インフラの復旧および復興を祈念します。
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