2021年6月15日火曜日

20210615 記事作成の中で徐々に明瞭になってくる流れについて

 何度か寝落ちしそうになりながら作成した昨日分の投稿記事ではありましたが、これまでに思いのほか多くの方々に読んで頂けました。こちらを読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。また、本日につきましては、さすがに休んでおこうと考えていましたが、当記事の投稿により総投稿記事が1554となり、さらに1記事の追加により1555と、少し珍しいゾロ目の投稿記事数に至るため、本日も記事作成を行い、出来るだけ早めに到達出来るようにしておこうと思い立ち、先ほどから記事作成を始めた次第です。

とはいえ、上記のような行為態度は、機会主義的であると見られますが、他方において、こうして新たな記事作成を行うための公開する理由付けを行わないと、記事作成を割合容易に断念しようとする自分もいるため、あくまでも自分内部での話ではあるのですが、こうして機会主義的に苦肉の策を弄しているのです・・(苦笑)。

また、そうしたことをも文章化することにより、文字数も稼げ、さらに、その文中に意図せぬものであっても、何かしらの含意が見つかれば、それはそれで意味はあるのではないかと思われるのです。

そういえば、この「含意」ですが、これは私にとっては面白いものであり、こうした散文的なブログの場合は特に、文章作成の当初から、その主題・題材が明確に決まっていることは少なく、記事作成が進むに随い、その流れが明確になってくることが多いと云えます。そしてまた、ある程度、記事作成を行ってきますと、自分にありがちな文章の流れというものも認識出来るようになってきます。

また同時に、記事作成を重ねることにより、さきの「ありがちな文章の流れ」に変化が生じてくることもあります。おそらくそれは、文章として書くことにより、明瞭に認識された自身の観念に対し、変更を加える必要性を感じ、それを行うために、源泉とも云える当初の文章の流れに変更を加えているのだと思われますが、面白いことにこちらも、あまり意識して行っているわけではないのです・・。

その意味においても昨日の投稿記事にて述べました「文章作成時の意識の相」とは、我がことでありながらも、同時に普遍的な部分もあるのではないかと思われ、興味深いものと云えます・・。

ともあれ、そうして文章として表出された自分なりの主題・題材と、同時期に世の中にて生じている出来事との間に相関性のようなものを何かの拍子に見出したりしますと、以前、当ブログにて書いた「時代精神」や「集合的無意識」といったものに思いが至るわけですが、これはインターネットの普及によって著しく感知し易くなったとは思われますが、それ以前から、そうした相関性を感知する感覚はあり、古代における骨や亀甲を用いる占いなども、そうした感覚が背景観念にあったのではないかと思われます。

そして、私にとってのブログ記事作成の一つの大きな楽しみとは、今現在では、あまり明確には認識出来ないものの、自身の作成した記事と、客観的に認識出来る同時期のさまざまな出来事との間に、何らかの関連や相関性を見つけようとすることにあると云えますが、これは今しばらく更に継続してみますと次の展開のようなものがあるのでしょうか。そしてまた、それももう一つの楽しみであると云えます。

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます!


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2021年6月14日月曜日

20210614 文章作成時の意識の相の継続によって生じる感覚・・人文社会科学分野の重要性

 以前にも書きましたが、ここ最近はスランプ気味であり、そのためもあり、書籍からの引用部を多く記事として投稿してきましたが、それでも、この状況は、あまり変わることはありません。

くわえて、つい先日、1550記事に到達したことから「しばらく記事作成を休止しても良いのでは・・」とも思いましたが、現在の私の場合、ここで記事作成を休みますと、再開が面倒になり、そのままブログから離れていく可能性もないとは云えず、また、スランプからの速やかな脱出とは、そうした状態において、なおも記事作成を続けることにより、達せられるとも思われたため、本日もまた、こうして作成しています・・(苦笑)。

しかし、面白いことであるのか、作成開始後しばらく経ちますと、多少はその作業に集中するようになり、この集中に至るまでの割合短い時間にて、私の精神に生じている変化とは、未だ意識・言語化することは出来ませんが、同時にそれは、これまで6年近くの記事作成の継続により、あらわれるようになったものとも云え、あるいは私にとっては貴重なものと云えるのかもしれません・・。

