2026年3月15日日曜日

20260314 実感を伴わない集積された数値が意味すること…

 そういえば、前々回の記事投稿により、総投稿記事数が2430に到達していたようです。ここ最近は、気が付かないほど、投稿記事数に無頓着になりましたが、それでも継続をしていますと、徐々に、次なる目標である2500へ近づいて行くようです。そして、もう少し投稿頻度を上げて継続しましたら、あるいは、来る6月の当ブログ開始から丸11年までには2500記事に到達することが出来るのではないかとも思われます。2500記事と考えますと、未だに現実感は皆無ですが、既に超えた2400記事もまた、超えたという実感は希薄であると云えます…(苦笑)。とはいえ、当ブログ開始から丸3年程度は、現在と比較しますと、かなり意識して毎日ブログ記事の作成を心掛けていました。また、その当時はブロガーのみでの投稿であり、ツイッター(現:エックス)などsnsとの連携はしていませんでしたので、ただ毎日、概ね決まった時間帯に淡々と当ブログの記事作成をしていました。そして、そのようにして当初の1000記事は作成してきたと云えますので、既に2400記事を超えた現在であっても、あるいはそのような態度の方がブログの継続には向いているのかもしれませんが、2020年よりツイッター(現:エックス)との連携をはじめたことが、当ブログの作成スタイルにも影響が生じ、未だ紆余曲折を経ているのであると云えます。とはいえ、現在となっては、2020年から現在までの期間の方が、開始から2020年までの期間よりも長くなり、また、投稿記事数も多くなっていますので、開始から2020年までに身に着いたブログ記事の作成という習慣が、定着して、どうにか現在にまで至っているのだと云えます。しかし、それと同時に思ったことは、2020年と云えば、新型コロナウィルス感染症が猖獗をきわめた年であり、それに伴い、それまで、国際社会である程度流通していた自由主義的な言説・価値が危機により省みられなくなり、そして感染症が少し落ち着いたその翌(2021)年にNATOがアフガニスタンから全面的に撤退して、国際協力による治安維持の限界が示され、さらに翌(2022)年2月、同じくアフガニスタンで、かつて痛い目にあったロシア(当時はソ連)がウクライナに全面侵攻しました。これを契機として国際情勢がさらに不安定化し、そして翌(2023)年10月、パレスチナ・ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマースがイスラエル国内に越境攻撃を行い、そこから、イスラエル対ハマースをはじめとするイスラム原理主義軍事組織との軍事衝突が生じ、それが紆余曲折を経て、現在(2026年3月)にまで至っていると云えますので、世界規模での感染症の蔓延により国際社会が急激に内向きとなり、そして、一連の戦争や軍事衝突が連鎖的に生じたのだと思われますので、2020年以降からの当ブログの継続は、それ以前からの継続があったことから、どうにか、さまざまな書籍を読んだり、報道動画を視聴して、情報を得るように心掛けて、それらを自分なりに加工し、あるいは、関連すると思われる著作の記述などを引用記事として発信することなどが出来たのではないかと思われます。このように考えてみますと、2020年以降の、当ブログとSNSとの連携は、投稿頻度は落ちたものの、以前のように、淡々とブログ記事を作成するのではなく、SNSとの連携により、外向的にならざるを得なかったことから、このような様相での継続に到ったのではないかとも思われるのです。とはいえ、ほかにもまだ述べたいことがありますが、それにつきましては、また次回以降に述べたいと思います。とはいえ、本来、当ブログとは、こうした文章が主たるものであり、それが時々、何らかの契機により、筆(?)が乗り、通常よりも深いこと、面白いことなどを文章化することが出来ていたようなものですので、あるいは、この調子での文章作成であれば、あまり肩肘を張らずに作成出来ると思われますので、もう少し投稿頻度を上げることを試みても良いのではないかと思われましたが、さて、実際のところはどうなるでしょうか?

