2021年4月2日金曜日

20210401 未來社刊 丸山眞男著「現代政治の思想と行動」pp.158‐161より抜粋

 未來社刊 丸山眞男著「現代政治の思想と行動」pp.158‐161より抜粋

ISBN-10 : 462430103X
ISBN-13 : 978-4624301033

日本は周知のように明治維新による上からの革命に成功してともかく東洋最初の中央集権的民族国家を樹立し、ヨーロッパ勢力の浸潤を押しかえしたばかりか、世界を驚倒させるスピードでもって、列強に伍する帝国主義国家にまで成長した。

ところが中国では、曾国藩らの「洋務」運動から康有為の「変法維新」運動に至る一連の上からの近代化の努力も結局、清朝内部の強大な保守勢力の前に屈服し、その結果は19世紀後半の列強帝国主義の集中的蚕食を蒙って、半植民地、いな孫文のいわゆる「次植民地」の悲境におちた。

むろんこのような中国と日本の運命のひらきには、両国の地理的位置とか「開国」の時期のずれとか、旧社会の解体過程の相異とか、支配階級の歴史的性格とか、いろいろの要因が挙げられるであろう。しかし、ここではそうした原因論が問題なのではなく、むしろ、こうした出発点の相異が結局両国のナショナリズムに殆ど対蹠的な刻印を与え、それが今日の事態にも致命的に影響しているという点が重大なのである。

すなわち、中国は支配層が内部的な編成替えによって近代化を遂行することに失敗したため、日本を含めた列強帝国主義によって長期にわたって奥深く浸潤されたが、そのことがかえって帝国主義支配に反対するナショナリズム運動に否応なしに、旧社会=政治体制を根本的に変革する任務を課した。

旧社会の支配層は生き残らんがためには多かれ少なかれ外国帝国主義と結び、いわゆる「買弁化」せざるをえなかったので彼等の間から徹底した反帝国主義と民族的独立の運動は起こり得なかった。一方における旧支配層と帝国主義の癒合が、他方におけるナショナリズムと社会革命の結合を不可避的に呼び起したのである。孫文から蒋介石を経て毛沢東に至るこの一貫した過程をあとづけることはここでは必要なかろう。ただ、こうしたナショナリズムとレヴォリューションとの一貫した内面的結合は、今日中国において最も典型的に見られるけれども、実はインド・仏印・マレー・インドネシア・朝鮮等、日本を除くアジア・ナショナリズムに多かれ少なかれ共通した歴史的特質をなしていることを一言するにとどめる。

 ただひとり日出ずる極東帝国はこれと対蹠的な途を歩んだ。ここで徳川レジームを打倒して統一国家の権力を掌握した「維新」政権はそれ自体、旧支配階級の構成分子であり、彼等はただ「万国に対峙」し「海外諸国と併列」する地位に日本を高めようという欲求にひたすら駆り立てられて急速に国内の多元的封建制力を解消してこれを天皇の権威の下に統合し、まさに上述の「使い分け」を巧妙きわまる仕方で遂行しつつ、「富国強兵」政策を遂行した。

この、上からの近代化の成功はまことにめざましかった。かくて日本はその独立を全うしつつ「国際社会」に仲間入りしただけでなく、開国後半世紀にしてすでに「列強」の地位にのし上がったのである。しかし同時に、近代化が「富国強兵」の至上目的に従属し、しかもそれが驚くべきスピードで遂行されたということから、まさに周知のような日本社会のあらゆる領域でのひずみ或いは不均衡が生まれた。

そうして、日本のナショナリズムの思想乃至運動はその初期においてはこのゆがみを是正しようという動向を若干示しはしたが、やがて、その試みを放棄し、いろいろニュアンスはあるにせよ、根本的にはこの日本帝国の発展の方向を正当化するという意味をもって展開していったのである。