この「文章作成時の意識の相」のようなものは、おそらく誰であれ、ある程度の期間の鍛錬によって、強化され、それが機に応じて発揮・顕現されるようになるとは思われるのですが、この「ある程度の期間の鍛錬」こそが、思いのほかに面倒であり、基本的にその行為が「好き」であるか「興味がある」でないと、継続することが困難であるように思われます。

もちろん、そこには所謂「文才」もあるとは思われますが、しかし、期間当初の頃における「文才」などは、多分に「行為を継続する面倒臭さ」をいくらか緩和させる程度のものであり、そしてまた、そこまで稀有なものではないように思われます。

それよりも、その行為を継続することにより、少しずつではあれ、自分なりに、作成する文章が研ぎ澄まされてく中で、言葉と、その意味が持つ、深さ、そして面白さのようなものが、これも自分なりに、感じ取ることが出来るようになっていくのではないかと思われるのです。

また、これは文章を扱う研究分野全般においても共通して云えることであるとも思われます。さらにまた、こうしたことは「記述された歴史の流れ全般」においても、少なからず関連するものがあり、それ故に、何と云いますか「歴史」というものには「この時代に、こうした出来事があった」の集積、および、それらの関連性だけでは済まされない「何か」があるのではないかと思われるのです。そしてまた、その感覚は、視覚によるものとは異なり、ある種、文字の修練を要する、まさに人間独自の感覚であり、また同時に、その民族、集団が辿ってきた「歴史」を精確に反映するものであるようにも思われるのです。

それ故、何度も繰り返し述べるようではありますが、人文社会科学分野を、実地に役立たないものとして軽んずることは控えた方が良いと思われるのです。おそらく、現在の我が国の苦境全般とは、太平洋戦争後の民主主義治下において根付いてきた、文脈を意識しない、いわば近視眼的な合理主義の結果であるとも思われますので、そこには何かしらの関連性があるように思われるのですが、さて如何でしょうか。

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20210613 朝日新聞出版刊 木村誠著 「消える大学 生き残る大学」 pp.144-147より抜粋

 朝日新聞出版刊 木村誠著 「消える大学 生き残る大学」

pp.144-147より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 402273390X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4022733900

歯科医の数が社会需要をはるかに上回るといわれる状態をつくり出したのは、実は歯学部の責任ではなく、政府の責任があったのである。

 子供の虫歯が世間から注目され、ちょうど歯科医師が不足していた1970年代に、当時の厚生省(現厚生労働省)と文部省(現文部科学省)は、社会的需要を見すえて、どんどん歯科医を増やす方針をとった。歯学部120人の定員に300人を入学させる大幅定員超過状態でも、文部科学省は黙認したといわれた。今ならとても許されない。

 国立大学にも歯学部がどんどん生まれ、1975年には、現在の29学部に達した。そのため、当時の約10年間で歯学部の定員は3倍の3400人ほどに急増したのである。

 その結果、毎年、歯科医師は増加し続け、現在では10万人近くになっている。1970年代末期に比べ倍増し、過剰状態といわれるようになった。国は社会的需要を読み間違えたのだ。保護者の意識も向上して、子供が虫歯にかかる率も大幅に減ったうえに、少子化が加速し、患者は減った。歯科医師会も歯科医師過剰論を強く打ち出し始める。

 1980年代半ばには、歯科医が過剰になることを危惧した政府は、一転して歯科医師の新規参入20%削減方針を打ち出し、それ以来、歯学部入学定員はどんどん減らされることになった。

 歯学部は2011年、全国で27大学29学部あるが、そのうち私立大学が17学部で、入学定員の75%を占めている。私学は定員割れになると学生納付金が減少し、すぐに財政に響く。それだけに苦しい。定員割れの歯学部は経営的に限界に近づきつつある。

 歯科医そのものは、臨床研修を終わって歯科医として就職する場合、まだ7倍の求人件数がある。求人の初任給平均は25万円だが、40万円というケースもある。就職氷河期の再来といわれる現在、歯学部卒業生は今のところ恵まれた状況にあるといえるだろう。

 意欲的な歯科医は、新たに取り組む分野を積極的に拡充している。よく知られているのが、インプラント歯科治療であろう。歯を失った場合に義歯が簡単に外れないように、骨に直接人工歯根を植えて支える治療である。原則、保険がきかないので、治療費は高額になる。

 ひとくちに過剰といっても、全国の人口10万人対比の歯科医数を調べると、地域によって違う。全国平均で比べると、比較的多い都市は、福岡市、新潟市、横須賀市、長崎市、郡山市などである。実は地元に大学歯学部がのある都市である。