ともあれ、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。


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2026年3月12日木曜日

20260312 「源泉の感情」の言語化について:地理的勾配と時間遡行との同期化

 先月末、2/27の投稿記事にて述べた内容は、その後、何度か、類似・関連する主題の既投稿ブログ記事をあたったところ、直近(2/27)のそれが、最もその内容を文章として表現出来ていることに気付かされました。とはいえ、こうしたことは、これまでにも度々ありましたが、2/27の投稿記事は、私にとって特に重要な主題であり、そこで述べた地域の歴史に対する認識・理解の仕方こそが、これまでに何度か表現を試みた主題を最も的確に文章化し得たものと云えます。それ故、類似した主題でのブログ記事の作成も決して無意味なものではなく、むしろ、文章としての洗練化の過程で、不可欠なものであるようにも思われるのです。その意味において、自らマンネリ・惰性感をあまり感じることなく、能動的に文章を作成することが出来る分野・題材を持つことは、単に専門分野を持つこと以上に、自らにとって資する何かがあるのではないかとも思われます。そして、そのためには、均衡のためにも、何らかの継続的なインプットも必要であると考えますが、私にとって、このインプットの主なものが読書であると云えます。直近での記事投稿後も、現在に至るまで毎日、何らかの著作や論文などは読み続けており、さらに、当ブログ以外での文章作成も継続的に行っていることから、ここでの記事作成も、躊躇することなく取組めています。とはいえ、これまで述べてきたなかで、やはり重要であるのは、直近の投稿記事にて述べた『紀伊半島西南部を南下し、紀ノ川、有田川などの渡河に伴い、風景の「自然」が優勢になるだけでなく「時代」をも遡行する「地理的勾配(南下)と時間的遡行の同期」の感覚』を、これまでで最も明晰に文章化することが出来たと云う実感であると云えます。おそらく、これこそが当ブログ開始当初の頃から伝えたかった内容の一つであり、また、当ブログの「源泉の感情」の一部であるとも云えます。そして、それを文章化することが出来た実感からか、ある種の安堵感と共に、気の緩みも生じ、くわえて、最近の三寒四温での寒さから、積極的な新規でのブログ記事の作成には至らなかったと云うのが状況の説明として妥当ではないかと思われます...。しかし他方で、ここで斯様に、そのことを題材として、新たにブログ記事を作成してみましたところ「いや、もっと上手く説明することは出来るのではないか?」であるとか「まだ他にも文章化することが出来る関連する題材はあるぞ…」といった思いが反応のように沸々として生じてくるのです…(苦笑)。また実際、私は当ブログでの題材に困りますと「当ブログについて」と「紀州・和歌山ネタ」と、書籍からの引用記事の何れかを選択する傾向があると云えます(笑)。その意味で、これら三つの要素は、私にとって、文章を作成し、掘り下げる度に、新たな考えが生じると云った、なかなか尽きることのない鉱脈であると云い得ます。そして、先述の安堵感からの気の緩みを経て、本格的な春への季節の推移に伴い、また徐々に当ブログでの記事作成も活性化させていきたいとは考えていますが、さて、どうなるものでしょうか?
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Gemini の回答

2026年2月27日金曜日

20260227 文章作成の根源にあるものについて:読書の習慣と記号接地③

 以前にも述べましたが、当初私は、北海道から南紀白浜への転勤が大変に嫌でしたが、否応なく始まったそこでの生活を通じ、地域の自然風土や歴史文化に興味を持つようになり、それが、かねてよりの大学院進学への希望と歯車が噛み合い、動き出し、そして県北部の和歌山市に在住することになりました。つまり、はじめは、都市からは遠く、南方的な自然が横溢とした南紀に住み、次に、大都市である大阪府にほど近い、県庁所在地の和歌山市に在住したことになります。そして、この在住の順序は、現在考えてみますと、前出、コンラッド著「闇の奥」の記述に惹かれたことにも関連があるように思われるのです。と云いますのも、直近の投稿記事にて「歴史が同一地域の上で、類似・継続した価値観、感覚を遺しつつ積層していることを実感として得ることが出来た…」と述べましたが、これは、紀伊半島西南部を流れる、北から紀ノ川、有田川、日高川、南部川、会津川、富田川、それぞれの河川流域で歴史の積層の様相が認められ、また、歴史の推移についても、流域毎に類似する点もあれば、異なる点もある様相が認められたからであると云えます。そして、現代でのその様相もまた同様であり、たとえば、紀ノ川であれば地域で最も栄えている和歌山市を流れ、次いで有田川であれば、紀ノ川下流域ほどには栄えてはおらず、川を南北から挟む紀伊山地から延びた山並みには、一面に蜜柑の樹が植えられており、その花が咲く5月頃の有田市や少し上流の有田川町では、以前述べた2月下旬頃のみなべ町の梅の花の薫りのように、さらに規模も大きく、蜜柑の花特有の、あの爽やかで甘い薫りが地域一帯を包み込むのです。つまり、有田川下流域一帯は、紀ノ川のそれと比べ、より自然が多く、他方、建造物が少なくなり、また、それら建造物も紀ノ川下流域と比べ、時代が遡るものが目立ちます。そこから、紀伊半島西南部を流れる各河川流域の景観をも含む様相とは、紀ノ川から有田川そして日高川と南下に伴い、その様相が示す時代も遡り、最南部に位置する富田川まで行き、その河口部に立ちますと「たしかに紀ノ川よりも河川の規模は小さいけれども、こうした景観は、往古、神武東征の頃の紀ノ川河口にも似ているのではないだろうか?」と考えさせられるのです。また、そうした考えは、有田川や日高川などを渡る際にも想起せられます。そうしますと、紀伊半島を和歌山市から南下して、途中、各河川を渡るに伴い、段々と時代が遡っていくような感覚を覚えるのではないかと思われるのです。実際、当時、私はそのように感じられ、その感覚は南紀白浜在住時では得られることはなく、その後、和歌山市在住時に紀ノ川大橋を自転車で渡っている時に、周囲の景色を見て、不図、そのように感じられたのです。そして、そうした感覚を保持しつつ、過日、引用記事として投稿したコンラッド著「闇の奥」導入部の記述、そして、それに触発されて私が作成した当ブログ投稿記事を読んで頂きますと、さきに「歴史が同一地域の上で、類似・継続した価値観、感覚を遺しつつ積層していることを実感として得ることが出来た…」と述べた、その背景にある感覚をもう少し、ご理解あるいは共感して頂けるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか?

