2023年12月9日土曜日

20231209 一般財団法人 東京大学出版会 辻惟雄著「日本美術の歴史」補訂版 PP.142-144より抜粋

一般財団法人 東京大学出版会 辻惟雄著「日本美術の歴史」補訂版 PP.142-144より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4130820915
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4130820912

古代と中世との分水嶺ともいわれる保元・平治の乱であるが、その原因をつくった白河院は熱狂的な仏教崇拝者であった。承歴元年(1077)かれは法勝寺を洛東白河に建てたが、「扶桑略記」によれば、この寺の金堂は七間四面瓦葺きで、金色三丈二尺の廬舎那仏を安置した。阿弥陀堂は十一間四面瓦葺きで、金色丈六の阿弥陀如来九体を安置した。他に、南大門には二丈の金剛力士が寺の守護として置かれた。

 さらに永保元年(1081)には、高さ推定二七丈(80メートル)ある奇抜な八角九重塔が建てられた。かつての四天王寺式伽藍配置さながらに諸堂が一直線に並んだこの寺を、林屋辰三郎は「国家的な強大な意識」に基づくものであったとし

 三十三間堂、足利義満の相国寺の大塔、織田信長の安土城など、権力の生み出す奇抜な建造物の系譜の上に法勝寺を置く。白河院はほかにも尊勝寺、最勝寺、円勝寺などを造営し、一代での造像は五四七〇余体、うち丈六仏は六〇〇以上あったと記録される。

 後白河院もまた仏法に熱心だった。往復に一カ月かかる熊野詣でを生涯に三四度行ったという。当時の流行歌である今様に凝って、それを集めた「梁塵秘抄」(一一六九)をつくっている。好奇心のかたまりである院は、ある日突然町中の蒔絵師の仕事場を見に行き周囲を当惑させたり、平清盛に招かれ福原まで宋人を見に行ったりしている。三十三間堂の前身である蓮華王院の宝蔵は、院の集めたさまざななコレクションを収める建物で、そこは、年中行事絵巻約六〇巻、六道絵など絵巻の宝庫でもあった。

 これら、個性的で奔放な院の行状は象徴するように、院政時代の文化は、古代の幕を引き中世の開始を告げる過渡期にふさわしい変化に富んだ様相を示している。それは第一に、鴨長明(一一五五~一二一六)の「方丈記」に要約されているような、末世到来を嘆く隠遁思想の流行する時代であった。第二に、受領大江匡房が、「永長の大田楽」(一〇九六)の仮装を見て、「その装束、美を尽くし善を尽くし、彫るが如く磨くが如し、金繍を以て衣となし、金銀をもって飾となす」と評したように、遊戯とかざりの時代であった。第三に、美の時代であり、美形を追究した時代であった。仏の相好には美形が求められ、検非違使の資格にも美形が求められた。美麗の反対が疎荒である。第四に、激動する過渡期の現実に揺れ動く不安の心は六道絵に代表されるような、美とうらはらの醜への関心=リアリズムを生んだ。

 「財産の惜しみない濫費、行楽と寺院の濫立」、「古代国家の歴史にその比をみない悪徳と腐敗が支配層を風靡するにいたった」と、石母田正はこの時代を評する。だが、そのような道徳的な視点を離れて美術に主眼を置けば、美への傾倒の一方で、病や餓鬼、地獄のいうな醜とグロテスクの世界からも目をそむけることのなかった院政時代の文化と美術は、奥行きがあり、稀に見る多産で創造性に富んだものということができる。
 
 全体的にみて、院政時代の美は、前期と後期とで多少性格を異にしている。前記は藤原美術をより繊細化し耽美化したといえるような時期であり、「源氏物語絵巻」、「平家納経」、「三十六人家集」などがこの時期の産物である。後期になると、これと異なる粗削りな要素を持った「信貴山縁起絵巻」、「伴大納言絵巻」などがあらわれ、運慶もこの中に入れてよいかもしれない。後白河院の行状に見られるような、異常なもの奇矯なものへの興味が「六道絵」や「病草紙」に見られ、民衆的なものへの興味もそこに示されている。絵仏師の宮廷画家化により、その表現力が宮廷美術に影響を与えた点も指摘できる。宋美術の輸入にともなう影響があらわれ始めたのもこの時期である。