従ってそれは社会革命と内面的に結合するどころか、玄洋社ー黒龍会ー大日本生産党の発展系列が典型的に示しているように革命に対してーというより革命の潜在的な可能性に対して、ある場合にはその直接的な抑圧力として作用し、他の場合にはそのエネルギーの切換装置たる役割を一貫して演じてきた。しかも他方それは西欧の古典的ナショナリズムのような人民主権ないし一般にブルジョア・デモクラシーの諸原則との幸福な結婚の歴史もほとんど、ろくに知らなかった。むしろ上述のような「前期的」ナショナリズムの諸特性を濃厚に残存せしめたまま、これを近代ナショナリズムの末期的変質としての帝国主義に癒着させたのである。かくして日本のナショナリズムは早期から、国民的解放の原理と訣別し、逆にそれを国家的統一の名においてチェックした。そのことがまたこの国の「民主主義」運動ないし労働運動において「民族意識」とか「愛国心」とかいう問題の真剣な検討を長く懈怠させ、むしろ挑戦的に世界主義的傾向へと追いやった。そうして、それはまたナショナリズムの諸シンボルを支配層ないし反動分子の独占たらしめるという悪循環を生んだのである。

 日本のナショナリズムが国民的解放の課題を早くから放棄し、国民主義を国家主義に、されに超国家主義にまで昇華させたということは、しかし、単に狭義の民主主義運動や労働運動のあり方を規定したというだけのことではなかった。それは深く国民の精神構造にかかわる問題であった。つまり日本の近代化過程が上述のように「使い分け」の見事な成功によって急激になされたということは、一般に国民大衆の生活基盤の近代化を、そのテンポにおいても、その程度においても、いちじるしく立ち遅れさせたことは周知のとおりであるが、それはナショナリズムの思想構造ないし意識内容に決定的な刻印を押したのである。頂点はつねに世界の最尖端を競い、底辺には伝統的様式が強靭に根を張るという日本社会の不均衡性の構造方式は、ナショナリズムのイデオロギー自体のなかにも貫徹した。

そうしてあたかも日本帝国の驚くべき躍進がその内部に容易ならぬ矛盾を包蔵することによって同様に驚くべき急速な没落を準備したこととまさしく併行して、世界に喧伝された日本のナショナリズムは、それが民主化との結合を放棄したことによって表面的には強靭さを奔騰させつつあるとき日本国民は逆にその無気力なパンパン根性やむきだしのエゴイズムの追求によって急進陣営と道学的保守主義者の双方を落胆させた事態の秘密は、すでに戦前のナショナリズムの構造のうちに根差していたのである。

2021年4月1日木曜日

20210401 株式会社新潮社刊 北杜夫著「どくとるマンボウ航海記」pp.64-67より抜粋

株式会社新潮社刊 北杜夫著「どくとるマンボウ航海記」pp.64-67より抜粋
ISBN-10 : 4101131031
ISBN-13 : 978-4101131030

スエズには12月17日の夕刻に着いた。シンガポールを出てから18日目である。検疫も簡単にすんだ。書類には、やれ伝染病が発生したか?とか、ネズミがいるか?とか、いかめしい質問が並んでいるが、要するにすべてNoで片づけてしまって、ネズミはいたが食べてしまったなどど書く必要はない。

ドクターのことを呼んでいると船の者が言うので、行ってみると検疫官の従卒が「頭痛がする」と額に手をあてて実に物悲しげな顔をしてみせる。私は日本医学の真価をみせてやるのはこのときだと思い、わざわざ数種類の薬を調合して彼に与えた。ところが、あとからあとからいろんなのがやってくる。「アイ・ドロップ」とか言って目薬を要求するものが多い。そう際限なくやってしまっては自分の船で使うのがなくなってしまう。私もこれには弱って、あちこちから目薬の空きびんをかき集め、ホーサン水を作ってその中につめ、それからはこれを与えることにした。あとでサード・オフィサーが言った。

「ドクター、だめだよ。奴等みんなタカリですよ。」

エジプトは薬品が高価で不足しているので、仮病を使って船に薬を貰いにくるのだという。スエズ運河を通過中も、しきりにボートマンが私のところにやってくる。最も欲しがるのはやはり目薬だ。例の急造のを与えると、ひねくりまわしてなにかぶつぶつ言う。よく聞いてみると、ペニシリン入りのはないかとのこと。