*三交社刊 ジョセフ・コンラッド著 藤永茂訳「闇の奥」
pp.19-21より抜粋
ISBN-10: 4879191620
ISBN-13: 978-4879191625

「僕は大昔のこと、1900年前、ローマ人が初めてここにやってきた頃のことを考えていたんだ―ついこの間のことのようにね。
 そのあと、この河から光明が流れ出て行くようになったんだ―騎士たちが出立して行ったと言うのかい?それでもいいさ。
 だが、それはね、平原を妬いて突っ走る野火、雲間にひらめく稲妻のようなものだ。われわれ人間の生なんてはかないものだ―せいせいこの古ぼけた地球が回り続ける限り、それが続くことを祈ろうじゃないか。
 しかし、暗黒はついこの間までこのあたりを覆っていたんだ。まあ想像してごらんよ。地中海に浮かぶ―ああ、なんて言ったっけな―そうそう、トライトリームという立派なガレー船の副長だった男が、突然、北辺に行けと命令された時の気持をね。
 急いでゴール人の地の陸路横切って北海に出て、古代ローマの軍団の船の一艘の司令を任されるわけだ。
 物の本にあるところを信用すれば、彼らはそうした船を、一月か二月のうちに、何百と造ったものだそうだ―ずいぶんと器用な連中だったに違いないね。
 さて、世界の最果て、鉛色の海、煙色の空、六角アコーディオンと同じくらいの堅牢さしかない船―その船に兵糧、兵士、その他あれこれを積んで、その船長がこのテムズを遡ってくるところを想像して見たまえ。砂州、沼沢、森林、蛮民、―文明人の口に合うものなどほとんどなく、陸に上がっての楽しみもない。あちらで、またこちらで、まるで干し草の大束のなかの針みたいに、荒野のなかで消息を絶つ野営隊もあった。
 ―寒さ、霧、嵐、疫病、流浪、そして死、―空気のなかにも、水のなかにも、薮のなかにも、死がそっと潜んでいるのだ。
 兵士たちは蠅のように死んでいったに違いない。だが、もちろん、船長は任務完遂、それも、あれこれ思い惑うこともなく見事にやってのけたのかもしれない。
 彼らこそが暗黒に立ち向かうに十分な強さを備えた男たちだった。
もし、ローマにいくらかのよいコネがあり、このひどい気候風土を生き抜いたあかつきには、やがてラベンナの艦隊への昇進もあろうという思いに元気づけられることもあっただろうよ。
 あるいはだな、トーガを身にまとった人品いやしからぬ少壮のローマ市民が―さいころ遊びでもやり過ぎた挙句ににさ―一旗揚げ直してみるともりで、知事とか、収税吏とか、はたまた商人などに混じる一行に加わって、この土地にやって来たところを想像してみよう。
まず沼地に上陸し、森や林を抜けて、やがてどこか内陸の駐屯地にたどり着く。そこで、彼は未開地の荒涼さ、全くの荒涼さがすっぽりと彼を包み込んでしまったと感じるのだ、森のなか、ジャングルのなか、そして野蛮人の胸の奥にうごめいている荒野の神秘な生命のようなもの全体が、ひしひしと身に迫ってくる。
 そうした神秘に参入する儀式や手ほどきなどありはしない。彼はその理解を絶したもののただ中で生きてゆかねばならず、それはまた、嫌悪すべきことでもある。
ところが、その神秘はある魅惑も備えていて、それが彼の心にじわりじわりと作用を及ぼしてくる。
 嫌悪感の蠱惑とでも言えようか。思っても見たまえ。日々につのる後悔、逃げ出したいとあせる気持、それができない腹立たしさ、結局は屈服し、ただ憎悪が残るのだ」

*ラッセルにはじまりコンラッドに至るまで…M2病の妄想?

「この当時は当然の如く、主に民俗学、考古学関連の書籍を読んでおりましたが、それだけではどうも自身の述べる事柄の論拠が乏しいと思われたのか、こうした思想、哲学関連の著作をも読む習慣が身に着いたのではないかと思われます・・。

ちなみにこうした議論を通して知り、自分なりにある程度精読した記憶があるのはオルテガフレイザーバタイユコンラッドなどであり、中でもコンラッドに関しては、その著作『闇の奥』(Heart of Darkness)になみなみならぬ関心を抱き、当時その和訳が岩波文庫版と市場に出回っていないものの二種があり、前者に関しては既に入手、既読であったのですが、後者を手に入れるために、自分なりに苦心した記憶があります・・。
加えて、当ブログにおいて一記事として抜粋引用している著作(闇の奥)冒頭部分をそれまでの研究にて知り得た古代史、紀伊半島の歴史に当て嵌めて、さきの議論あるいは雑談などの際に述べていたことが思い起こされます・・(苦笑)。
それは以下のように・・

