2023年1月9日月曜日

20230108 ダイアモンド社刊 小室直樹著「危機の構造 日本社会崩壊のモデル」pp.86-89より抜粋

ダイアモンド社刊 小室直樹著「危機の構造 日本社会崩壊のモデル」pp.86-89より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4478116393
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4478116395

ここでわれわれが注目しなければならないことは、このことではない。このような国際政治の初等的論理が、全くわが国の指導者や国民に理解されていなかったことである。

 なんという外交オンチであろうか。歴史オンチであろうか。そして、このことこそ最も強調されるべきことであるが、社会科学オンチであろうか。

 しかしこのことは、昭和十四年になって、忽然として現れてきたことではない。禍根はさらにさかのぼる。第一次世界大戦終結によって、日本は五大国にのしあがった。海軍については三大国である。が、不幸にして日本人はこのことを理解しえなかった。ヴェルサイユ会議をはじめとする戦後における主要国際会議で、日本代表は「沈黙の全権」といいわれた。何も発音しなかったからである。これらの会議においては、いうまでもなく、戦後の世界の動向を決定するような多くの議題が論じられた。しかし、それらの大部分は、日本と直接関係のないものであった。ゆえに、日本代表の関心の的とはなりえなかった。彼らはどうしても、「直接日本に関係のないことであっても、めぐりめぐって日本にとって重大なことになる」という国際社会の論理を理解しえなかったのである。

 吉田茂は、外務次官のとき田中(義一)首相の通訳をつとめたことがあった。そのとき、バルカンの代表がやってきて、自国がおかれた立場について詳細に説明し日本の了解を求めた。これを聞いた田中首相は、(こんな日本になんのかかわりもないことについて日本の了解を求めることについてあきれて)日本語で「こいつ、ばっかじゃなかろうか」と大声をあげたので、吉田茂は訳すのに困ったといわれる。

 国際政治の定石からいえば「ばっかじゃなかろうか」否「正真正銘の馬鹿」であるのは、田中首相のほうなのである。重要事項に関しての列強の了解を求めておき、その後にはじめて行動の自由が得られるということは、国際政治の定石である。こんな定石すら、戦前日本の指導者は理解しえなかった。そしてこの無理解はきわめて高いものについた。つまり、このことを理解しえなかったことこそ、日本の致命傷となったのである。

 今日ではだれしも「支那事変」が日本の命取りになったことを知っている。その理由については多くのことが語られているから、ここでそれらの大部分を繰り返す必要はないが、右に述べたことの連関において注目すべきことは、日本の指導者が、「中国への鍵はアメリカにある」ことを理解しえなかったことである。つまり、国際政治においては、すべてが依存しあっているから、中国問題は中国問題にとどまりうるものではない。その影響は全世界に及ぶであろう。なかでも大きな利害を有するのは、米英仏であるが、当時において、実力によって日本の行動を制約しうるのはアメリカ以外にない。

 この意味において、「中国の鍵はアメリカにある」のである。これは国際政治の連関メカニズムの理解の問題であって、日本がアメリカに隷属するかどうかという問題とは全く別の問題であり、カヴールが、イタリア統一の鍵はパリにあり、といったようなものにすぎない。そして、このことに関する日本の指導者および国民の理解の程度の低さは、まさに戦慄すべきほど幼稚なものであった。

 まして彼らには、バルカン問題や独ソ関係が、めぐりめぐって日本の進路にいかなる意味を持ってくるか、ということについて、教科書的知識すらどうしても理解することができなかったのである。そして、このことによって日本は破局を迎えるのであるが、現在日本人の行動様式、思考様式は、当時の日本人のそれらと、少しも変化していない。つまり、われわれは、あの大戦争とその結果を、科学的に学び取ることをまだしていないのである。

 ニクソン・ショックや石油危機を全く予知も分析もしえなかった日本の政治家や外交官は、なんと当時の平沼首相や外交官と似ていることであろう。遠いイスラエルとアラブとの戦争がめぐりめぐって日本に致命的影響を及ぼしうることを夢想もしえなかった田中角栄前首相は、遠いバルカン問題は日本とは全く無関係であると思っていた時の田中義一首相と、なんとよく似ていることであろう。

