何故ならば、能動的に活動することなしに自身が持つさまざまな特性・性質を見出すことは困難であると思われるからです。また、かつての我々の社会においては、受動的である方がむしろ美徳とされていたのかもしれませんが、近年のコンピューター技術の進化発展により、我々人間が職務を行うよりも、コンピューターがその職務を行うことの方がより効率的になりますと、以前は美徳であった受動的な態度の多くをコンピューターに肩代わりされることにより、その微妙とも云える価値を多く失い、我々には能動性しか残されなくなるのではないでしょうか?
約言しますと、近現代を通じて大きく進展してきた産業の機械化は一次、二次産業の多くの部分を担うようになり、さらに近年のコンピューター技術の進化発展により、それは人間固有の頭脳による労働が多く含まれるとも云える第三次産業領域にも及び、それにより我々はかつての受動性よりも能動性をより洗練、進化させる時代に立ち至ったということになります。
そしてさらに、この能動性は、多くの場合、創造性と親和力がある、結節し易いと云えるのではないでしょうか?
とはいえ、創造性とは云っても、当初からのその行使であっては持続可能性・発展持続性が乏しいと云え、やはり、その基礎においては、さまざまな学習が必要であると云えます。
また、おそらく現在の我々の社会においては、若い頃に学習をして、その後は学習にて培ったものを実地に運用していくといった傾向があり、これは特に自然科学系学問分野において顕著であると云えます。
一方、人文社会科学系分野においては、自然科学系学問分野ほどにこの傾向は顕著ではなく、あるいは何かしら別種の世界観・価値観といったものがあるように思われます。
このことをもう少し考えてみますと、自然科学系の方々は法則、公式そして客観的事実とされることなどを絶対的に普遍のものと考えている方々が多いのではないかと思われます。それ故、古今のどの書籍にてそれらを知ったとしても、その法則、公式そして事実に変わりはないと考えるといった傾向があるように思われます。
それに対して人文社会科学系の方々は、どのような知識であれ、それを得るに至る文脈・系譜といったものを極めて大事にすると云えます。むしろ、その文脈の流れをを精確に把握すること、背景の歴史を知ることにこそ、その神髄があると考えているフシがあるように思われます。
そして、無論双方共に重要ではあるのでしょうが、我々日本人は、後者の考え方が苦手であるといった(割合顕著な)特徴があるように思われます。それ故、今後我々の能動性の発露がこちらの分野においても、より多く為されることが期待されますが、そのための具体的な施策は、先ずはじめに人文社会科学系分野の学生数を多少減らし、より緊密な講義形態を採ることであると思われますが、さて如何でしょうか?
今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。
ここ数年前より現在までに日本列島において発生した、あるいは現在も継続して発生している大規模自然災害により被害を被った、現在も被っている地域の諸インフラの回復および、その後の復興を祈念します。
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