『僕は大昔のこと、我が国の初代天皇(大王)に率いられた一団がここにやってきた頃のことを考えていたんだ・・ついこの間のことのようにね・・。
そしてあとの時代、この紀の川の河口から髪を角髪(みずら)に結い、胡服に身を包み、直刀を杖立てた連中にはじまり、鎧兜姿に太刀を履いた連中がそれぞれ船団を組んでこの港、当時は雄ノ湊とか徳勒津とか云ったらしいけれども、そこからさまざまな事情を背負いつつ出立して行ったわけだが、それはね、青々とした水田、畑を走る一陣の風あるいは一瞬の稲妻のようなものなんだ・・。
われわれ人間の生なんてはかないものだーせいぜいこの古ぼけた地球が回り続けるかぎり、それが続くことを祈ろうじゃないか。
しかし、我々が今でも知り得ない世界はついこの間までこのあたりを覆っていたんだ・・。
まあ想像してもごらんよ、九州の東海岸にいた航海術に長けた連中が・・そうそう、そういえば当時の我が国には、外洋航海を目的とするような構造船はなくて、大型の丸木舟に舷側板を立てたような船だけであったらしいけれども、そうした船で瀬戸内海を東に抜けて今の大阪か奈良あたりに向かうと決まった時の気持ちをね・・。
それはいわば、自分達とは全く違う不可解な形をした青銅祭器を祀っているような連中の間を抜けて・・いや、そうした連中の真っ只中に行くわけなんだが、それでもこの当時九州東海岸にいた連中はとても勇ましかったようで、ものの本などによると、古代有数の軍事部族であった大伴氏や佐伯氏などは、ここに出自を持っているらしいのだがね・・。
ともあれ、彼等がこのあまり堅牢とはいえない、まあ準構造船とでも云えるような船に兵糧・武器その他あれこれを積んで、どうにか瀬戸内海を抜け、そうだな当時の大阪、河内平野一帯に広がっていた潟湖である河内湖に入り、その流れ込みの淀川のデルタ地帯に上陸したところあたりを想像してみたまえ・・。
砂州、沼沢、故地とは違った植生の森林、自分達とは異なるイントネーションの言語、衣服・・それまで自分達が慣れ親しんだ文化が見当たらなく、陸に上がっても狡猾な罠があったり、毒矢で射られたりして、この航海で見知った仲間達が日を追って減っていったに違いない・・。
こうした環境では、水、森林、草原、藪のなかにも、死がそっと潜んでいるのだ。
だが、もちろんそれでも彼等は特に思い惑うこともなく上陸地点を慎重に選定しながら、時には敵対部族とも戦いながら、更なる航海を続け、また上陸後は上陸後で険しい山道を通り抜け、どうにか目的地に達することが出来たのであろう・・。
彼等こそがこうしたまったく見知らぬ土地に立ち向かうに十分な強さを備えた連中だったのだ。
そして、もし、この一連の長く続く航海、在来部族との諍い、そして、この慣れない気候風土を生き抜いたあかつきには、この航海の目的地でもあり、そして、いずれは此処が己が居地ともなることもあろうという思いに元気づけられることもあっただろうよ・・。』」

そして、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。

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2026年2月24日火曜日

20260223 文章作成の根源にあるものについて:読書の習慣と記号接地②

 本日の関東南部は、気温が上がり、春を思わせるような陽気でした。この時季は三寒四温と云いますが、たしかに寒い日と暖かい日が数日間毎に交互に来て、全体としては暖かい方に向っている感じがあります。丁度、この時季の和歌山県日高郡みなべ町一帯は、梅の花が満開から散り始める頃であり、国道42号線の、この辺りを自動車で走っていて、窓を開けますと、本当に梅の花の薫りが漂ってくるのです。このようにして土地の薫りを強く感じることは、それまでになく、さらに、その後、何度か当地で、こうした経験を経ることにより、この地域での四季の巡りの様相が理想的なものであると感じられるようになりました。あるいは、紀伊半島の西南部の地域性や自然風土に魅力を感じるようになったのだとも云えます。そして、その一方で読書もありました。当時は既に、ポール・ケネディの「大国の興亡」上下巻やウンベルト・エーコの「薔薇の名前」上下巻などの著作は読み、文系師匠が送付してくださった新刊著書の紹介が掲載された冊子で見つけたロバート・グレーヴスによる「この私、クラウディウス」を当時普及していたアマゾンを通じて購入し、読んでみたところ大変面白く感じられたことから、何度か読み返し、また殿山(合川)ダムへの釣行の際にも持参して、ボートの上で釣りをしつつ読んでいましたが、現在考えてみますと、これは贅沢な時間であったのかもしれません。ともあれ、そのようにして、転勤当初は嫌々であった南紀と云う地域に、何と云いますか、ホンモノらしさを徐々に感じるようになりました。それは、地域に、現代にまで伝わる史実や伝説を示す、さまざまな遺構・遺跡が変に手を加えられず、自然なままで残されていることに感心したためであると云えます。その典型的なものは、古くからの寺社などであり、また、そうした寺社の境内に古墳があることも多く、さらに、もっと古い銅鐸が出土した事例などもあることから、歴史が同一地域の上で、類似・継続した価値観、感覚を遺しつつ積層していることを実感として得ることが出来たことは、私にとって価値のあることでした。しかし、こうしたことを文章として述べることが出来ているのは、まさに、そうした様相を認識して言語化するために学んだ背景があり、具体的には、大学院修士課程での研究があるために、そうした様相を言語化することが出来ているのだと云えます。ともあれ、私は大学院修士課程に進学することを当初から望んでおり、当時、何人かの先生に大学院進学希望の旨を伝えたところ「それは良いかもしれないけれど、とりあえず、数年間は働いてから考えても良いのではないか?」とのことであり、実際に社会人を5年経て、その後、同地域の大学院に進学することになりました。しかし、ここで大変に重要であることは、当初、大学院での専攻として希望していた欧州文化は選択せず、この地域のことを学ぶ地域学を専攻としたことです。これは、以前の南紀在住経験を言語化、再構成しようとする試みであったのだと云い得ます。また、ここでは、それまでの人生で最も多くの書籍を読みました。その意味で、この頃に、何かが外れて、壊れてしまったようにも思われます。しかし他方で、未だに自分が関心を持つ分野の著作であれば、何とか読むことが出来ているのは、この頃の経験があるからとも云えますので、その良し悪しは何とも云えません…。ともあれ、私はこの期間がとても重要であったと考えています。また、この期間で、さきの実感が生じるための、また他の経験がありましたが、それは、当時の自宅の比較的近くにあり、深夜も営業しているメッサオークワ・ガーデンパーク和歌山店内のTSUTAYA WAY書店にて偶然、岩波文庫の棚にあったコンラッド著「闇の奥」を手に取り、何気なく読んでみたところ、その文章にある感性に強く惹き付けられたことです。立ち読みを行う際には、この感覚を頼ると良いと思われます。そして、そうしたことを何度か経験しますと、次第に、自分が興味を持ちつつ読むことが出来る書籍の種類といったものが分かってくるのではないかと思われます。ともあれ、この経験には続きがあるのですが、ここで一旦、区切らせて頂きます。そして、今回も、ここまでお読み頂き、どうもありがとうございます。

