2018年5月20日日曜日

20180520 予備知識を持たない分野の著作を読んでいて思ったこと・・

おかげさまで昨日投稿分の記事は投稿翌日にしては、かなり多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

さて、以前にも少し触れたことですが、ここしばらく我が国古代史についての概説書を読み進めていますが、つい先日からスペイン内戦を主題とした新書もまた新たに読み始めました。スペイン内戦についてはあまり予備知識がないことから、当著作を読み進めていますと、分からない単語・コトバが頻出します。時には調べ、また時には読み飛ばしつつ、当著作を読み進めていますと時折、その述べている内容が(ある程度)分かると感じられる箇所も出てきます。そして、こうした感覚は、既知とは云えない分野の著作を読んでいる際に特に感じる、新鮮な感覚であると云い得ます。また他方で、この感覚は、ある程度慣れ親しんだ分野での著作を読み進める際のような背景知識を持たないことから、頭脳の疲労を誘う傾向もあり、そこから特に就寝前の読書においては、適切と云えるのかもしれません・・(笑)。

しかしまた一方で、どうしたわけか、そうした著作を読んでいても(ある程度)分かると感じられる箇所が多く見出されるようになりますと、眠気よりもある種の好奇心が惹起されることもあり、こうなりますとそれはそれでなかなか厄介とも云えるのです・・(苦笑)。

ともあれ、現在読み進めているスペイン内戦を題材とした著作は、さきに述べた種類の好奇心が惹起されることはなく、むしろ比較的安定して、ここまで読み進めていることが出来ているのではないかと思われます。また同時に時々は(ある程度)分かると感じられる箇所があることにより、読み進める意欲も維持出来ると云えますので、これはこれで悪い選択ではなかったのではないかと思われました(案外とこのバランスが大事であるのかもしれません・・)。

そして、ここまで書いていて不図思い起こされたのはスペイン内戦の同時代人のスペイン人哲学者であるオルテガのことであり、おそらく彼は当時の西欧、特に自国スペイン社会を観察し、その論考を著したと考えられますので、あるいは言い換えますと、スペイン内戦周辺時代の西欧そして母国であるスペインの社会状況および時代精神を抽象化したものが、彼の思想・哲学の大筋の背景、バック・ボーンとなっているのではないかと思われました・・。

また、そうしたことを書いていますと、案外と我々日本の社会は、特に近代以降に関しては、スペインをはじめとする南欧、およびその文化的延長上にあるとも云える南米諸国とも近しい要素・類似性が少なからずあるのではないかとも思われました。そして、そうした視点にて、オルテガの思想を再認識するのもまた、意義深いのではないかと思われます。

そのように考えてみますと、思想・哲学などは直接的な利益が極めて見難いものではあるのですが、やはり重要であり、さらにそうした思想・哲学を自家嚢中の道具としている他国政府が、ある国際的な状況あるいは我が国の状況を如何なるモデルにて認識・観察しているのかを知る術にもなると云えますので、それなりに大事にした方が云いと思われるのですが、さて如何でしょうか? 

【人文社会科学系の中でも歴史・思想系の方々は、時々、何やらわけのわからんこと云っているように聞こえることがあるかもしれませんが、おそらくそれは、その述べている背景・論拠が現代の我が国社会だけではないことから、時折同時代の世間一般と異なることが生じるのであり、また、その世間一般とは、必ずしも時代的にも地域的にも普遍性を持つものではないことを、もう少し自身も含めて考えてみた方が良いのかもしれません・・(あるいは一つに『学問をするとバカになる』とはこうした事情を指しているのではないかとも思われました。)】

ともあれ、今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

数年前から現在までに日本列島において発生した、あるいは現在も継続している大規模自然災害によって被害を被った、諸地域のインフラの回復、その後の復興を祈念します。


~書籍のご案内~
昨年暮に師匠による著作が医歯薬出版より刊行されましたのでご案内いたします。どうぞよろしくお願いいたします。
著書名:『CAD/CAMマテリアル完全ガイドブック』
ISBN978-4-263-46420-5




20180519 記事作成時のプレッシャーを意識しなくなったことについて・・継続?