「ノオ」とついに私も大声を出した。「この船はそんなもの持たぬぞよ!」

私はそいつを医務室から押し出し、ピシャリとドアを閉めた。しばらくすると、また別のボートマンが現れ、アイ・ドロップ、プリーズ、と言う。「ノオ」と私は不気味におしころした声を出した。そのくらいのことで引き退る相手ではない。しきりに自分の目を指し哀訴を繰返す。見るとたしかにその目は汚く目ヤニがこびりついている。もう急造の目薬もないので、硼酸の粉末を与え、その使用法を説明し、私はそいつを医務室から押し出し、ピシャリとドアを閉めた。

 薬品ばかりでなく、「スエズを通るのはもうイヤだよ」と船長がこぼしていた。船には港々で検疫官やパイロットなそにやるミヤゲ物をかなり積んである。扇子、ハンニャの面、羽子板などだが、ひどいパイロットになると、これではイヤだ、もっと別なのをくれ、終いには船長室にかかっていた額をさして、あれをくれなどと言いだす始末だそうだ。ついに私は持参した例の風呂敷の一つを船長に提供したが、上等の風呂敷を持ってこなくてホッとしたのはこのときだけであった。そればかりではない。調査官のM氏の部屋にやってきたボートマンが空箱を指さし、それをくれと言うのでなにげなく頷くと、空箱でなくてその横になった手袋を持って行ってしまった。慌ててとめると、今あんたは確かにくれると言った筈だと頑張り、とうとう手袋をまきあげられてしまったという。こうした植民地的貧困の残渣は、現在この国に澎湃とみなぎっているナショナリズムの息吹きと一見奇妙な封に入り混じっている。

 スエズでもポート・サイトでも、家の中でも街上でも、頻々とナセルの写真にお目に掛かった。私は大体こういう現象を好まない。写真なぞというものは、個人でこっそり飾っておくべきもので、でかでかと人目につくように貼りだされる場合、いつだってなにかいかがわしい気配を感ぜざるを得ない。しかしアラブ連合の若き役人氏は、自分の胸をさし、「ナセルは私の心臓だ」と言った。街にはこの雰囲気がみちみちている。

 スエズの裏通りには、パジャマ姿に素足の汚い子供らが一杯いて、写真機を向けると我がちに集まってくる。自分が写されようとして前へ前へと出てくるからなかなかシャッターが切れない。ところが大人がそばにいると、たちまち子供らを追いはらってしまう。初めは何のことかと思ったが、要するに貧しい非文明的な情景は、国威をけがすから写させないのだ。辻豊氏の「ロンドン東京五万キロ」という本によると、シリアやヨルダンではもっとひどく、うっかり写真をとると警察にひっぱられる。辺鄙な土地ほどこういう傾向が強いらしく、スエズでは汚い風景にカメラを向けると必ずといってよいほど注意を受けたが、ポート・サイドではめったにそういうことはなく、アレクサンドリアでは一度も経験しなかった。

 特有な平たいパンを戸板にずらりと並べ頭にのせて運んでいる光景を撮ろうとすると、さっそく愛国者が現れ、手をふって「ノオ」といった。しかもこの愛国者氏は十分間ほど私を尾行し、けしからぬ写真を撮りはせぬかと見張っているのである。といって、対日感情は非常によく、街を歩いていてもやたらに握手を求めてくる。しかし私はこういう現象も好まない。もっと個人的なものから出発したものでないと、なにかいかがわしく、トーマス・マン作「魔の山」に出てくるクラウディア・ショウシャの口を借りれば「ねーんげん的」でないように思われる。

*このクラウディア・ショウシャは、おそらく実際は、同著内、他の登場人物であるシュテール夫人を指しているのではないかと思われます。


2021年3月30日火曜日

20210330 中央公論新社刊 藤野裕子著 「民衆暴力」―一揆・暴動・虐殺の日本近代 pp.199‐200より抜粋

中央公論新社刊 藤野裕子著 「民衆暴力」―一揆・暴動・虐殺の日本近代 pp.199‐200より抜粋
ISBN-10 : 4121026055
ISBN-13 : 978-4121026057