*人工知能による編集を経た文章☟
 本日の関東南部は気温が上がり、春を思わせるような陽気でした。この時季は三寒四温と云いますが、たしかに寒い日と暖かい日が数日ごとに交互に訪れ、全体としては暖かい方へと向かっている実感があります。

丁度この時季、和歌山県日高郡みなべ町の一帯は、梅の花が満開から散り始める頃です。国道42号線のこの辺りを自動車で走り、窓を開けますと、本当に梅の薫りが漂ってくるのです。このように自然に魅力を感じることはそれまでになく、その後、当地でこうした経験を重ねることにより、この地域での四季の巡りの様相が理想的なものであると感じられるようになりました。あるいは、紀伊半島西南部の地域性や自然風土そのものに魅力を感じるようになったのだとも云えます。

その一方で、読書がありました。当時は既に、ポール・ケネディの『大国の興亡』やウンベルト・エーコの『薔薇の名前』などは読み終えていましたが、文系師匠が送付してくださった冊子で見つけたロバート・グレーヴスの『この私、クラウディウス』を、当時普及していたアマゾンで購入してみました。読んでみると大変面白く、何度か読み返し、殿山(合川)ダムへの釣行の際にも持参して、ボートの上で釣りをしつつ読んでいたものです。現在考えてみますと、それは贅沢な時間であったと云えるのかもしれません。

ともあれ、そのようにして、転勤当初は嫌々であった「南紀」という地域に、いわば「ホンモノらしさ」を徐々に感じるようになりました。それは、地域に伝わる史実や伝説を示すさまざまな遺構・遺跡が、変に手を加えられず、自然なままで残されていることに感心したためであると云えます。典型的なものは古くからの寺社などであり、その境内に古墳があることも多く、さらにはもっと古い銅鐸が出土した事例もあります。歴史が同一地域の上で、類似・継続した価値観や感覚を遺しつつ積層している。それを実感として得られたことは、私にとって非常に価値のあることでした。

しかし、こうしたことを文章として述べることができているのは、まさに、その様相を認識し言語化するために学んだ背景――具体的には、大学院修士課程での研究があるからに他なりません。 もともと私は、大学院進学を当初から望んでいました。当時の先生方に相談したところ「数年間は働いてから考えても良いのではないか」との助言をいただき、実際に社会人を5年経て、同地域の大学院に進学することになりました。ここで大変に重要であるのは、当初希望していた「欧州文化」ではなく、この地域のことを学ぶ「地域学」を専攻としたことです。これは、以前の南紀在住経験を言語化し、再構成しようとする試みであったのだと云い得ます。

ここでは、それまでの人生で最も多くの書籍を読みました。その意味で、この頃に「何かが外れて、壊れてしまった」ようにも思われます。しかし他方で、未だに自ら関心を持つ分野の著作であれば読み通せているのは、この頃の経験があるからとも云えますので、その良し悪しは何とも云えません。ともあれ、私はこの期間がとても重要であったと考えています。

また、この期間には、さきほどの実感が生じるための別の経験もありました。それは、当時の自宅近くにあり、深夜も営業していたメッサオークワ ガーデンパーク和歌山店内の「TSUTAYA WAY」にて、偶然、岩波文庫の棚にあったコンラッド著『闇の奥』を手に取り、何気なく読んでみたところ、その文章にある感性に強く惹き付けられたことです。 立ち読みを行う際には、こうした感覚を頼ると良いと思われます。そして、こうした経験を何度か重ねることで、次第に自分が興味を持ち、読むことのできる書籍の種類というものが分かってくるのではないでしょうか。