ほぼ毎日のように記事作成を行っていますが、毎回やる気に満ち、能動的に記事作成に取組んでいるわけではなく、むしろ、それらの半分以上は、どちらかと云えば仕方なく、惰性と義務感のようなものに促されて行っていると云えます。しかし、他方で能動的に勢い込んで記事作成を行っていることもあるのですが、大変面白いことに、そのようにして作成した記事であるから多くの方々に読んで頂けるということは全くなく、むしろ継続して多くの方々に読んで頂いている殆どの記事は、あまり気乗りしないで書き始めたものであり、そうしたことから何と言いますか『創造行為の妙』のようなものを感じさせられるのです・・(笑)。

つまり、つい先日も述べたことですが、こうしたことは『書き始めないことには分からない』ものであると云えます。また、他方で自身も少なからず身に覚えがあることですが、我々が創造性をあまり発揮できない分野における事物の評価は、傍観者的な視点から生じるある種の嗜虐性が発揮されることが多く、それにより辛辣とも云える評価をくだし易い傾向があるのではないかと思われます。こうした姿勢を持ちつつ記事作成を継続していますと、次第に何らかのプレッシャーを感じるようになり、それによりスムーズな記事作成の継続をあたかも自縄自縛のように妨げてしまうといったメカニズムがあるように思われます・・。

そして、こうしたプレッシャーを意識しなくなったのは、端的に記事作成の継続により、慣れて意識しなくなったからであると云えますが、またそれと同時に、記事作成の継続を為さしめるほどの方々に読んで頂いていたこともまた大きく作用していると云えます。

もちろん、当ブログはまだまだ弱小であると云えますが、それでも開設当初は、自身の作成したブログ記事が数十万人の方々に読んで頂くことになろうとは想像も出来ませんでしたので、この間に生じた内的な変化には、何かしら有意なものがあったのではないかと考えます。

しかし、残念であり、且つ面白いと思うことは、その内的な変化とは自身ではよく分からないということです・・(笑)。いずれそのことを言語を以て表現することが出来るようになるのでしょうか?そしてまた、出来たとしても、それはどの程度の普遍性を持つ現象であるのでしょうか?
おそらくこうしたことは、看取が困難であるのかもしれませんが、なかなか興味深く、また同時に大事なことであるようにも思われます・・。

さて、ハナシは変わりますが昨日投稿分記事もまた比較的多くの方々に読んで頂けました。読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。そして看護系の四年制大学はおそらく今後も自然に発展していくと思われます。また、それに加えて今後生じたら面白いことは、総合病院を擁する歯科系の単科大学が看護学部・学科(もしくは専門職大学)を新設することですが、また、同時に歯科領域に関しては歯科衛生・口腔保健系の四年制大学学部・学科は、もう少し新設・増設しても良いのではないかと思われます。

あるいは運営母体が大きいところで、何れかのあるいは複数の日本赤十字看護大学さまが四年制歯科衛生・口腔保健学科の新設・併設を検討されてみてはいかがでしょうか?これは近年慢性的に歯科衛生士不足に呻吟している多くの歯科医療機関にとって福音になると思われます。

今回もここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

数年前より現在に至るまでに日本列島にて生じた、あるいは現在も継続して生じている大規模自然災害により被害を被った、被っている諸地域のインフラの回復、その後の復興を祈念します。


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2018年5月18日金曜日

20180518 先日に引き続き『専門職大学』新設の伏線および今後の進展について・・

以前に作成した一連の『専門職大学』に関する記事は、おかげさまでその後も継続的に読んで頂いています。そして、それら記事において触れたことですが、近年新設・増設が相次ぐ看護をはじめとする医療系の四年制大学学部・学科なども、本質的には『専門職大学』であり、さらに医学部、歯学部なども、これまではそうした定義を与えられることはありませんでしたが、語義的な意味においては『専門職大学』とも云えるのではないでしょうか?