2023年12月8日金曜日

20231207 日本放送出版協会刊 山折哲雄著「日本人の顔ー図像から文化を読む」pp.106-108より抜粋

日本放送出版協会刊 山折哲雄著「日本人の顔ー図像から文化を読む」pp.106-108より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4140015012
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4140015018

ところで、さきの義朝や重成が登場する「平治物語」は「保元物語」と同様、早くから琵琶法師によって語られたが、そのうちとくに「平治物語」の場合は「平治物語絵巻」がのこされ、鎌倉時代の姿をそのまま伝えている。画風は十三世紀半ばにさかのぼるといわれ、かなりの数のものが各所に分散して伝えられてきた。これらの絵巻は、合戦場面における人間の姿を躍動するような筆致で活写し、軽快なリズムと華麗な色彩によって戦闘の悲惨な修羅場を描き切っている。それは戦争描写の傑作の一つといっていいものであるが、そのいくつかの合戦場面をみていて気づかされるのは、武士たちの頭頂部や顔の圧倒的な量感と、かれらの変化に富む表情のたくましさである。眼光の鋭さはもとよりのこと、大きな口許が決死の勢いで真一文字にひきしめられ、また裂けんばかりに大きく咆哮している。

が、そのなかでもとくに私の目を奪うのは、その鼻の表現である。ここでは、六波羅の邸から出陣する平清盛を描いた場面(個人蔵)をみてみよう。とくにその清盛と、かれらを取り囲む武将たちの顔面の中央に描かれている鼻の躍動感はどうであろう。高く盛りあがった鼻、口許まで垂れ下がるような長いずんぐりした鼻、両翼を広げて大きな鼻孔をつけた鼻・・。ここに描かれている武将たちの鼻は、あえて誇張したいい方をすれば、その顔の中央部を広々と占拠し、顔そのものの象徴物と化しているような印象を見るものに与えずにおかないのである。そのような鼻は、前代までの貴族たちの顔のうえにはけっしてあらわれることのなかった鼻である。

 そのことを確かめるために、ここで「平治物語絵巻」からもう一枚の絵を掲げてみることにしよう。「六波羅行幸の巻」(国宝、東京国立博物館蔵)がそれであるが、これは女装して御所を脱出する二条天皇と、それを源氏の兵士たちが見とがめている場面である。牛車のスダレをあげてのぞきこんでいる兵士たち。その兵士たちを制止して、車のなかにいるものはけっして怪しい者ではないといっているらしくみえる一人の貴族。かれはおそらく天皇の近侍をつとめる者なのであろう。その貴族にたいして疑いのまなざしを向け、いまや剣を抜こうとしている兵士、そしてもう一人弓をつがえようとしている兵士がいる。この切迫した一瞬の場面に目を近づけてみよう。あい対する貴族と雑兵の顔の顔の中央部を注視してみよう。剣を抜こうとしている兵士の鼻が高く鋭く突き出るように描かれ、弓矢をもつもののそれが団子鼻の形で盛りあがってみえるのにたいして、貴族の鼻はうっすらと軽いタッチで小さく描かれているにすぎない。貴族の方の表情のつくりが、いわゆる「源氏物語絵巻」の登場人物にならって「引目鉤鼻」の手法をうけつぐ形で処理されていることはいうまでもないだろう。その様式的な鉤鼻が、雑兵たちの鼻の個性的な変化とみごとな対照をみせているのである。貴族の白面が全体としてもうろうとした雰囲気のなかで、あたかもあるかなきかの目鼻立ちで点じられているのにたいして、雑兵の褐色の顔面はすべて、意志と感情をむき出しにするくっきりした輪郭線によってとらえられている。そしてその輪郭線に一つのまとまりを与えている部分がその巨大な鼻なのである。このような傾向は、このほかの合戦絵巻にもみられ、そこに登場する武士たちの場合にも大なり小なりあてはまることはいうまでもない。