2023年1月8日日曜日

20230107 中央公論社刊 会田雄次著「アーロン収容所」ー西欧ヒューマニズムの限界ー pp.136‐138より抜粋

中央公論社刊 会田雄次著「アーロン収容所」ー西欧ヒューマニズムの限界ー
pp.136‐138より抜粋
ISBN-10 : 4121800036
ISBN-13 : 978-412180003

外貌を気にするのはどの人種でも同じである。しかし私たちの気にしかたにはどこか異常なところがある。「外見だけにとらわれるな」という意見が説教的によく話されるが、私の知りえたかぎり、ヨーロッパではこのような教えは日本ほど強く切実ではない。顔は悪いが身体がいいとか、背は低いが金髪であるとかいった言い方はされるが、要するに外貌だけを問題にして論じている。美人は、それが悪人であろうが何であろうが美人であって、それ自体一つの絶対的な価値だということは、近代のヨーロッパの基本的な観念なのである。美の独立性の主張はこのような感情を基調としているのだ。

 しかし日本ではそのような考え方を排撃することに非常に熱心である。しかもその反面、どこよりも審美的な国民である。たとえば「きたない」ということばが、あるいは卑怯、あるいは悪辣という意味を端的に表現するぐらい、すべての価値を美醜に還元する傾向がある。外来文化の摂取でも、文化自体よりも、その美に憧れたというようなところがある。たとえば仏教の教義よりもその仏像の美しさにひかれて信奉し、戦国時代のキリスト教の急速な伝播もマリア像のエキゾチックな美しさにひかれてのためだという説を私は読んだことがある。もちろんそれだけではなかろうが、反対に社会条件や教義だけで説明し切るのも無理なようである。

 日本人のこのような態度は、自覚しているといないとにかかわらず、自分たちの容姿の醜さに劣等感を持ち、しかも過度にそれに敏感になっていることと関係していると思う。容姿を気にするなという説教が多すぎることは、気にしすぎていることの証明ではないだろうか。日本文化の粋というものが、古代や織豊政権器を例外として、いずれも正面きってのものでなく、それこそ奥の細道的なところに自分の存在理由を発見しているのは、そういうことと関係しているのではないだろうか。

 国土が辺境にあるからこういう精神が成長したのだと説明できないこともない。しかしギリシャはどうだろう。古代ペルシャにくらべれば正に辺境である。しかしその文化の正統性、豊かさ、巨大さは日本と比較にならない。そこには暗さ、卑屈さ、ひがみ、いじけといったものがまったくない。その理由をギリシャが独裁制でなく民主制であったからだなどと説くのはヨーロッパ人の俗説である。最近私はあるギリシャ史家から、その理由はギリシャ人が容姿、とくに肉体の立派さ美しさに絶対の自信をもっていたからで、そういう自信を示す文献があると教えられた。たしかにそうでもあろう。こうなると日本人特有の見栄も何かそれと関係するように思われる。

2023年1月7日土曜日

20230106 岩波書店刊 宮崎市定著 礪波護編「中国文明論集」 pp.82-85より抜粋

岩波書店刊 宮崎市定著 礪波護編「中国文明論集」
pp.82-85より抜粋
ISBN-10 ‏ : ‎ 4003313313
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003313312

中国の古代社会の頂点をなす漢時代において、塩鉄の専売が重大な事件として論議されたことは今更ら申すまでもない。しかるに三国以後、この塩鉄問題が決して重要性を喪失したはずはないのに、それが漢代のように喧しく論議されなくなったのは何故であろうか。私はこれを荘園経済との関係において説明したい。
 
 荘園経済は原則として自給自足が強化される。ただし普通には自給しえないのが塩と鉄とである。塩と鉄とは最も封鎖性の強い中世においても、代表的な商品であった。しかるにこの重要商品を廻って塩鉄商人の活動が大して中央政府当事者の眼に映らなかったのは、この商業が荘園経済の中に包摂されてしまったためではなかろうか。即ち荘園経済は単に生産面に特色を有するのみならず、流通面にまで食い込んでいたのではないか。というのは荘園所有者はその剰余生産物を売却し、必要物資を購入する時、これを特別の商人に依存せず、自らがその衝に当ったと思われるふしがあるからである。当時の商業は、相当の遠距離商業までも、荘園主によって営まれ、従って純粋の商人の活躍舞台が狭く、商業資本の問題は広義の荘園問題として取り扱われていたのであろう。
 