警察による日常生活の統制に対して、民衆が不満・反感を持ち、暴力が湧き上がった際に、警察に矛先を向けていく。この点で、本庄署の襲撃とその焼打ち未遂は、第3章で見た日比谷焼き打ち事件における警察の焼打ちと驚くほど似ている。軍隊の出動によってすぐさま解散下でも点でも共通する。

このことをどのように考えればよいのだろうか。日比谷焼き打ち事件が警察権力への対抗として評価されるならば、この本庄署の襲撃にも警察権力への対抗的な側面はある。しかし、この襲撃が朝鮮人虐殺と一体のものだと考えると、その側面だけを切り取って評価することはできない。

一方、第1章で見た新政府反対一揆との共通点も浮かびあがる。新政府反対一揆では、県庁や戸長などを襲撃する一揆のプロセスで、被差別部落を襲撃した。本庄署では、朝鮮人に対する差別意識に基づいて「天下晴れての人殺し」をするプロセスで、日常的に潜在していた警察への反感が噴き出して警察署を焼き打ちしようとした。

暴力をふるう過程で、日頃はかなわなかった、さまざまな対象への暴力行為が可能となることは、これまでに論じたとおりである。その可能性には、警察権力への対抗だけでなく、自らが差別する対象への徹底した攻撃になる場合もあった。

歴史を見る際に、権力に対抗する民衆と被差別者を迫害する民衆とは、別の民衆であるかのように分離したくなる。しかし、こうした事実は、その様に民衆像を二分させて歴史を捉えることには問題があるのだと教えてくれる。権力に反発する意識と他民族などを差別する意識は、一人の人間や社会集団のなかに矛盾なく存在し、ひとたび始まった暴力を契機に、両方が引き出されることがあり得るからだ。

2021年3月29日月曜日

20210329 株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー⑦「ある異常体験者の偏見」pp.169-170より抜粋

 株式会社文藝春秋刊 山本七平著 山本七平ライブラリー⑦「ある異常体験者の偏見」pp.169-170より抜粋

今、街頭で、西アフリカやバングラデシュの飢饉のため募金が行われている。ところが私の学生時代には、専ら「冷害で餓死に瀕した東北の農民」のために、街頭募金が行われていたのである。今では想像もつくまい。「トチの実もドングリも食べつくし、ワラモチで飢えをしのいでいます。」といって、その実物を机に並べて街頭に立ったグループもあった。私はどうもこういうことは苦手で、「寄付はするが、街頭には立たない」とことわったため、ひどく非難されたので、今でもおぼえている。こういうこと、すなわち「国民が飢えに瀕しても原爆や戦艦を造る」といったことは、多くの民族が通過しなければならぬ一段階なのかも知れない。だがそれはいずれの国民が行おうと結局はすべて無駄なのである。いまどき、一、二個の原爆や水爆をつくるということは、太平洋戦争の直後に戦艦大和をつくるぐらいの愚行であり、軍事的に見れば、栄光を追う老いぼれの老将軍や軍事委員会主席の白昼夢に基づく浪費にすぎない。

だが、ここで誤解してならないことは、そういう状態を、その国民であれ当時の日本人であれ、圧政とは受けとらなかったことである。ここに軍備というものがもつ奇妙な魔力、子供を異様にひきつける、あの魅力にも似た魔力がある。当時の日本人が、物すごい軍備の重圧下に苦しみうめき、かつ怨嗟の声をあげていたかのように言うのは、戦後の創作された虚構であり、当時はそういうことを言う人は例外であり異端者であって、一般はむしろ逆で、われわれのような「いわゆるインテリ」(この言葉は当時は一種の蔑称であるが)が、ちょっとそういった批判を口にすれば、最も苦しんでいるはずの農民から面詰されるのが普通であった。彼らは軍備を、軍艦や戦闘機や砲を、血と汗できずきあげた誇るべき自分たちの共有財産のように考えており、それらにケチをつけるような者は、ただではおかない、といった面があった。