 半面、県単位で見ると、歯学部のない北陸3県は、富山、石川、福井ともに全国最低クラスである。これらの地域では無歯科医地域も少なくなく、バスで隣の市町村の歯医者さんまで診療を受けに行くという高齢者もいる。

 新人歯科医師も医療人として、このような歯科過疎地域に飛び込んでいくべきだ。また、小学校の歯科検診時における育児放棄の発見や、要介護状態の高齢者の出張ケアなど、社会福祉における役割も広く考えていく必要がある。

 さらに地域においては単なる「虫歯医療」に限定せず、国民の健康生活に歯科の予防ケアや治療がどのような役割を持つか考えるべきだ。

 阪神・淡路大震災で被害を受けた高齢者が病死した原因に、体の抵抗力が落ちている時に口内の細菌や食物が肺に入り、細菌感染して発症する誤嚥性肺炎が多かった、と報告されている。これらの多くは、口内ケアによって防止できたのだ。今回の東北関東大震災に際しても、活動すべき場は数限りなくある。心から期待したい。

2021年6月12日土曜日

20210612 株式会社岩波書店刊 兼常清佐随筆集 杉本秀太郎編 「音楽と生活」pp.153-157より抜粋

 株式会社岩波書店刊 兼常清佐随筆集 杉本秀太郎編

「音楽と生活」pp.153-157より抜粋

ISBN-10 ‏ : ‎ 400331901X
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4003319017

ニッポンの流行唄はニッポン語で唄われる。ニッポン語の性質からひどく離れたものは私共になつかしみを感じさせにくい。例えば世界的に有名な流行唄「暗い日曜日」は私が確に一番美しい、一番おもしろいと思った曲の一つである。私はあの曲に気品さえ感じる。しかしそれをニッポン語で唄うと何となくおかしい。不自然である。フランス語で聞く美しさの半分以上はなくなる。やはりニッポンの流行唄はニッポンの言葉にあったニッポンのふしでなくては本当には成立しない。この事実が学校唱歌だの国民歌謡だのいうような西洋音楽の組織を基礎にした曲が、心底から私共大衆の感情になずまない理由の一つであろうと思う。

 ここで話が非常に面倒になる。一体何がニッポンのふしであるか?一体ニッポンのふしというような特別なものが存在するか?-それが話の中心になる。

 私はまず第一に声の質の事を考える。それに何かニッポン風なものがありはしないだろうか。そしてそれが私共にニッポン風な流行唄に、特に親しみを感じさせるのではあるまいか。殊に女の声はそうではないだろうか。今まで正式に西洋風な発声法を練習した女の唄で一世を風靡したというような例は割合に少ない。それよりも芸者の唄の方が段違いに一般から選ばれた。私もあのような声は一種の綺麗さをもっていると思う。表情は乏しいし、力がないし、音域が狭いが、しかし綺麗で、そして何よりもいい事は、唄の文句がよくわかる。発音が十分にニッポン語に適している。あれを正式のアルトやゾプラン風にやったとしたら、文句の意味はあれほど明瞭にわかるまい。国民歌謡を本当に流行させる必要があるならば、今はやりの「ああそれなのに」を唄った芸者に唄ってもらうのは確に一つの方法である。

私はこのような発音や唄い方の相違が、実際音波の上にどんな形になってあらわれているかを顕微鏡で見ようとした。しかし今私共はここでその数字やグラフを振回そうというのではない。またこのような事は現象が非常に複雑で、一朝一夕には真相はわからない。ただ私が今までおぼろげに知った事の一つはこうである。―西洋の発声法は咽喉を一種の楽器にする事である。性質がよほど楽器の音に似ている。ニッポンの唄は結局ニッポン語の朗読や談話の一種である。普通の話の声に近い。

 流行唄の文句は都会の若い生活の裏面をよく面白く歌っている。文句がなかなか巧みである。「怒るのがあたりまえでしょうが」だとか「×××素肌のはずかしさ」だとか、とにかく何となく人の気持に訴えるように、うまく出来ている。正に小唄を唄うのに適している。文句がよくわかることは絶対に必要である。ニッポンの流行唄が何も知らない芸者たちにニッポン語らしく唄われることには、十分意味があると私は思う。

