ダイアモンド社刊 小室直樹著「危機の構造 日本社会崩壊のモデル」pp.86-89より抜粋
ISBN-10 : 4478116393
ISBN-13 : 978-4478116395
ここでわれわれが注目しなければならないことは、このことではない。このような国際政治の初等的論理が、全くわが国の指導者や国民に理解されていなかったことである。
なんという外交オンチであろうか。歴史オンチであろうか。そして、このことこそ最も強調されるべきことであるが、社会科学オンチであろうか。
しかしこのことは、昭和十四年になって、忽然として現れてきたことではない。禍根はさらにさかのぼる。第一次世界大戦終結によって、日本は五大国にのしあがった。海軍については三大国である。が、不幸にして日本人はこのことを理解しえなかった。ヴェルサイユ会議をはじめとする戦後における主要国際会議で、日本代表は「沈黙の全権」といいわれた。何も発音しなかったからである。これらの会議においては、いうまでもなく、戦後の世界の動向を決定するような多くの議題が論じられた。しかし、それらの大部分は、日本と直接関係のないものであった。ゆえに、日本代表の関心の的とはなりえなかった。彼らはどうしても、「直接日本に関係のないことであっても、めぐりめぐって日本にとって重大なことになる」という国際社会の論理を理解しえなかったのである。
吉田茂は、外務次官のとき田中(義一)首相の通訳をつとめたことがあった。そのとき、バルカンの代表がやってきて、自国がおかれた立場について詳細に説明し日本の了解を求めた。これを聞いた田中首相は、(こんな日本になんのかかわりもないことについて日本の了解を求めることについてあきれて)日本語で「こいつ、ばっかじゃなかろうか」と大声をあげたので、吉田茂は訳すのに困ったといわれる。
国際政治の定石からいえば「ばっかじゃなかろうか」否「正真正銘の馬鹿」であるのは、田中首相のほうなのである。重要事項に関しての列強の了解を求めておき、その後にはじめて行動の自由が得られるということは、国際政治の定石である。こんな定石すら、戦前日本の指導者は理解しえなかった。そしてこの無理解はきわめて高いものについた。つまり、このことを理解しえなかったことこそ、日本の致命傷となったのである。
今日ではだれしも「支那事変」が日本の命取りになったことを知っている。その理由については多くのことが語られているから、ここでそれらの大部分を繰り返す必要はないが、右に述べたことの連関において注目すべきことは、日本の指導者が、「中国への鍵はアメリカにある」ことを理解しえなかったことである。つまり、国際政治においては、すべてが依存しあっているから、中国問題は中国問題にとどまりうるものではない。その影響は全世界に及ぶであろう。なかでも大きな利害を有するのは、米英仏であるが、当時において、実力によって日本の行動を制約しうるのはアメリカ以外にない。
この意味において、「中国の鍵はアメリカにある」のである。これは国際政治の連関メカニズムの理解の問題であって、日本がアメリカに隷属するかどうかという問題とは全く別の問題であり、カヴールが、イタリア統一の鍵はパリにあり、といったようなものにすぎない。そして、このことに関する日本の指導者および国民の理解の程度の低さは、まさに戦慄すべきほど幼稚なものであった。
まして彼らには、バルカン問題や独ソ関係が、めぐりめぐって日本の進路にいかなる意味を持ってくるか、ということについて、教科書的知識すらどうしても理解することができなかったのである。そして、このことによって日本は破局を迎えるのであるが、現在日本人の行動様式、思考様式は、当時の日本人のそれらと、少しも変化していない。つまり、われわれは、あの大戦争とその結果を、科学的に学び取ることをまだしていないのである。
ニクソン・ショックや石油危機を全く予知も分析もしえなかった日本の政治家や外交官は、なんと当時の平沼首相や外交官と似ていることであろう。遠いイスラエルとアラブとの戦争がめぐりめぐって日本に致命的影響を及ぼしうることを夢想もしえなかった田中角栄前首相は、遠いバルカン問題は日本とは全く無関係であると思っていた時の田中義一首相と、なんとよく似ていることであろう。
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