 あえて極端ないい方をするならば、中世に新興の勢力として時代の前面に押し出してきた武士集団は、その顔面の中央部を占める鼻の大胆な造型において、前代の貴族の時代から明確に区別される存在として意味づけられねばならぬ、と私は思う。むろん多くの合戦絵巻に登場する武士たちの姿といえども、前代の貴族たちのそれのように、いまだ様式的な表現世界から脱けでてはいなかった。そこには、近代的な意味における写実の枠組からだけでは律しきれない法則がはたらいてもいる。しかしながら、そのことを認めたうえでのことであるが、それでもない貴族たちの鼻の描法と武士たちのそれとのあいだには、越えがたい大きな溝がつくられていたというほかないのである。貴族と武士についての認識の尺度に重要な径庭が存しているのである。

2023年12月7日木曜日

20231206 株式会社藤原書店 平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」pp.303-305より抜粋

株式会社藤原書店 平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」pp.303-305より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 489434906X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4894349063

竹山道雄は一九三七(昭和十二)年七月「思想」のために「将軍達と「理性の詭計」という一文を寄稿した。日支事変勃発の直前である。その中にこんな軍人たちの生な印象が記されている。「以前」とは昭和九年三月、岡田良平の葬儀の時にちがいない。

 以前A将軍をすぐ傍で見たことがあった。将軍は威厳が頂上にあって、市中いたるところに彼の肖像が貼り出してある頃だった。青山斎場の天幕の中に、現在は外地の総督であるM大将と並んで入って来た。このM将軍は顔に酒焼けの桃色の斑がしみ出していて肥満した身体をもてあますように、一歩一歩よろけながら歩いていた。いかつく張りだした肩の太い喉に頤を埋めて、苦しそうに喘いでいた。どこか威厳と狡智がでたらめに溢れでている人だった。A将軍の方は反対に痩せていた。小さな目が三角に垂れ下がった目蓋の下からぎらぎら光っていた。条目のきちんとした清潔な服を着て、あたりを見廻しながら悠々と歩いていた。この二人が軍服に金色を燦かして入って来たときは、周囲は動揺した。礼服を着た人々は傍にしりぞいた。二人の将軍は大勢の中にできた空地に立って、四方から視線を浴びながら、二人丈で低い声で話していた。

 ことにA将軍の方は一見して異常な印象をあたえる人だった。躯幹は見窄らしい方で、長いあいだ病床にいた人のような蒼白い顔色をしていた。有名な髭はむしろ疎だった。ただその筋ばった身体全体に、どことなく病的なデーモニッシュな、鬼気といったようなものがあった。

 一人の外交官らしい背の高い西洋人がA将軍の前に立って挨拶した。彼の栄養のいい顔にはみちたりて生活を楽しむ人のような表情があった。将軍は白い手袋をはめた手をさしだして握手した。すこしも感情も交らない直線的な挙止だったが、また意外にものなれた外交的なところもあった。かたく手を握られると、西洋人はなぜか急にどぎまぎした。彼が私の前を通ったとき、美しい顔には恟えたような困惑の色が浮かんでいた。彼は弁解するように口の中で呟きながら、足早にそこを去って行った。

 将軍は私がじっと見つめているのに気がついて、はじめてちらと横目で私の方を見たが、そのうち色の変った歯並をあらわにしてにやりと笑った、皺の多い微笑はほとんど醜かった。そうして、その中に真率、狂信、奸譎、決意、そんなものの混った複雑な感じがあった。

 一読してA将軍が荒木貞夫陸軍大将であるとわかる。荒木は一九三一(昭和六)年、犬養内閣の陸相に就任、観念的・精神主義的な革新論と反ソ反共論を説いて人気があった。皇道派の首領として勢威をふるった。一九三六(昭和十一)年、二・二六事件で反乱軍に同情的態度をとり、予備役に編入されたが、竹山は執筆の昭和十二年の時点で三年前の荒木を振返り、その肖像(ポルトレ)を描いたのである。三十歳前後の竹山の観察だが、鋭く大胆な人間把握である。「現在は外地の総督であるM大将」が南次郎将軍であることも一読してそれとわかるが、二・二六事件後、予備役に編入された。陸軍大将ともあろう人が肥満して「一歩一歩よろけながら歩いていた。いかつく張りだした肩の太い喉に頤を埋めて、苦しそうに喘いでいた」と外面描写されたら、それがありのままの姿であろうとも、こう描かれては軍人の体面にかかわるだろう。まして「どこか威力と狡智がでたらめに溢れでている」という内面描写にいたっては「でたらめ」の語が効き過ぎている。しかもこの文章は昭和十一年、代々木原の横を歩いていた竹山に誰かが小声で「あのバラックの中に・・・入れられているのですぜ」と囁く場面から始まる。代々木原とはいまNHKがある辺りの原っぱで当時は軍の練兵場として使用されており、代々木八幡から原宿に通じる道はなく、一般人は入れもせず通り抜けできなかった。竹山は代々木大山の家から渋谷へ歩いて行くときは、この代々木原の練兵場の裏手に沿って歩いたのだろう。その柵の向うの丘のバラックに二・二六事件の首謀者が収容され死刑を待っていたのである。