さらにこの様相を俯瞰してみますと、何かしらの国家資格・公的資格の取得を目的とした大学・学部・学科などは概ね語義的には『専門職大学』と評しても良い側面があるのではないかとも思われます。

ともあれ、では何故、近年こうした医療系の『専門職大学』の新設・増設が相次ぐのかと考えてみますと、高齢化社会の到来による(更に高度な)医療人材増員の要請、半ば恒常化した経済的不況による安定志向からの資格取得願望などが考えられます。また、自身の実感によりますと、四年制の看護大学・学部・学科は今世紀に入り現在に至るまで、もの凄い勢いで増えてきたように感じられます。くわえて、スケールは異なりますが、これと同様の様相は四年制大学教育による歯科衛生士の養成においても当てはまるように思われます。

さて、こうした状況を認識した上で、冒頭に述べた『専門職大学』就中、医療系のものに関して考えてみますと、今世紀に入ってからという、ある程度長い期間の助走もしくは伏線のようなものがあり、現在の状況に至っているということが、ある程度理解できるのではないかと思われます。

また、今世紀に入り新設・増設された看護をはじめとする医療系大学・学部・学科は他の既存大学定員から流入したものであり、それに付随して既存の短期大学・大学学部・学科などの閉鎖・縮小などが多数あったのではないかとも推察されます。

こうした状況の推移から一つの高等教育におけるダイナミズム・動的様相が看取出来ると思われ、また『専門職大学』の相次ぐ新設も、この一連の動的様相の先鋭化した現れであると認識すれば、少なくとも大きな間違いではないように思われますが、さて如何でしょうか?

そしてまた、今後のこの動的様相の進展の方向として、先ず考えられることは、地方に立地する文系学部を主とする小規模大学が近隣の医療・介護系専門学校と合併すること、そして伝統、地名度があり複数キャンパスを擁する比較的規模の大きい医療系大学(具体的には日本赤十字看護・順天堂・東邦・北里・日本医科・東京医科など)が更なる看護・医療系学部・学科を地方に新設・増設をすることです。

はぼ当てずっぽうな予測ではありますが、中には実際に生じることもあるのではないかと思われます・・(笑)。

今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

数年前より現在に至るまで日本列島にて生じた、あるいは現在も生じている大規模自然災害により被害を被った、被っている諸地域のインフラの回復、その後の復興を祈念します。


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2018年5月17日木曜日

20180517 文章を書き続ける能力?【新たな要素を追加更新しつつ・・】

昨日の記事投稿により総投稿記事数が990に至り、余すところ10記事の投稿にて1000記事に到達します。とはいえ、これまで通り感慨も何もあったものではなく、昨日も記事投稿後、そのことに気が付いたくらいです・・(笑)。

一方、記事作成に関しては以前に比べますと、あまり苦も無く書き続けることが出来るようになり、さらに面白いことに、投稿したいくらかの記事に関しては、ある程度継続して読んで頂いていることから、おそらくそうした記事は、作成した記事の中でも『良い出来』と評することが出来るのかもしれません。

しかし、それら『良い出来』の記事は全て、当初からそれを意図したものではなく、結果的にそうなったものであり、それはこれまでに作成した全記事の継続があり、はじめて世に現れ得たと云い得るのです・・。

こうした経緯を考えてみますと、半ば必然的に思い起こされるのは、魚釣りであり、そこでは一投一投それなりに考えて行ってはいますが、その中で具体的な釣果に結び付くのはごくわずかであると云えます。しかしそれでもなお、投げないことには如何なる釣果にも結び付き得ないのです・・。

おそらく、ブログ記事の作成とは、何かしらこれに類似したものがあるのではないかと私は考えています。また、そのように考えることにより、自然と投稿記事数といった数値的な指標もあまり感慨などを惹起させるには至らず、それよりも『とりあえず記事作成を継続しよう』といったどちらかと云えば穏やかな行為態度へと至るのだと思われます・・。