一方、軍の側にも明らかにこれに対応する考え方があった。人間より兵器を大切にしたことは、前にもいったように事実であるが、兵器について必ずいわれたことで、今では忘れられている言葉は、「御紋章」と同時に「お前たちの父母の血と汗の結晶である」という言葉である。この考え方は海軍にもあったようで、大和出撃の動機の一つが「国民に多大の犠牲を強いて造った戦艦を戦わずして敵の手に渡すことは出来ない」ということだったそうである。いわば「身分不相応」な軍備が国民に極限ぎりぎりの犠牲を強いつづけてきたことを実感している当時の軍人には、「共有財産」を活用もせずに、勝手に敵手にわたして平然と「降服」することは、何としても出来ないことだったのだろう。誤解を恐れずにいえば、私がその立場にいれば、やはり同じことをしたであろうということである。

陸軍には一種の「農民尊崇主義」のようなものがあった。これは前に秦郁彦氏も指摘されたが、日本の陸軍には、都会人とかインテリとかを、最後の最後まで、「陸軍という身内」に入れようとしなかったそうで、これは米英軍にもドイツ軍にも見られなかった大きな特徴だそうである。

同時に反射的に「都市のインテリ」は昔から陸軍を嫌った。「どうせ兵隊にとられるんなら海軍に行きなさいよ。陸軍なんてドロ臭い」とは当時のインテリ女性がよく口にした言葉である。従ってインテリの陸軍嫌いは戦後のことでなく、戦前からの伝統であり、おそらく、これが今でも尾を引いて、自衛隊への批判乃至はいやがらせは、ほぼ陸上自衛隊に集中し、海上自衛隊は実質的にはその対象からはずされているわけであろう。だが当時は農村ではこの感じは一変していた。しかし何らかの意見が活字になるのは、ほとんど「都市インテリ」の場合であり。そのため、何となく陸軍は戦前から全日本人の怨嗟の的だったかのような印象が今では一般的になっているから、陸軍と農民との間に非常に強い「身内意識」あるいは「共同体意識」があったことは、今の人には意外であろう。だがこの関係は、軍隊内における「農民出の下士官」と「都市インテリの兵士」との間の、一種の相互的嫌悪感といったものに、良く表れている。下士官とか軍曹とかいう言葉は、戦後はもちろんのこと、戦時中ですら一種の「蔑称」として使われていたことが、上記の関係を象徴的に示しているであろう。


2021年3月27日土曜日

20210327 岩波書店刊 丸山 眞男著 古矢 旬編「 超国家主義の論理と心理 他八篇」 pp.385‐388より抜粋

岩波書店刊 丸山 眞男著 古矢 旬編「超国家主義の論理と心理 他八篇」 pp.385‐388より抜粋
ISBN-10 : 4003810430
ISBN-13 : 978-4003810439

19世紀における世界市場の形成は、従来「世界史」の激動の彼岸にあった広大な「未開地域」を国際社会の中に引き入れた。この歴史的変動は、ふるくから独自の文化と伝統を形成してきた極東諸国にもっとも大きな衝撃として現れた。

日本は種々の歴史的条件によって、いち早くこの衝撃を主体的に受け止めて、一応ヨーロッパ型の主権的民族国家を樹立することに成功し、19世紀末にはやくもヨーロッパ帝国主義と轡をならべて植民地分割競争に乗り出した。

しかし他の極東諸民族は日本の勃興に刺戟されて民族的独立の方向に歩み出す以前に、あるいはその動向の脆弱な間に、集中的な帝国主義の侵略を蒙って植民地ないし半植民地の境涯に陥った。

やがて帝国主義による資本輸出は伝統的生産様式を押し潰し、交通網の発達は多かれ少なかれ閉鎖的な共同体秩序を破壊したために、資本と軍靴の無慈悲な足跡の下から、ほとんど不死身のエネルギーをもった民族解放運動が20世紀に入って至るところに勃興した。