将軍達と「理性の詭計」

 竹山は荒木について「悲劇的な最後をしそうな人だなあ」と思った。「破壊的なエレメンタルな力を蔵した一つの観物だ」そんな気がして眺めていた。「この人は、満州で事変が起ってしかも世の中が自由主義で唯物的だった頃、一方の勢力の輿望を負って九州から上京して、陸軍大臣になった。そうして歴史の動きを変えるほどの権勢を振るった。しかしその後に、彼自身のまきおこしたーあるいは彼を動かしたー力のゆきすぎた行動のために失脚した」。個々の人間、個々の勢力は、かれらの特殊目的を果たそうと努めるが、実はかれらのあずかりしらざる超個人的な力の手段であり、道具であるにすぎぬ。これをヘーゲルと共に「理性の詭計」というが、竹山は皇道派の将軍のペリペティ(筋の逆転)を「理性の詭計」だと観察した。

2023年12月6日水曜日

20231205 岩波書店刊 ジョージ・オーウェル著 小野寺 健訳『オーウェル評論集』pp.321-323より抜粋

岩波書店刊 ジョージ・オーウェル著 小野寺 健訳『オーウェル評論集』pp.321-323より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003226216
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003226216

現実逃避 ナショナリストはすべて、そっくりの事実をいくつ見ても、それら相互の類似性を認めないという特技を持っている。英国の保守党員は、ヨーロッパでの民族自決主義なら擁護するくせに、インドのそれに反対して、これを矛盾だとは思わない。行為の善悪を判定する基準はその行為自体の功罪ではなく、誰がやったかという点であって、拷問、人質、強制労働、強制的集団移住、裁判なしの投獄、文書偽造、暗殺、非戦闘員にたいする無差別爆撃ーこうしたいかなる無法きわまる行為でも、それをやったのが「味方」だとなれば、まずたいていのばあいは道徳的な意味が微妙に変わってしまうのだ。自由党系の「ニューズ・クロニクル」が、恐るべき残虐行為だとして、ドイツ人によって絞首刑にされたロシア人の写真を掲載したことがあったが、その一、二年後にこれとほとんど同じ、ロシア人の手で絞首刑にされたドイツ人の写真を掲載したときには、熱烈に称賛したのだった。歴史上の事件についても同じである。歴史は、多分にナショナリスチックな観点から見られているのだ。異端審問所とか、星法院(一四八七-六一の、英国の高等裁判所、陪審がなかった)による拷問とか、英国の海賊の手柄(例えばサー・フランシス・ドレイクは、スペイン人の捕虜を生きているまま海中に投じたと言われる)とか、フランス革命における恐怖時代だとか、何百人というインド人を大砲につめてぶっ放した、ベンガルの反乱(1857-58)鎮圧の英雄たちとか、アイルランドの女たちの顔を剃刀で切ったクロムウェルの兵士たちとかーこんなことも、「正義」のためだったということにさえなってしまう。過去二十五年をふりかえってみると、世界のどこかで残虐行為の行われた報道がなかった日は、ほとんど一日もない。ところがスペインで、ソヴィエトで、中国で、ハンガリーで、メキシコで、インドのアムリツァールで、トルコのスミルナで行われた残虐行為のうち、一つでも英国の知識人が一致してその事実を認め、かつ非難した事件はなかったのである。こういう行為が非難すべきものかどうか、それどころかそもそもそれが事実だったのかどうかということさえ、いつも政治的偏向にもとづいて制定されたのであった。