 しかるに唐末以来、荘園経済が崩壊し、隷民たる部曲が解放されて佃戸となり、佃戸は自家の経済に全責任をもつ。塩鉄の如き商品も彼ら自身の貨幣をもって購入する。そこに貨幣経済が盛行し、商人の活躍舞台が広まり、商業資本の横行する原因があった。
 独裁君主は自己の人民を商人に横取りされないためにまず塩の専売を実施した。以来千有余年にわたって塩法は中国社会を特色づける重要な一素因として作用した。
 
 鉄の問題は塩と違った行き方をした。簡便なコークスによる精錬法が発明され、それが潜在生産力として存在するため、政府は鉄に重税を加えて専売を行うことが不可能にとなった。もし政府が専売によって鉄の価格を高くすれば民間の潜在生産力は忽ち活動を始め、闇生産が蜂起するに違いないからである。従って鉄は概ね自由商品として放任され、その価格が安価であったことは、他種の生産に対して有効な助力を与えることになった、それは塩は中国社会のその後の停滞性を代表するが、鉄は中国社会の進歩性を象徴するものと言うことができる。
 
 それにしても日本の学者は、そろそろ中国の後進性論を清算してもよかりそうに思う。私の考えでは、世界史は各地域、各国民の文化それ自身の発展の経過とともに、その相互間の水準の差を明らかにしなければならぬと思う。そこに世界史の意義があるのである。私の目下の結論としては中国の文化はその開始の時期において、西アジアに比較してずっと遅れている。しかしその後次第にその後進性を取り戻して追いつき、宋代に至って、西アジアを凌駕して世界の最先端に立った。しかるにこの宋文化の刺戟によってヨーロッパ文化が進歩し、そのルネッサンスによってヨーロッパは中国よりも先行するに至った。しかし始めの中は祖の差は極くわずかなまおであり、十八世紀までは雁行の状態であったが、ヨーロッパに産業革命が起こると、中国は遥か後方に置きざりにされ、年とともにその間隔がいよいよ大となり、やがて中国はその半植民地と化したが、今度は植民地化する間に次第にその後進性を取り戻して、ヨーロッパ文化に追いつきはじめた、というのが相も変わらぬ私の見解なのである。

2023年1月6日金曜日

20230105 違和感やギャップを感じるものへの興味と転機について・・

去る12月11日の投稿記事「【空想】新たな医療介護系専門職大学の立地について」は、その後も継続的に読んで頂き、また、それと関連があるのか、昨年末から何人かの在和歌山の先生、あるいは和歌山ご出身の先生方からご連絡を頂きました。しかしながら、その何れも当ブログについての言及はありませんでしたので、これもまた「不思議な巡り合わせ」と云うものであるのかもしれません・・。

こちらの投稿記事以前から、南紀や紀伊田辺を記事題材としてきましたが、現在考えてみても、南紀・紀伊田辺での生活の中に私にとっての「転機」があったと思われます。そして、それがどのようにして「転機」として作用したのかと考えてみますと、やはり、異文化に放り込まれたことから生じる違和感やギャップのようなものが、少なからず作用したのではないかと思われるのです。

では、その「違和感やギャップ」とはどのようなものであったのかと思い返してみますと、それは以前の投稿記事において何度か述べてきたことではありますが「自分の国の古い時代のことをほとんど知らない・・」と痛感したからであると云えます・・。

他方で、これと丁度同じ頃、人文系の師匠から、ご自身による記事が載った別刷りやクラシック楽曲のCDなどを送ってくださることが多く、それらに書かれている、主に西欧文化に関しての記述は大変興味深かったのですが、しかし、それは私が住んでいた南紀にいて学び、深めることは困難であると思い「では、それに対して私も身近な興味を持っているものを・・」と考えていたところ、古墳などの遺跡に対してがそうであることを知り、近在の古墳をいくつか訪ね、そして、それらについて書かれた著作を入手して読んでみたところ、比較的身を入れて読むことが出来て、これまで知らなかった分野の知見を少しずつではあれ、深めるようになっていきました。