ともあれ、この経験には続きがあるのですが、ここで一旦、区切らせて頂きます。

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2026年2月23日月曜日

20260222 文章作成の根源にあるものについて:読書の習慣と記号接地

 ここ最近の関東南部では、以前より少し暖かいと感じる日が増えてきたように感じられます。丁度、立春を過ぎたばかりですので、立春の基にある「二十四節気」と云う古い暦にも、それなりに深い意味があるのではないかと思われました。さて、この「二十四節気」の大寒から立春(1月末~2月初め)まで、大変寒い時期が続きましたが、どうにかそれを耐え忍びますと、少し暖かくなり、徐々にまた、生命力が甦ってくるように感じられます。そして、そのことを当ブログの記事作成に関連させてみますと、合点が行くのではないかとも思われますが、ともあれ、ここ最近は、さきに述べた生命力の減衰によるものであるのか、あまり、文章作成をしたいと思うことが少なく、また読書についても、同様に、好調とは云えませんでした。そして、そうした時期に、行うと良いと思われることは、自分にとって文章作成の基本となったものを読み返すことであると考えます。文章作成とは云っても、さまざまな段階があり、私の場合、文章作成の基本となったのは、おそらく、司馬遼太郎の著作であり、それは小学校高学年の頃に知り、中学生の頃は、小遣いを文庫本に換えては読んでいた記憶があります…。そして、そこから高校、大学、社会人の期間、長らく司馬遼太郎の作品を読み続けてきました。社会人になってからは、ホテルマンであったことから、世間の休日は稼ぎ時であり、そのため、休日は平日に一人であることが多く、そのような休日で外出をしない日は、一人で一日中読書をしていることも度々ありました。そうしたなか、南紀白浜在住時に、司馬遼太郎が、この土地について書いた著作があった事を思い出し、検算のつもりで、その著作を読んでみたところ、大きく感動出来るような私の在住経験との合致点はなかったものの、同時に、空疎なことを述べているわけでもないことは理解出来ました。それは、おそらく視座の違いによるものだと思われますが、おそらく、そのようにして、ある程度、書籍を読み続けるなかで、自らの文体も立現れてくるのだと思われますが、しかし、我が国でも2022年以来、人工知能が徐々に社会に浸透し、そして2026年現在においては、かなり普及したのではないかと思われます。具体的に、この汎用化された人工知能を用いますと、大抵の用途のドラフト的な文章などは即座に生成することが出来ます。また同時に、そのおかげで、文量の多い英論文なども普通に読むことが出来るようになり、さらに、何と云いますか、直線的な文章の作成においては、かなり有用であると云えます。しかしながら、こうした即興に近い散文のようなものの作成(生成)は、今なお難しいのではないかと思われます。その意味において、私が当ブログを2015年から継続していることの大きな意味は、人工知能が登場、普及した後の現在においては、それ以前から、自らの文章作成をしてきた証拠になると云うことです。ともあれ、そのように述べる私の、この文体の根本にあるものは、少なからず、小学校高学年の頃から読み続けてきた司馬遼太郎の諸著作があり、それが南紀在住の折、その著作「街道をゆく8 熊野・古座街道・種子島みちほか」をあらためて読みかえし、記号接地の感覚らしきものを得てから、また地域の歴史文化などにも、新たな興味を向けることが出来るようになりました。とはいえ、以前にも述べましたが、こうした変化とは、若い時分であっても、極めて緩慢なものであると云えます。そうして、こうした自らの感覚を歴史や文化に記号接地するためには、やはり、ある程度の読書経験が不可欠であるのではないかと私は考えます。つまり、私は司馬遼太郎の著作を読む習慣があったからこそ、そこ(南紀)で、記号接地の感覚を得て、そこから当地域の歴史文化について述べた他の著作についても「読める」と云う感覚を得ることが出来たのだと云えます。そしてまた、おそらく、司馬遼太郎が同志社大学の著名な考古学者である森浩一先生(故人)と親交があったことから、森浩一先生の著作も同様に読むことが出来る様になり、そして、そこから和歌山市の岩橋千塚古墳群や御坊市の岩内一号墳や紀州・和歌山での銅鐸の出土様相などについても興味を持ち、知り得ることが出来る様になり、それが元になり、修士論文のテーマとなったことから、小学生以来、断続的ではあれ継続していた読書の習慣が、思いのほか役に立ったのではないかとも思われます。ともあれ、冒頭に戻りますと、私の場合、現在の当ブログでの文章作成の基本となったものとは、これまでに述べた司馬遼太郎に加え、加藤周一による「日本文学史序説」(上下巻)もそうであったと云えます。現在でも、この著作をあらためて読み始めてみますと、抜粋引用したくなるような記述に出くわします。実際、当ブログでは少なからず、当著作からの引用記事があります。そして、当著作は2013年、学位取得後に初めて読んだ分野外の著作であり、その後、数年読み続けましたので、それが当ブログの開始時期である2015年とも被るのです。ともあれ、このような現在作成している自らの文章の基本となった著作、文章を読み返すことは、当ブログの作成以外でも、今後のブログ記事作成においても、活かすことが出来ると思われることが少なからずありましたので、やはり、それはそれで良いことであると思われました。