ヨーロッパにおける英・仏・独・オランダなど主要植民帝国の弱化と、今次大戦における日本帝国主義の崩壊といった一連の歴史的過程を経て、現在アジア・アラブの民族運動は世界政治のもっとも重要な因子の一つとなっている。

これをヨーロッパ的なナショナリズムの範疇でどこまで捉えられるかは、大きな疑問が存在するが、やはりそこにはナショナリズムとよばれて然るべき要素が作用していることも否定できない。

むろん、一口にアジア・ナショナリズムといっても、その間にかなりの地域差があるが、その内部的相異を超えて、これをヨーロッパ・ナショナリズムから共通に区別する特性に着目すれば、まずこれら地域の社会構成において、ヨーロッパともっとも顕著な対照をなすのは、いわゆるミドル・クラスの欠如である。

上層部には60パーセントから80パーセントにおよぶ超高率の地代を収奪する半領主的な巨大地主や、先進国の外国商社と結んだ買弁資本が位し、そのすぐ下には人口の圧倒的多数を占め、ほとんど文盲な貧農と、恐ろしく劣悪な労働条件下にある鉱業その他、主として原料生産業および交通関係の労働者、および種々の雑役に従事する半プロレタリアの大群が位する。

その間にわずかに小規模の民族資本、小商人、ヨーロッパ的教養を受けた知識層(官吏・軍人を含む)が擬似ミドル・クラスを形成するにすぎない。

ナショナリズムの巨大なエネルギーを提供するのは、いうまでもなく下層の極貧大衆であり、彼らの非人間的な生活条件と擬似ミドル・クラスの不安定性とは、そのナショナリズムにきわめて急進的な、しばしば熱狂的な性格を賦与している。

富と権力を持った土着支配層は、外国帝国主義との取引を有利にするため、こうした大衆運動を利用し、ある場合には指導するが、決定的な状況ではしばしば帝国主義と結んでこれを押し潰す役割を演ずる。したがってアジアのナショナリズムはイデオロギー的にも政治運動としても非常に屈折がはげしく、その「急進性」も、ときにはコンミュニズムとして、ときにはウルトラ・ナショナリズム(とくに激烈な反西欧主義)の様相を帯びて発動する。