それは一種のマンネリ化であるとも考えられますが、しかしそこで留意して頂きたいことは、そのマンネリとも云える行為の中に創造性があるか、創造力の駆動が為されているかということであり、おそらく、この要素が行為の中にわずかでも存在することにより、その行為は新たなものとなり、少なくとも次に繋げることが出来るのだと思われるのです。

その意味で、ブログ記事ではあれ、こうした公表を前提とする文章は、あからさまなパクりは概ねバレてしまい、また明らかな虚偽、公序良俗に反する偏見に満ちた言説も非難を受け易いことから、作成する題材については、それなりに考えて書き連ねてはいるつもりですが、往々にして我々の能動性とは、何かしらの契機によって勢いづくことにより、上記の要素を半ば無意識ながら蔑ろにしてしまうこともあることから、そのバランス、均衡を保ちつつ、新たな要素を追加更新しながら記事作成を継続していくことは『簡単である』とは言い切れないのかもしれません・・。

しかし、そのように考えてみますと果たして自身はこれまでにバランス、均衡を保ちつつ文章を作成してきたのでしょうか・・(笑)。

(無用な非難を受けないために)ヒトに見せるためのゼスチャーとしての文体と、虚偽のない書き手側の意図・真意による文体を折衷した能動性の発動(文章の作成)を継続的に出来るようになれば、それは一つの能力と云えるのだろうか・・ともあれ、おそらくそこで『抽象性』といったものが大事になってくるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか?

今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

数年前から現在に至るまで日本列島にて生じた、あるいは現在も継続して生じている大規模自然災害により被害を被った、もしくは被っている諸地域のインフラの回復および、その後の復興を祈念します。


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2018年5月16日水曜日

20180516 不図した契機で調べることと知識全般の急激なインフレについて

時折、人と話し、後になって何かしら啓示を受けたかのように、その会話に出てきた『あること』について調べだすことがあります。おそらく、そうした行為態度は以前からあり、また以前の方がより頻繁であったように思われます。

とはいえ、それもインターネットそして、その携帯端末であるスマホが登場することにより、こうした知識に対する渇望は以前に比べかなり減衰してしまったのではないかと思うことがあります・・(苦笑)。【以前に比べ、経時的にある知識に対する渇望が増大することは顕著に少なくなってきたと云えます。これは年齢によるものもあるとは思われますが、それよりも、さきに述べた状況の変化の方がより大きく作用しているのではないかと思われるのです。】。

これら機器が存在しない時代は、手始めに百科事典で調べたり、あるいは、調べるためにわざわざ図書館や書店に出向くといったこともありました。そのように考えてみますと、インターネットの普及前後では、我々が即座に認識できる知識の量が数値的に計測、比較することが困難な程に大きく変わったと云えます。

その結果として知識全般の急激なインフレともいえる状況を我々は認識し、そこに端を発し学問・知識の府である大学そのものに対し、今後の在り方が問われているのが昨今の状況と云えるのではないでしょうか?

くわえて、奇しくも15世紀欧州における活版印刷の普及が当時の教会、大学に及ぼした影響もまた、さきに述べたことと類似する様相があったのではないかと考えます。

さて、そこでハナシは冒頭に戻り、先日頂いたメールから不図、これまであまり接することがなかったスペイン内戦(1936~1939)について少し調べてみようと思い立ちました。これまでに自身がスペイン内戦で知り得ていたことはパブロ・ピカソ作の絵画『ゲルニカ』、ジョージ・オーウェル著『カタロニア賛歌』程度であり、この著作は在鹿時代に読みましたが、その内容は概ね忘れてしまっているため、もう一度本箱から探して読み直してみようと思います。また、さらに古書にてスペイン内戦を扱った概説書を見つけようと、アマゾンのサイトにて関連書籍を物色していますと、今度は1973年のチリのクーデターに関しての書籍がいくつか出てきましたので、商品の説明を読んでみますと、これらもまた、大変興味深いと思われてきましたので、こちらも機会があれば是非読んでみようと思うに至りました。