*〔原注〕『ニューズ・クロニクル』誌は、処刑の全貌がクローズアップで見られるニュース映画を見に行くことを読者にすすめた。『スター』紙は対独協力者の女性が全裸にちかい姿でパリの暴徒にいじめられている写真を、まるでこの行為を称賛しているかのように掲載した。これらの写真は、ナチスが発表した、ベルリンの暴徒にいじめられているユダヤ人の写真と酷似していた。

 ナショナリストは、味方の残虐行為となると非難しないだけではなく、耳にも入らないというすばらしい才能を持っている。英国におけるヒットラー崇拝者たちは、六年ものあいだ、ダッハウやブッヘンヴァルトの存在に耳をふさいできた。そしてドイツの強制収容所をもっとも声高に弾劾いた人びとのほうは、ソヴィエトにも強制収容所があることはぜんぜん知らないか、知っていてもごくぼんやりした知識しかないことが珍しくないのだ、何百万という餓死者が出た一九三三年のウクライナの飢饉のような大事件でさえ、驚いたことに英国のソヴィエトびいきたちは、大部分が気づかなかったのである。こんどの大戦中におこなわれたドイツ、ポーランドのユダヤ人の絶滅策について、ほとんど何も聞いていない英国人はいくらでもいる。彼ら自身にユダヤ人差別意識があるからこそ、この大犯罪も意識にひっかからなかったのだ。ナショナリストの考え方の中には、真実なのに嘘、知っているのに知らないことになっているという事実が、いろいろある。知っている事実でも、認めるのに耐えられないというので脇へ押しのけられたまま、意識的に論理的思考から外されてしまうことがあるかと思えば、綿密に検討されたにもかかわらず、自分一人の心の中でさえ、事実であることをぜったいに認めないといったことが起こるのだ。

2023年12月5日火曜日

20231204 朝日新聞出版刊 朝日新書 東浩紀著「訂正する力」 pp.116-118より抜粋

朝日新聞出版刊 朝日新書 東浩紀著「訂正する力」
pp.116-118より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4022952385
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4022952387

もう少し学問的に表現するならば、自然科学と人文学の違いは反証可能性と訂正可能性の違いだということができます。

 反証可能性というのは、カール・ポパーという哲学者によって100年ほどまえに提唱された概念です。これはとてもおもしろい理論で、ひとことで言うと、自然科学においては絶対に正しい理論などありえないという考えかたです。

 自然科学の理論は具体的な予測を伴います。素朴な例で言えば、ある重さのものをある速度である角度で投げると何メートル飛ぶとか、そういうものです。予測があたれば、理論は正しいということになります。

 けれども、一回のテストがうまくいっても、条件を変えた別のテストがうまくいくとはかぎりません。いつかまちがいが証明されるかもしれない。だから、自然科学の理論はつねに「反証される可能性」に晒されていて、どんな理論でも厳密には「反証がなされるまでは暫定的に正しい」と言うことしかできない。これが反証可能性の考えかたです。

 ちなみにポパーは、ある命題が科学的なものかどうかは、むしろそのような「反証される可能性」の有無で決まると考えていました。この世界には、個別のテストが不可能で、したがって反証も不可能な命題がありますが、それらは科学の範囲に入らない。たとえば「神はいる」といった命題は、正しいかもしれないし誤っているかもしれないけれど、そもそもテストができず、したがって反証もできないので、真偽以前に科学的な主張だと考えることもできない。ポパーはそのような基準で、科学と非化学を分けたわけです。

 この反証可能性の考えかたは、本書のテーマである訂正可能性と似たところがありつつ、大事なところえ大きく違います。

 自然科学の世界では、いちど反証された理論は打ち捨てられてしまいます。だから学生が学ぶときには最新の教科書だけが必要で、過去の著作は不要なわけです。「いろいろな学者が試行錯誤をしてきたけど、いまのところもっともうまく自然を説明できる理論はこれです。これを勉強してください」となる。

ところが人文学ではそうはいきません。学生もまずは過去を学ぶところから入らなければならない。それは人文学が訂正の学問だからです。哲学にも打ち捨てられ忘れられた理論がたくさんあります。でもそれは完全に忘れるわけにはいかない。いつ「じつは・・・だった」の論理で復活するかわからないからです。ここが、理系と文系ではまったく違うところです。