2021年3月26日金曜日

20210326 みすず書房刊 ロバート・グレーヴス著 多田満智子・赤井敏夫訳「この私、クラウディウス」pp.9‐11より抜粋

 みすず書房刊 ロバート・グレーヴス著 多田満智子・赤井敏夫訳「この私、クラウディウス」pp.9‐11より抜粋

ISBN-10 : 462204806X
ISBN-13 : 978-4622048060

この序論の巻を終える前に、シビュラとその予言について、いささか付け加えておきたい。クマエでは、一人のシビュラが死ぬと他の巫女が跡目を襲うが、有名なシビュラもあれば、無名のシビュラもある、と私は述べておいた。きわめて名高い一人はデモフィレといい、アエネアスが冥界へ降る前に宣託を伺った巫女である。時代が下ってヘロフィレというのが有名だが、彼女はタルクィニウス王のもとに来て、彼が払う気がせぬほど法外な高額で予言集を買い取るようにすすめた。王が拒むとー話によればー彼女はその一部を焼きすて、残り部分に同じ高値をつけた。今度という今度は、王は好奇心にかられてそれを支払った、という。ヘロフィレの持参した神託は二種類ある。すなわち、未来に関わる警告、あるいは明るい見通しの予言と、かくかくしかじかの前兆が起ったら、神意を宥めるために捧げるべき生贄についての指示と。その後時の経過とともに、何であれ顕著な、真実と証明された、私人への託宣がこれに付け加えられた。ローマが何か異様な前兆や災禍に脅かされるような時には必ず、元老院は「シビュラの書」を管理している神祇官たちに、それを参照するよう命じる。するとつねに対策が見つかるのである。その書は火災のために二度も一部消失したが、失われた神託は担当責任者の神祇官たちの共同の記憶によって復元された。その記憶は多くの場合きわめて誤りの多いものであり、だからこそ、アウグストゥスは、明らかに霊感によらない挿入や復元を排して、予言集の権威ある定本を作る事業に着手したのである。かれはまた、権威に乏しいすべての個人的シビュラ神託集を、他の入手可能な公けの予言集と共に集められるだけ集めて破棄した。その数は二千を超えた。かれは「シビュラの書」を校訂本を、パラティヌス丘の自分の宮殿近くに建立したアポロ神殿の神像の台座の下の、鍵のかかる戸棚におさめた。アウグストゥス個人の歴史関係の蔵書から、一つの稀書が、かれの死後しばらくして私の所有に帰した。「原典のうちに含まれながら、アポロの神祇官に偽作っとして斥けらるる神託を集めしゆえに、シビュラの珍本」と称せられるものである。神託の韻文は、アウグストゥス自身の美しい筆跡で書写され、かれ独特の誤った字の綴りが見られる。はじめは無知からの間違いだったのに、その綴りに長年固執して、しまいにはそれを誇りとしていたほどであった。それらの文章の大部分は、恍惚状態だろうと醒めた状態だろうと、決してシビュラが述べたものではなく、無責任な連中が自分や自分の名誉を高めようとして、あるいは敵対者の家を呪うために、自家製のでたらめな予言を神の託宣と称しているにすぎない。クラウディウス家はこの手の偽作にとりわけ熱心であったようだ。とはいえ一つか二つの託宣は十分に古雅な言葉で述べられ、その霊感は神に由来すると思われた。その明白で驚愕すべき意味内容のゆえにアウグストゥスはーかれの言葉はアポロの神祇官にとって掟であったー正典の中に編入させぬ決意をしたに違いない。この小さな書はもう私の手許にない。しかし真正の予言と思われるそれらの託宣のうち、もっとも忘れがたいものを、ほとんど一字一句あやまたず想い起こすことが出来る。この神託はギリシャ語で記され、(正典の中の初期の大方の神託がそうであるように)おおざっぱなラテン語の韻文訳がそえてあった。

20210325 株式会社 筑摩書房刊 山田風太郎著 「昭和前期の青春」pp.87‐89より抜粋

株式会社 筑摩書房刊 山田風太郎著 「昭和前期の青春」pp.87‐89より抜粋

ISBN-10 : 4480433317
ISBN-13 : 978-4480433312

もう一つ、試験奇談がある。当時数学の三角法は五年生になってからであった。ところが私はそのはじめの一カ月ほど停学をくらっていたので、出てみてもサイン、コサイン、すべてチンプンカンプンである。もともと数学はニガ手だから、追っかけて勉強する気などさらさらない。とうとうまるっきりわからないで通してしまった。

ところ数年後、医者の学校にはいってみると、微分積分がある。これにサイン、コサインが出て来るのだが、右の始末だからまったくのお手あげである。

ところが学年末の試験で、事前に学校から「一科目でも五十点以下の成績のものがあるときは落第させる」との宣言があった。こちらは五十点以下どころではない。一点もだめだ。

 それは昭和二十年春、戦争はすでに末期に達し、東京は爆撃のまっただ中におかれていた。そこで学生の方から、もし試験中空襲となったらどうするか、と質問したのに対して、学校学側から、その場合は試験は中止、その課目は全員合格とする、いう返答であった。他にも試験はいくつもあり、延期してもまた空襲があるかも知れず、かつまたそれまでの空襲はまず夜に限ったから、学校側もそういう非常の方針をとらざるを得なくなったのだろう。

 ところが、その高等数学の試験当日の朝、いざ登校しようとすると、朗々と空襲警報のサイレンが鳴りわたった。私は狂喜乱舞して、「大東亜戦争はこの日のために起った!」と、絶叫して、下宿していた家の奥さんに叱られたことがある。

 中学後半のこの不勉強ぶりを、長い間私は、とにかく非行に忙しかったからと考えていたが、今思うに、しかしまともにやっていてもやはり不勉強であったかも知れない。その、まともにやる、というのができないのである。先天的に、好きなことはやるけれど、イヤなことはてんで受けつけない性分であるからだ。入学試験は、全科目、まんべんなくやる学生でなければ通らないだろう。