おそらくこうした歴史についての勘(少なくとも論理的とは云えないことから)らしきものを働かせる行為とは、思いのほかに重要であり、また、ある程度そうした行為を継続していますと、非科学的であり、よく分からないのですが、ともあれ何らかのカタチで洗練、上達していくのではないかとも思われたのですが、さて如何でしょうか・・(笑)。

ともあれ、今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

数年前から現在までに日本列島におて生じた、あるいは現在も継続している大規模自然災害によって被害を被った、被っている諸地域のインフラの回復、その後の復興を祈念します。


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2018年5月15日火曜日

20180515 能動性の発露と創造性の方向について:理系と文系

おかげさまで昨日投稿分記事も比較的多くの方々に読んで頂けました。これを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。また、この記事にて述べた各個人の能動性とは、今後の社会において、より重要になってくると思われます。

何故ならば、能動的に活動することなしに自身が持つさまざまな特性・性質を見出すことは困難であると思われるからです。また、かつての我々の社会においては、受動的である方がむしろ美徳とされていたのかもしれませんが、近年のコンピューター技術の進化発展により、我々人間が職務を行うよりも、コンピューターがその職務を行うことの方がより効率的になりますと、以前は美徳であった受動的な態度の多くをコンピューターに肩代わりされることにより、その微妙とも云える価値を多く失い、我々には能動性しか残されなくなるのではないでしょうか?

約言しますと、近現代を通じて大きく進展してきた産業の機械化は一次、二次産業の多くの部分を担うようになり、さらに近年のコンピューター技術の進化発展により、それは人間固有の頭脳による労働が多く含まれるとも云える第三次産業領域にも及び、それにより我々はかつての受動性よりも能動性をより洗練、進化させる時代に立ち至ったということになります。

そしてさらに、この能動性は、多くの場合、創造性と親和力がある、結節し易いと云えるのではないでしょうか?

とはいえ、創造性とは云っても、当初からのその行使であっては持続可能性・発展持続性が乏しいと云え、やはり、その基礎においては、さまざまな学習が必要であると云えます。

また、おそらく現在の我々の社会においては、若い頃に学習をして、その後は学習にて培ったものを実地に運用していくといった傾向があり、これは特に自然科学系学問分野において顕著であると云えます。

一方、人文社会科学系分野においては、自然科学系学問分野ほどにこの傾向は顕著ではなく、あるいは何かしら別種の世界観・価値観といったものがあるように思われます。

このことをもう少し考えてみますと、自然科学系の方々は法則、公式そして客観的事実とされることなどを絶対的に普遍のものと考えている方々が多いのではないかと思われます。それ故、古今のどの書籍にてそれらを知ったとしても、その法則、公式そして事実に変わりはないと考えるといった傾向があるように思われます。

それに対して人文社会科学系の方々は、どのような知識であれ、それを得るに至る文脈・系譜といったものを極めて大事にすると云えます。むしろ、その文脈の流れをを精確に把握すること、背景の歴史を知ることにこそ、その神髄があると考えているフシがあるように思われます。

そして、無論双方共に重要ではあるのでしょうが、我々日本人は、後者の考え方が苦手であるといった(割合顕著な)特徴があるように思われます。それ故、今後我々の能動性の発露がこちらの分野においても、より多く為されることが期待されますが、そのための具体的な施策は、先ずはじめに人文社会科学系分野の学生数を多少減らし、より緊密な講義形態を採ることであると思われますが、さて如何でしょうか?