2023年12月4日月曜日

20231203 中央公論新社刊 中公クラシックス トクヴィル著 岩永健吉郎訳「アメリカにおけるデモクラシーについて」 pp.29-31より抜粋

中央公論新社刊 中公クラシックス トクヴィル著 岩永健吉郎訳「アメリカにおけるデモクラシーについて」
pp.29-31より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4121601610
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121601612

祖国愛というものがある。それは主として、反省のない、利害を離れた、定めがたい感情に発し、人の心を出生の地に結びつける。この本能的な愛情は、旧い風習の味わい、祖先に対する崇拝、過去の記憶と融合する。その持ち主にとって国を愛することは親の家を愛するかのようである。そこで楽しめる静けさを快く思う。また、しばしばこの祖国愛は宗教的な熱誠によって高められ、人に目を見張るようなことをさせる。それ自身が一個の宗教であり、論議を排し、ただ信念、感情、行動だけがあるのである。諸国民の中には祖国を擬人化し、君主にその体現を見るものがある。愛国の感情の一部を彼に転化し、その勝利を誇りとし、その力強さを自慢する。旧君主制の下で、フランス人が何ら顧慮するところなく君主の恣意に身を委ねて一種の喜びを味わい、「われわれは世界で最も強い王の治下に生きている」と誇らしげに語った時代もあった。

 すべての無反省な情熱と同様、この祖国愛も一時は人を動かして大きな力を発揮するが、それによって持続的な努力をさせることはあまり望めない。危機に臨んで国家を救った後には、平和のうちにしばしば衰えてしまいます。国民がまだ習俗も淡白で、信仰に篤く、社会が旧い秩序の下で安らかに憩い、その正統性が少しも疑われないときには、この本能的な祖国愛の支配するのが見られる。

 このような(本能的な)祖国愛よりも合理的な愛国心が他にある。それは勇敢さにおいて、またおそらく情熱においても劣るのであろうが、より豊かで持続的である。この心は知性の発達から生まれ、法制に助けられて発展し、権利の行使によって伸長し、ついには、いわば個人的な利益と融合するようになる。個人は国家の安泰が自分自身の福祉に及ぼす影響を理解する。法が国家の安泰に寄与する機会を与えることを知り、最初は(受け身に)自分に役立つこととして、次いで(積極的に)自分の仕事として、国家の繁栄に関心を持つのである。

 しかしときおり諸国民の生涯に次のような事態が起こる。旧い習慣は変わり、習俗は破壊され、信仰は揺らぎ、過去の輝かしい思い出は消え、しかも啓蒙は不完全で、参政権は保障されず、あるいは制限されている。このようなときには、祖国は光輝がうすれ、疑惑の目をもって見られる。国土は生なきものと映るようになる。祖先伝来の慣行も桎梏と見られるようになり、宗教も疑わしくなる。法律も自分のつくったものではなく、立法者は恐れられ、また一面では蔑視される。いずれも拠りどころにはならぬ。どこにも祖国は見えない。固有のものはといって見当たらないし、他に特色もない。それで人々は退いて、狭量で盲目的な利己主義に陥る。この人々は偏見からは解放されたが、(この世に)理性の支配すべきことを認識していない。彼らには君主国にある本能的な愛国心もなく、共和国の批判的な愛国心もない。混乱と悲惨のうちに、両者の間に立ちすくんでしまうのである。

 このような状況にあって何をなすべきか。退却か、しかし、諸国民はその若き日の熱情にはもはや立ち帰らない。それは個人が幼時の無邪気さに帰れないのに等しい。国のありし日を惜しむことはできても、その再生は不可能である。まさに前進し、いそいで国民に個人の利益と国家利益とが一致しうることを、まざまざと示さなければならぬ。利害を離れた祖国愛は去って帰らないからである。

2023年12月2日土曜日

20231201 株式会社講談社刊 講談社学術文庫 宇野重規著「トクヴィル 平等と不平等の理論家」 pp.168-171より抜粋

株式会社講談社刊 講談社学術文庫 宇野重規著「トクヴィル 平等と不平等の理論家」
pp.168-171より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4065157110
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4065157114