そして、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。


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2026年2月18日水曜日

20260217 2425記事に到達して:近況から

 ここ最近での当ブログを振り返ってみますと、書籍からの引用記事が多く、また、新規投稿そのものの決して頻回とは云えない状態が続いています。これを客観的に見れば、ある程度継続してきた当ブログが、いささか「おざなり」になっていたことは否定出来ません。しかしながら、当ブログでの投稿が滞っていたここ最近の時期においても、文章作成と云う行為自体は途切れてはいませんでした。

 当ブログ以外での文章作成は、以前と変わらずに継続しており、また近年においては、人工知能を援用した文章の作成も少なからず行っていることから、文章の作成自体は、ほぼ毎日、行ってきたと云えます。そのため、本日、久しぶりに自らの言葉でのブログ記事の作成を始めた際も、文章が出てこないと云うことはありませんでした。あるいは、様式が何であれ、文章の作成とは、継続していれば、たとえ、他の様式に移行したとしても、その主題での文章作成が出来ると感じるのであれば、何とか作成出来てしまうものであるのかもしれません…。

 また、文章の作成とは異なりますが、先日、多少、普段よりも身体を動かす機会がありました。所用のため、朝から自転車でJR本八幡駅の近辺を出発し、市川市北部、鎌ヶ谷市にほど近い行政機関へと向かいました。そこで必要な書類の発行を受け、他の書類とまとめて封入し、それを携えて再び自転車で戻り、一度荷物を仕事場に置いてから、今度は本八幡駅から総武線に乗り、都内での別の所用のために出向きました。

 出先での用事を終えて戻り、そのまま室内での仕事に入り、その後、いつものように犬の散歩をして帰宅した時、ふくらはぎを中心として、普段とは明らかに異なる疲労感があることに気が付きました。そこで、Google Mapと人工知能を用いて、その日の移動距離を算出してみたところ、自転車で15km以上、徒歩で3~4kmとのことでした。これは普段の私の生活からすれば、過剰とも云える距離と云えます。

 しかしながら、不思議なことに、その晩の疲労感は部活動の後のそれにも似て、比較的心地良いものであり、そのためか、かえって、その晩の読書は身が入り、充実したものとなりました。もっとも翌朝は、案の定と云うべきか寝坊をしてしまいました。

 さらに、その日を境として数日間、身体の重さやダルさが抜けず、体調が優れない日々が続くこととなりました。それでも、こうした体調のブレがあるなかで、私の状態をどうにか支え、「ピン留め」してくれていたのは、文章の作成であったと云えます。また、当ブログ以外での文章作成は、いくらかの緊張を伴うものであるため、その適度な緊張が、体調のブレを押し留めたのか、そこでは、概ね普段通りでの分量を作成することが出来ました。

 さらにその後は、作成途中の引用記事や、人工知能を援用した記事の加筆修正を進めるうちに、ようやく、少しずつ調子が戻ってきたように感じられます。ともあれ、この一週間での一連の出来事から、私は、もはや若くはないことから、無理は禁物であると同時に、少しは奮いつつ文章を作成することが、当ブログ継続のために重要であることを実感しました…。

 これを換言しますと、放置しておけば次第に萎えてしまう感性や感覚を、自分にとって適度な負荷と緊張により、活性化を試み続けることが重要であると云うことになります。

 そういえば、当ブログは、直近の投稿により、総投稿記事数が2425に到達しました。これは当面の目標としている2500記事まで、前回の2400記事から四分の一ほど進捗したことになります。2400記事に到達してからの進捗は、確かに以前と比較すれば緩慢ではありましたが、それでも、現在も(何とか)進捗はしています。

 これまで当ブログをどうにか10年以上継続し、投稿記事も前述の程度まで達し、さらに、近年では(大変ありがたいことに)他での文章作成の機会もありますが、やはり、当ブログが、私の公表する文章作成の基盤であると云えます。そのため、今後は、もう少し、そして出来る限り、当ブログの方も充実させていきたいです。

そして、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。

一般社団法人大学支援機構

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2026年1月25日日曜日

20260125 ローヤルゼリーと朝鮮人参から思ったこと

 2026年1月も終盤に入り、首都圏も厳しい寒波のただ中にあります。氷点下に近い気温と乾燥した空気が心身を芯から凍えさせるようなこの時季になりますと、我々は、古来より滋養強壮効果があるとされてきたローヤルゼリーや朝鮮人参などに、自然と関心が向くのではないでしょうか。

 しかしながら、そもそも何故、これらに滋養強壮効果があるのかと考えてみますと、そこには、薬学や栄養学といった、いわゆる理系学問的な知見を超えた、自然界における摂理や、東アジア地域に連綿と受け継がれてきた民俗文化の古層に通底する、ある種の観念のようなものが見えて来るのではないかと思われるのです。

 まず、ローヤルゼリーについて考えてみますと、一つの巣を形成する蜜蜂の社会において、すべてのメスの幼虫は、遺伝子的には同一であると云えます。しかしながら、その中で選ばれた一匹のメスの幼虫だけが、多くの「働き蜂」からローヤルゼリーを捧げられ、やがて女王蜂となるのです。このローヤルゼリーとは、働き蜂が花粉や蜜を摂取し、代謝・再構成したうえで、頭部にある腺から分泌する、女王蜂となるための特別な物質であると云えます。そして、これを摂取し続けたメスの幼虫だけが、通常は数週間で終わるはずの寿命を劇的に延伸させ、毎日数千個の卵を産み続ける「女王蜂」へと変容を遂げるのです。

