2021年3月26日金曜日

20210325 株式会社 筑摩書房刊 山田風太郎著 「昭和前期の青春」pp.87‐89より抜粋

株式会社 筑摩書房刊 山田風太郎著 「昭和前期の青春」pp.87‐89より抜粋

ISBN-10 : 4480433317
ISBN-13 : 978-4480433312

もう一つ、試験奇談がある。当時数学の三角法は五年生になってからであった。ところが私はそのはじめの一カ月ほど停学をくらっていたので、出てみてもサイン、コサイン、すべてチンプンカンプンである。もともと数学はニガ手だから、追っかけて勉強する気などさらさらない。とうとうまるっきりわからないで通してしまった。

ところ数年後、医者の学校にはいってみると、微分積分がある。これにサイン、コサインが出て来るのだが、右の始末だからまったくのお手あげである。

ところが学年末の試験で、事前に学校から「一科目でも五十点以下の成績のものがあるときは落第させる」との宣言があった。こちらは五十点以下どころではない。一点もだめだ。

 それは昭和二十年春、戦争はすでに末期に達し、東京は爆撃のまっただ中におかれていた。そこで学生の方から、もし試験中空襲となったらどうするか、と質問したのに対して、学校学側から、その場合は試験は中止、その課目は全員合格とする、いう返答であった。他にも試験はいくつもあり、延期してもまた空襲があるかも知れず、かつまたそれまでの空襲はまず夜に限ったから、学校側もそういう非常の方針をとらざるを得なくなったのだろう。

 ところが、その高等数学の試験当日の朝、いざ登校しようとすると、朗々と空襲警報のサイレンが鳴りわたった。私は狂喜乱舞して、「大東亜戦争はこの日のために起った!」と、絶叫して、下宿していた家の奥さんに叱られたことがある。

 中学後半のこの不勉強ぶりを、長い間私は、とにかく非行に忙しかったからと考えていたが、今思うに、しかしまともにやっていてもやはり不勉強であったかも知れない。その、まともにやる、というのができないのである。先天的に、好きなことはやるけれど、イヤなことはてんで受けつけない性分であるからだ。入学試験は、全科目、まんべんなくやる学生でなければ通らないだろう。

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