このときに多く参照した著作が保育社刊行で森浩一監修による「日本の古代遺跡」シリーズの和歌山編でしたが、その中で面白いことに、著作内での地図には記載がある古墳で、その近くと思しき場所にまで行っても実際に存在するか分からない古墳がありました・・。

現在ではネット上に、この古墳についての説明や画像なども掲載されていますが、当時はそうした情報はありませんでしたので、一人で休日に自動車を走らせて、その古墳を探しに出たところ、海に少し突き出た半島状の鬱蒼とした林の中にそれは実際にありました。石室正面の玄門には、動かされて出入りは出来るようにはなっているものの、往時に用いられたであろう閉塞石が未だ残り、何だか天岩戸神話を彷彿とさせました・・。

この時は蒸し暑く、そしてあちこち蚊に刺されつつ見つけるに至ったと記憶していますが、同時に古墳を自分で見つけることが出来た喜びで、かなり昂奮していました・・(笑)。

しかし、こうした発見は、地域自治体が古墳などの文化財整備に注力するようになると、かえって少なくなってしまい、さきのような昂奮や感動などは減衰してしまうように思われるのです・・。そうした意味から、文化財の保護などは、その対象が持つ性質から、どのように保存するのが適切であるのかを考えることもまた重要であるように思われました。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。




2023年1月5日木曜日

20230104 「輪読会」から思い出されたこと・・

先日の投稿記事にて人文系院生時代に、ある著作の輪読をしたと述べましたが、この輪読は当時履修していた英語の講義もまた、そのような感じであり、主に英・米の経済雑誌記事などがテキストとして用いられていましたが、毎度、その日に読むテキストのどこに誰があてられるか分からないため、予習では、その日のテキスト全てを訳しておく必要があり、多少面倒と思いつつ、以前のホテル勤務時代から用いている英和辞書や電子辞書を用いて、これもまさに辛吟しつつ予習をしていたことが思い出されました・・(苦笑)。

その後、歯科技工士専門学校では、そこまで多く英語を学ぶ必要はありませんでしたが、その次に歯科生体材料学分野の大学院生となってからは、以前の投稿記事にて述べましたが、毎週水曜日の午前8時から、研究室の教授、院生と元院生で現在他科の助教や医員となっている先生方が参加する、英論文の輪読会が行われていました。

私も研究室の院生として、それに参加することになったわけですが、初めて自分の番が回って来た時はとても緊張していました。教授をはじめ先生方としても「コイツは歯科技工士で文系の修士を持っているとのことだが、果たして英語はどの程度できるのか?」といった思いがあったのではないかと察せられます。他方、私の方は学部時代は部活動に明け暮れ、その後、ホテル勤務となってからフロント業務での必要から、休日や夜勤明けに、当時丁度普及してきたDVDで映画作品を英語字幕で観てチンタラ勉強しつつ、それを糧として実際に業務にあたっていましたが、特に問題はありませんでした。そして、その次の文系院生時代は、冒頭に述べた通りですが、さらに付け加えますと、当時は比較的外国人留学生が多かったことから、彼らとのやり取りはリングワ・フランカである英語で行われていました。そうした中で、私は以前に業務で自分なりに学んだ話し言葉の英語を用いて彼らとの交流を試みましたが、私以外にもう一人、英語で堂々と留学生達に話しかけている院生がいました。それが、さきの投稿記事の輪読会を行い、院生自主研究発表会を始めた友人でした。ともあれ、このような変則的とも云える英語学習経験を持つ私に研究室の輪読会での番が回ってきて、その部分を音読し、続いて、その和訳を述べますと、一通りを聞かれていた教授が「うん、大丈夫だな・・。イケるな。」と云われたことが思い出されます。そして、その同年冬にはポスター発表でしたが、海外での学会発表を初めて経験しました。