 しかしまだ一つ難題が残っている。-ではニッポン風のふしというものがあるのか?もちろん、ただふしだけを取るならば、ニッポン風のふしというものがあるにきまっている。長唄のふし、清元のふし、謡曲のふし、ニッポン各地の民謡のふしというようなものである。そのようなものは西洋のどこにもないから、いうまでもなくニッポン特有のものである。今私共の問題は、それが何かの必然性を持つかどうかということである。つまりそのようなふしの根底は、ニッポン語そのものの性質のなかになって、ニッポンのふしとニッポン語とは、必然的に離れられない関係にあるかどうか、というのである。

 これは私の口癖でなく、実際難問である。それを考えるためには、まだまだ沢山の実験と沢山の観察とがいる。

 私はこれまでニッポンの言葉やニッポン語の文句を読んだ場合や、あるいは唄った場合をフィルムに記録した。そしてそれを高さだけについて測定して、いろいろのグラフをかいてみた。そしてニッポン語とニッポンの唄との何か離れられない関係があるかどうかを考えようとした。もちろんこのような実験は、そう急にはまとまらない。今私はそれについて何も断案を下すことは出来ない。ただこれまでに私はおぼろげに知った事は、前にニッポン風な唄の声の質について述べた事と非常によく一致している。それは次のような事である。-ニッポンのふしはニッポンの唄の文句を読んだ場合と性質がよく似ている。ニッポンのふしはニッポンの唄の文句の朗読の一種である。しかし西洋音楽による唄では、文句を読む時の語調Sprach-melodieは相当無視される。そしてふしはほとんど楽器と同じような約束で動く。この系統は別々な音楽の系統である。

 この事は私共の常識ともよく一致する。今までに大喝采を博した唄い手には多くの芸者があった。それには物珍しさも手伝ったであろうが、唄い方にも何か大いに人の心に訴える処があったであろう。しかし彼らは音階の練習どころでなく、「ド」と「レ」とどちらが高いか低いかどころでなく、初めからド・レ・ミという言葉さえも聞いた事はあるまい。本格的な音楽には全然素人であった。それであれほどの大成功をかち得ている。また作曲者にしても、和声学教科書の例題をピアノで弾かせたら、どれほど正確に弾ける自信があるか怪しいものだそうである。しかし彼らはそれで一世を動かす名流行唄を作っている。これを見ても本格的な音楽的訓練と流行唄とは相当物が違っている事がわかる。

 また私共が流行唄のレコードをかけて発売の楽譜を見ながら、その芸者の唄った声の通りをピアノで弾くとする。ピアノはレコードのふしと似るには似るが、しかし完全には一致しない。ただ似るというだけの事である。声そのものの高さにも、ふしの唄い方にも西洋の楽器では出来ない処がある。楽譜もそこまでは書く事が出来ない。レコードの中のふしを楽器でやる一節のあるものなら、その楽器の部分と声の部分とを比べて見てもすぐわかる。西洋の音楽や楽器の系統とニッポン人の唄のふしとは、物理的な約束の違う処がある。似てはいるが、一致しない。そこへ西洋音楽の長短の音階の構造などを不用意に持ち出して来ても、それは少々お門が違う。ニッポン人の唄はニッポン語の語調を基礎として、もう一度その性質を考えて見なくてはならないものである。私共一般の流行唄を好む大衆は、このニッポン風なものの方に親しみを感じている。

 それはニッポン語の唄として誠に当然な事である。そして西洋の系統の音楽を聞く時には、その時にはまた、そのような気持で聞く。それが本格的な、大仕掛けなものになれば、「冬の旅」の演奏になり、ちょっとした模倣ということになれば、学校唱歌だの国民歌謡だのいうようなものになる。その時には私共はニッポン語が明らかに西洋音楽の約束に従って鋳直されたものであるという感じを受ける。


2021年6月10日木曜日

20210610 1550記事の到達、前進のために不可欠な道具について

今回の記事投稿によ総って総投稿記事数が1550に到達します。直近のキリの良い数値である1500記事の到達は、さる3月23日であったことから、その後、大体80日ほどにて、50記事を新規に追加したことになります。そうしますと、2日に1記事以上の投稿はしてきたことになります。

さて、そこで本日の記事の主題について考えてみたところ、以前にも扱いましたが、再度「靴」を題材として作成しようと思い立ちました。

さる5月の中頃、上野アメ横の某靴店の特価品コーナーにて、ダナー社のマウンテンライトを見かけました。これは黒スエードであり、最近、店頭では見かけないものでしたが、作りは米国製のホンモノであり、さらに私のサイズの在庫品があったことから、試し履きさせて頂きました。