 この変容とは『一つの生命体の集団が、その存続をはかる中で、働き蜂たちが自らの生命を削り、分泌されたエネルギーの結晶とも云えるローヤルゼリーにより為される』とも云えるのではないでしょうか。

 そしてまた、これと類似した様相は、植物界においても認められます。朝鮮人参は、その生育過程において、土壌中の養分を、収奪と表現しても差し支えないほど徹底的に吸収し蓄積します。また朝鮮人参は、山深い日陰といった、一般的には植物の生育にとって好ましくないとされる過酷な環境において、十数年という長い歳月をかけて、きわめて緩慢に成長します。そして、その過程において厳しい環境ストレスから守るための「防御成分」が、次第に蓄積・濃縮されていくのだと云えます。

 ここで、両者に共通して重要であるのは、こうした人体にとって薬効となる成分とは、「最適化された快適な環境」においては、むしろ生じ難いという点です。ローヤルゼリーが、群れの存続や維持といった強い「緊張」の中で分泌されるのと同様に、朝鮮人参も、仮に栽培環境を最適化すれば、収量そのものは増加するのかもしれませんが、その薬効は著しく減弱してしまう可能性が高いと云えます。

 そうしたことから、「単に生存すること」と、「ある特有の力(薬効)を宿すこと」とは、しばしば反比例の関係にあるのではないか、とも思われるのです。これを換言しますと、集団存続の危機、あるいは環境との緊張関係といった深刻な摩擦の中においてこそ、こうした「特有の凝縮された力」は生じるのではないでしょうか。

 そしてまた、この「環境との緊張関係が特有の力を生む」という構造は、我々の精神活動、ことに才能や創造性の成立過程にも対応するのではないかと思われます。

 我々の能力には、社会生活を円滑に営むための「一次的な能力」と、環境との摩擦や違和感の中から成立する「二次的な能力」が存在すると云えます。読み書きや計算、社会適応力などが前者に属するとすれば、深い洞察や表現力、創造性といったものは、後者に位置づけられるでしょう。

 そして、これは私見ではありますが、後者に属する能力とは、多くの場合、整備された快適な環境において十分に育まれることは少なく、むしろ、容易には適応し難い困難な状況や、長い試行錯誤を強いられる時間の中で、自らの精神が押し潰されぬよう抵抗しつつ、内側に「意味」を蓄積していくような過程を経て、成立することが多いのではないでしょうか。

 こうした様相を踏まえて芸術について考えてみますと、芸術が扱うものとは、必ずしも明晰な理論ではなく、我々の内部に保存された「生の緊張の様相」そのものであると考えられます。それは、葛藤や執念といった混沌とした要素であり、それらがさまざまな形式の芸術作品として顕現することで、はじめて、作成者である個人を超え、普遍的な力として他者に作用を及ぼすのではないでしょうか。その意味で、芸術作品もまた、ローヤルゼリーや朝鮮人参と同様、周囲のさまざまな摩擦を引き受けた時にこそ、その真の力を獲得し、発揮するのではないかと思われるのです。

 あるいは、この「快適ではなく、摩擦や緊張のある環境が力を凝縮させる」という考え方は、我が国の西日本の一部地域において見られた犬神信仰の背景とも、通底する要素を有しているのではないかとも考えさせられます。犬神信仰とは、牡犬を首だけ地上に出した状態で地中に埋め、何も与えず、極限の飢えという苛烈な緊張状態を人為的に作り出し、その呪力を最大化できると信じられていた呪術の様式です。これは、(犬の)生命を快適さから強制的に引き剥がし、限界にまで追い込むことで、超常的な霊力の獲得を試みるものであったと考えられます。

 また、こうした呪術は、大陸由来の「蠱毒」に見られるような、閉鎖空間における生存競争によって負のエネルギーを濃縮させる観念と、南方から黒潮に乗って伝来したとされる精霊信仰とが、我が国の文化風土の中で融合した結果である可能性も指摘されています。おそらく古人は、過酷な環境こそが真に「効く」力を生成させる、という、現代を生きる我々の感覚からすれば到底容認し得ない、残酷で峻厳な認識を、自然環境の観察を通じて身体感覚として持っており、そこから、先述の犬神信仰のような観念も伝えられていったのではないかと思われます。

 そしてまた、このような文脈において「伝統」とは、単に保存された情報の集積ではありません。それは、過去から現在、そして未来へと受け渡されていく「緊張の記憶」そのものであるのではないでしょうか。その意味で、伝統芸能や職人の技術が、厳しい規律や「型」という不自由さを要請するのは、そうした摩擦の生じる環境においてのみ、凝縮された力が生成されることを、経験的に知っていたからであるようにも思われます。

 最適化され、容易に獲得された知識は、往々にして早々と消費され、忘れ去られてしまいます。しかし、緊張を伴いながら継承された知識や知恵は、長く、深く、人の心に作用し続けるように思われますが、さて、実際のところは、どうなのでしょうか。

そして、今回もここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。

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