こうして「輪読」をトピックとしてみますと、上記のようなことが思い起こされますが、しかし、それらの輪読の経験から、私は言語について何らかの「知恵」のようなものが身に着いたようにも思われますが実際のところはどうなのでしょうか・・?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。



2023年1月4日水曜日

20230103 ブログ記事作成に至るまでの葛藤と目標について・・

当記事を含めて、あと80記事の投稿により、当面の目標としている2000記事に到達します。これは当ブログ開始から丸8年となる今年の6月22日までに、どうにか達成したいと考えていますが、そうしますと、大体170日にて80記事の投稿を要するということになり、今後2日間で1記事の投稿を継続することにより、特に無理なく到達出来る見込みが立ちますが、しかし、最近は以前と比べ、ブログ記事作成に対する熱意ややる気が乏しくなり、また、活力全体も冬季であるためか若干低迷しているように思われます。とはいえ、さきに述べた見込みにて当ブログを進めるためには、やはり記事作成は継続しなければなりません。しかし、そのように考えてみますと、私のように「むら気」な性格である場合、こうした自分に対する取り決めは思いのほかに効果的であり、それに従って、どうにか進めることが出来るようなところがあります。ともあれ、それでマイペースに進めつつ7年半で1900記事以上作成することが出来ましたので、進め方の改善の余地はあったとは思われますが、同時に失敗ではなかったと思われます。このことは、普段は全く意識することはありませんが、記事作成がどうにも面倒になった時には、これを思い出し「引用記事であってもとりあえず作成しておこう・・。」とどうにか作成に踏み切るのですが、面白いもので、作成まで取り掛かることが出来れば、大抵の場合、少し時間が掛かることもありますが、どうにか投稿にまでは至ることが出来るのです。このことは、我がことながら不思議であると思われるのですが、あるいは記事作成に至るまでの逡巡している時であっても、無意識ながら記事作成のことをどこかで考えているのかもしれません・・。このあたりの経緯は、今後、何らかの機会に判然とすることがあるのでしょうか。ともあれ、何れにせよ記事作成は継続する必要がありますので、今後、2000記事まで(どうにか)到達することが出来ましたら、またその時に考えてみたいと思います。

上記のことから、おそらく私は、文章の作成が少なくとも嫌いではないと思われるのですが、それでも、ここ最近は、ほぼ毎回の記事作成に際して「面倒だなあ・・」と思いつつ、作成を始めるのですが、作成を始めますと、さきの詳述となりますが、徐々に興に乗るようになり、キーボード上の指がスムーズに動くようになるのです。そして、この経緯で私の内面にどのような変化が生じているのかは、我がことながら興味深く思われるところです。あるいは、こうしたことを自ら制御することが可能になれば、こうしたブログ記事の作成などは、あまり苦でもなくなるのかもしれませんが、こうしたことも、今後もうしばらく継続することにより、自分なりに判然とする日も来るのではないかと思われます。

そう、こうした独白形式のブログ記事の場合、その大抵は、作者自らの内面での対話に文体あるいは形式を付与したものであると云えますので、自らの中での葛藤が高まり、自問自答が始まった時が記事作成のタイミングであるのかもしれません・・(苦笑)。

とはいえ、2015~2018の期間は現在考えてみますと、よく分からない義務感のようなものに突き動かされて、ほぼ毎日記事作成を行って1000記事に到達しましたが、当時と比べますと、繰り返すようですが、明らかに記事作成に対する熱意ややる気は減衰しています。しかし、それでも、どうにかまた、それと同じ記事数を、5年近くかけて作成していますので、自慢できるようなことではありませんが、多少は文章を書く技術のようなものが向上したのではないかと思われます。また、そのように考えてみますと、一連の当ブログ記事において、同じような主題の投稿記事が複数ありますが、それらは書き進める毎に多少は洗練されていっているように思われるのです。それらの多くは以前の私では文章として書くことが出来なかったことであると云えますので、とりあえずは文章とすることによって、それが起点となり、次なる文章の作成に繋げることも出来ているように思われるのです。その意味において、当面の目標は2000記事の到達としましたが、あるいは、その先にもまた、何かがあるのではないかと思われるのです・・。しかし、そうしますと、キリがありませんので、やはり手短な当面の目標に辛吟している状態の方が、作成者側としては現実感があって良いのかもしれません・・(苦笑)。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!
一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。