これが特価品となった理由は、長く店晒しであり、スエードの色合いが変化したためとのことでしたが、私としては特に見た目に問題があるようには感じられませんでした。また、試し履きの結果も問題ないと思われたことから、このマウンテンライトを購入することにしました。

これは正価の半額以下ではありましたが、同時に決して安い買い物ではありませんでした。ともあれ、こうして私は既存のダナー社のライト2に加えて、この度、マウンテンライトを新たに購入し、計3足のダナー社のブーツを持つことになったわけですが、これは高校生の頃にダナー社のライトを渋谷のアメカジ店で見て「いいなあ・・」と思ってから30年近く経っています・・。

こうした経緯にて購入したマウンテンライトを、購入翌週の休日に履いて街を歩いたところ、両足共に踝・踵周辺が擦れて痛むようになってしまいました。そのため、その日の夜は、風呂上りに傷口にオロナイン軟膏を塗り、バンドエイドを貼っておきました。また、マウンテンライトの方も内張りの表革部分にミンクオイルを塗り込み、少し手で揉んで革が柔らかくなるようにして保管しました。そして本日、再び休日の街履きに、このマウンテンライトで出たところ、未だ擦れる部分はあるものの、先週と比べて、大分事態は改善されていることを体感しました。また、それと同時に一昨年に購入したダナーライトもまた、履き始めの頃は、こうした感じであったことが思い出されました。このダナーライトは、その後、大分足に馴染み、これを履いて10㎞以上歩く日は、今に至るまで毎月数回はあります。

それ故、新たに購入したマウンテンライトもまた、徐々に足に馴染んでいくものと思われますが、その過程も楽しみと云えます。

ともあれ、こうした手間をかけるほどに、靴はとても大切なものであり、特に年齢を重ねますと、その重要性が、まさに体を通じて理解出来るようになっていくのではないかと思われます。

ある程度の節目と云える今回の記事ではありますが、何故か「靴」のハナシになりました。しかし、この物理的に前進するために不可欠な道具は、当ブログを前に進める上においてもまた同様に重要であると云えることから、それはそれで繋がっていなくもないのかもしれません・・。

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20210609 「下手の横好き」と「好きこそものの上手なれ」の間でブログ記事作成を継続していると・・

 かれこれ6年近くブログのために文章を作成してきましたが、未だに自分なりの文体を見出したといった感覚はありません。しかし同時に、おそらく、こうした感覚は「突然、雷に打たれるようにして得るものではないであろう」ということは分かりました。

おそらく、そうした変化とは、その時の自分では感知できない、微々たるものであり、ある程度、まとまった年月の前後にて、それぞれ作成した文章を比べて「少しは文章が滑らかになったかな?」といった態にて気が付くのではないかと思われます。

また、これは以前にも書いたことではありますが、作成文章の変化とは、寄せては引く波のようなものでもあり、ある所まで変化・上達すると、それがまた戻り、そしてまた、変化・上達してゆく(3歩進んで2歩下がる)といった実感があります。

そして、その視座から現在の私は、波が引いている、あるいはスランプに近い状態にあると云えます。具体的には、記事主題の着想がなかなか湧かず、また、文章の進みが遅いといった状態ですが、とはいえ、そうした中においても、たとえ嫌々ではあれ、記事作成をどうにか進めることが、思いのほかに重要であり、そのようにして継続するからこそ、次の波を見出し、そして乗ることが出来るのだと思われるのです。

一般論として、ブログをある程度の期間継続することが、それなりに困難とされる理由の一つとして、ブログを始めてある程度の期間が経ち、着想を得ることが難しく、記事作成がなかなか進まない、いわばスランプ状態の中で、さきに述べました、上達に至る波様の認識(3歩進んで2歩下がる)に思いが至らないということもあるのではないかと思われます。

つまり、何であれ、あまり恥ずかしいとは思わずに記事を作成し、投稿し続けることにより、良い悪い何れであれ、次の波が訪れるのではないかということになりますが、あるいは実はこの時点で、既にその人のブログへの向き、不向きが顕われ、多くは継続に至らないのではないかとも思われます。