今回もまたここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

ここ数年前より現在までに日本列島において発生した、あるいは現在も継続して発生している大規模自然災害により被害を被った、現在も被っている地域の諸インフラの回復および、その後の復興を祈念します。


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2018年5月14日月曜日

20180514 昨日の続き さまざまな作業の外部化と個々人の能動性の方向について・・

昨日は休日ということもあってか、かなり久し振りに1日の閲覧者数が1000人にまで達しました。また、昨日投稿分記事も比較的多くの方々に読んで頂けました。これらを読んで頂いた皆さま、どうもありがとうございます。

さて、そこで昨日投稿分記事内容についてあらためて考えてみますと、現在の社会の傾向として、常時必要でないものに関しては出来るだけ外部化・外注して済まそうといった傾向があると思われます。また、たしかにそうしておけば、必要な時にのみ、手軽に所望の知識・サービスなどが入手出来ますので、スッキリしてスマートであるとも云えます。

こうしたスマートさを追求するのは、決して悪いことではないと考えますが、他方、我々の性質とは、常時何らかの情報の往来・処理などによって活性を保っており、そうしたいわば外部からの刺激(往来・処理)がなくなってしまうと、自然と活性が鈍り、機能が低下もしくは退化いくといった性質を持っているのではないかとも思われるのです。

とはいうものの、実際問題として、出来ることならば面倒なことには関わり合いたくない、やりたくないというのが、我々の偽らざる本音であるとも云えます・・。そうしますと、そこで極めて重要である思われることは、我々各個人が持つ性質・志向もしくは能動性の方向であると思われるのです。

この能動性を駆動させることが出来る業務・職務であれば、多少の面倒があっても我々はそれを成し遂げることが出来る蓋然性が高いと云えます。そして、そうした業務・職務とは当然、各自それぞれの性質により異なります。

私は学生時代に体育会の運動部に所属していましたが、残念ながら、その運動競技に対してのセンスがあると感じられたことはありませんでした・・(苦笑)。また、そうした時に自身に対して感じる不甲斐なさ、無力さはなかなかこたえるものでありましたが、それも現在思い返してみますとあながち悪いことばかりでもなかったようにも思われます・・。

また、その一方で私は、こうした文章を書き続けること、および、おそらく多くのヒトが面倒に思い、あまり積極的には読もうとはしない幾つかの分野の書籍などを読み進めることなどは割合出来るようであり、これもまたさきと同様に自身固有の性質・志向であると云えます。

しかしながら、こうした性質・志向に関しては、おそらく20年程前であれば、一般的にはあまり受け入れられず、逆に『好きなことを仕事にしてはいけない!』といった社会風潮が強かったのではないかと記憶しています・・。おそらく当時はまだ我が国の景気が良かった時代の名残で、むしろそちらの方が社会全体としてはまわっていたのかもしれませんが、現在の我々の社会の様相、あるいは景気が良かった時期から現在に至るまでの変化の経緯とは、一つには、社会全体がこうしたことを考慮することを面倒に思い、そしてそうした意見を述べる人間・勢力を排除・圧迫し続けることにより生じてきたのではないかとも思われるのです・・(それも一種スッキリしていてスマートなのでしょうが・・(苦笑))。

また、そのように考えてみますと、我々の社会とは、古くから否応なく改革に迫られた際は、かなり大規模・大胆な改革を行いはするのですが、その後どうにか社会が安定しますと、そうした改革自体を面倒に思うようになるのか、更新作業を徐々に行わなくなり形骸化し、そして何かしら起源が不明な儀式のようなものとして遺るといったところがあるように思われるのです(それは保守ではなくて、ただの因循姑息ではないでしょうか・・。)。

ともあれ、これからの時代において、より重要になると思われることは、我々各自が持つ性質・志向もしくは能動性の方向を認識し、出来るだけ多くの人々がそれを追求していくことにより生じる自然な社会の変化の蓄積であるように思われるのですが、さて如何でしょうか? 

今回もまた、ここまで読んで頂き、どうもありがとうございます。

ここ数年前から現在に至るまでに日本列島において発生した、現在も発生している大規模自然災害により被害を被り、あるいは現在も被っている諸地域のインフラの回復そしてその後の復興を祈念します。


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