2023年1月3日火曜日

20220102 「議論」と「口論・口喧嘩」の違いについて・・

 2023(令和5)年、新年明けましておめでとうございます。今回の投稿記事にて総投稿記事数が1920に到達します。かねてよりの目標であれば、昨年内での到達としていましたが、この程度の誤差であれば、特に問題はなく、また今後も、引続き2000記事到達を目指して記事作成を続けたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、去る2022年ですが、世界的に見て大変な年になりました。同年2月末、ロシアがウクライナに侵攻して始まったこの戦争は、今年には如何なる形であれ、終結に至るのでしょうか?そしてまた、かねてより続いている台湾と中国との軍事的緊張も、どのような方向で進展するのでしょうか?さらに、それが昨年のロシアによるウクライナ侵攻のような形で進展した場合、その影響はどのような形で我が国に生じてくるのでしょうか?

これらは全く予断を許さず、また、これらすべてが我が国にとって都合の良い方向で進み、片が付くといった蓋然性はかなり低いと思われます・・。他方、国内においては、去る2022年に元首相が暗殺され、そして、そこから徐々に明らかになってきた政権与党一部と某宗教団体との関係性が問題視されるようになってきました。そして、これら国内外での出来事から、何と云いますか、以前にも増して社会全体に「価値観の混乱」のようなものが生じているように思われるのです。

そして、こうした時にこそ「議論」が必要であると私には思われるのですが、しかし以前にも述べました通り、我が国社会の組織全般では古来より「議論」の習慣が乏しく、また同時に、議論によって決定を積み重ね、何らかの取組みを進めて行くといった習慣も乏しいと云えます。とはいえ「議論」は形としては、さまざまなレベルの会議などで為されているはずであるのですが、それが実質として「議論」であるかどうかは別問題であり、その意味において、我が国では古来より「議論」の習慣が乏しいと思われるのです。

そして「議論」の習慣が乏しい組織・社会にあって、どのようにして物事が決まっていくのかと考えてみますと、その決定を行う主体の考えが如何なるものであれ、その経緯においては、権威主義的なものに近い様相を持つに至るのではないかと思われるのです。

こうした決定の経緯は、急速な発展を要する状況であれば、効果的であると思われますが、ある程度以上に近代化が為され、欧米先進国と似通った政治システムが機能している社会であれば、そこには自然と議論の習慣も根付いているとされ、さきのような権威主義的な物事の決め方は、適切でないと考えられるのですが、我が国においては、おそらく、その経緯を仔細に眺めれば、紆余曲折があったのでしょうが、端的には「議論」のような活動は面倒なものと考え、あるいは「口論・口喧嘩」と同様のものであると認識されているフシがあるのではないかと思われます。

そして、そこから「そのようなもの(議論)に価値などあるのか?」と考えるのだと思われますが、そうしますと、「議論」と「口論・口喧嘩」との違いが気になります。おそらく、それらは、たしかに一見すると同じに見えることもあるのかもしれませんが、その目的が決定的に異なると思われます。端的に「議論」は互いの合意形成に向けて為され、そして「口論・口喧嘩」は相手の主張を挫くことが目的であると云えます。

この違いを認識せずに、議論に参加したり、あるいはそれを見ていても、おそらくあまり楽しくないと思われますが、実際のところ、我が国の社会全般においては、さきの違いを認識することなく、「議論」とは、何やら「調和を乱す悪いもの」として認識されているように思われるのです。くわえて、こうした認識がさらに批判的認識によって深化されることなく、ただ、そのようなものとして、広く漠然と認識されている点が、さらに問題を根深いものにしているといった感があるように思われますが、さて、実際のところはどうなのでしょうか?

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!

一般社団法人大学支援機構


~書籍のご案内~
ISBN978-4-263-46420-5

*鶴木クリニックでのオペ見学につきましても承ります。

連絡先につきましては以下の通りとなっています。

メールアドレス: clinic@tsuruki.org

電話番号:047-334-0030 

どうぞよろしくお願い申し上げます。