フランスにおいて長らく「忘れられた思想家」となったトクヴィルは20世紀末になって劇的な復活を遂げたが、フランスと比べるとはるかに安定して読み継がれたアメリカにおいてすら、「デモクラシー」への注目は時代ごとの浮き沈みがあった。国が時代によって、人々がトクヴィルに向ける視線には大きな違いが見られるのである。
 ちなみにトクヴィルは、過去何度か予言者として注目されている。一例をあげると、「デモクラシー」第一巻の終わりで、トクヴィルは、アメリカとロシアがやがて世界の超大国となることを予言しているが、この予言など、かつて米ソ冷戦が激しかった時期に、さかんに取り上げられたものである。その後も「大衆社会論の先駆者」、「自由民主主義の勝利の予言者」といった呼び名がトクヴィルに与えられてきた。しかしながら、今となってみると、このような持ち上げ方にどこか違和感があるのは、否定しがたいところである。いいにつけ悪いにつけ、トクヴィルには、予言者として持ち上げられやすい傾向がある。が、そのことはトクヴィル理解をめぐり、それぞれの時代のバイアスが読み込まれやすいということも意味している。トクヴィルを読むにあたっては、このことを他の思想家以上に意識する必要があるだろう。
 本書では、数あるトクヴィルの予言のうち、もっぱら平等化の予言に議論を集中してきたが、この予言は、彼の同時代人にとって、二重の意味で問題性をはらむものであった。一方で、トクヴィルの家族がそうであったように、フランス革命を歴史の偶発事に過ぎないと考え、人間の本質的不平等を基本とする社会への復帰を願う人々がいた。平等こそが逸脱であると考えるそのような人々にとって、やがて平等化が社会を根底から覆すであろうというトクヴィルの予言は極端なものに思われた。他方において、トクヴィルとほとんそ同時代人と言ってもいいマルクスが鋭く指摘したように、産業化が進むなか、貧富の差が拡大し、新たな階級対立が社会の基本的矛盾となりつつあることは、多くの人々にとってもはや目を背けられない現実であった。そのような人々にとって、むしろ平等化こそが社会の基本的趨勢であるというトクヴィルの予言は、現実を無視するものに思われたのである。本書において時代の文脈を掘り起こす作業を重視したのは、トクヴィルの予言がその時代において持っていたこれらの問題性を浮き彫りにするのであった。
 それではなぜトクヴィルは、平等化を歴史の不可逆な方向性であると考えたのだろうか。本書では、トクヴィルの洞察を理解するための補助線として、「赤と黒」や「ボヴァリー夫人」を取り上げた。そのねらいは、トクヴィルが生きた時代のフランス社会のおいて起きた、ある想像力の変容を明らかにうることになった、すなわち、トクヴィルのいう平等化とは、人間の本質的不平等を前提に組み立てられた諸制度が、人々のきづかぬうちに次第に掘り崩され、空洞化していくことに指し示すと同時に、人間と人間とを絶対的に隔てるような想像力の壁が無意味化し、人々がすべての他者を本質的には自分と同類とみなすようになることを意味した。このような想像力の変容は、トクヴィルの同時代においてはけっして自明のものではなかった。というのも、社会の表層を見る限り、古い社会の仕組みはいまだその力を失っていないし、逆に新しい不平等性も目につくようになっていたからである。ところがトクヴィルは、このような表層の下で、社会の象徴秩序が根源的に変化しつつあることを見て取ったのである。
 その意味でいえば、トクヴィルの予言は、あまりにも早すぎるものであったのかもしれない。しかしながら、この変容はやがてすべての社会秩序を根底から組み替えていくであろうというトクヴィルの確信は揺らぐことがなかった。このような平等化が極限まで進んだ社会としてトクヴィルはアメリカに着目したが、彼は、同じダイナミズムがヨーロッパ社会においても次第に明らかになっていくと考えたのである。たしかに、このような意味での平等化が進んだ社会においても、不平等は残る。しかしながら、それは不平等を当然とした社会における不平等とはまったく意味を異にする。そのような社会において、不平等はもはや自明視されず、平等への想像力を持ってしまった人々によって、次々に異議申し立てを受けるであろう。そしてそのような異議申し立てによって、今後の歴史のダイナミズムが決定されていくことになるであろう。これが、トクヴィルの予言であった。