そうしますと、これまでに私は文章作成が得意であると自覚したことはあまりなく、また、どちらかと云いますと「負けじ魂」や「ハングリー精神」なども乏しいことから、当ブログは刺激への反動を原動力としておらず、そして現在に至るまで、記事作成を(どうにか)継続出来ているという事実から思うことは、私は文章作成の才は乏しいのかもしれないが、他方で、少なくとも「ブログには向いていない」ということは云い難いのではないかということです。

しかし、世の中には「下手の横好き」というコトバもありますので、あるいは、当ブログも、それに類するものであるのかもしれませんが、同時に「好きこそものの上手なれ」というコトバもあり、これについても「適応しない」と断言は出来ませんので、もうしばらく、これら「下手の横好き」と「好きこそものの上手なれ」の間をブログ記事を作成しつつ彷徨ってみようと思います。

しかし、かねてより私は「少し変わっている」「おかしな部分があるのでは・・」と、心の片隅でボンヤリと思いつつ生きてきましたが、あるいはそれが顕現したのが、まさにこのブログであったのかもしれません。通常、ブログを数年間続けることが珍しいのであるならば、私の場合、さきの「変わっている」「おかしい」があったからこそ、ブログを続けることが出来たとも云えるのかもしれません・・(笑)。

そのように考えてみますと「少し変わっている」「おかしな部分があるのでは・・」といったネガティブな要素を当ブログの継続を通じて「自信」にまで変えることは出来なくとも、あるいはどうにか「肯定」までには、もっていくことが出来るのではないかと思われてくるのですが、さて如何でしょうか。

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2021年6月8日火曜日

20210608 手先が器用で繊細な感覚を持つ国民性の創造的な未来について・・

 何度か寝落ちしそうになりながら作成した一昨日投稿の「ブログ記事作成の意味と人生の創造的な期間について」は思いのほかに多くの方々に読んで頂けました。これを読んで頂いた皆様どうもありがとうございます。

そして、そこでとり上げた「30代後半から40代が最も創造的である」という意見に関しては、未だ自身で実感することはありませんが、しかし、もう少し早くから当ブログをはじめていたならば、いくらか記事数は多く、そして、より多くの方々に読んで頂けていたのかもしれません・・。

しかしそれでも、当ブログを始めて以来、約57万人の方々に読んで頂き、そして、それを1年に均しますと約10万人、さらにそれを1日に均しますと250人ほどの閲覧者数になります。

もちろん、この数は決して多いとは云えませんが、それでも自身が選んだ書籍からの引用部、そして、自身が作成した文章が、それだけの方々に読んで頂けているということ自体に、今なお色褪せない驚きのようなものがあると私は思っています。

また、これがブログといった公開を前提とするものでなかったならば、私の場合、何処かで面倒になり、止めていたのではないかと思われます・・(苦笑)。つまり、私は「ブログ」という装置・環境があったからこそ、書き続けることが出来ているのだと云えます。

そして、おそらく、こうした装置や環境とは、我々があまり明瞭には意識出来ないところで、私をも含めて、我々の人生を左右し、変えてきたとも云えます。その意味において、誰もが皆「時代の子」であると云うことになりますが、ここでいくらか重要であることは、それら時代環境の装置の「何か」と、自分の本能や本質に近い部分からの興味を持つことが出来る「何か」とを化合させ、何かしらの創造的な活動を(ある程度)継続することであるように思われます。

これが既存の経済活動上に乗るものであれば大変素晴らしいのでしょうが、しかし他方で、おそらく現在の我々の社会の多くは、経済活動を基準として逆算された各種社会制度でありながら、同時に、その既存の経済活動が、近年の様々な技術革新により、大きく変わりつつあり、さらに社会全体の少子化、高齢化などにより、根本的な見直しが迫られているのが現状であるように思われます。

そうなりますと、重視されることは、社会のより多くの人々が、自分の本能に近い部分から取り組むことが出来る創造的な側面を持つ活動を見出すことであると思われます。そして、我々日本人の場合、より多くの人々が継続的に興味を持つことが出来るのは、実際に手を動かす作業が含まれる職種であると私は考えます。

そこには農業や工業に加え、医療介護なども含まれており、特に医療介護分野については、世界に先駆けて社会の高齢化が進行する我が国においては、極めて重要なものであると云え、それら職種のより多くの養成、さらに後年、世界規模での医療介護分野にて先導的な役割を演じることが出来る方々を(こちらもより多く)養成・輩出することが、工業分野での革新と同時進行にて我が国が推し進めていく途であるように思われるのですが、さて如何でしょう。

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